生命体エナジー浄化の会ブログ

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宮本武蔵の波動に触れる その3

≪ 宮本武蔵の波動に触れる その3 ≫
宮本武蔵に関わる人々 3
 
 宮本武蔵の波動に触れるとしながらも、焦点が「禅」に向かってしまいました。
もう少し 「禅」と「武道」について、続けます。
 
その昔、私が学生時代に「書と禅」(大森曹玄)という書物を読んで、感動したのを覚えております。
 
禅僧である著者の座る姿勢に 惹かれたのです。
 
そのことから 修行する気など さらさらないまま、禅を西洋に紹介した鈴木大拙などを読んでみたことがありました。
 
そのときに「弓と禅」という書が目に留まっていました。
図書館で読んでみました。 ここに感動的なシーンがありました。
 
オイゲン・ヘルゲル著 『弓と禅』―――著者はドイツ人哲学者です。
 

東洋哲学に興味を持ったヘリゲルは、東北帝国大学に席を置き、西洋哲学の
教授として、6年間日本に滞在する中で、東洋哲学の研究をしました。


「理論」を優先するの西洋哲学と「内的気づき」を重視する東洋哲学を研究することから オイゲン・ヘリゲルは―――

西洋哲学と東洋のそれとの、最大の違いは、理論ではなく、禅や修行による「内的な気づき」によって、その真髄を会得するところにある ことを知ったのです。

東洋哲学を学ぶには、何か、○○道という、「道(どう)」のつくものを、学べばいいと聞き及びます。
 
そこで、奥さんは、茶道や華道を学ぶことになり、ヘリゲル本人は、「弓道」を学ぶことに決めたのです。
 
1930年頃、阿波研造という、「弓聖」とまで、呼ばれた伝説の弓道家がいました。彼の射る矢は、百発百中で、誰もその腕に並べるものはいなかったといいます。


しかし、それほどの腕を持ちながら、弓道界からは 「異端児」「狂人扱い」されていたというのです。

 
というのは―――阿波研造とは、1927年に弓道範士を授与されて、「大日本射道教(大射道教)」という流派を興して、自ら教主となっていたからです。
 

しかし、周囲ではそれを非難する声が相次いだといいます。
弓道をする新手のカルト宗教のように 罵る人間が絶えなかったようです。

オイゲン・ヘリゲルが阿波研造のもとに、入門してきたのは、丁度そのころででした。

その精神を「一射絶命」という言葉で表しています。
まさしく 「禅」と「弓」を一致させるもので、弓道界では異端児と見られていました。
 
この阿波研造の名前を、一躍世界へ知らしめたのは、一人のドイツ人哲学者だったオイゲン・ヘリゲルです。
 
ヘリゲルがドイツ帰国後、日本で学んだ「弓と禅」を本として出版したところ、なんとヨーロッパ中で大反響をよび、それは、70年も前から、今でも売れ続けている・・・とのことです。
 
『弓と禅』は、潜在意識の力を説いた、名著中の名著といわれています。

阿波研造氏の画像です。
 
絶対体軸が取れています。
これほどの体軸の取れた画像を見るのは、合気道創始者植芝盛平翁以来です。
 
この画像を見る限り、この弓を射るときには―――神道系の「神」が降臨しているように思われます。 「凄い!」と思います。「もの凄い!」と思います。
 
この方には、10体を超える神々が「守護神」として、サポートしているように思われます。
 
阿波研造とは―――
弓道」を極めることにより、禅や仏教でいわれる「悟りの境地」の神秘体験をしているといいます。


武道の世界では、熟達レベルが高くもないのに、精神論を述べる人間がやたら多いといいますが、阿波研造は違っっていました。


弓道の全国大会で、優勝したときは、4日間連続、全射的中という、前人未踏の記録を打ち立てたといいます。彼が射る矢は、百発百中だったのです。


しかし、その輝かしい記録が、もたらしたのは、意外にも、「絶望感」であり、単にゲームのように、「的」の的中率を競う弓道に、嫌気がさしたといいます。

その頃から、阿波研造弓道は、変わっていきます・・・・

ある月夜の晩、弓道の稽古中、自己が粉みじんに爆発する感覚に襲われます。
そのとき、阿波研造は、「宇宙との合一」する神秘体験をしたといいます。

「術(テクニック)」としての弓を否定し、「道(精神修養)」としての弓を探求する 宗教的な素養が強かったといわれています。

目を殆ど閉じた状態で弓を絞ると、的が自分に近づいてきて、やがて一体化する。そこで矢を放つと「狙わずに中てる」ことが可能になるというのです。

『弓と禅』では、オイゲン・ヘリゲルを初めとする弟子達の前で、殆ど目を閉じた状態で放射していたといいます(オイゲンが筋肉を触ったところ、筋肉にも力が入っていなかったと証言を記しています)。

● 「的」と「私」が一体になるならば、矢は有と非有の不動の中心にある。
● 射は術ではない。的中は我が心を射抜き、仏陀に到る。
 
このような言葉を残しています。
 

ヘリゲルは、入門時から、その不可解な阿波研造の「禅」に基づく「弓道」の教えに戸惑います。

腕の力で、弓をひくな。心で引け。 
引いた弓矢を自らの意志で放すな。「それ」が放すまで待て。
的を見るな、狙うな。無心になると、矢は、「それ」が当ててくれる。

などなど・・・・

阿波研造の道場では、弟子たちが、「的を狙わず」、弓を手で持たずに、射るため、矢が方向違いのところへ飛び、道場の床や壁が、穴だらけになっていたといいます。

日本人の弟子なら、不可解な指導でも、師の教えに盲目的に従いますが、西洋人のヘリゲルは、違いました。

 

● 筋肉を使わず、力を入れず、どうやって弓を引くのか?
● 自分の意志で、矢を放さないなら、誰が放つのか?
● 的を見ずにどうやって的に当てるのか?
● そもそも、「それ」とは一体、何なのか?

理解できない教えに、ズバズバ疑問をぶつけます。


理屈を言わずに稽古を続けなさい、と言う師匠に対し・・・・
理屈で納得できなければ、理解できないヘリゲルは―――

数年間悩みながらも、不可解な教えを実践してみますが、進歩を感じない日々が続き、ついに我慢の限界がやってきます。

ついに弓道を辞める決心を告げたのです。
それを聞いた師の阿波研造は、ヘリゲルを真夜中に自宅の道場に連れて行いきます。

暗闇の中、見えない「的」に、蚊取り線香に火を灯して、「的」の前に立てます。


闇の中に線香の灯がゆらめくのみで、「的」は見えません。

そのような状態で 阿波は矢を二本放ちます。 一本目は「的」の真ん中に命中する音が聞こえました。

その音を聞いて、「まぐれだろう・・・」とヘリゲルは思います。
さらに続けて二本目を放ちますと、またしても「的」に中った音がしました。

二本目の矢は、一本目の矢の最後尾の筈(はず)に中たり、その矢を引き裂いていたのです。 暗闇でも炸裂音で「的」に当たったことがわかった、とオイゲンは『弓と禅』において語っています。

二本目の状態は垜(あづち)側の明かりをつけて判明しました。

この時、阿波研造は―――
「先に当たった甲矢は大した事がない。数十年馴染んでいる垜(あづち)だから、的がどこにあるか知っていたと思うでしょう。

しかし、甲矢に当たった乙矢・・・これをどう考えられますか」とオイゲンに語ったのです。

その神技をみて、しばし呆然とするヘリゲルに・・・師の阿波研造は、言ったといいます。

「暗闇で的が見えない中、この矢は、私が狙って射たものではない」

「この矢は、【それ】が、射たのです。」

不可解な教えに対する不信は、一瞬のうちに消えました。

師の矢は、弟子の心まで射抜いてしまったのです・・・

ヘリゲルは この出来事に感銘を受け(矢を別々に抜くに忍びず的と一緒に持ち帰り)、人が変わったように弓の修行に邁進し、後に五段を習得しているといいます。

そして、ドイツ帰国後、日本弓道の思想を本として出版すると、たちまち大反響をよび、全国を講演してまわったといいます。

そうして、弓聖、阿波研造の伝説は、ヨーロッパ全土に、広く知れ渡っていったのです。

 
弓については―――中島敦の著『名人伝』が思い起されます。

この先で、容量が一杯になるようなので、「つづき」ます。