生命体エナジー浄化の会ブログ

「生命体エナジー浄化の会」というホームページのブログです。

東北恐山を巡る旅 その5

《 東北恐山を巡る旅 その5 》

十和田神社その2

 

 十和田神社の拝殿に来ました。 

十和田神社は、修験道系、陰陽道系のエナジーが反応します。

 

湖畔にある「乙女の像」の近くには、「青龍大権現」との案内板がありました。

確かに・・・・

 

「大権現」とは、修験道系、陰陽道系に関わる天狗界系のエナジーを示すものです。

 

十和田神社本殿(拝殿)

 

十和田神社は、平安時代(807年)に、坂上田村麻呂が東夷征伐の時に、日本武尊ヤマトタケルノミコト)を祀ったのが創建と云われています。

 

ここは十和田信仰の中心として、奥ノ院には「青龍大権現」が祀られています。

また、大元である日本武尊ヤマトタケルノミコト)も祀られています。

 

龍神ですので、「水」に関わる「水神信仰」の地となっています。

 

奥ノ院は、ここからさらに上った台地にありますが、我々はそこに行っていません。

これはネットから紹介します。

奥ノ院で、ここが「青龍大権現」の本宮です。

 

「青龍大権現」については、次のような話が残っています。

 

十和田湖は、「十和田青龍権現」を祀る神仏習合の霊山でした。

熊野や日光に並ぶべき北東北最大の「山岳霊場」でした。

 

修験者の山岳修行の場であり、一般民衆の信仰登山、山岳修行の山が、十和田湖の外輪山でした。

 

十和田神社は、明治初年の神仏分離以前は、「額田嶽熊野山十灣寺」の寺院で、「十和田青龍権現」を祀り、現在の拝殿には「十和田御堂」が建っていました。

 

その昔、熊野で修業をしていた「南祖坊」という修行僧が、十和田湖にやって来た時に、鉄の草鞋が切れました。

 

鉄の草鞋は、熊野の大権現が「この草鞋を履いて諸国を修業して、草鞋が切れたところを住居とせよ」と命じていたのです。

 

それで十和田湖に住みますと、その十和田湖には秋田のマタギであった八郎太郎が、姿を変えた「龍」が住み着いていたのです。

 

そして―――住居を巡り八郎太郎と南祖坊の間で争いになり、八郎太郎は八の頭の龍神に変じ、南祖坊は「法華経」を唱え、戦いは7日7晩に及び、南祖坊が勝利して、八郎太郎は八郎潟へと逃れました。

 

闘いに勝利した南祖坊は、十和田湖で入寂して、龍へと姿を変えて「青龍大権現」として祀られました。

 

拝殿の扉は閉じられていましたの、その隙間から撮りました。

 

その奥に見える「本殿」の高波動が感知されます。

 

ここは、本殿(拝殿)の内部です。

 

我々が来た時には、扉が閉じていましたが、関係者がやってきて扉を開けてくれました。

 

拝殿内部は、それほどの波動ではありません。

しかし―――

 

この裏にある「本殿」にまわると、凄まじい「霊気」に圧倒されました。

 

拝殿の右側にある末社です。

 

この末社の右は、それほどでもありませんが、左側の末社は高波動です。

修験道系のエナジーに満ち溢れています。

 

この末社を横から撮ったところです。

修験道系のエナジーが反応するところまでしか、詳しくは解りません。

 

これが拝殿の後方にある「本殿」です。

 

凄まじい波動です。

眉間とこの本殿を繋ぐと、身体が前後に揺さぶられます。

 

「青龍大権現」のエナジーが、ビシビシと伝わってきます。

 

 

ここは、本殿背後の「地」です。

 

ここも高波動です。

「十和田青龍大権現」のエナジーが反応します。

 

 

ここは、「本殿」の真後ろです。

本殿のある台座の磐座から、反時計回りに高波動エナジーが吹き上がっています。

 

通常の人では、この高波動の「渦の中」に入ろうとすると―――弾き飛ばされます。

 

凄まじい波動です。

一瞬で、宇宙空間まで飛ばされるかのような感じがします。

 

これと似たようなことが、この後で行く「恐山」でも体験しました。

やはり・・・・「恐山」は、凄いところでした。

 

 

 

この先にあるエリアです。

かなりの高波動を感知します。

 

後から知りましたが、この先に「奥ノ院」があり、ここが「青龍大権現」の本宮となっているようです。

 

そこに向かって途を探したのですが、見つかりませんでした。

 

こうして、十和田神社を後にして、帰路につきますが、その途中でいくつかの祠がありました。

 

「火の神」とあります。

 

「火の神」の「風穴」「窟」です。

 

ここは、それほどの波動ではないようです。

 

「天の岩戸」とあります。

 

 

「天の岩戸」と命名されるところは、全国至る所にありますが、ここにもこの名称をつけています。

 

ここは、中には入れませんが、通常の身体歪んでいる方は、この「風穴」「窟」の中に踏み込むと、身体は整います。

 

「金の神」とあります。

 

ここは、それほどの波動ではないようです。

 

 

「山の神」とあります。

 

 

ここも、中には入れませんが、通常の身体が歪んでいる方は、この「風穴」「窟」の中に踏み込むと、身体は整います。

 

 

 

 

「風の神」とあります。

 

ここも、中には入れませんが、通常の身体歪んでいる方は、この「風穴」「窟」の中に踏み込むと、身体は整います。

 

 

 

 

「火の神」とあります。

 

 

ここも、中には入れませんが、通常の身体歪んでいる方は、この「風穴」「窟」の中に踏み込むと、身体は整います。

 

こうして、予想以上のパワースポットでしたので、十分な満足感を得て、いよいよ今回のパワースポット探索の旅の、究極の目的地である「恐山」を目指しました。

 

               つづく

 

           2022年8月23日記

 

 

東北恐山を巡る旅 その4

《 東北恐山を巡る旅 その4 》

十和田神社その1

 

  せっかく十和田湖に来たのだからと・・・・、十和田湖周辺を観光することにしました。

 

十和田湖は、火山の噴火口の中に水が溜まり、湖となったカルデラ湖です。

周辺の長さは46キロもあり、最深部の深さは327Mの日本3位の深さを誇ります。

 

ここから流れ出た川が、「奥入瀬川」の渓流で、有名な観光スポットとなっています。

 

かっては活火山で、噴火していたところのカルデラ湖ですから、大きな火口を持っていますので、かなりの噴火規模だったと想像できます。

 

915年に噴火した記録があります。

 

やはり・・・過去2000年間で起きた日本国内で最大規模の噴火であったとされています。

 

京都に残る古文献の記録には、太陽に輝きがなく、「まるで月のようだった」とあるので、京都にいても爆発の黒雲に日本が覆われていたのかもしれません。

 

今は十和田湖となっている火口湖ですが、2016年から「常時観測火山」になっています。

 

このことは、十和田湖は死火山ではなく、富士山と同じように「休火山」であると認識していることになります。

 

十和田湖が爆発・再噴火・・・・など、考えたくもないことですが、念のためにチェックをしてみました。

 

100年後・・・200年後・・・、しかし500年後になると、何やら反応があります。まあ・・・どうでもいいことですが・・・・。

 

ただ、十和田湖は東北の豪雪地帯でありながら、真冬であっても凍ることがないので、「神秘の湖」と呼ばれています。

 

十和田湖が「神秘の湖」と呼ばれている理由の一つに、この外輪山の内側には、「結界」が張られていて、昔は女性の立ち入りが禁じられている「禁足の地」であったことです。

 

十和田湖を囲む外輪山は、修験道の「山岳修行の地」でもありました。

 

十和田湖を管理する「盛岡藩」は、ここを「聖域」として、他の修験道系の行者、熊野系、出羽系、日光系などの修験者の立ち入りを禁じていました。

 

そのために、出羽系(津軽藩)の行者は、はるか遠くの御鼻部山から参拝して戻るしかなかったといいます。

 

今でこそ、自由に誰もが十和田湖に来て、自由に散策することができますが、その昔は「聖域」で、自由に立ち入ることができなかったのです。

 

「神秘の湖」に湖畔に来て、散策できる有難さを満喫できることに感謝しなくてはならないかもしれません。

 

十和田八幡平国立公園」の記念碑です。

 

十和田湖は、美しい「湖(みずうみ)」です。

 

その昔、19歳の時に、21日間の北海道均一周遊券というのがあって、北海道を一周したことがありました。

 

そのときに、透明度では世界屈指といわれる摩周湖や、「日本の湖」という本に「然別湖(しかりべつこ)」という聞いたこともない湖があり、それが十和田湖に次いで第2位であり、摩周湖が第3位でした。

 

然別湖」の、その時の感動は今でも忘れられませんでした。

 

その時の顛末を、本ブログで掲載しましたが、その後家族で訪れたときには、道路が通っていて、ガラリとその様相が変化していて(俗化)、残念に思ったことがありました。

 

その19歳で行った北海道旅行の時に、女性の観光客が

十和田湖にまさるところは・・・・ないわねエ・・・」

とつぶやいていたのを聞いて、

 

どうしても、そのときに十和田湖に行きたくなり、青森駅の急行に乗って帰京する寸前の、23時58分発に乗ると東京に戻れるのですが、

 

弁当を買って、「誰か、私のチケットと交換してください」と列に並ぶ人に、あと少し有効期間のあるものとの交換を申し込んだことがありました。

 

だが・・・うまくいかずに、泣く泣く東京に戻ったことがありました。

その後、幾度も十和田湖には来ていますが、それほどの感動はありませんでした。

 

周辺のホテルは寂れて、奥入瀬の観光スポットも、来るたびに感動が薄れていきました。

 

さて・・・今回は、また通常の観光バスで来るのではなく、自由に自分の意志で回れるので、少しの期待感がありました。

十和田湖は、さすがにきれいな湖です。

透明度が高く、水草が水中にたなびいていました。

 

せっかくなので、有名な観光スポットである「乙女の像」を観ようということで、案内板に従い、湖畔を歩いていきました。

 

すると―――

御前ヶ浜というところで、溶岩でできた島に、祠が見えます。

これは「恵比寿大黒島」で、かなり波動の高いところでした。

 

ボートに乗っても、この島には上陸できないようです。

垂直の壁が、人の乗り入れを拒絶しています。

別の角度からみても絶壁で、上陸できないので、精逸な波動に守られています。

 

何のエナジーなのかを探ると、どうやら・・・・修験道系のエナジーのように反応します。

 

そもそも十和田湖周辺の外輪山は、修験道の行者の「修業場」であるとの文献があります。

 

ですから、この「恵比寿大黒島」の「祠」も、修験道に関わる方が据えたのでは・・・・と、解釈しました。

 

御前ヶ浜に、名所の「乙女の像」があります。

「乙女の像」は、詩人であり彫刻家の高村光太郎の晩年の作です。

モデルは、「智恵子抄」の千恵子夫人と云われています。

 

智恵子抄」で、「千恵子は東京には空が無いという」というくだりで、「阿多多羅山の上に、毎日出ている青い空が、ほんとの空だという」のが思い出されます。

 

千恵子夫人は精神疾患で、晩年は高村光太郎が介護を続けていますが、

最後の死を迎えるときの「レモン哀歌」もまた、浮かび上がってきます。

 

「そんなにも あなたはレモンを待ってゐた

かなしく白くあかるい死の床で・・・レモンをがりりと噛んだ

・・・・

レモンの汁は ぱっとあなたの意識を正常にした

・・・・

千恵子はもとの千恵子となり 生涯の愛を一瞬にかたむけた

・・・・・

深呼吸をひとつして あなたの機関はそれなり止まった

・・・・

すずしく光るレモンを今日も置こう」

 

高村光太郎と千恵子の深い愛に満ちた感動のドラマが、このモデルとなった千恵子夫人にみられます・・・が、しかし、

 

なぜかあまりいい印象はないのです。

 

それは―――ここは神霊スポットとして有名で、夜に訪れると様々な霊的な奇怪な現象が起こる、と云われていることに関係があるようです。

 

この地では、数々の心中事件が起こっているようで、湖面に女性の顔が浮かんでいるなど・・・・様々な霊的な現象が報告されています。

 

自殺者の死体は、水面には浮きがって来ないといわれますので、人知れず自ら命を絶った人が多いのかもしれません。

 

このときはまだ朝で、何も感じませんが、

「左の袖下から見ると・・・」

マイナスの霊気が漂っているのが解ります。

 

「左の袖下」は、霊気の存在を見出すときに、私はよく行います。

「違和感」を感じると、「何かある」と判断できるからです。

 

敏感な方なら、直ぐに感知できると思います。

 

これは、普通の人であっても、何か違和感を感じたら、「左の袖下から見る」ことで、霊が憑依していることを感知することができます。

 

「左の袖下」で、改めて「乙女の像」を視ますと―――

 

自殺者の霊が5体ほど反応します。

この影響で、夜になってこのエリアに立ち寄ると、霊的な現象に遭遇するので、「心霊スポット」となっているのだと思われます。

 

この近くに、「火の神」「風の神」などと書かれたスポットがありますが、ここは十和田神社への「帰路」で、ご紹介します。

 

 

 

「青龍大権現」十和田神社(徒歩1分)とあります。

 

「行った方がよい」と反応しますので、立ち寄ることにしました。

反応通り、そこは凄いパワースポットでした。

 

このような小径を進みます。

 

すると―――

神社の「鳥居」が見えてきます。

 

この「鳥居」には、「結界」が張られています。

明らかに、「鳥居」の手前と、その先ではエナジーが違います。

 

この最初の「一の鳥居」は、「女人結界」で、全ての女性が浄化されます。

 

階段を上ると、「二の鳥居」があります。

ここには、やはり「結界」が張られていて、「男人結界」です。

 

全ての男性は、この鳥居を通過することで浄化されます。

 

これは「御神木」です。

 

通常「御神木」には、直接手を触れることは許されないのですが、我々は「触れてもよい」と反応しましたので、「御神木」からエナジーを吸引しました。

 

この大木の間を通過すると、さらに身体は浄化されます。

自然の「結界」となっています。

 

この2つの大木に挟まれた中間の大地のエリアが、かなりの高波動です。

 

この場所に立つと、心地いい波動に包まれます。

陰陽道系のエナジーです。

 

この地は、「修験道」「陰陽道」系のエナジーに満ちています。

さらに「三の鳥居」があります。

ここは、男女ともに身体が浄化されます。

 

十和田神社」の聖域に踏み込むことで、ここまでにも次から次へと身体が浄化されてきましたが、何重にも「結界」が張り巡らされていますので、この全域が高波動に満たされています。

 

ここに手水舎があります。

 

 

手水舎の後方に磐座(いわくら)があります。

やはり、波動が高いです。

 

この先に―――

さらに「四の鳥居」があります。

 

この「鳥居の下」で立ち止まると、最後の浄化が始まります。

幾度も浄化されてきましたが、まだ残っている「マイナスの気」がすべて抜けていくかのようです。

 

徹底して身体が浄化された状態で、最後の階段を上ることになります。

 

この「四の鳥居」の左右に―――

狛犬の像があります。

これもまた、「結界」の役割をしています。

 

こちらは右側の「狛犬」です。

良好な波動です。

 

こうして、最後の階段を上った先に―――

十和田神社の拝殿が出現します。

 

              つづく

 

          2022年8月16日記

 

東北恐山を巡る旅 その3

《 東北恐山を巡る旅 その3 》

巻堀神社(まきぼりじんじゃ)

 

 「金殖神社(かねづくりじんじゃ)」を後にして、ナビに従って次の目的地である「巻堀神社(まきぼりじんじゃ)」に向かいました。

 

一般には、ほとんど知られていない、全国にもその名がまったく轟いていない神社です。

 

事前の調査では、なぜか波動が良好で、「行った方がよい!」と反応したのです。

そして―――意外なほど、良好な波動に我々は包まれました。

 

 

「巻堀神社(まきぼりじんじゃ)」の扁額があります。

 

「巻堀神社」は、社記によると長禄三年(1459年)の創立とあります。

また、寛永年間に再興とあります。

慶応二年(1866年)に社殿が消失した以外は、詳細は不明のようです。

 

明治以前には、奥州南部巻堀道祖神と称する「猿田彦命(さつたひこのみこと)」を祀っていました。

 

古来より「安産守護神」として、地元に広まっていたようです。

 

ここは、神社入り口の県道沿いにある「一の鳥居」です。

その扁額の下には、このような結界を示す注連縄があります。

 

ここは宮司のいない神社ですが、このような注連縄によって、この「鳥居」を通過することで、身体は浄化されています。

 

どうやら、この県道沿いにある「一の鳥居」は、「女人結界」で、全ての女性がここを通過することで、身体に溜まった「邪気」が祓われます。

 



祭神は、「伊邪那岐命(いざなぎのみこと)」「猿田彦命(さつたひこのみこと)」とあります。

 



さらに進むと、第二の鳥居(二の鳥居)があり、鎮守の森のような景観があります。

いかにも地元に根付いた「産土(うぶすな)の神」を祀るような感じです。

 

 

さらに進むと―――

「二の鳥居」です。

立派な注連縄が下がっています。

 

ここは「男人結界」で、全ての男性は、ここから先に進みますと、ここで身体に溜まった「邪気」が祓われます。

 

この注連縄には「紙垂(しで)」が垂れてます。

この周囲は田んぼですので、落雷があると稲が育ち豊作となります。

 

この「紙垂(しで)」は、雷光・稲妻をイメージしますので、邪悪なものを追い払うという意味があります。

 

これは「三の鳥居」です。

ここにも注連縄があります。

 

この「三の鳥居」にも「結界」が張られていて、全ての参拝者がここを通過することで、身体に残っている全ての「邪気」が祓われます。

 

宮司が常駐していないこのような神社でありながら、「一の鳥居」から「三の鳥居」まで、すべてに「結界」が張られていて、参拝者を祓うようになっていることに、感心させられました。

 

 

「三の鳥居」を超えると―――

正面に「拝殿」が見えてきます。

ここにも「注連縄」と「紙垂(しで)」が垂れ下がっています。

 

「注連縄」に「紙垂(しで)」を垂らした場合には、神域・祭場では「聖域」を示す印となります。

 

相撲の横綱は、土俵入りでは注連縄(横綱)に「紙垂(しで)」を垂らしています。

土俵は、「聖域」であることを示しています。

 

「巻堀神社」の扁額です。

この神社は1459年に創建されています。

 

歴史のある神社で、御祭神に伊邪那岐命(いざなぎのみこと)」「猿田彦命(さるたひこのみこと)」が祀られています。

 

拝殿の中は、暗いのでよく見えません。

 

ここの御祭神は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)」「猿田彦命(さるたひこのみこと)」ですが―――

ここの御神体には、「金精大明神(こんせいだいみょうじん)」と呼ばれる男性の性器を模したものが祀られている神社です。

ここは「金精信仰」の源とも云われていて、古くから「縁結び」「子宝」「安産」の守護神とされています。

 

ここは、「男根」を祀る神社なのです。

 

例えば、岩手県大沢温泉でも「金精大明神」を祀るものがあります。

金精まつり(大沢温泉)ネットより

 

温泉の中で、女性が男根にまたがって、ワイワイ喜んでいます。

 

金精大明神(こんせいだいみょうじん)を祀ったのもが、中には点在しています。

 

ここが本殿です。

かなり波動が高いです。

 

ここの御祭神は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)」「猿田彦命(さるたひこのみこと)」ですが―――ここに反応するのは、別のエナジー体です。

 

 

この本殿には、「天照皇大神(あまてらすすめのおおかみ)」様のエナジーが反応します。

 

このエナジー波動は強烈です。

その波動をキャッチすると、身体が前後に揺さぶられます。

 

何で、このようなエナジー体が反応するのか―――理由が解りました。

この「巻堀神社」には―――

 

「天照皇大神(あまてらすすめのおおかみ)」を刻んだ石碑が建っていました。

つまり、

御祭神の伊邪那岐命(いざなぎのみこと)」「猿田彦命(さるたひこのみこと)」と御神体の「金精大明神(こんせいだいみょうじん)」の背後には、

 

「天照皇大神(あまてらすすめのおおかみ)」の高波動エナジーが本殿に鎮座していたのです。



この石碑の前に立ち、我々は一人ずつ「天地結合の印」を結びました。

 



ゾネスとヒサヒサも「天地結合の印」を結びます。

 

私も「天地結合の印」で、大地(地球)と天(太陽)をつなぎ、全身にエナジーを注入しました(本ブログで、私の画像を出すのは2回目です)。

 

当然のように、この高波動の石碑にブレスレットなどを置いて、そのエナジーを吸引しました。

 

この「巻堀神社」には―――土俵があります。

 

ゾネスは、血が騒ぐのか、柱にテッポウで渾身の「突き」を入れています。

 

 

 

御神体が「金精大明神(こんせいだいみょうじん)」なので、このような石でできたものがありました。

 

男根を形どったものと、臼のようなものは、女陰を型ったものかもしれません。

 

こうして―――

徐々に日が沈んでいく岩手県を後にして、本日の宿泊地である十和田湖を目指しました。

 

            つづく

 

         2022年8月9日記

 

東北恐山を巡る旅 その2

《 東北恐山を巡る旅 その2 》

金殖神社(かねづくりじんじゃ)

 

 報恩寺を後にした我々は、次にまた盛岡市にある「とある神社」に向かいました。

「とある神社」とは、「金殖神社(かねづくりじんじゃ)」です。

 

その名称からして、普通ではない反応を得ていました。

「金運アップ」「財運アップ」を謳う神社は、日本全国に散在します。

 

がッ―――「金殖(かねづくり)」と、直接的な表現で金運を謳う神社の存在に、我々は興味を持ったのです。

 

では、実際に行ったことで、「どのようなところで」「どのような反応を示す神社」だったのかを、ご報告します。

結論から言いますと・・・・

 

一度はここを「訪れた方がよい」「機会があれば、幾度も訪れた方がよい」と反応を示すところでした。

 

「金殖神社(かねづくりじんじゃ)」は、「榊山稲荷神社(さかきやまいなりじんじゃ)」の奥宮です。

 

この「榊山稲荷神社(さかきやまいなりじんじゃ)」は、盛岡城内の守護神として、慶長2年(1597年)に創祀されたたもので、「盛岡開運神社」と称されていました。

 

しかし、明治維新後に廃社されましたが、昭和の初期に中の橋通りに「斗米稲荷」と称していたもので、岩手銀行(当時は岩手殖産銀行)の守護神として祀られていました。

 

その後、昭和33年に現在の「榊山稲荷神社(さかきやまいなりじんじゃ)」の奥宮として鎮座することになりました。

 

我々は、このエリアから中に入りました。

 

心地良い反応が伝わってきます。

この先が楽しみになります。

 

 

最初の鳥居を潜ります。

 

この境内は、榊山稲荷神社に入るもので、盛岡の守護神として、城内に祀られていたものが、明治維新になって廃社になり、昭和の初めに現在の北山の地に再興されました。

 

この神社は、「開運商売」の神であるとされています。

 

 

第2の「鳥居」には、「榊山稲荷神社」の扁額があります。

 

この中に入ると―――

眼前に、綺麗な庭園が広がります。 

盛岡藩時代からある「緑風苑」です。

 

庭園「緑風苑」の池に、観音菩薩像があります。

波動は良好です。

 

この庭園緑風苑の浄化の一翼を担っているのかとも思いましたが・・・・そうでもないようです。

 

ここは、「榊山稲荷神社社殿」です。

祭神は、「豊受大神」(伊勢神宮の下宮と同じ神です)

 

ここは、それほどの波動ではありません。

豊受大神」の波動は感知しません。

 

扁額に「榊山稲荷神社(さかきやまいなりじんじゃ)」」とあります。

 

内部は公開されていませんでしたが、イメージで中に入ると、「豊受大神」の波動がキャッチされました。

 

「緑風苑」の庭園はよく整備されていて、この地がパワースポットであることを示しています。

ここに「居るだけで」、心と身体が癒されます。

 

自宅の近所にこのような庭園があれば、毎日でも散歩したいところです。

左右に木製の灯篭が配された途を上っていきます。

 

「緑風苑」と書かれた先に、社殿があります。

ここには、いくつもの末社(全部で十四社)があります。

 

「おたきあげ炉」とあります。

「もりおかかいうん神社」には、このような「お焚き上げ」ができる炉がありました。

 

新年になると、家にある旧札などを ここで「お焚き上げ」して浄化してもらうようです。

 

さらにその奥へ進みます。

途中に戦没者の「招魂碑」を通過すると―――

 

「金殖(かねづくり)神社の由来」と書かれた案内板があります。

ここに、藩士時代からの由来と、次のように書かれています。

 

「お金を殖(のこ)すということにご利益があることから 金殖神社(かねづくりじんじゃ)と称されてまいりました。

 

ご祭神は とようけひめの大神さまで 事業たいせい・殖産こうぎょう・

貨殖・りしょくにご利益のある神様です」

 

 

「金殖神社」と扁額に書かれています。

 

この奥宮へ入る「鳥居」の先に、階段が続きます。

この階段は、良好な波動です。

本当にご利益のありそうな波動が伝わってきます。

 

奥宮の手前の左右に、二社づつ末社があります。

 

これは右側の末社です。

 

これは左側の末社です。

ともに、それほどの波動ではありません。

 

この末社の後方のエリアの波動は、高波動です。

この高波動のエリアの横に、この地の目的地があります。

 

これが目的地となります「金殖神社(かづくりじんじゃ)」です。

 

 

扁額に「かねつくり神社」と書かれています。

ご祭神は、「豊受姫大神(とようけのひめおおかみ)」様です。

 

ここには、「豊受姫大神(とようけのひめおおかみ)」のエナジーが反応します。

この神様は、「事業大成」「殖産興業」「利殖」にご利益があるといわれています。

 

我々は、当然のように持参したブレスレットを置かせて頂いて、このエナジーを十分に吸引しました。

 

このときの反応では、このエナジーは幾度も幾度も繰りかえし受けた方がよいと感得しました。

 

盛岡ですので、何度も足を運ぶことはできませんが、機会があれば再訪したいと思いました。

 



この「金殖神社(かねづくりじんじゃ)」のある奥宮には、高波動の樹木があります。

 

「御神木」です。

 

これも「御神木」です。

 

「金殖神社(かねづくりじんじゃ)」の真後ろにありますが、このエリアの波動が高いので、近辺の樹木も高波動のエナジーが浸透して、「御神木」のような反応を示すようです。

 

こうして、十分な感触を得て、次の目的地へと向かいました。

 

            つづく

 

            2022年8月2日記

 

 

コロナ・ウイルスは、波動で消滅する

《 コロナ・ウイルスは、波動で消滅する 》

  新型コロナ・ウイルスの猛威が、止まりません。

 

本ブログで、新型コロナ・ウイルスの「ワクチン」の有効性について、幾度も警告を発してきましたが、「オミクロン株の亜種」が次から次へと現れてきて、もはや「ワクチン接種」では、収まりそうにない状況になってきています。

 

本ブログで、繰り返してきた「ワクチン接種者の抵抗力の低下」が、一段と顕著になってまいりました。

 

新型コロナ・ウイルスの「ワクチン」については、

 

〇 直接、ウイルスの抗体を入れる「ワクチン接種」は、本来の「自然抗体」を形成する過程を無視するので、「抵抗力が低下する」だから「リスクが高い」と発してきました。

 

〇 「ワクチン接種」は、せいぜい年に1回程度に留めるべきもので、腸内細菌の善玉菌が死滅して、身体の防御反応が低下します。

 

〇 「腸」と「脳」は密接に関係して、「腸脳相関」があり、腸がやられると、脳の機能も低下します。

それゆえ、「脳」の防御反応も低下します。

 

〇 多くの人は、新型コロナ・ウイルスに自然感染していて、すでに「自然抗体」が出来ています。

 

〇 ところが、初めから「ワクチン」を接種してきた人は、この「自然抗体」が出来ていないのです。

「自然抗体」が出来ていないので、本来の強い抵抗力が低下しています。

 

ウイルスなどの病原体は、必ず口や鼻、皮膚から入ります。

ここには、最も重要な免疫力があり、これが負けると抗体が働きます。

 

「ワクチン」を接種することは、いきなり抗体を作ったり、細胞性免疫を活性化する反応を起こします。

 

これにより、粘膜や皮下での自然免疫の戦いを経験せずに、抗体を作りますので、自然免疫の抵抗力が激減します。

 

だから―――「ワクチン接種者」の抵抗力が低下して、次々と生まれて来るウイルスの亜種への抵抗力が低下して、さらに感染しやすい状況になっています。

 

〇 4回目、5回目のワクチン接種の段階に入っているイスラエルシンガポールでは、感染爆発が起きていますが、このことを裏付けています。

 

〇 本来「ワクチン」は、新しい亜種の型には、有効性が劣り、抵抗力が低下しているので、「ワクチン接種者」は、新型のコロナ・ウイルスに感染しやすい傾向にあるのです。

 

これは、毎年流行するインフルエンザ・ワクチンは「予防接種」が薦められますが、新しい型のインフルエンザへの効力は小さいことが知られています。

これは、余ったワクチンの単なる放出手段に過ぎないと指摘されています。

 

〇 そもそもコロナ・ウイルスは、インフルエンザや肺炎に比べて、致死率も高くないし、ワクチンが必要なのか否かが、当初から議論されていました。

さらに、

ワクチンは安全なのか否か、がネット上では議論されていました。

 

当然、政府や御用学者たちは、「有効で、効果がある」との見解を発していましたが、現実との矛盾をついたものは、ネットから削除されていきました。

 

多数の副反応(副作用といわない)で死者が出たことも、予防効果があるという裏付けには、厚生労働省のデータが改ざんされていたことが判りました。

 

〇 当初は、ワクチンの有効性は高いとしていましたが、次から次へとワクチンの接種者が感染する事態に及び、今では「ワクチンの有効性は、1か月半から2か月程度」というまでに、内容が変化してきています。

 

〇 3回目から4回目のワクチン接種を政府は勧めていますが、2回目のワクチン接種した多くの方は、その後遺症にやられて、「もう二度と接種はしたくない」という人が多いのです。

 

このような事態に陥っている元凶は、もしかしたら・・・・製薬会社の本質的な問題に行き着く事態になるかもしてません。

 

一例を挙げます。

米国では、黒人のワクチン接種率が低く(24%)、事態の打開を図るために、黒人スポーツ選手の英雄「ハンク・アーロン」に白羽の矢が立ちました。

 

ハンク・アーロン王貞治に抜かれるまでは、世界記録のホームランバッターでした。

 

ところが、ハンク・アーロンはコロナ・ワクチンを接種した1週間後に、死亡したのです。

 

私のクライアントの中にも、コロナ・ワクチンを接種した1週間後に死亡した方がいる、との報告を受けた方がいます。

 

このような例は、少なくないのです。

これらは、ほぼ報道されることはありません。

 

ここでもう一つ、決して通常のマスコミでは伝えられないことをお伝えします。

 

ビル・ゲイツといえば、マイクロソフトを立ち上げて、世界的な大富豪となり、現在はマイクロソフトの会長の座も譲り、有り余った資産で、発展途上国の子供たちの未来のためにと―――

 

大量の「コロナ・ワクチン」を提供しています。

ですが、彼は自分の子供には、決してワクチンを打たせないのです。

 

なぜか―――ワクチンが、遺伝子に関わる何らかの問題があるからなのです。

 

ビル・ゲイツは、2010年に

「新しいワクチンや生殖プログラムで、10%から15%、人口を削減できる」

と発言しているのです。

 

この人口削減のターゲットは、黒人種、黄色人種です。

白人種ではありません。

 

ビル・ゲイツが、マイクロソフトを立ち上げて、成り上がってきたストーリーは映画にもなりました(私も観ました)。

 

ハーバード大学の在学中に起業して、IBMと提携して、マイクロソフトの巨大企業を設立した人物です。

 

ところが、ビル・ゲイツの背後には、ユダヤ系のシンジケートが繋がっていました。

 

ビル・ゲイツの父親は、米国を裏で支配する一方のロックフェラー家の顧問弁護士でした。

 

母親は、ロックフェラーが支配する巨大企業のIBMの取り締まり会に出入りする人物で、その母親の祖母は、シテイバンク(ロックフェラー系銀行)の社長でした。

 

つまり、ビル・ゲイツは巨大企業のIBMと契約して、マイクロソフトを巨大企業にしたのも、その背後にはロックフェラーというユダヤ系の巨頭が存在していたことになります。

 

ここで、ユダヤ系の財閥が、世界を支配しているということに、焦点を当てます。

 

どういうことなのか―――現在のほぼ全ての国は、ユダヤ系の財閥、ロスチャイルドの意のままに動かされているのです。

 

ユダヤ系のシンジケートが世界を支配しているということは、多方面で語られていますので、すでにご承知の方も多いのですが、ここでもう一度整理しておきます。

 

ヨーロッパの国々は、ロスチャイルド系の巨大組織に支配されています。

 

そもそも、200年前の英国とフランスが戦ったナポレオン戦争のときに、ロスチャイルドは戦争の資金を用立てて、英国国債の60%を手中にしました。

 

これで、資産は2500倍も増大しました。

最終的にヨーロッパの半分の資産が、ロスチャイルドのものとなりました。

 

ロスチャイルドは、戦費を用立てることで、資産を増やしていったのです。

 

日露戦争の時にも、日本はロスチャイルドから戦費を借りて、戦いに勝利しました。

このとき、ロシア皇帝ロスチャイルドから戦費を借りるつもりが、できずに敗れました。

 

米国の南北戦争のときにも、ロスチャイルドは南軍にも北軍にも戦費を貸し付けて、その代償として、通貨発行権を持つFRB連邦準備銀行)を所有しました。

 

これは、ロスチャイルド系の私的な機関です。

米国の国が所有する中央銀行ではないのです。

 

通貨発行権は、自由に紙幣を印刷できるので、その国を支配します。

つまり、米国も、ヨーロッパのほとんどの国の中央銀行は、その国の機関ではなく、私的なユダヤ系の所有物となっているのです。

 

日本の貨幣を発行する「日銀」も、日本国が所有するものではないのです。

 

自由に、その国の通貨を印刷することができる「通貨発行権」を所有することで、その国を支配することができるのです。

 

ケネディ大統領は、FRB連邦準備銀行)を解体して、米国独自の中央銀行を設立する意思を待っていましたが、その他の様々な要因もからんで暗殺されました。

 

さらに言いますと―――ロシアには、7大財閥があり、これがロシアの金融機関を支配しています。

 

そのうち6つまでは、ユダヤ系の支配です。

ロシア経済もまた、ユダヤ系に支配されているのです。

 

つまり、世界的な金融機関のほとんどは、ユダヤ系の巨大組織に握られています。

 

ユダヤ系の巨大組織は、これだけではありません。

すべての情報ネットワークも、ユダヤ系の支配下にあります。

 

世界に情報を発信する「ロイター通信」は、ロスチャイルド系の支配下にあります。

さらに、米国のAP通信、米国のNBC、ABC、CBSの三大ネットワークも、ニューヨークタイムズワシントンポストも同様です。

 

この状況では、反ユダヤの情報など流しようがないほどに、徹底的にコントロールされているのです。

 

さらに情報発信元となる映画産業でも、ユニバーサル、フォックス、パラマウントワーナーブラザースなどもユダヤ系企業です。

 

さらに日本は、太平洋戦争で米国に敗れて、GHQによって日本の教育を根本から変えられてしまいました。

 

二度と日本が立ち上がれないように画策して、「日本国憲法」も1週間でGHQが作ったものを押し付けられています。

 

憲法は、いまだに改憲することもなく(ドイツは50回以上も憲法を改正しています)、現状に適応しないままでいます。

 

このGHQは、マッカーサーが中心となっていますが、マッカーサーユダヤの操り人形であり、

 

米国の国務省内のユダヤグループから派遣されたホイットニー(民政局長)や、次長のケーディス大佐が受けた指令を、マッカーサーは実行したに過ぎないといわれています。

 

もう一つ、ユダヤ系が支配する組織があります。

それは、国際機関です。

 

国連は、米国のウイルソンなどが設立したいいますが、違います。

ロスチャイルド系の代理人が設立したものです。

 

日本は満州国に新たな国を造りましたが、国連の派遣した「リットン調査団」の歴史を無視した報告書で、満州は中国の一部であるとのプロバガンダを流されて、日中戦争に踏み込みました。

 

戦争は、ユダヤ系組織にとって「金になる」のです。

 

世界の戦争や動乱などの背後には、必ずユダヤ系の組織が存在します。

20世紀でも、21世紀になっても、世界の騒乱の背後には、定期的な戦争を必要とする、軍需産業を含む巨大組織の思惑に踊らされる国や組織があるのです。

 

さて―――話を「新型コロナ・ウイルスのワクチン」に戻します。

 

先のビル・ゲイツは、「新型コロナ・ウイルス騒動」が始まる前から、製薬会社の株を大量に購入していました。

 

「ワクチン」が必要となり、株価が上がることを知っていたと思われます。

世界には何らかの裏の情報があります。

 

一般には知り得ない情報には、我々の役に立つ情報もあると思います。

 

例えば―――米国の裏で支配する一方の巨頭であるロックフェラーの長は、決して医師をそばに置きません。

 

製薬会社のシンジケートを支配しておりながら、「クスリ」を徹底的に嫌います。

効かないことを知っているのです。

 

唯一、ホメオパシーという同種療法という「波動」で対処するものだけを、信じているといいます。

 

ホメオパシーは、日本ではほとんど注目されませんが、ヒットラーが唯一認めたもので、将来はこのホメオパシーという「波動療法」に置き換わるであろう、としていたものです。

 

ヒットラーの予知能力には、ずば抜けたものがありました。

ドイツが戦いで敗れた後の、世界の情勢について語っていますが、正確にその後の世界、現状を予知していると云われています。

 

ホメオパシーについては、現在、その効力については一長一短があるとされるようですが、

実は、製薬会社が最も嫌がるものが、「波動療法」なのです。

 

クスリを使わずに、身体に「波動」を行き渡らせて対処することについては、

効力があることを知っているからです。

 

私が見出した「コロナ絶滅清水」には、新型コロナ・ウイルスを瞬殺する威力があります。

 

その中に、新型コロナ・ウイルスを瞬殺する「波動」が入っています。

これについては、幾度もシュミレーションしてきましたが、有効なように思われます。

 

1回のスプレーで効きますが、念のために一日に3回、それを3日間続けるとほぼ消滅します。

 

これは、「若返り神気」にも「若返りCD」にも封印されています。

「若返りCD」を聴かせた「水」を飲むことで、元気でいられます。

 

超絶の高波動水となった「水」を飲料することは、身体に高波動のエナジーを取り込むことになりますので、身体が浄化されて、身体の歪みが整います。

 

「若返り神気」をスプレーしているのに、コロナ陽性反応が出たという方の全員が、過去生で縁のあった方の影響で、コロナ陽性反応が出ただけで、その人を抜きますと、陽性反応は解消されました。

 

現時点では、まだ「過去生で縁のあった方の影響」を、完全に排除することは難しいようですが(通常反応する他者の影響は、完全に防御されます)、この点もいずれは解消するものと思われます。

 

新型コロナ・ウイルスに汚染された現代を、いままでも、これからも、人混みの中に行こうが何だろうが、まったく意に介することなく生活を続けています。

 

「コロナ・ウイルス」には、絶対に罹らないという安心感があるからです。

ぜひ多くの方に、絶対的な安心感をもって、心行くまで健やかな日々を過ごして頂きたいと思います。

 

                 2022年7月26日記

 

 

東北恐山を巡る旅 その1

《 東北恐山を巡る旅 その1 》

報恩寺

 

 旅の始まりは、盛岡からでした。

新幹線で「盛岡」に行き、ここでレンタカーに乗り込み、遠く「恐山」を目指す旅が始まりました。

 

2021年9月1日から2泊3日の旅です。

初日は、十和田湖にあるホテルに宿泊ですので、その途中でパワースポットの神社・仏閣を巡ります。

 

事前のチェックで、波動の高そうな、「行った方がよい!」と反応したエリアに絞って、パワースポットを巡ります。

まず目指したのが、盛岡市にある「報恩寺」です。

 

 

この寺は、1362年(貞治元年)に南部家の南部守行が陸奥国三戸郡に創建して、通山長徹が開山したと伝わります。

1601年(慶長6年)、南部家27代当主・南部利直が盛岡に移るときに、現在地に移されました。

ここが駐車場から入る入口です。

 

門をくぐると―――

「山門」があります。

 

ここの山号は「瑞鳩峰山」で、曹洞宗の「禅寺」です。

かなり立派な造りの「山門」です。

 

ここの桜上には、「白山権現(十一面観音菩薩)」を中心にして、秋葉三尺坊と倶利伽羅不動の二尊像が奉られています。

 

この装飾は、あまり目にしない「ガネーシャ」のような形状に見えます。

インドでは、現生利益をもたらす象の形のヒンズー教の神様です。

 

なぜ禅寺なのに、象の「ガネーシャ」なのか? 判りません。

一方こちらは、狛犬のような形状の装飾です。日本的なものです。

 

 

龍神」を形どった装飾がされています。

あまり目にすることのないものです。

 

ここは―――

仁王門です。

阿形の仁王像です。

 

この仁王像は、彗玉禅師が寄進したもので、竹内勝山作と伝わります。

この像は―――手の平を開き、力強くエナジーを放出するように見えます。

 

 

吽形の仁王像です。

 

こちらの仁王像は、拇指と人差し指を閉じた印を組んでいます。

邪気を吸いとってくれるかのように思います。

 

いずれにせよ、ここを通過することで、この「結界」により、全ての方が浄化されます。

かなり強い「結界」として、働いています。

この山門(仁王門)の柱の土台です。

 

境内を進みます。

 

石川啄木がまだ盛岡中学の学生だったころ、この北山一帯の風光をこよなく愛し、級友とよく散策したといわれます。

詩集「あこがれ」の中の「落瓦の賦」は、報恩寺を詠ったものといわれています。

 

 

この右側に―――

鐘楼があります。

この梵鐘は、昭和50年に鋳造されたもので、それ以前のものは、本堂内に陳列されています。

 

その境内を進むと、正面に「羅漢堂」があります。

ここが、今回我々が目指すエリアです。

 

ここからは入れません。

本堂に向かいます。

 

本堂の入り口で、拝観料(300円)を払い、中に入ります。

本尊は、「釈迦牟尼仏(釈迦如来)」です。

左右に、文殊菩薩普賢菩薩があります(画像では見られません)。

 

この本堂の波動は、それほどのレベルではないようです。

本堂の中を進みますと―――

 

「羅漢堂」の入り口があります。

 

その「羅漢堂」に入る前のエリアに、様々なものを陳列しています。

梵鐘です。

特に説明文はありませんが、これが元禄11年鋳造の古梵鐘です。

 

これは農民の像なのでしょうか。

この他にも巨大な像もあり、有名な方々(?)の作品が並んでいます。

 

羅漢堂の中に入ります。

羅漢堂本尊は、 「盧遮那仏(びしゃなぶつ)」です。

左右に善財童子と八歳竜女が祀られています。

 

「盧遮那仏」とは、華厳経の中心的な存在で、密教では「大日如来」と同一視されています。

この「盧遮那仏」は、弘法大師作と伝わります。

 

さらに―――

釈尊十大弟子象と十六羅漢像が並びます。

壮大な仏座です。

 

ここの盧遮那仏像」は生きています。

凄い波動がビシビシと感応してきます。

これが有名な「五百羅漢」です。

現在、499体が現存しています。

 

1731年(享保16年)、報恩寺第17世当主が、大願主として4年がかりで造立したものです。

 

木彫りの木像で、これだけの羅漢像が現存するのは珍しく、服装からは印度・西域・支那の僧の風貌・容姿が連想され、マルコ・ポーロフビライ・ハンの像といわれるようになった像もあります。

 

良好な波動で、堂内は包まれています。

ここに ただ居るだけで・・・・身体全身に良好な波動が染み渡ってきます。

 

このような羅漢像が、ズラリと並んでいます。

圧巻です。

 

羅漢像は、報恩寺第17世曇樹和尚が大願主として施入したもので、最初500像納められましたが、現在は499像が現存しています。

 

仏像は胎内の墨書銘によって、1731年(享保16年)から1734年(享保19年)の4年間に京都の大仏師法橋宗而重賢、駒野定英珍盈を主班とした、9人の仏師によってすべて京都で作成されたといいます。

羅漢像は、全て寄木造りです。

漆塗りの像です。

 

羅漢とは―――

アラハト(阿羅漢)の略称で、人の供養を受けるにふさわしい聖者という意味です。

 

五百羅漢の圧巻の堂内です。

 

 

「盧遮那仏(びしゃなぶつ)」は、華厳経の中心的な存在で、密教では「大日如来」と同一視されていますと書きました。

 

もう少し説明しますと―――

 

羅漢堂の内部は、「華厳殿」となっています。

釈尊(釈迦如来)の悟りの世界を書いたお経を「華厳経」といいます。

 

そこに描かれている大宇宙を華厳世界、または華厳法界といいます。

この華厳法界を象徴するものが「華厳殿」です。

 

中央の大仏は、釈迦の悟りの世界をあらわす仏像で、これを 「盧遮那仏(びしゃなぶつ)」といいます。

この名は、華厳の釈迦のことなのです。

 

この「華厳殿」に入り、一心に法を求めて精進すれば、いつしか「華厳法界」に入っている自分に気付くことができる、といわれています。

 

 

中央両側の立像は、釈尊十大弟子像です。

十大弟子のお名前は、智慧第一の舎利弗尊者。 神通第一の目犍連尊者。  頭陀行第一の大迦葉尊者。  天眼第一の阿那律尊者。  解空第一の須菩提尊者。  説法第一の富楼那尊者。 論議第一の迦旃延尊者。 持律第一の優波離尊者。 密行第一の羅喉羅尊者。 多聞第一の阿難陀尊者です。

 

 

前面左右に童子があります。

この童子は、華厳経の中に出てくる求道者「善財童子」です。

 

一方、この童子は、法華経の中に出てくる求道者「八才竜女」です。

 

 

仏前に、我々のブレスレットを置いて、ここの高波動エナジーの全てを吸引しました。

これは、毎回我々が行うことです。

 

十分な高波動エナジーを吸引したブレスレットを身につけていますと、他者からの生霊のような念は、受けづらくなります。

 

私は常にブレスレットをしていることはありませんが、パワースポットを巡るときに持参して、こうしてエナジーを吸引しています。

 

 

 

仏前に、一人一人が座り、神々の感謝の意を捧げました。

 

華厳殿は、そのまま華厳の行者の行場華厳窟であるといいます。

この羅漢堂は、御殿造りではなく、土蔵造りになっています。

 

ここに座り、拝んでいますと、ジワーっと高い波動に全身が包まれてきます。

 

一人一人が座り、感謝の意を捧げているときには、我々は後方で合掌して神々に祈りを捧げていました。

 

祠堂殿です。

 

中央の像は、高波動です。

「首座百拝」とあります。

 

檀家の位牌を祀るのでしょうか。

中心の像の波動は、良好です。

 

羅漢堂の背後に、座禅堂があります。

ここは曹洞宗の禅寺なのです。

 

この中心は「文殊菩薩」です。

高波動です。

 

座禅堂には、50人が座禅を組める禅床があるといいます。

 

岩手県出身で、神仙界と繋がるといわれた覚醒者:宮沢賢治は、盛岡農林学校時代に、ここ報恩寺で参禅していたと伝わります。

宮沢賢治は―――

 

高校時代に『漢和対照 妙法蓮華経』を読み、身体が震えるほどの感銘を受けたといいます。

盛岡農林学校(現在の岩手大学農学部)に首席で入学して、特待生として授業料を免除されています。

 

宮沢賢治が、ここ報恩寺で参禅していたということから、禅宗の教えや法華経が人生を変えるほどのインパクトがあったのかも・・・・と、思いを馳せます。

 

雨ニモマケズ 風ニモマケズ・・・」や「銀河鉄道の夜」など、覚醒者の作品を改めて見直そうかな・・・・と思いました。

 

               つづく

 

           2022年7月19日記

 

 

西洋人が憧れた浮世絵と天才・葛飾北斎

《 西洋人が憧れた浮世絵と天才・葛飾北斎 》

 

 前回の本ブログ「箱根深澤銭洗弁財天と江島神社の探索」で、江の島にスポットを当てました。

 

このとき、ブログを執筆するときに、「江の島」を題材にした葛飾北斎の「富嶽三十六景」が、目に飛び込んできました。

この浮世絵を見たときに、身体に何ともいえない衝撃が走りました。

 

その浮世絵とは―――これです。

これは葛飾北斎の「富嶽三十六景」の相州江の島です。

見事な構図です。

 

江島の岩窟を背後から見た構図で、遠くに富士山が描かれています。

岩窟の岩の壁の描き方は、昔から日本の絵画に取り入れられている構図のように思われますが、凄いパワーを感じ取ったのです。

 

波動が傑出して高いのです。

 

これが、私の撮った「江の島です。

この画像からは、何も波動は感じません。

 

1890年代の江の島

 

この画像にある「江の島」が、北斎が描くと、まるで別世界のエネルギーに満ち溢れた「生きている島」のようになります。

その技量の高さに、心底驚かされました。

 

葛飾北斎は、日本よりも世界での評価が高いです。

レオナルド・ダヴィンチに匹敵する天才と認められています。

 

この浮世絵を見ていると、北斎の天才に引き込まれていきます。

不思議なのですが、天才の描いた構図の中で、人体は再生・復活するようです。

 

体軸が乱れて、身体の歪んだ方が多いですが、この浮世絵の中に引き入れますと、即効で身体が整います。

 

なぜ、日本の浮世絵がビンセント・ファン・ゴッホゴーギャン、あるいは『光の画家』といわれるクロード・モネに多大な影響を与えたのかが、少し分かる気がします。

 

モネは自宅の庭に日本庭園を造り、その庭の景色が有名な「睡蓮」を生みました。

モネの自宅には、竹林をはじめ、ススキの群生を配し、太鼓橋から藤棚までありました。

クロード・モネの「睡蓮」

 

浮世絵を愛し、日本に憧れていたモネは、自宅に造った日本庭園で「睡蓮」の連作を続けました。

 

次のものは、『近代画家の父』といわれるポール・セザンヌの絵画です。

セザンヌの絵(背後に富士山のような山が描かれています)

 

これは、葛飾北斎の「富嶽三十六景」の次の浮世絵を基にしています。

葛飾北斎の「富嶽三十六景

 

セザンヌの絵画と、北斎のこの浮世絵を比べると、「波動」は圧倒的に葛飾北斎に軍配があがります。

 

版画という浮世絵ですが、高波動なのです。

あのセザンヌをも上回る波動を示しています(波動という観点でみると、誰でも解ると思います)。

 

葛飾北斎は、93回も引っ越しを繰り返していた「奇人」で有名です。

「広益諸家人名録」には、北斎のところには「居所不定」とあります。

 

引越をしたその日のうちに、また引っ越しをしたこともあり、「居所不定」となるのも仕方がないかもしれません。

 

 葛飾北斎といえば、次の「富嶽三十六景」の一つ「神奈川沖浪裏」が有名です。

この浮世絵が、北斎をしてダ・ヴィンチと並び称される天才とされる所以です。

これは、「モナリザ」の次に有名な絵画といわれています。

 

この浮世絵は、超高波動です。

 

楽家のクロード・ドビッシーは、この浮世絵に感銘を受けて、交響曲「海(ラ・メール)」を作曲しました。

 

パリの有名なエッフェル塔は、ギュスターヴ・エッフェルの設計ですが、彼もまた葛飾北斎の「富嶽三十六景」に魅入られて、富士山を模したものがエッフェル塔なのです。

 

エッフェル塔は、富士山のイメージとも重なってきます。

 

画家のアンリ・リヴィエールは、「富嶽三十六景」に触発されて、「エッフェル塔三十六景」を発表しています。

 

さらに言うと―――

1998年に雑誌「ライフ」に、この1000年間で「最も偉大な業績を残した100人」が発表されました。

その100人の中で、唯一の日本人がいます。それが―――葛飾北斎です。

 

浮世絵の画家として、世界が認めた天才なのです。

葛飾北斎

「私は、6歳から物の形状を写す癖があり、50歳ごろから数々の作品を発表してきたというものの、70歳以前に描いたものは、実に取るに足らぬものばかりである。

73歳にして、ようやく禽獣虫魚の骨格や、草木の生え具合をいささか悟ることができたのだ。

 

だから80歳でますます腕に磨きをかけ、90歳で奥義を極め、100歳になれば、まさに神妙の域に達するものと考えている。

110歳ともなれば、一点一画が生き物のごとくなるであろう。

 

願わくば、長寿をつかさどる君子よ、わが言葉が偽りならざることを見届けたまえ」

このように語っています。

 

そして、「あと10年、いや5年あれば本当の絵師になれるのに・・・・」

こう言って、90歳の生涯を閉じました。

 

90歳とは、「奥義を極める」としていた年齢です。

「神妙の域に達する」とした100歳には至らず、老衰だったようです。

 

北斎の晩年の作品(天井画)

 

天井画で、これは対である「女波」です。

「男波」もあります。

 

「奥義を極める」とした晩年に差し掛かるころのもので、高波動です。

一人の人物の描く絵画が、人の人体の歪みを整えて、波動を高める効果のあることに、感動すら覚えます。

 

 

次のものは、北斎を検索しているときに見出したものです。

諸国滝廻り 下野黒髪山きりふきの滝

 

この絵画の構図には、人を引き付ける何かがあります。

あまり世に知られていない作品ですが、このような絵がベッドのそばにあれば・・・・人は常にリフレッシュされるかもしれません。

 

浮世絵は、その他にも彫刻家のロダン(「考える人」の作者)や、小説家のコナン・ドイル(「シャーロックホームズ」の作者)など、各界の天才と呼ばれる巨匠たちが、日本の浮世絵に熱狂して、影響を与えました。

 

印象派ゴッホゴーギャンなども、浮世絵に傾倒していたことは有名です。

ゴッホなどは、500枚もの浮世絵を所持していたといいます。

 

なぜ、巨匠たちが日本に憧れたのか?

 

背景に、宗教的な問題があると、国際美術史学会副会長の田中英道氏(東北大学名誉教授)は指摘しています。

どういうことなのか?

 

18世紀のフランス革命では、ルイ16世と王妃マリー・アントワネットがギロチンにされました。

 

民衆の怒りの矛先は、王政と宗教に向けられました。

キリスト教を否定して、3万人の司祭を追放し、数百名の聖職者を殺害しました。

 

キリスト教の暦である「グレゴリオ暦」も、フランス革命暦に替わりました。

それまでの精神的な拠り所であった宗教も王政も、すべて否定されました。

 

哲学者のフォイエルバッハは、「宗教は人間がつくった」と唱え、ニーチェは「神は死んだ」と叫びました。

マルクスも「宗教はアヘンである」と言いました。

 

キリスト教が否定される一方で、人々は神に替わる次のものを探し求めていました。

 

その一つの現われが、ギリシャ、ローマ時代に回帰しようとする「新古典主義」です。

エジプト、中国などの異文化を探求する「オリエンタリズム」もありました。

 

写実主義」の絵画が流行した時もありました。

しかし、すべて一時的なもので、決定的な救いを見出すことはできずにいました。

 

そんなときに、日本から浮世絵がもたらされたのです。

西洋画で描かれる宗教画や貴族の肖像画にはない、まったく異質の絵画でした。

 

これが西洋人の心を虜にしました。

 

ゴッホは、宗教家の家に生まれ、クリスチャンでしたが、あっさりと信仰を捨てています。

キリスト教と決別したのです。

 

日本的な感性にはまり、弟への手紙に中で

「日本美術は、因習に囚われた教育や仕事から、僕たちを解き放ち、自然へと回帰させてくれる」

と述べています。

 

自然の中、万物に神が宿るとされる日本的な、神道的な世界観に魅了されたのです。

浮世絵に示される、自然と共に生きる人々の姿こそ、自分の目指すべき世界観だと確信させてくれたのです。

 

このような物語が・・・・江の島の葛飾北斎の「富嶽三十六景」浮世絵からもたらされました。

 

                   2022年7月12日記