東洋哲学に興味を持ったヘリゲルは、東北帝国大学に席を置き、西洋哲学の
教授として、6年間日本に滞在する中で、東洋哲学の研究をしました。
「理論」を優先するの西洋哲学と「内的気づき」を重視する東洋哲学を研究することから オイゲン・ヘリゲルは―――
西洋哲学と東洋のそれとの、最大の違いは、理論ではなく、禅や修行による「内的な気づき」によって、その真髄を会得するところにある ことを知ったのです。
しかし、それほどの腕を持ちながら、弓道界からは 「異端児」「狂人扱い」されていたというのです。
しかし、周囲ではそれを非難する声が相次いだといいます。
弓道をする新手のカルト宗教のように 罵る人間が絶えなかったようです。
オイゲン・ヘリゲルが阿波研造のもとに、入門してきたのは、丁度そのころででした。
武道の世界では、熟達レベルが高くもないのに、精神論を述べる人間がやたら多いといいますが、阿波研造は違っっていました。
弓道の全国大会で、優勝したときは、4日間連続、全射的中という、前人未踏の記録を打ち立てたといいます。彼が射る矢は、百発百中だったのです。
しかし、その輝かしい記録が、もたらしたのは、意外にも、「絶望感」であり、単にゲームのように、「的」の的中率を競う弓道に、嫌気がさしたといいます。
その頃から、阿波研造の弓道は、変わっていきます・・・・
ある月夜の晩、弓道の稽古中、自己が粉みじんに爆発する感覚に襲われます。
そのとき、阿波研造は、「宇宙との合一」する神秘体験をしたといいます。
ヘリゲルは、入門時から、その不可解な阿波研造の「禅」に基づく「弓道」の教えに戸惑います。
●腕の力で、弓をひくな。心で引け。
●引いた弓矢を自らの意志で放すな。「それ」が放すまで待て。
●的を見るな、狙うな。無心になると、矢は、「それ」が当ててくれる。
などなど・・・・
阿波研造の道場では、弟子たちが、「的を狙わず」、弓を手で持たずに、射るため、矢が方向違いのところへ飛び、道場の床や壁が、穴だらけになっていたといいます。
日本人の弟子なら、不可解な指導でも、師の教えに盲目的に従いますが、西洋人のヘリゲルは、違いました。
● 筋肉を使わず、力を入れず、どうやって弓を引くのか?
● 自分の意志で、矢を放さないなら、誰が放つのか?
● 的を見ずにどうやって的に当てるのか?
● そもそも、「それ」とは一体、何なのか?
理解できない教えに、ズバズバ疑問をぶつけます。
理屈を言わずに稽古を続けなさい、と言う師匠に対し・・・・
理屈で納得できなければ、理解できないヘリゲルは―――
数年間悩みながらも、不可解な教えを実践してみますが、進歩を感じない日々が続き、ついに我慢の限界がやってきます。
ついに弓道を辞める決心を告げたのです。
それを聞いた師の阿波研造は、ヘリゲルを真夜中に自宅の道場に連れて行いきます。
暗闇の中、見えない「的」に、蚊取り線香に火を灯して、「的」の前に立てます。
その神技をみて、しばし呆然とするヘリゲルに・・・師の阿波研造は、言ったといいます。
「暗闇で的が見えない中、この矢は、私が狙って射たものではない」
「この矢は、【それ】が、射たのです。」
不可解な教えに対する不信は、一瞬のうちに消えました。
ヘリゲルは この出来事に感銘を受け(矢を別々に抜くに忍びず的と一緒に持ち帰り)、人が変わったように弓の修行に邁進し、後に五段を習得しているといいます。
そして、ドイツ帰国後、日本弓道の思想を本として出版すると、たちまち大反響をよび、全国を講演してまわったといいます。
そうして、弓聖、阿波研造の伝説は、ヨーロッパ全土に、広く知れ渡っていったのです。