生命体エナジー浄化の会ブログ

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御神島紀行 その2

《 御神島紀行 その2 》

雄島―平泉寺白山神社―岡太神社・大瀧神社―御神島―常神社

平泉寺白山神社

 

 「平泉寺白山神社へいせんじはくさんじんじゃ)」は、福井県勝山市平泉寺町に鎮座しています。

 

ここは「白山信仰」の越前国側の拠点でした。

白山は、泰澄により717年に開山されましたが、天台宗比叡山延暦寺系の寺でした。

 

明治時代になって、神仏分離までは仏教寺院の「霊応山平泉寺」でした。

その後は、白山神社として「平泉寺白山神社」となって今日に至ります。

 

しかしながら―――平泉寺の歴史には、数多くのドラマがありました。

 

泰澄によって「白山」が開山されて、平安時代以降は比叡山延暦寺の勢力下に入り、「白山信仰」の越前側の「禅定道」の拠点として、山伏、僧兵が数多く集まりました。

 

その後、源平合戦のときには、『平家物語』によると、木曽義仲と平家の争いの時に平泉寺は平家側についたことが書かれています(僧兵の集団がいたことになります)。

 

そして、木曽義仲が勝つと、平泉寺の僧兵たちを抑えた木曽義仲は、平泉寺に寄進しています。

 

鎌倉時代に、源頼朝に追われた源義経主従は、奥州藤原氏のもとへ落ち延びる途中で、平泉寺に立ち寄ったという伝説も残ります。

 

その後、南北朝時代になると、平泉寺は南朝後醍醐天皇に味方して、越前は

南朝の有力な地域となっていました。が―――

 

北朝側から「寺領を安堵する」と云われて、南朝を裏切ります。

それで、南朝軍と合戦となり、そのとき南朝新田義貞は戦死しています。

 

室町時代になると、最盛期には全山石垣が積まれて要害となり、東西1.2キロ、南北1キロの中に、南谷3600坊、北谷2400坊、48社、36堂、6000坊の院坊を備え、僧兵8000人を抱える巨大な宗教都市を形成していました。

 

特に、泰澄が住していたゆかりの地であり、清僧が住する北谷と違い、妻帯僧が住する南谷は、直線的な石畳道路を始めとして計画的に開発された区画で構成されていました。

 

また、寺だけではなく街並みがあった証拠として徳市、安ヶ市、鬼ヶ市という地名が残っています。

 

戦国時代になると、長年に渡って加賀の「白山比咩神社」と白山山頂の管理権や入山料の徴収などの利権を巡って争いになっていました。これは江戸時代まで続きます。

 

戦国時代では、越前の国主である朝倉氏と肩を並べるほどの一大勢力となっていました。

 

有力な坊舎が軒を連ねていて、僧兵の出自も朝倉氏の家臣団一族から入室していることもあり、朝倉氏とは極めて近しい関係であったといいます。

その後、朝倉義景が北近江の大名浅井長政と手を組み、織田信長を裏切って、浅井長政によってあわや討ち死にの危機に陥ります。

後日、恨み骨髄の織田信長に攻めれれて降伏しています(信長の支配下に入ります)。

 

また、天正2年(1574年)には、小田信長に味方をしていたことから、「一向一揆」のために放火されて、全山が灰塵に帰したといいます。

こうした経緯があり、豊臣秀吉の崇敬を受けるようになり、復興しました。

 

江戸時代になると、福井藩、越前勝山藩から寄進を受け、規模は6坊2か寺、寺領は330石であったといいます。

 

寛保3年(1743年)、いさかいが絶えなかった平泉寺と加賀の白山比咩神社の利権争いがようやく江戸幕府によって―――

 

御前峰・大汝峰の山頂は平泉寺、別山山頂は白山比咩神社が管理すると決められ、平泉寺が白山頂上本社の祭祀権を獲得しました。

 

明治時代に入ると、神仏分離令により、寺号を捨て神社として生きていくこととなり]、寺院関係の建物は解体されたといいます。

しかし、明治5年、江戸時代の決定とは逆の裁定が行われ、白山各山頂と主要な禅定道が白山比咩神社の所有となりました。

 

このように「平泉寺・白山神社」の歴史には、数々のドラマが秘められいます。

 

白山神社」とある参道に入ります。

 

入口に「白山平泉寺散策マップ」があります。

その中に、「東尋坊」についての名前の由来がありました。

東尋坊という白山平泉寺の僧であった東尋坊という乱暴者がいて、

彼を憎む僧たちが宴を催し、酒に酔わせて崖から突き落としたことから「東尋坊」となった」との伝説が示されています。

 

参道には、何とも言えない高い波動が漂っています。

 

歴史を振り返れば、ここで数々の歴史ドラマが展開されていたことになりますが、

現在では、ひっそりとして、静逸な雰囲気が残ります。

 

ここにも案内看板があります。

この中に―――

 

白山を開山した泰澄大師は、白山登拝の途中で、ここの「御手洗池」で白山の神の宣託を受けて、ここが聖地であることを知り、社を建てて白山の神を奉斎されたのに始まる―――とあります。

 

杉並木の参道が延々と続きます。

気持ちのいい参道です。

 

手水舎の龍神から流れ落ちる「水」は、良好な波動です。

この「平泉寺白山神社」の波動の高さを物語ります。

 

八幡神社」です。

それほどの波動ではありません。

 

池から流れ込むところです。

特に拝むような波動ではありません。

 

泰澄大師お手植えの御神木です。

いまから1200年以上前のものです。

 

ここが「御手洗池(みたらしいけ)」です。

池中にある「影向岩(ようごういわ)」に、「白山大神出現」とあります。

 

ここが「平泉寺白山神社」の創建に関わる「地」となります。

 

この池には「鳥居」があります。

 

「御手洗池(みたらしいけ)」の案内看板です。

この中に、「神泉は今もって絶えることなく湧き出ている」とあります。

 

これは「二之鳥居」です。

いい感じの雰囲気があります。

 

「末摂社」の一つです。

 

高波動です。

修験道系のエナジーが反応します。

 

この修験道系のエナジーを、ブレスレットを置いて吸引しました。

 

境内は、「苔」に覆われています。

「平泉寺・白山神社」は、「苔寺」としても有名です。

 

小説家の司馬遼太郎は、『街道をゆく(越前諸道)』の中で、

白山神社の苔の規模・質に比べれば、京都の「苔寺」は笑止!」

と、ここ「平泉寺・白山神社」を絶賛しています。

 

末摂社の「貴船神社」です。

 

これも末摂社の一つです。

 

ここに―――

平泉寺・白山神社の「由緒」があり、ここには

 

「当鎮守宮は 明治初年神仏分離政令発布までは、平泉寺四十八社の一社で

字中谷二十二番地にあった御宮である・・・天正二年一向一揆で廃塵に帰したが・・・・」

とあります。

 

赤鳥居の先にも「末摂社」があります。

とにかく、ここには多くの「末摂社」があります。

 

参道の奥には、「拝殿」が見えてきました。

 

 

これが「拝殿」です。

 

江戸末期に造営されたもので、その当時はかなり巨大な建造物(大拝殿)であったようです。

「四十五間左右の礎石がそれを示す」とあります。

 

中宮 平泉寺」の扁額があります。

 

階段を昇ると、「御本社」があります。

 

「御本社」です。

補修されていますが、見事な彫刻が浮いています。

 

ここに―――

 

「御本社」は、寛政七年(1795年)の造営です。

御祭神は 「伊弉尊(いざなみのみこと)」です。

 

現在の社殿は、越前藩主松平重富公による再建です。

総檜の入母屋造りで、「昇り龍」「降り龍」の丸彫り、壁面の浮彫など素晴らしい彫刻が刻まれています。

 

この「御本社」を中心に、左右に「別山社」「越南知社」を配するのは、白山山頂の三山のそれぞれの神を祀っているからです。

 

現在はありませんが、中世から近世にかけては五社が整然と建ち並んでいたといいます。

 

このような案内文があります。

 

「御本社」の「浮彫」は圧巻です。

 

 

これは御本社の右側にある「越南知社」です。

白山山頂の三山の一つを、ここで御祭りしています。

 

「大己貴尊(大国主命)」を祀ります。

 

見事な「苔」の床床が広がります。

 

司馬遼太郎が、

「京都の苔寺など、笑止!」

としたことが、判るような気がします。

 

これは御本社の左側にある「別山社」です。

御祭神は、「天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)」です。

 

波動の高い参道を進みます。

 

スギ林の参道を進みます。

 

全員の波動は、整っていて、かなり良好な状態になっています。

「平泉寺白山神社」の波動と調和していますので、その高さが解ります。

 

楠木正成公墓塔」です。

 

南北朝時代には、最初に「南朝」についたので、南朝の忠臣である「楠木正成の墓」があることは理解できます。

しかし、その後裏切って、北朝に味方した歴史がありました。

 

なぜ、この地に「楠木正成」の墓」なのかーーー

 

ここに「三之宮 明治22年の改築」があります。

 

楠木正成公墓塔 延元年間(約650年前)建立」とあり、

その中に―――

 

後醍醐天皇建武の中興における忠臣大楠公楠木正成)の甥が、この平泉寺の衆徒であり、ある時 大楠公が騎馬姿で夢に出てきて、湊川の合戦で討ち死にしたことを知ります。

 

それで五重の石塔を建てて菩提を弔った」

このようなことが書かれています。

 

奥まったところに「三ノ宮」があります。

 

ここには「三ノ宮 安産の神」とあります。

栲幡千々比賣尊(たくはたちぢひめのみこと)が祀られています。

 

それほどの波動ではありません。

 

「開山社 御開祖泰澄大師を祀る」とあります。

 

ここに、わずかですが「泰澄大師のエナジー」を感知することができます。

 

白山を開山した泰澄大師によって、修験者が白山に登拝するようになりましたが、

その後、庶民も白山登拝するようになります。

 

白山登拝には、越前、加賀、美濃の三国から山頂を目指す三本のルートがあります。

その越前からのルートの起点が、白山平泉寺です。

 

その最も奥まったところである「三ノ宮」から、白山への登拝道である「越前禅定道」が始まります。

 

その「越前禅定道」は、「歴史の道100選」にも選ばれています。

 

ここは・・・何なのか・・・よく判りません・・・・。

 

 

苔寺」の異名を持つのが、よく判ります。

 

帰路、参道を振り返り、「平泉寺白山神社」に深々と頭を下げて、

「我々をここに導いてくれた」ことに、全員で感謝の思いを捧げました。

 

                  つづく

 

            2024年4月23日記

 

 

御神島紀行 その1

《 御神島紀行 その1 》

雄島―平泉寺白山神社―岡太神社・大瀧神社―御神島―常神社

雄島

 

 我々は、「丹生川上神社下社の登拝」を終えて(本ブログ2024年3月5記)、それに連なるレイラインの起点である「御神島」に行かなくてはならない―――と、心に決めていました。

 

そして、2022年8月21日から2泊3日で福井県に行きました。

この地は、アジャリンコと2023年に入籍したコジャリンコの地元です。

 

雄島とは、福井県の越前海岸にある島です。

周囲2キロの島で、近くにある「東尋坊」のように柱状節理の外に、板状節理の海岸もある島です。

 

これが「雄島」です。

 

この橋を渡ると「雄島」に渡ることができます。

 

 

橋を渡ると、「鳥居」があります。

 

「雄島」の案内図があります。

ここに―――右上から、左へ

〇 ヤブニッケイの純林

〇 磁石岩―方位磁石を近づけると方針が狂う不思議な岩

〇 流紋岩の流理構造―美しい縞模様が見られる流紋岩。雄島の地盤は全てこの流紋岩で成り立っています。

〇 瓜割(うりわり)の水―湧き水は夏でも冷たく、その中に瓜を入れると割れる・・・・

〇 柱状節理の断面

このように書かれています。

 

これが案内板にあった「ヤブニッケイの純林」と思われます。

 

純林の中をさらに進んでいきます。

すると―――

海岸線が見えてきました。

 

「磁石岩」とあります。

 

これが「磁石岩」です。

スマホの「羅針盤」をセットして視ますと・・・・・

 

確かに方針が狂います。

この岩には、磁力線が発生しているようです。

 

こちらの岩場も、磁力線を感知します。

 

磁界となっているのは、ここがいく度も雷に打たれたからだ・・・・とも云われています。

 

「瓜割(うりわり)の水」の案内看板です。

 

藤原重永(しげなが)という戦国時代の城主で、京都の北野天満宮(藤原道真を祀る)を再建した人物の書には、

「水が湧き出でて、旱魃(かんばつ)でも水は枯れることなし」

と記されていたといいます。

 

雄島に降った雨が地中に浸透して、それが地下水となって岩の割れ目に湧き出したもの。

今では枯れることもありますが、雄島の小鳥たちにとっては貴重の水飲み場となっているようです。

 

「瓜割(うりわり)の水」が、どこなのか―――探しました。

この時は8月の盛夏の時期ですから、枯渇しているのか―――とも思いましたが・・・・・

 

ここに僅かですが、「瓜割(うりわり)の水」と思われるところがありました。

これは、塩気のない「真水」です。

 

 

「大湊神社」の「拝殿」です。。

「本殿」は、この後方にあります

 

このとき、扉は閉まっていましたが、隙間から中を覗くことができました。

 

1370年前に創建された神社です。

「航海」「漁業」の守護神として崇敬されています。

 

この樹木に、心が惹かれました。

 

大地に根ざした大きなパワーを感じ取ることができます。

肉体と霊体が分離してしまうような方が、時々います。

 

そのように、肉体から霊体が少しズレてしまっているような方は、この木の根元に入りますと、肉体と霊体がピッタリと重なって、正常な状態に戻すことができると思われます。

 

そして、この樹木に寄り添いますと、大地にしっかりと身体が繋がり、地球のエナジーを感じ取れるようになると思います。

 

「拝殿」から中を覗くと、その奥に「本殿」が見えます。

それほど高い波動ではありません。

 

これが「拝殿」の奥にある「本殿」です。

やはり・・・・波動は高くはありません。

 

重要文化財 大湊神社」の案内板です。

 

源義経が、東北の地に落ち延びる際に立ち寄って、家臣の兜を奉納した社と伝わります。

朝倉義景の後援を受けていたので、その因縁のある明智光秀が訪れて漢詩を詠んだという話もあるようです。

 

かっての社殿は、織田信長の兵によって焼き払われており、現在の社は棟札によると、元和7年(1621年)に造立されたものです。

本殿・拝殿ともに福井県文化財に指定されていいます。

 

ここに「水瓶」があります。

この「水」は、良好な波動です。

 

この「水」に持参のブレスレットを漬けて、高波動のエナジーを吸引させました。

 

「雄島」からみる「東尋坊」です。

 

東尋坊」は、一大観光地で柱状節理の切り立った崖が海岸で有名です。

今回も昼飯のときに立ち寄りましたが、観光地としての画像は1枚もありません。

 

いく度も行っていますので、特に感動するところは皆無でした。

 

これが「大湊神社」へ入るときの鳥居です。

「結界」はありません。

 

これは、二つの樹木の間を潜らせる「結界」となっています。

「雄島」への橋を渡り、入口の鳥居から2方向に分かれますが、

我々が来た方向とは逆のコースでは、この「大湊神社」を通って島に入ります。

 

「雄島」は、地元の方々は「神の島」と呼ぶそうですが、そのような気配は感知しませんでした。

 

それほどのパワースポットではありませんでしたが、次に行くことになる白山神社に期待が」かかりました。

 

                  つづく

 

            2024年4月16日記

 

 

三峰神社奥之宮登拝 その3

《 三峰神社奥之宮登拝 その3 》

 三峯神社の「奥之宮」に登拝して、三峰神社の参拝をしました。

 

詳しくは―――2019年4月の本ブログ「秩父三峰神社参拝の旅」をご覧ください。

以下、簡単にご案内いたします。

 

三峰神社の入口には、全国でも珍しい「三ツ鳥居」です。

この鳥居は、金箔の模様が施されています。

 

三峯神社正参道」とあります。

 

三峰神社」なのか「三峯神社」なのか、正確には「三峯」なのだと思います。

ここでは、一般的な「三峰」としておきます。

 

参道の途中には、多くの記念碑が建てられています。

 

山門である「隋神門」が見えてきます。

 

この「山門」の前には―――

狼(山犬)が狛犬の代わりに、守護をしています。

この狼(山犬)が眷属神となって、「三峰神社」の守護をしています。

 

この狼(山犬)は生きていませんが―――

左側の狼(山犬)は生きています。

参拝者への睨みをきかせています。

 

このような参道を下ります。

すると―――

また、「狼(山犬)」の像があり、「結界」を敷いています。

ここを通過する方は、一時的に体軸が歪みます。

それは、身体が浄化されるからです。

 

三峯神社」の扁額が掛かった鳥居があります。

この「扁額」は、高波動です。

 

この階段を昇ると、「拝殿」があります。

 

「拝殿」の中です。

さらに、この「拝殿」の後方に「本殿」があります。

 

三峯神社の由緒は古いものです。

 

大縁起によると日本武尊(やまとたけるのみこと)が伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)をお祀りしたのが始まりと伝わります。

景行天皇の命により、東国平定に遣わされた日本武尊(やまとたけるのみこと)は、甲斐国(山梨)から上野国(群馬)を経て、碓氷峠に向かう途中三峯山に登ったと伝わります。

 

そのときに、山川が清く美しい様をご覧になり、国をお生みになられた伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)の仮宮を建てお祀りして、この国が永遠に平和であることを祈られたと伝わります。

 

この時、道案内したのが狼(山犬)であったとされ、神様の使いとして一緒にお祀りされたのが、三峰神社の眷属神である「狼(山犬)」なのです。

 

 

拝殿の後方にあるのが「本殿」です。

 

主祭神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)ですが、このエナジーは反応しませんし、「狼(山犬)」のエナジーも反応しません。

 

ここの配祀神は、造化三神である「天之御中主神(あめのみなかのぬしのかみ)」と

高御産巣日神(たかみむすひのかみ)」と「神産巣日神(かみむすひのかみ)」

さらに「天照大神(あまてらすおおみかみ)」です。

 

この配祀神が、この本殿にはそのエナジーを感知します。

これは―――前回訪れたときと同じです。

 

「三峯山代々祖霊之里」とあります。

ここは―――

「祖霊社」です。

 

ここに―――

主祭神である「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」「伊弉册尊(いざなみのみこと)」のエナジーが反応します。

 

本ブログの2019年4月に「秩父三峰神社参拝の旅」の「その2,3」の中で紹介しましたが、三峰神社の名を世間に広めた大きな要因の一つに、「白いお守り(氣守)」があります。

 

あまりにも高い効験のために、毎月1日に配布していたのが、あまりにもそれを求めてくる方が多く、過剰な渋滞が起こったために、販売を中止せざるを得なかったものです。

 

「白いお守り(氣守)」には、「狼(山犬)」の眷属神のエナジーが封印されていると云われています。

 

もう少し詳しく述べると―――

 

三峯信仰の中心は、御眷属(山犬)信仰です。

『社記』によると、日光法印が享保12年に山上の庵室に静座していると、山中から狼が群がって来て、境内に充ちたといいます。

 

法印はこれを神託と感じて、「猪鹿・火盗除け」として「山犬の神札」を貸し出したところ、高い霊験があったといいます。

 

この「山犬の神札」は、1疋で50戸まで守護すると云われていて、文政8年には貸し出された「山犬の神札」は5000疋となったと伝わります。

 

明治の文豪・幸田露伴は、三峰の神使は「狼」であるとして、祀っていたと云います。

 

その「狼(山犬)」の眷属神のエナジーが反応するところが―――

「国常立神社」(摂社)です。

 

ここに、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざでなみのみこと)のエナジーと共に、三峰神社の眷属神である「狼(山犬)」が共に祀られています。

 

ですから―――ここの波動が本殿よりも、私は好きなのです。

残念ながら、扉は固く閉じられていました。

 

2019年の本ブログの「秩父三峰神社参拝の旅」時には、この中に入りました。

その中の扉は閉じられいましたが、十分なエナジーを吸引することができました。

 

楽殿です。

それほどの波動ではありません。

 

日本武尊(やまとたけるのみこと)神社」です。

 

かなり高波動です。

何か「修験道系」のエナジーが反応します。

 

三峰山の中心は「雲取山」で、熊野の修験道が深く関わっていました。

中世以降は、日光系の修験道場となっていました。

その後、天台宗修験道の関東総本山となっています。

 

ここには「三峯大権現」が祀られてるようで―――

この「日本武尊(やまとたけるのみこと)神社」には、「三峰大権現」の修験道系のエナジーが反応します。

 

「三峯大権現」であれば、「奥之宮の祠」のエナジーと同じように思います。

 

なぜか「伊勢神宮」も存在します。

それは、主祭神の他に、配祀神として「天照大神」が祀られているからかもしれません。

 

残念ながら、今回は「天照大神」様のエナジーは感知しませんでした。

 

また、

それ以外に、多数の「摂社」「末社」があります。

 

多くの「末社」がありますが、これといって特筆すべきものはありません。

 

東照宮」です。

 

ここには―――

徳川家康の「東照大権現」様が反応します。

 

徳川家康とは、私の子供時代には「タヌキおやじ」の異名があり、今と違って日本人には人気がありませんでした。

 

それが山岡荘八の長編小説「徳川家康」によって、辛抱・忍耐の人として描かれてました。

 

その遺訓に―――

 

「人の一生は 重荷を負うて遠き道を行くがごとし」という有名なものがあります。

 

この遺訓は、さらに

 

「急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。

こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。


勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。」

最後には、 自分の行動について反省し、人の責任を攻めてはいけない。
足りないほうが、やり過ぎてしまっているよりは優れている―――という意味です。

 

現代の我々にも、自戒を促すことになる遺訓のように思います。

 

                        了

 

               2024年4月9日記

 

三峰神社奥之宮登拝 その2

《 三峰神社奥之宮登拝 その2 》

 妙法ヶ岳(奥宮)に到着しました。

山頂からは、素晴らしい景観が広がっていました。

 

これは、雲取山(2017M)でしょうか。

定かではありませんが、奥秩父の山々が見渡せます。

 

 まず、「奥宮本殿」に参拝します。

 

ここが「奥之宮本殿(祠)」となります。

 

さすがに高波動です。

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉册尊(いざなみのみこと)エナジーを感知します。

 

また、それに付き従った狼(山犬)のエナジーも感知します。

 

最後の難関の「クサリ場」です。

クサリを持たないと、よじ登ることができません。

 

ここまで来られてことに感謝して、深々とゾネスとタッキーがお辞儀をしています。

アジャリンコは「我関せず」と、マイペースでいます。

 

「奥之宮本殿(祠)」には、祠の屋根の上から反時計回りでエナジーの渦が巻きあがっていました。

 

三峰神社の「狛犬」は、「狼(おおかみ):山犬」です。

したがって、ここでは「狼(おおかみ):山犬」が左右に控えています。

 

これは何なのでしょうか・・・・。

よく判りません。

波動もそれほどのものでもないです。

 

秩父宮殿下御登山記念碑」です。

 

秩父宮殿下とは、昭和天皇の弟様で、スポーツへの造詣が深く、我が国のスポーツ界発展のために多くの尽力をした方でした。

 

山頂まで登り切ったことと、我々をここまで導いてくれたことに感謝の意を捧げていました。

 

 

奥宮の「祠」です。

ここに、「奥之宮神」と書かれています。

 

どうやら―――「三峯大権現」様がここに鎮座するように思います。

良好な波動です。

 

この「奥宮の祠」に、持参のブレスレットを置いて、そのエナジーを吸引しました。

私の「汗の沁み込んだ帽子」も、ついでに置かせて頂きました。

 

私は、「奥宮本殿(祠)」よりも、その横にある こちらに惹かれていました。

 

山頂の周囲は、このようになっています。

 

三峰神社だけあって、奥宮のこの何かの碑(?)は、周囲を「狼」で囲まれています。

 

世間には、キツネ系の霊体が多くの方に憑依しています。

これらの狐靈は、狼(山犬)を嫌いますので―――

 

昔から狐靈が常に憑いているフカ〇ョンなどは、ここの奥宮に登らせようとしても、足が動かずに、徹底的に拒絶されるように思われます。

 

そこで、イメージで無理やり奥宮に登らせて、ここに連れてきました。

どの画像も、身体が常にブレていて、マイナス波動が浮き上がっています。

 

そして―――この中に投入すると、明らかに変化しました。

狐靈で周囲を覆われていたものが、完全にクリヤーになり、その美しさが際立っています。

恐らく・・・・このような例は、周囲には数多くみられるのではないかと思われます。

 

そのような、元々は美しく、綺麗なのに、なぜかパッとしない方が、周囲を見渡せば一人や二人はいると思います。

 

そのような方の多くは、背後に狐靈(キツネ系)が憑依しているのかもしれません。

試しに、この「奥宮」のこの「碑」の中に入れておくだけで、「狼(山犬)」の働きで狐靈(キツネ系)を引き離してくれるかもしれません。

 

その後方に―――

同じように、「狼(山犬)」の狛犬で囲まれている「碑」があります。

 

この「碑」は、周囲を完全に「狼(山犬)」の狛犬で囲まれています。

この―――左の「狼(山犬)の狛犬」は、生きています。

 

背後にも「狼(山犬)の狛犬」です。

この手前の「狼(山犬)の狛犬」は、生きています。

 

これだけ狐系の天敵である「狼(山犬)」に囲まれていては、狐靈(キツネ系)は退散するしかありません。

 

ですから―――「奥之宮の祠」よりも、より直接的に「狼(山犬)」に囲まれているこの「碑」の方が、私的には惹かれていました。

 

山頂からの展望

 

山頂からの展望

 

山頂は、360度の展望ではありませんが、居心地は すこぶるいいところです。

三峰神社」に御参りするときには、約1時間で登攀できますので、一度は「奥宮」に参拝することをお薦めします。

 

帰りは急斜面を下ります。

 

私のようにサンダルで登ってきた方は、雨天になると下りは危険です。

転倒必至の場所が幾つもありますので、注意してください。

 

その後、山を下って、三峰神社を参拝しました。

 

               つづく

 

           2024年4月2日記

 

 

三峰神社奥之宮登拝 その1

《 三峰神社奥之宮登拝 その1 》

 以前に「三峰神社」には参拝していましたが、一度はその「奥之宮」に行かなくてはならない―――との反応がありました。

 

「奥之宮」は、妙法ヶ岳(奥宮)の山頂にあります。

およそ1時間で山頂まで辿り着けるということで、いつものように私はサンダルでOKだろう・・・・と、勝手に解釈していました。

 

そして・・・・話がまとまり、2022年8月12日に急遽行くことが決まりました。

 

ゾネスとタッキーの3人で私のクルマで奥秩父に向かい、もう一人のアジャリンコは自宅から三峯神社に向かいました。

 

ところが・・・・噂どおり、駐車場に入るのに延々とクルマの渋滞が続いています。

1時間後にようやく駐車場の中に入ることができて、ようやく出発することができました。

 

クルマで行く方は、この渋滞を覚悟した方がいいかもしれません。

 

まずは、平坦な道を進みます。

 

このような なだらかな途が続きます。

 

「一之鳥居」です。

この鳥居を潜って、いよいよ登山道に入ります。

 

妙法ヶ岳(奥宮)とあります。

同じ方面に、雲取山があります。

 

雲取山とは、東京・埼玉・山梨の境界にある2017Mの東京都の最高峰です。

日本百名山」の一つで、妙法ヶ岳、白岩山とともに、三峰山の三山の一つです。

 

高校時代に、雲取山の集中登山を行ったことがあります。

 

我々は、青梅線の終点(奥多摩駅)で下車して、そこから「雲取山」を目指して登山を開始しました。

山頂で他の別ルートから来た計4組が山頂で合体しました。

 

高校生だったので、それほどの疲労感を覚えずに登り切ったことが思い出されます。

 

今は、高齢者となり、この1時間で行ける「奥宮」程度までしか登ろうという気が起きません。

時代の変遷を感じる「標識」となりました。

 

少し登山道のような雰囲気になってきます。

 

山道に入ってきました。

 

 

尾根伝いに道が続いています。

時折、幹の折れた木が目に入ります。

 

登山道らしくなってきました。

 

途中の雰囲気は良好です。

 

標識があります。

右 雲取山

左 奥の宮

 

ここで、雲取山に向かうルートとは別れます。

ここから雲取山に向かうルートは、かなりの距離を歩くことになりますので、一体どんな方が行くのか想像もできませんでした。

 

「奥宮」の山門です。

これが、「二之鳥居」です。

 

 

「妙法ヶ岳1、4km  三峰神社1.1 雲取山9.4km」

 

残り1.4kmですが、上り坂の斜面での1.4kmですから、ここからが少々きつくなります。

 

途中に、このような石で積んだケルンのようなものがありました。

何の目的があって石を積んだのかは、解りません。

 

幹の折れた倒木も目につきます。

 

中間地点まで来ました。

あと1.2キロあります。

 

そろそろ傾斜がきつくなってきます。

 

木の根が縦横に走る途を進みます。

少々歩きづらいです。

 

「雷のつめ跡」

 

奥の院の大鳥居から妙法ヶ岳までの尾根には、幹の先が割れたり折れたりした大木が目につきます。

これは落雷によりものです。」

 

このように書かれています。

途中で、幹などが折れたものが目に留まりましたが、どうやら落雷によりものの影響のようです。

 

この辺りは、落雷が多く発生するようですから、雨天のときには要注意です。

 

のこり600Mの地点まで来ました。

若い方なら、この参道はほとんど苦も無く登れると思います。

 

私のような高齢者には、「後600Mか・・・・」「まだ、600Mもあるのか・・・・」と思いました。

 

 

「三之鳥居」です。

 

この先は―――

いく度かアップダウンを繰り返す途が続きます。

 

参道は、それほど急な斜面は少なくて、高齢者でも安全に上れるルートが続きます。

 

 

なにやら「磐座(いわくら)」がありました。

波動は良好です。

 

私も何時ものように、シューズを履かずにサンダルで登っていましたが、この女性のようにスカートで登る方もいます。

 

しかし、もしも天気が急変して、雷雨にでもなれば、スリップして歩行が困難になります。

 

同行者には、常に「シューズを履きなさい!」と注意されますが、頑なにサンダル愛用者を通しています。

 

そのために、出羽三山の登拝のときには、サンダルが滑って歩行が困難となり、時間の関係で登頂を諦めたことがありました。嫌な思い出です。

 

この妙法ヶ岳(奥宮)の登山者には、「サンダルでの登山はお止めください」との注意書きがありました。

 

「四之鳥居」です。

 

「四之鳥居」の横に、このような「磐座(いわくら)」があります。

高波動です。

 

かなりの高波動です。

 

しばらく この「磐座(いわくら)」に見入っていました。

 

「階段・クサリ場は」とあります。

 

ここまで来ると、山頂は近いですが、斜度は急激に上がり、険しい途が続きます。

そのために、登山道には安全のために階段が設けられています。

 

鉄製の階段を昇ります。

 

尾根上の途なので、迂回が出来ないので、このような階段を設置したものと思われます。

 

下りも階段で降りられます。

 

もしも、このような階段が設置されていなければ、非常に危険なルートになります。

雨天であれば、転倒必須なルートになります。

 

ここの岩に良好な波動を生み出すエリアがありました。

 

慎重に階段を下ります。

 

さらに階段が続き、尾根を迂回していきます。

 

さらに急な階段を昇りますと―――山頂は近いです。

 

そして、次に現れてのは―――

クサリ場です。

 

ここは―――

鉄柵があるので安心ですが、かなりの急斜面で、クサリを掴んで昇ります。

ここまでくると、多くの高齢者には薦められるルートではないかもしれません。

 

この最後の難関を昇りきると―――

秩父雄大な景観に浸ることができます。

雲取山もこの景観のなかにあるのでしょうが、どれかは判りません。

 

こうして、妙法ヶ岳山頂の「奥宮」に到着しました。

標高は1329Mです。

 

ここは―――素晴らしいところでした。

 

                つづく

 

            2024年3月26日記

 

将来、要介護・自立生活困難にならないために 2

《 将来、要介護・自立生活困難にならないために 2 》

 前回は、「要介護」「認知症」のリスクについて、その実態と、かって私が大きく携わっていた講座の内容などに触れて、「健康寿命」と実際には、10年間も余命があり、非健康寿命の状態で生活する方が、ケタ外れに増えている実態に触れました。

 

では―――「要介護」の状態で、10年に及ぶ非健康寿命の状態で生活することを防ぐには、どうすべきなのか?

 

また、そのチェックは、どうするのか、また、それを防ぐにはどうすべきなのか―――ということを、今回は考えていきます。

 

まず―――「要介護」の可能性の有無をチェックします。

 

次のテストを行います。

 

椅子に座り、片足の膝を伸ばします。

 

これは、大腿四頭筋の筋力レベルが正常か否かのチェックです。

年と共に筋肉が衰えます。

 

筋肉の衰えの顕著なのは、「大腿四頭筋」です。

大腿部の前にある「大腿四頭筋」は、全身の筋肉が衰えを健著に示す指標となります。

 

通常、30才過ぎると、年に1%ずつ筋肉が減少していきます。

10年で10%も減少するのです。

 

20年では、つまり50歳では20%も筋肉量が低下していることになります。

いや、筋肉量の衰えは、年と共に加速度的に拡大していきますから、もっと大きく筋肉の減少はあるものと思った方がいいようです。

 

前回、「フレイル」(虚弱で筋肉が落ちて、認知機能が低下して、要介護の予備軍の状態)と、その前段階である「サルコベニア」の指標として、「握力」が云々とありましたが、

 

これは普段から物を持ったり、「手」を使いますので、「握力」はそれほど顕著に筋力が低下することはありませ。ここでは「大腿四頭筋」を使います。

 

要介護を受けるのか否か、自立した生活ができるのか否か―――これには、大腿部の筋力が十分にあるのか否か、が大きく関わるのです。

 

この姿勢をしっかりと保てる。

さらに言えば、脚は「平行」か「平行よりも上」、できれば5センチから10センチ上げます。

 

「平行よりも上」、できれば5センチから10センチ上げる

 

この状態を保持できることが必要です。

 

ブルブル震えたり、直に足が下がってしまう方は不合格です。

このとき―――

 

正しく背中は立てます。

背中が丸まってもダメです。

 

大腿前部の大腿四頭筋が、つったりしないか。

大腿後部のハムストリングスが、「痛い」「つらい」と感じることはないか。

 

「つらい」と感じるのであれば―――

 

今現在は40歳であっても、30年後には要介護の可能性があり、

自立した生活を送れない可能性があります。

 

虚弱を示す「フレイル」の前段階である「サルコベニア」(運動不足で筋肉の喪失を招き、身体機能が低下している状態)は、30代になると多くに方に見られてきます。

 

そして、40歳を超えると、実に4人に一人に、その兆候が始まるとされています。

 

そして―――40代で虚弱な「フレイル」の状態に入り、

気が付くと、「要介護」「認知症」予備軍となり、晩年のおよそ10年間は健康寿命を全うできずに、介護施設に入るか、「ここは、どこ?」「私は、誰?」の認知症状態になってしまうかもしれないのです。

 

このような「要介護」「認知症」予備軍の方が、我が国では爆破的に増えているようです。

 

実際に「要介護」「認知症」の状態になると、それをカバーするための「介護者」が必要となり、これだけでも我が国の国家予算を圧迫する莫大な「医療費」が必要とされています。

 

そのために、国民一人一人が真剣に向き合わなくてならない事態が切迫しています。

では、どうすべきなのか―――

 

それには、「クスリ」の服用で解決することはありえません。

本質的に、「クスリ」で健康を買えるものは存在しません。

 

「クスリ」は「症状を抑えるだけ」であり、「症状を治す」ものは、ほとんどありません。

いや、それよりも―――

 

「クスリ」を3種類から5種類以上も服用されていますと、

自己治癒力(自然治癒力)が働かなくなります。

 

「免疫系機能」がダメージを受けて、様々な症状を示すようになります。

 

「免疫系機能」とは、脳下垂体、視床下部甲状腺、胸腺、副腎、脾臓、左右精巣・卵巣です。

これに、膵臓、肝臓、腎臓さらに言えば小腸なども関連します。

 

多種のクスリを服用することで、「免疫系機能」が低下します。

それに輪をかけるのが、携帯・スマホの電磁波です。

 

ほぼ全ての人は、電磁波の悪影響下にあります。

携帯・スマホを所持しているだけで、腰椎5番、3番が歪み、左側頭骨に過度なストレスがかかります。

 

今後は5G電磁波の強烈なストレスを受けることになりますので、事態は深刻になっていくのは必定です。

 

「若返り神気」「脳発達認知症」または「脳若返りCD」で作成した「波動水」を、携帯・スマホあるいはパソコンなどに週1回スプレーしている方なら問題はありませんが、

 

ほぼ例外なく、電磁波の悪影響で身体が歪んでいます。

 

仙台の電磁波の権威である〇山医師のところで購入した電磁波防御グッズも、私の治療を受けた二人の患者様が所持していましたが、効いていませんでした(効果がありませんでした)。

 

このようなことから―――若い方は「電磁波」、また高齢者になるほど「薬害」の悪影響で、身体がストレスを受け続けていますので、常に身体が歪んだ状態で生活しています。

 

そのために、まず行うべきことは―――

 

「薬害」と「電磁波の悪影響」を避けるために、「クスリに過度に依存しない」ことと、

携帯・スマホあるいはパソコンなどに、若返り神気を週1回スプレーすることが大切です。

 

今まで多くの電磁波防御グッズを見てきましたが、有効なものは「ほとんどありません」でした。

 

では、本題の身体の筋肉を刺激して、それ相応の筋量を確保するためには、どうしたらよいのか―――

 

簡単に言えば、フィットネスクラブに行って、マシーンでもよいから、筋トレをすることをお薦めします。

 

自宅で、通販などで購入した運動器具が多くありますが、自宅では大多数の方は運動を継続できずに、ただのガラクタと化しているのが実情です。

 

それでも、最低限は自分で鍛えていきたい方は、ここで簡単に行えるエクササイズをご紹介します。

 

全てのエクササイズは、8回から12回できるようにします。

個人差がありますので、軽ければ両手にダンベルを持って行うなど、自分で負荷を増やしてください。

 

1セットから開始して、徐々に2セット、3セットと増やします。

 

1,ウォール・スクワット

壁に両手をついて、バランスをとり、膝の屈伸を行うスクワットです。

 

これで、下半身の多くの筋肉が連動します。

マシーンで、スクワットと同等の効果を示すには、12種類のマシーンを行う必要があることが示されています。

 

多くの高齢芸能人は、必ず行っているエクササイズです。

 

2 ワンレッグド・スクワット

 

1ランクアップのスクワットです。

片足を台の上に載せて、片足で膝の屈曲・伸展を行います。

 

これにより、大腿前部(大腿四頭筋)だけでなく、大腿後部のハムストリングスも殿筋群も鍛えます。

 

3 片足挙上してヒップ・リフト

仰臥位で、片足を挙上して、臀部を持ち挙げて、「イーチ、ニーイ、サーン・・・」とゆっくりと数えて、ゆっくりと臀部を元に戻していき、再び臀部を持ち挙げていきます。

 

これをゆっくりと繰り返していきます。

 

負荷を強めるには、足のかかとの位置をより遠くにします。

負荷を小さくするには、足のかかとの位置を近くにして、両足を付いたままで行います。

 

年と共に衰えの目立つ「殿筋群」と「ハムストリングス」、「背筋群」を鍛えます。

 

4 シッシー・スクワット

下半身の体軸をとるために、大腿四頭筋の中の「大腿直筋」(唯一の2関節筋で、膝と骨盤に付着します)。

 

少し、「きつい」と感じる方は、無理して行う必要はありません。

これは、通常の大腿部のエクササイズでは、直接鍛えることのないもので、正しく行えば、骨盤のバランスを整えることができます。

 

鍛錬者は、胸の前にプレートなどの負荷を持って行います。

 

以上は、全てが主に大腿部―臀部などを鍛えるエクササイズです。

 

以下、もう少し「上半身」「腹筋」などの主要なエクササイズも紹介しておきます。

 

このようなバーの下に身体を置いて、両足の膝を曲げます。

両手でバーを掴んで、腕を曲げて、身体を上方に引き上げます。

 

背中のエクササイズです。

 

多くの方は、背中を鍛えることを怠ります。

腕立て伏せ(プッシュアップ)などは簡単にできますので、誰でもできますが、背中を鍛えることはあまりやらない傾向にあります。

 

そのために、立った時に、シャキッと正しい姿勢を取れない方が多くいます。

背中が丸まった、見るからに不健康そうな方は、硬くなった背中を防ぐためにも、取り入れておきたいエクササイズです。

 

 

これは、「胸」「肩」「腕(上腕三頭筋)」を鍛えるエクササイズです。

 

普通の「腕立て伏せ」(プッシュアップ)と違うのは、腕を曲げたときに片側の「手の上」に顎を付けます。

 

これは―――少しきついので、両膝を床に付けたままで行います。

 

 

腹筋下部を鍛えるエクササイズです。

 

両ひざを曲げて、そのまま腰を持ち挙げます。

これをゆっくりと行います。

 

腹筋のエクササイズというと、仰向け姿勢で足首を固定行うことが多いですが、

これだと、腹筋の上部繊維を刺激しますが、メインは「腸腰筋」のエクササイズとなります。

 

腰痛の方は、さらに腰痛が悪化する可能性があります。

ですが―――

 

このエクササイズなら、腰痛の方でも問題なく行うことができます。

 


 

腹筋エクサイズで、特に腹筋の強度をアップさせたものです。

パートナーに足首を保持してもらい、そのまま上方に腰を持ち挙げて、

ゆっくりと、背中から降ろしていき、骨盤が床につくまで降ろします。

 

これを繰り返します。

 

高齢者になると、「尿漏れ」の問題が深刻になります。

 

「尿漏れ」の問題に悩んでいる方は、次の点をチェックしたください。

 

〇 膀胱に神経切断があるか否か

 ※私の調整ルームで、この「神経切断」が多くみられます。

  その影響で、「尿漏れ」を起こします。

  残念ながら、神経切断は医療施設では、画像に映らないので見つかりません。

 

〇 尿道括約筋の神経切断があるか否か

 ※尿が出るのを我慢できないケースの場合には、これを疑います。

 

〇 骨盤底筋群の神経切断があるか否か

 ※骨盤の底には、左右の「筋群」があって、支えています。

   この筋群に、時々神経切断のある方が見つかります。

   この場合にも、尿を我慢できずに漏らしてしまう可能性が高まります。

 

このように、「尿漏れ」の多くのケースで「神経切断」が介在しますが、医療機関では見つからないことが多く、「おむつ」をして耐えている方が多くいます。

 

その多くが、肝臓に毒素が溜まり、肝臓の「尾状葉」というエリアに、水銀、鉛、ヒ素などが溜まり、その影響で神経内を走っている「血管」が脆くなり、切れてしまうケースを数多くみてきました。

 

それよりもます、「尿漏れ」を心配して悩んでいる方は、

 

〇 腹筋が弱い(腹筋力の低下)

 

これが、背後に必ず潜んでいます。

つまり―――

 

「尿漏れ」を心配して、その可能性を怖がるのであれば、

まず、腹筋を鍛えて、そうならないように鍛えるしかありません。

 

「腹筋は、鍛えないと弱化します」

「背筋は、鍛えないと硬くなります」

 

これらのことを深く胸に刻んで、将来「要介護」「認知症」にならないために、今から備えていただけたら・・・・と思います。

 

※「認知症」については、今の医学では治せません。

進行を止めるのが精一杯です。

これについては、その時期がきた時に開設する予定です。

 

             了

 

         2024年3月19日記

 

 

将来、要介護・自立生活困難にならないために 1

《 将来、要介護・自立生活困難にならないために 1 》

 現在の国民医療費は、我が国の国家予算100兆円のうち、約35%を占める莫大な経費を必要としています(国家予算額は、米国、中国、ドイツに次ぎ、世界4番目の規模です)。

 

大雑把に言えば、「国家予算の半分近くが、国民医療費が占めている」ということになります。

 

それは―――高齢化が進む我が国が抱える大きな問題であり、高齢者の大半が医療費の保険診療に頼っていることに、根本的な問題があります。

 

特に、健康寿命と要介護を受けなくてはならない状態で生活する非健康寿命の問題は、多くの高齢者の大きな問題です。

 

日本人の平均寿命は、男性81.41歳、女性87.45歳です。

しかし、何も問題なく生活できる「健康寿命」は、男性72.14歳、女性74.79歳なのです。

 

つまり、平均寿命では日本人は世界一とされながら―――

 

残りの10年間は、平均寿命と健康寿命の差が「延命期間(健康に生活できない期間)」であって、介護費用などの出費が必要とされているのです。

 

このことは、長生きしていても、健康寿命そのものを延ばさなくては、人生の晩年には悲惨な状態が待ち受けていることを意味しています。

 

もし、家族もいなくて、一人きりで生きている高齢者の方は、自分の晩年を考えると十分な老後資金が必要であり、

 

さらに、多くの高齢者が抱える問題となっている「認知症」に罹ると、十分にあるはずの老後資金ですら、正しく自分の老後資金に充当できるのか否かすら、解らないことになってしまう可能性もあります。

 

認知症」では、銀行の管理が不十分となり、家族がいればともかく、悪意のある第三者が介入すれば、悲惨な結果を招く事態に陥る可能性すらあるからです。

 

特に―――配偶者の妻に先立たれた男性高齢者は、通常は5年ぐらいで身体はボロボロになって亡くなります。

 

それは―――たとえ配偶者と触れ合うことがなくても、一緒に生活することで、男性は女性から生命体のエナジーをもらっているからです。

 

男性は、大地や樹木からは生命体のエナジーを吸引することはできないようです。

しかし、

女性は、大地や樹木からは生命体のエナジーを吸引することができますので、「夫」に先立たれても、さらに数十年と生きつづけることができるのです。

 

 

自分の親の介護のために仕事を辞めた方もいますし、親を介護施設に入れるための経費を捻出するために、退職金を前借りする方もいます。

 

亡くなる前日まで元気に動き回っていて、朝起きたら亡くなっていたという「大往生を遂げる」のが理想ですが、寝た切りで10年間の過ごすようなケースは最悪です。

 

その面倒をみる家族の負担は、並大抵のものではありません。

 

過疎化が進む山間部の集落などは高齢化が進み、廃村などが深刻化しています。

 

都会でも、自立して生活している高齢者の老人は減少の一途をたどり、高齢者の介護をする人の時給が低く、介護者の不足が国家的な問題にまでなってきています。

 

このような現状の中で、我々ができることを考えてみました。

 

まず、要介護の「前段階」である「フレイル」について、簡単に解説します。

 

フレイルとは、海外の老年医学の分野で使用されている英語の「Frailty(フレイルティ)」が語源となっています。

これは―――日本語に訳すと「虚弱」や「老衰」、「脆弱」などを意味します。

 

日本老年医学会は高齢者において起こりやすい「Frailty」に対し、正しく介入すれば戻るという意味があることを強調したかったため、多くの議論の末、「フレイル」と共通した日本語訳にすることを2014年5月に提唱しています。

 

フレイルは、厚生労働省の報告書では―――

「加齢とともに心身の活力(運動機能や認知機能等)が低下し、複数の慢性疾患の併存などの影響もあり、生活機能が障害され、心身の脆弱性が出現した状態であるが、

一方で適切な介入・支援により、生活機能の維持向上が可能な状態像」とされており、健康な状態と日常生活でサポートが必要な介護状態の中間を意味します。

 

多くの方は、フレイルを経て要介護状態へ進むと考えられていますが、高齢者においては、特にフレイルが発症しやすいことがわかっています。

 

高齢者が増えている現代社会において、フレイルに早く気付き、正しく介入(治療や予防)することが大切となります。

 

フレイルの基準には、さまざまなものがありますが、多くは次のものです。

基準となるものには5項目あり、3項目以上該当すると「フレイル」、

1または2項目だけの場合にはフレイルの前段階である「プレフレイル」と判断します。

  1. 体重減少:意図しない年間4.5kgまたは5%以上の体重減少
  2. 疲れやすい:何をするのも面倒だと週に3-4日以上感じる
  3. 歩行速度の低下
  4. 握力の低下(簡単に握力計で測れますから、これが用いられます)

しかし私は、下肢の筋力低下が顕著なのに比べて、握力の低下は顕著ではないことから、少し否定的です。

  5、身体活動量の低下

「フレイル」には、体重減少や筋力低下などの身体的な変化だけでなく、気力の低下などの精神的な変化や社会的なものも含まれます。

 

フレイル状態に至るとどのようなことが起きるか―――

フレイルの状態になると、死亡率の上昇や身体能力の低下が起きます。

したがって、何らかの病気にかかりやすくなったり、入院するなど、ストレスに弱い状態になっています。

 

例えば健常な人が風邪をひいても、身体の怠さや発熱を自覚するものの数日すれば治ります。

しかし、フレイルの状態になっていると風邪をこじらせて肺炎を発症したり、怠さのために転倒して打撲や骨折をする可能性があります。

 

また、入院すると環境の変化に対応できずに、一時的に自分がどこにいるのかわからなくなったり、自分の感情をコントロールできなくなることもあります。

 

転倒による打撲や骨折、病気による入院をきっかけに、フレイルから寝たきりになってしまうことがあります。

フレイルの状態に、家族や医療者が早く気付き、対応することができれば、フレイルの状態から健常に近い状態へ改善したり、要介護状態に至ることを減らせる可能性があります。

 

では、実際にフレイルの状態には、どのくらいの比率で出現しているか―――

 

4000人以上の在宅高齢者の調査によると、実に4人に一人がフレイルです。

そして、

65歳でフレイルであれば、その後早い段階で「要介護」「認知機能低下の状態」に入るとされています。

 

この調査からは、フレイルの人は、3年後にはこの問題に入る方が、そうでない方の2.4倍も高いことが示されています。

 

ところで―――健康とは、「病気でない状態で、元気に活動できる体力があること」と定義されたときに、では、「体力」の最も重要な要素とは何か?

 

私は、サラリーマンをリアタイアして、現在の治療家の道に進む以前には、サラリーマンでありながら、休日の多くを講習会の講師として活動することが多々ありました。

 

講習会の主体は「筋トレ」が主ですが、「健康」をテーマとした講座も数多く経験していました。

 

その当時、「体力とは何か」というと、体協の講習会でもその他の公的な講習会でも、壇上に立つ講師の運動生理学者などは、例外なく「有酸素運動系(エアロビクス)」がメインとしなくてはならない、と発言していました。

 

というのは―――

 

1960年代に米国にケネス・クーパーという学者がいて、「体力の第一は、まず呼吸循環器系の向上を目指さなくてならない。

筋力とレーニンは、無理に行わなくても、エアロビクス能力が高まれば、健康でいられる」

と主張していました。

 

この主張を日本の多くの学者が信じて、一様に「健康のためには、エアロビクスをやりなさい」と言っていたのです。

 

このことは、当時のスポーツ選手にも多大な影響を与えていました。

現在と違い、昔のスポーツ選手は、筋トレを毛嫌いしている選手が多くいました。

 

それは、選手を指導する監督・コーチの影響で、

「筋トレをやると、スピードが落ちる、身体が硬くなる。

筋トレで造り上げた筋肉は、太くて大きい筋肉になるが、硬くなる。

体操選手のような、細くても柔らかい筋肉を造るのがよい」

と、多くの方が一様に信じていました。

 

私も体協のスポーツトレーナー講習会で、運動生理学の日本の第一人者が、

筋肉トレーニングは、やり過ぎてはだめだ。

そのような筋肉は、スポーツには生かせない」

という発言をしていました。

 

私の師匠である故窪田登、元早稲田大学教授、吉備国際大学学部長からは、このような間違った見解を、幾度も聞かされていました。

 

窪田登先生は、「トレーニング界の最高権威」と言われていた方でした。

その先生から、直接多くのことを学ばせて頂いていました。

 

私の健康講座では―――

「スポーツ選手は、筋トレをやらなくて、世界に勝つことができない!」

「高齢者ほど、筋トレが必要になる。

高齢者は、歩くだけで健康は保てるので、筋肉を鍛えるようなことはしなくてもよい、とうのは正しくない」

と、主張し続けていました。

 

他の有名な大学教授の講座では、「体力は、エアロビクスが第一」と言っているのに、私の講座では、高齢者ほど、筋トレが必要になる」というので、なぜそうなるのかと、論争を引き起こしたことがあります。

 

当然、有名な教授の話が正しいと思われましたし、特に「高齢者には、筋トレが必要」という主張には、あまりにも時代がまだ早すぎる感がありました。

 

その当時に、マシーンで筋トレが必要です。だが、その上をいくならバーベル、ダンベルなどのフリー・ウエイトが望ましいのです―――と言っていたのです。

 

その後の受講者との懇親会では、著名な教授なども加わり、この件で私と教授との論争に発展したこともありました。今では、よき思い出です。

 

例えば、高知県で行われた健康講座で、野球選手と筋トレの話となり、当時注目を集めていた蔦監督率いる徳島県の池田高校が、甲子園で大活躍をしました。

 

選手は「攻めダルマ」と呼ばれるガタイの凄い選手が多く、甲子園で優勝3回、準優勝2回の好成績を収めていました。

 

蔦監督は、まず身体の出来上がっていない高校1年生には、徹底して筋トレの基礎を造り上げて、それで2年生、3年生で活躍できるようにしました。

 

それで、ガタイのいい高校球児が「攻めダルマ」の異名をとったのです。

これを知った当時の巨人軍の長嶋監督は、「高校球児の革命である」と表現しました。

 

講座の参加者には、高知県の各地から野球部関係者がおりましたから、このような話をしました。

 

これを聞いていた高知新聞の記者が、その日の夜の懇親会で、

「池田高校には、たまたま優れた素質の選手がいたからで、高校球児の革命とはならない」と発言したことに、私は大の長嶋ファンであるので、カチンときて論争になりました。

 

というのも、当時のプロ野球選手は、筋トレなど皆無、「箸より重いものは持ったこともない」と自慢するプロ野球投手さえいたのです。

 

私は国立競技場のトレーンングセンターにいましたので、多くの方と接していました。

そんな時に、400勝投手の金田正一がロッテの監督をしていたときに、大リーグのラフイーバー(後に大リーグの監督)が、筋トレをしていました。

 

彼は、金田監督を「クレージー!」と表現していました。

筋トレは、選手に一切やらせないし、ひたすら「走って体力を造り上げることlを徹底していました。

 

これに耐えられなくて、一人で国立競技場のトレーンングセンターで筋トレをやっていたのです。

 

今では考えられないことですが、昔の選手は「走って、体力をつける」と信じ込んでいました。

 

走ることは、スポーツ選手の基礎中の基礎ですが、日本のスポーツ選手は、昔はほとんど筋トレをやりませんでした。

 

そんな中で、池田高校の高校球児が、筋トレに励んで「ダルマ」と呼ばれるほどに大きくなった体格で、猛烈な打線で甲子園を沸かせたのです。

 

その後、少しは筋トレをやる高校生もいましたが、

「背が伸びなくなる」

などの迷信が知れ渡り、積極的に行うことはなかったようです。

 

私も昔は、1960年の東京オリンピックの金メダル第一号となった三宅義信選手が、初めは身長1M62センチだったのが、重量挙げで背が縮まって、1M52センチになったという話を聞いたことがありました(当然、嘘です)。

 

そんな折、当時万年最下位であったヤクルトに、元巨人の広岡達郎氏が監督となり、国立競技場のトレーニングセンターで、筋トレを開始したのです。

 

というのは、広岡監督自身も筋トレはやっていませんでしたが、大リーグではシーズン中であっても筋トレをやっているとう話を耳にして、監督1年目にして筋トレを取り入れたのです。

 

広岡監督はその1年間だけでフロントと意見が合わずに退団しますが、その監督になって1年目でいきなり優勝します。

 

このとき、私は国立競技場のトレーニングセンターで実際にヤクルトの選手をみましたが、当時のプロ野球選手は、噂通り、まったく身体は鍛えられていませんでした。

 

先天的な体格だけが優れていたようで、本格的に筋トレで鍛え上げたというような選手は、ほとんどいませんでした。

 

ただ、若松選手(彼なら日本人初の4割バッターになれるといわれていた)だけは、高い身体能力で、腹筋なども優れた能力を示していました。

 

甲子園で活躍した投手の酒井選手(愛称はサッシー)は、でかい身体でしたが、まともに腹筋ひとつもできないほどでしたので、「これではプロでは通用しない!」と思いましたが、案の定その後も鳴かず飛ばずで消えていきました。

 

その当時、漫画「たぶたくん」で人気のあった安田投手などは、緩急を上手く使いこなし、当時の審判団からは「最も速く見える投手」とされていましたが、懸垂すら1回もできない有様でした。

 

こんな状態でしたが、その年ヤクルトは優勝したので、筋トレに無縁だった野球選手が筋トレ(レジスタンス・トレーニング)を行う大きな切っ掛けとなったようです。

 

 その後、甲子園で一世を風靡した桑田真澄選手がプロ野球に入り、ノーチラスマシーンを使い、プロ野球に入って、1年目で大腿部が格段に大きくなったことを知りました。

 

このことは言い換えると―――高校時代には本格的に筋トレはやっていなかかったことの裏返しで、PL学園なら近代的な設備のなかで、しっかりと筋トレを行っていたものと思っていましたが、そうではなかったようなのです。

 

さて―――高齢者こそ筋トレが必要という話です。

 

当時のスポーツ選手の多くが筋トレを敬遠していたなかで、「高齢者こそ筋トレが必要」という私の話には、その当時には多くの講座の参加者は驚いていました。

 

スポーツ指導者ですら、「高齢者は、歩くだけで十分に健康になれるもの」といった風潮が浸透していたからです。

 

当時は、運動生理学者はその多くがケネス・クーパーのエアロビクス理論に染まり、まず、体力・健康のためには「走ること」を薦めていました。

 

これを受けて、多くのドクターも「走ること」を薦めていて、筋トレは「身体に良くないから、高齢者やってはならない!」とTVでも、専門外ながらも平然として発言している有様でした。

 

そんな折に、私の師匠である窪田登(みのる)先生は、40代になって『40歳から始める筋力トレーニング』を上梓して、その後年齢を重ねて『50歳から始める筋力トレーニング』となっていき、高齢者になるほど筋トレが必要なことを訴えていました。

 

弟子の一人である私も、ゆるぎない自信を持って、私の講座でもそのような発言を繰り返していたのです。

 

そして現在、様々な観点から筋トレの必要性が見直されてきて、「ダンベル体操」も普及して、NHKの「ラジオ体操のその第3」には、「ダンベル体操」が加えられる議論まであったと聞き及んでいました。

 

全米での高齢者の死因の第5番目には、「転倒骨折」で、その後「寝た切りになって死亡する」が入ります。

 

我が国でも、「転倒骨折」で、その後「寝た切りになって死亡する」例は多いのです。

昔、といっても1960年代のケネス・クーパーは、体力の最重要は呼吸循環能力であり、筋トレは高く評価していませんでした。

 

そんな当時、米国の運動生理学者のモアハウスは、

「ケネス・クーパーは、間違っている。

健康のためにのフィットネスは、トータルフィットネスが重要であり、そこには、筋トレも含めたトータルなフィットネスが必要で、偏ったものであってはならない」

と、当時全米でも大流行していたケネス・クーパーの理論を否定していたのです。

 

その後、エアロビクス一辺倒であったケネス・クーパーは、

「これだけでは、身体に身体的なバランスが崩れることに気がついて、ことに身体をシェイプアップするには、筋トレが必要であることを自覚して、エアロビック・ウエイトトレーニング」を推奨するようになっています。

 

ケネス・クーパー自身は、このようの自分の主張を修正することになりますが、

「エアロビクス理論」にはまっていた我が国の運動生理学者などは、依然として古い理論に染まっていました。

 

しかしながら―――

 

映画俳優やモデルなどは、シェイプアップして、自分の美しい身体の体型を保つには、筋トレが絶対的に必要なことに気が付いていました。

 

すでに米国などのモデルは、一流モデルと云われほどに、マシーンではなくて、フリーウエイト(バーベル、ダンベルなどの自由な方向に動くもの)を使用して、身体を鍛え上げていました。

 

昔から、女優やモデルなども「エアロビクス」を行うことが多かったのですが、これだけではバストアップができず、目指している身体の美ボディを保持できないことに気が付いていました。

 

自分の身体が資本となるモデルは、シェイプアップしないと身体のラインが崩れるので、それを防ぐには、絶対的に筋トレが必要になることを理解していました。

 

そのときに、2流のモデルはマシーンを使いますが、一流になるほどフリーウエイトを使用して、多角的に鍛え上げることに専念していたのです。

 

今でこそ、日本のモデルもシェイプアップするために、パーソナルトレーナーについて鍛えるようになりましたが、それ以前の日本人モデルは、そのような概念がなくて、

 

持って生まれた先天的な体形の良さだけに頼っていて、年と共に身体のラインが崩れてきて、第一線からの隠退を余儀なくされていたのです。

 

さて―――筋肉不足は、30歳を過ぎると減少に転じます。

 

鍛え上げている方ならば、筋力・筋量ともに30代前半から、さらに継続的に鍛えている方なら40代までも、発達を続けていきますが、

 

多くの方は、若い時の体力を保つのは、20代までで、30歳を過ぎるとドンドン退化していきます。

 

学生時代に、ハードなトレーニングを続けて、しっかりとした土台を造り上げた方も、社会人となりフィットネスクラブに行って、身体を継続的に鍛えることができなくなってきます。

 

ところが―――体重は変わらないから、自分はまだ問題はない―――と、感じている方が多くいます。

このことは、多くの元アスリートが陥る問題があります。

 

実は―――

筋肉は鍛え上げていかないと、継続していかないと、確実に機能が低下して、筋量も低下していきます。

 

社会人になって何もしていないと、確実に「筋量」は落ちていきます。

そして―――体脂肪は確実に増えていきます。

 

最初は、このことで体重には大きな変化が見られません。

筋量の体重減少と、脂肪の体重増量があって、体重の変化は見られないのです。

 

だから、安心していますが、筋量の低下が限界点に達して、それ以降は、どんどん体脂肪が増えていきますと―――

 

体重増加に切り替わり、気が付いたときには、成人病予備群の仲間入りの状態であった、ということが、多くの人々が陥る問題でもあるのです。

 

加齢に伴い筋肉が低下している状態を、「サルコベニア」といいます。

 

これは、ギリシャ語の「筋肉」を「サルコ」と言い、「喪失」を表わす「ベニア」を組み合わせた言葉です。

 

この「サルコベニア」は、虚弱を示す「フレイル」の前段階です。

つまり、運動不足が筋肉の喪失を招き、身体機能が低下している状態で、

 

このことが、「転倒」「骨折」「寝たきり」を引き起こす「フレイル」を通して、いずれは「要介護」「認知症」へと進行することに繫がっていきます。

 

つまり―――

虚弱を示す「フレイル」の前段階である「サルコベニア」を防ぐことが、まず人生の晩年を悲惨な状態で迎えるのか否か―――の大きな岐路になります。

 

その昔、私の講習会で「高齢者ほど、筋トレが大切です!」と言い放って、多くの参加者には驚かれた経緯がありましたが、現在では、そのような風潮は消えてきています。

 

当時は、同じ講習会で

「筋トレよりも、有酸素運動(エアロビクス)が重要で、健康の第一目標はエアロビクス運動をやればよい。

このことは、高齢者の方も例外ではない」

と言っていた運動生理学の権威者も、その後は、素早く世界の実情に触れるようになって、自分の立場を180度変えた方もいます。

 

私の師匠の窪田登先生からも、そのことはよく聞かされていました。

日本体育協会の指導者講習会で

「筋トレは、身体に益はない。エアロビクスが最も大切である」

と言っていた教授は、

 

「窪田さん、いや世界では今はレジスタンス・エクサイズ(筋トレ)が主流になってきているようですな・・・・」

と、自分の主張をまったく変えた方もいたといいいます。

 

昔は、レジスタンス・エクサイズ(筋トレ)で、高齢者が筋トレをやるなど想像もしていない方が大半でした。

 

しかし、現在は多くの高齢者がフィットネスクラブに通い、筋力エクササイズを行うようになってきました。

 

昔とは格段の差があります。

 

と言っても、まだ「歩くだけで、十分に健康は維持できる」と思い込んでいる方が多く、多くの運動指導者もそのように主張しています。

 

私は、昔の講座では、

「高齢者は、歩くだけで健康には十分であり、これだけで高齢者には十分な体力が保持することができる―――というのは、聞こえは良いですが、まだ不十分です」

と言っていました。

 

「世間では、エアロビクスの有酸素運動が勧められていますが、まず筋肉レベルが低下したら、歩行そのものが制限されてしまいます。

 

高齢者は、まず正常に歩行できるだけの筋力ベースが必要です。

階段を「昇る」「下る」にも、しっかりとした筋力のベースが必要となります。

 

「走る」などのエアロビクス(有酸素運動)を行うにも、それを可能にする筋力ベースが必要なことは明らかなのです。

 

筋肉レベルの低下が、転倒を招いて、骨折の可能性を高めますので・・・・」

このような趣旨でした。

 

それが今、高齢者の「転倒・骨折から寝た切り状態になる」ことへの注意が高まってきています。

 

まず、エアロビクス(有酸素運動)を行うにも、足腰がしっかりとしていないと、何もできません。

 

寝たきりの要介護になる前段の「フレイル」段階では、エアロビクス(有酸素運動)も否定はしませんが、まず「立って歩ける」だけの最低限の筋力レベルがないと、話になりません。

 

では、歩くことを趣味にしているハイカーなどは、どうなのか―――

残念ながら、歩くだけでは、全体の筋量は確実に低下していきます。

このことは、彼らのデータから明らかになっています。

 

つまり、歩くだけでは「筋肉の低下、全身の機能低下」は防ぐことができないのです。

 

では―――筋肉が低下して、虚弱となる「フレイル」の前段である「サルコベニア」は、いつ頃から始まるのか。

 

それは、40歳前後といわれています。

 

あるデータによると―――

 

〇 BMI(体格指数)が、18.5未満

BMI(体格指数)とは、体重(kg)÷身長(m)÷身長(m)で示されます。

〇 横断歩道を、青信号で渡り切れないことがある

〇 ペットボトルや瓶の蓋が開けにくい

これらにあてはまる方は、「要注意」となります。

 

この「BMI(体格指数)」は、多くの指標として用いられていますが、これには少し問題があります。

 

そこには、「筋量」による体重の増加は考慮がなくて、アスリートなどには適応できない問題があります。

 

そうは言っても、多くの健康指数でこのデータが用いられています。

 

そこで―――

 

1965年から50年間以上に渡って、継続して行なわれた調査では、75歳前後の男性の2300名のデータをみますと、

 

「普通型(健常者)」、「肥満型」、「やせ型」、「やせ型肥満」の4つのグループに分けたところ、

 

死亡リスクの24年間に及ぶデータでは、最も死亡リスクの高いのは「やせ型肥満」でした。

やせ型と、普通型(健常者)と肥満型は、死亡リスクにはそれほどの差はありませんでした。

 

やせ型とは、加齢とともに筋肉が減少した状態で、寿命に影響しているのは、肥満やメタボよりも筋肉不足なのです。

 

つまり、「やせ型肥満」の、痩せているのに肥満である高齢者の死亡リスクが最も高かったのです。

 

死亡リスクの高さには、筋肉の不足が大きく関わっていることが示されています。

このことは―――

 

かって米国のケネス・クーパーが主張した「エアロビクス理論」とは矛盾します。

彼は、健康・体力の向上の一番は、呼吸循環機能が向上がメインであり、筋肉の発達には、当初は目を向けていませんでした。

 

しかし、実際の示すデータからは、

まず、高齢者には「筋肉」をしっかりと確保することが大切になることを示しています。

 

ここまでは、多くの高齢者も理解できる思われます。

 

では―――現在の「あなた」は、「フレイル」なのか、それともその前段である「サルコべニア」なのか、

 

また、そのレベルによって、今後数年後には「要介護」「認知症」のリスクが大きくなっていくのか―――このことを自分自身でチェックする必要があります。

 

それは―――

 

             つづく

 

          2024年3月12日記