≪ 宮本武蔵の波動に触れる その3つづき ≫
宮本武蔵に関わる人々 3つづき
短編ですが、私の座右の書ともなった一冊です。
何度も何度も 繰り返し読み込んだ書物です。
簡単に概略を説明すると―――
紀昌(きしょう)という男が、天下第一の弓の名人になろうと志を立てます。
師となるべき人物には、名手:飛衛(ひえい)に及ぶものはにと思われます。
そして、弟子入りします。
師は 「瞬き(まばたき)」しないことを学ばせます。
2年間ものあいだ 一切の瞬きをしないことを学び、錐(きり)の先で目を突かれても、火の粉が目に入っても、瞬きしないまでになっていました。
夜 熟睡しているときでも、紀昌の目はカッと見開いたままであり、睫毛(まつげ)と睫毛の間に小さな蜘蛛が巣をかけるに及んで、師の飛衛に告げます。
すると飛衛は、次に「視る」ことを学べといいます。
紀昌は再び家に戻り、髪の毛に小さな「虱(しらみ)」をつるして、ひたすらに見続けます。 そして3年の歳月が流れます。
ついに「虱」は馬のごとく大きさにまで見えるようになります。
このとき 焦点を合わせると すべて見るものが巨大なものとして映るようになっていました。
そして、髪の毛につるした虱を射ると、その心臓を射抜き、髪の毛は微動だにしないものとなっていました。
このことを師の飛衛に告げますと、はじめて「でかした!」と褒めてくれます。
そして―――射術の奥義伝授が始まります。
紀昌の進歩は目を見張るものがあり、水をたたえた杯の上に肘をおいて、剛弓を引いても、杯中の水は微動だにしませんでした。
百本の矢で速射をすると、第一の矢の後ろに第二の矢が突き刺さり、さらにその後ろに第三の矢が突き刺さる・・・・瞬く間に矢は一本のように連なって、地に落ちることがないほどまでの 腕になっていました。
これを見た飛衛も 思わず「善し!」といいます。
その頃 家に帰っていた紀昌は妻と夫婦喧嘩をします。
妻を威そうとして 弓を引き絞り、妻の目を射ますが、睫毛三本を射きって、かなたに飛び去りますが、紀昌を罵り続ける妻は、一向に気づきませんでした。
紀昌の腕は、ついにこの域にまで達していたのです。
紀昌にとって、天下第一の名人となるには、師の飛衛を倒すことしかありません。
ある日―――その飛衛と広野で出会います。
直ぐに弓を取って、飛衛を狙うと、飛衛もとっさいに気配を感知して、弓をとって応じます。
互いに矢を射ると、矢はその真ん中で当たり、地面に墜ちます。
互いに射るごとに矢はその真ん中で当たります。 地に墜ちた矢は、少しも砂埃を上げないほどの、両者の技は「神に入っていた」のです。
矢が尽きた二人は 駆け寄ると、「敵なし我なし」の境地で互いに抱き合いました。
師の飛衛は―――
「もはや伝えるものは何もない。これ以上の奥義を極めるには、西方のかなたに 老師がいる。
老師に比べれば、我々の射のごときは児戯(じぎ)のようなものである・・・・」
このように告げられた紀昌は、西に向けて旅立ちます。
峻厳な山岳に入り、 ようやく老師に対面します。
しかし、柔和な目をした酷くよぼよぼの爺さんです。
100歳を超えているような、腰の曲がった 白髪を地に垂らすような爺さんだったのです。
老師の前で いきり立った紀昌は、空高く通りすぎて行く渡り鳥の群れに向かって、矢を引きます。
たちまち5羽の鳥が落ちてきます。
これを見た老師は 「ふーむ、ひととおりは出来るようじゃな・・・」と、穏やかな微笑みをもって言います。
「じゃが・・・それは所詮、『射之射(しゃのしゃ)』というものに過ぎぬ。
『不射之射(ふしゃのしゃ)』は知らぬと見える 」
このように言われた紀昌は、ムッとしますが、老師は断崖絶壁の上に連れていきます。
そこは 下を見ただけで眩暈を起こすほどの絶壁で、その上に半分宙に乗り出している石の上に 老師は乗ると、
「どうじゃ、ここで今一度、先ほどの技を見せてくれぬか・・・」
と言います。
紀昌は その石の上に乗ると、グラリと揺れます。崖の端から小石がはるか彼方に落ちていきます。
紀昌の脚はワナワナと震え、矢もつがえることのできないまま、石の上にへたり込んでしまいます。
老師が紀昌と入れ替わりますが、手には何も持っていません。
「弓は?」紀昌が聞くと、
老師は笑いながら、「弓矢の要るうちは、まだ射之射(しゃのしゃ)じゃ。
不射之射(ふしゃのしゃ)には必要ない」といいます。
そして―――そのはるか上空を輪を描いて飛んでいた鳶(とんび)に向けて、目には見えない弓を、まるで満月のごとく引き絞って放ちますと、
鳶(とんび)は 羽ばたきしないで、まるで石のように落ちてきます。
紀昌は慄然として、この時初めて芸道の深遠さを 覗き見た心地がします。
こうして・・・・紀昌は老師のもとで 9年間の修行をします。
そして―――山を降りてきたとき、人々は紀昌の顔付が変わったことに驚きます。
以前の 負けず嫌いの精悍な面構えは影を潜め、無表情で愚者の様に容貌が変わっていました。
これを見た飛衛は 感嘆します。
「これこそ 天下の名人である。我らのごとき その足元にも及ばない・・・」
都の人々は、紀昌の妙技を見たいと望みますが、一向にその要望に応えようとはしませんでした。
山に入るにも弓を持たないので、そのわけを尋ねると
「至為(しい)は為す無く、至言は言を去り、至射は射ることなし」
と、ものうげに応えます。
紀昌が弓に触れないほどに、彼の無敵の評判は ますます高まりました。
紀昌には 様々な噂話が語られていきます。
夜中に 射道の神が抜けだして、妖魔を払うべく守っている云々。
家に忍び込もうした盗賊が、塀に足を掛けた途端に、家の中から殺気がほとばしって、転落した―――と、白状した者も現れました。
爾来、邪心を抱く者たちは、彼の住居の十町四方は避けて回り道をし、渡り鳥ですら、彼の家の上空を通らなくなりました。
名人紀昌は次第に老いていきます。
ますます枯淡虚静(こたんきょせい)の域に入っていき、木偶のごとき顔は さらに表情を失い、語ることも稀になり、ついには呼吸の有無さえ疑われるに至ります。
「既に、彼と我の別、是と非との分を知らぬ。眼は耳のごとく、耳は鼻のごとく、鼻は口のごとく思われる」と、晩年に語っています。
老師の元を辞して40年の歳月が流れ、煙の如く世を去りました。
その間 紀昌は射について語ることは、ついにありませんでした。
ただ・・・記録として残っているのは―――
名人紀昌が亡くなる1,2年前のことです。
老いた紀昌が知人に招かれた時の事です。
その家で 見憶えのあるモノを見ます。 が、その名前を思い出せません。
使い方も判りません。
「それは何で、どのように使うのか?」と、 紀昌は尋ねたのです。
主人は冗談を言っていると笑っていましたが、真剣になって、紀昌は3度同じことを尋ねたのです。
紀昌が冗談を言っているのでもなく、気が狂っているのでもなく、自分が聞き間違いをしているのでもないことを確かめると――――
主人は ほとんど恐怖に近い狼狽を示して、吃りながら叫びました。
「古今無双の射の名人たる夫子が、弓を忘れ果てられたのか、ああ弓を言う名も、その使い途も!」 了
さて―――
この『名人伝』に 描かれている一文に
「ますます枯淡虚静(こたんきょせい)の域に入っていき、木偶のごとき顔は さらに表情を失い、語ることも稀になり、ついには呼吸の有無さえ疑われるに至ります・・・・」
とありますが、まさしくここに、究極の人が到達し得る境地が 示されているように思われます。
つづく
2016年3月15日記