≪ 未来エステを考える 20 ≫
身体を再生する「ソマチッド」に迫る――その10
第8原理 生命弁証法・・・生命現象を正しく観察するための科学方法論
を 続けます。
エントロピーの法則とは、時間は一方向に進み、再びもどってこないことを意味しています。
しかし自然界にはこの法則に当てはまらない例がたくさんあります。
生物がそうです。
体の内部と外部の間で、つねにエネルギーの出入りが自由であるからです。
千島博士は、このエントロピーの法則に真っ向から反対します。
その理由は―――
エントロピーの法則は、自然の姿の片面だけしか見ていない。つまり、自然界の一方だけを支配する“死の法則”だというのです。
自然界にはもう一つの“生の法則”があります。
この“生と死”の両面の法則でものごとを見なければ、事実を見落としてしまうことを指摘しているのです。
生命弁証法とは、「全てのものは繰り返す」ということを原則にしているのです。
千島博士は、「生命弁証法ですべての現象を説明することができる」としました。
千島博士は、現代生物学、医学の常識を破った学説を次々に唱えましたが、それは、生命や自然をありのままに見る観察眼があったからです。
千島博士は、「生命弁証法ですべての現象を説明することができる」としました。
千島博士は、現代生物学、医学の常識を破った学説を次々に唱えましたが、それは、生命や自然をありのままに見る観察眼があったからです。
そこから「すべての事象は 時間の経過と場所の変化に応じて 絶えず流転する」ということを見出したのです。
一人の人間をみても、子供のときから晩年まで、すべてが変わってきます。
自然だけでなく、政治経済、社会生活、人間の心も常に変わります。
ところが、現代の科学は、物事を変化しないものだとしてみているのです。
赤血球は赤血球であり、白血球は白血球であり、まったく別の系統のものだとして区別しています。
しかし、千島博士は「全てのものは、変化しうる」という眼をもって顕微鏡を覗いていました。
そしてそこに赤血球が核をもつ白血球に変わり、それがさらに細胞に変化することを発見したのです。
そればかりではなく、細胞が赤血球に逆戻りすることも発見しました。
現代医学は中間を認めませんが、生物の世界では、オスがメスに、メスがオスになることはいくらでも知られています。
これは、エントロピーの法則に反しています。
人間も、発生の時点では両性的で、まだ男とも女とも決まっていません。
そういう要素を潜在的に持っていると考えられるのです。
生物は環境によって身体のかたちや、性質を変えていきます。
生物は環境によって身体のかたちや、性質を変えていきます。
生後に起こるような変化は、その生物の一代限りのものであって、それは子孫には伝わらないと、現代の遺伝学は教えています。
そして、生物が進化してきたその変化の主因は、
―――『突然変異』
で片付けてしまっています。
―――『突然変異』
で片付けてしまっています。
このことは、言い換えると、「よく解らない」と言っているのと同じ意味です。
これでは納得できかねるのです。
生物は長い年月にわたって代々、子が親に似るという遺伝と、環境などによる親の変異を子に伝えるという、この二つの要素を積み重ねて少しずつ変化して、そして進化したものです。
しかし現代医学では細胞核のDNAという遺伝子によって、子孫へと伝えられるという絶対的な考え方が前提となっているのです。
「全てのものは、変わらない」ようにみえるのは、観察の時間が短いためであることになります。
不安定こそ生きている証拠なのだ、と千島博士は指摘するのです。
「すべての事物は矛盾対立を内包し、その葛藤が進歩や変化の原動力となる」というのも基本的考え方であり、例外のない真理であります。
自然現象や生命現象はすべての矛盾対立をそのなかにもっているのです。
全てのものにひそむ対立は、男と女のようにお互いを補い合っていますが、それは決して固定したものではなく、ときにはマイナスが、またときにはプラスが優勢になったりしながら流動的なバランスを保っています。
生物におけるこの矛盾対立は、常に動的(ダイナミック)で、通常は平衡状態にあります。
生物におけるこの矛盾対立は、常に動的(ダイナミック)で、通常は平衡状態にあります。
完全な平衡状態ではなく、そのとき、そのときによってどちらか一方が力を持つのです。完全な平衡状態になると死を意味するのです。
老子は、「一つの道は陰陽二気を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず」と述べています。
対立するすべてのもの、すべての現象は、もともと一つのものが、二つに分かれたのです。
そしてその二つは一つに帰するという。「自然や生命はおよそ調和しているが、少しゆがみをもっています。
そのゆがみこそ生命や自然の真の波である」と千島博士は指摘しており、
● すべての自然現象は、波動と螺旋性を基礎としている―――
と結論づけたのです。
液体である水に温度の量を蓄積させる(摂氏100度の熱を加える)と 気体になります。
逆に温度量のマイナス蓄積(摂氏0度)を加えると固体(氷)に質的変化します。
生物の進化をみてもこの法則をみることができます。
単細胞のアメーバやバクテリアはその構造や働きが単純で下等ですが、そのような細胞が約60兆集まって肉体が形造られています。
すべてのものには経過中の中間点があります。
すべてのものには経過中の中間点があります。
科学は一般にはっきりしているものだけを対象にし、不明瞭でぼんやりしているものを嫌う傾向にあります。
明瞭なものを尊重するという科学者の精神は当然なことですが、はっきりした事実がありながら、型取りできないいために、それを不明瞭だとして排斥するのは間違っていることになります。
教科書には血球あるいは細胞の定形的な特性を備えた図が記載されています。しかし、実際に顕微鏡を覗いてみると、血球とそれぞれの組織細胞との中間移行型の細胞が見えるのです。
教科書には血球あるいは細胞の定形的な特性を備えた図が記載されています。しかし、実際に顕微鏡を覗いてみると、血球とそれぞれの組織細胞との中間移行型の細胞が見えるのです。
これはいったい何なのか。おそらく世界中の組織学者や病理学者は説明できないでいます。それは―――
「現代の科学が形式にとらわれてAともBともつかないものは、無意識にあるいは意識的に見逃しているからではないだろうか」
と、千島博士は現代科学のものの見方を指摘しているのです。
千島学説は、その研究のすべてが現界領域にあります。
漠然とした、この現界領域にこそ真理が隠されているのです。
「すべての事物には、経過中の中間点がある」ことを認識しない限り、自然の真の姿を認識することはできないことになります。
赤血球はいつまでも赤血球としか考えられないのは、地球の一部をとらえて大地は直線であると考えるようなものであるというのです。
現代科学を支配するエントロピーの法則が成立するのは、宇宙がエネルギーの出入りのない有限の世界だと考える場合であって、宇宙が無限であれば成り立たないことになります。
老子は
「陽きわまれば陰に転じ、陰きわまれば陽に転ず」
と言っています。
自然というものは、限界になれば次にそれを減ずる力が働き、まったく逆方向に向かう作用をもっています。
また「色即是空」という言葉は、科学的に言えば物質とエネルギ-の関係をあらわしています。
物質はエネルギーですが、エネルギーも物質であるということと、物質はエネルギーになるが エネルギーも物質になるということなのです。
一日は昼と夜、一年は春夏秋冬、月は満月と新月、海岸の波は満ちたり引いたりするように、この世の中のすべてのものは、成長と逆成長を繰り返してなりたっています。
このようなものの見方をする千島学説に立脚することで、生体をベストな状態にコンディショニングしようという立場での視点では、 旧態依然としたアプローチから、自ずと変化せざるを得ないことになろうと思われます。
このようなものの見方をする千島学説に立脚することで、生体をベストな状態にコンディショニングしようという立場での視点では、 旧態依然としたアプローチから、自ずと変化せざるを得ないことになろうと思われます。
つまり―――
老化反応は誰もが止めることのできない、絶対的な真理である、とする考え方も、
それが脳内深くに刻み込まれた「基本原理」であるかのような錯覚であるかもしれない・・・・という想念も生み出すしてくれるのが、「生命弁証法」かもしれません。
生命体にも 「老化した生命体」があり、「若々しい生命体」があるように、エントロピーの法則で必ず老化反応で朽ち果てるもの―――という考え方にも、
もしかしたら・・・・という 千島理論は新たな発想を抱かせてくれるのです。
釈尊は 絶対に避けられないこととして、「人は必ず死を迎える」ということを喝破しました。
誰もが「生きたい」と願っても、必ず死する運命に在るという絶対的な「矛盾」を悟ることが大切である、と説きました。
秦の始皇帝のように 永遠の生命を得ようとして不死の調薬を探し求めた結果、意のままにならずに死滅していくのが人生である、と達観するのが必要かもしれません。
ですが・・・・老化せずに、また老化してしまっても、「若がえる」反応を少しでも示せるようになれれば―――と、私は常に求め続けています。
それが「生命液」や「神水化粧液」などに 少しは現われていると、思っています。
まだまだ 未完成は否めませんが、かって多くの人類が探し求めた「賢者の石」(不老長寿を再現する物質)を、再現できることを常に願っています。
2014年7月17日記