≪ 宮本武蔵の波動に触れる その4 ≫
宮本武蔵に関わる人々 4
武蔵は 『五輪書』の他に、『独行道』を顕しております。
学生時代には 手帳にこれを書き写して、持ち歩いていたことがあります。
その当時は武蔵の様にありたい・・・・と、思っていましたが、今にして思えば、軽薄そのものの うわべだけの行為です。恥ずかしい限りです。
『独行道』(原文のまま)を紹介します。
一、世々の道にそむく事なし
一、身にたのしみをたくまず
一、よろずに依怙(えこ)の心なし
(注)依怙:一方をひいきにしたり、頼ったりすること
一、身をあさく思い、世をふかく思ふ
一、一生の間よくしん(欲心)思はず
一、我事(われこと)において後悔せず
一、善悪に他をねたむ心なし
一、いずれの道にも、わかれをかなしまず
一、自他共にうらみかこつ心なし
一、れんぼ(恋慕)の道思ひよるこころなし
一、物毎にすき(数奇)このむ事なし
一、私宅においてのぞむ心なし
一、身ひとつに美食をこのまず
一、末々代物(しろもの)なる古き道具所持せず
一、わが身にいたり物いみする事なし
一、兵具は各(格)別、よ(余)の道具たしなまず
一、道においては、死をいとはず思ふ
一、老身に財宝所領もちゆる心なし
一、神仏は貴し、神仏をたのまず
一、身を捨てても名利はすてず
一、常に兵法の道をはなれず
孤高の求道者として生きた武蔵の処世訓ですが、自省自戒の書でもあります。
今 あらためて『独行道』に目を通しますと、このようには生きられない自分を鑑みて、今でも恥ずかしい限りです。
この『独行道』を書き記した一週間後に、武蔵は眠るように世を去ったといいます。
享年62歳。
さて―――本題の武蔵の作品に入ります。
高波動で 武蔵本人の筆になるものと思われます。
枯木鳴鵙図(こぼくめいげきず)
これは有名なもので、武蔵の描いた代表作とされています。本物です。
この書からは、武蔵の「高尚な気」が伝わってきます。
反応では、武蔵55歳の時の作のようです。
絶対体軸のとれた人物として、この作者は反応しています。凄い気が満ち溢れている人物のように思われます。
野馬図
これも本物です。
武蔵の52歳の時の書として、反応しています。
細川忠利像
これは本物ではないようです。
武蔵の厳然とした「気」が伝わってきません。
不動明王立像
これも本物ではないようです。
作者は73歳の男性で、今から340年前頃に彫られたものとして、反応しています。
これも本物ではないようです。
達磨像
これも有名な書ですが、本物ではありません。
武蔵の「気」が伝わってきません。
巻物「五方之太刀道」(熊本県立美術館蔵)
反応では62歳の時に書いたもののようです。
書いた人物は、「宮本武蔵」で、反応を示します。
「五方」とは、上中下段と左右の 五方向の太刀の構え方のことです。
この五方の構えから、最も合理的に導き出される道筋が、「太刀の道」とされています。
武蔵が 死去の直前に 弟子に授与したといわれています。
本文は難解な漢文体で書かれ、「史記」などの故事や古語を多用して、その学識の深さを見られますので、禅僧との交流や関与が想定されています。
1696五輪書
これは武蔵の波動を感知し得ません。
五輪書は 「地」「水」「火」「風」「空」の五巻からなります。
簡単に概略を解説しますと―――
地の巻
邪な考えを持たずに、実際の鍛錬を大切にして、色々な職業や芸道に関心を持ち、物事の真偽を見抜いて 損得をわきまえ、わずかな変化や物に気づけるようにして、役に立たないことはしないことなどを説いています。
水の巻
「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」と「近きところを遠く観て、遠いところを近く見る」ということなどが語られています。
火の巻
環境を見極めて有利な位置を占め、相手の行動を読んで必ず先手をとり、敵の崩れをよく読みとって攻め入るなどの 戦い方の伝授について述べています。
風の巻
初歩や奥義を定める流派があるが、実戦では人を斬ることが全てであって、戦いに勝利する上で、そのようなことは役に立たない などについても、述べています。
空の巻
勝負に生きた武蔵の到達点は、人として 自分が生きていく上での「求道者」としての人生についても語っています。
最後の「空の巻」は短いですが、高尚な武道書の奥義が語られています。
五輪書は 本人自筆ではなく、後世人の手によって書き写されたものと反応します。
五輪書は本人自筆のものは現存していないようです。
『五輪書』の中に―――
「観の目つよく、見の目よはく、遠き所を近く見 近き所を遠く見る事 兵法の専也」とあります。
「見(けん)の目」とは、肉眼で見る事で、一般的に「見る」ことを意味しています。
一方、「観(かん)の目」とは、心眼のことで、心でものを視ることを示しています。
「観(かん)の目強く」と説いて、目に見えないものを視ることの大切さを言っているのです。
目を殆ど閉じた状態で弓を絞ると、的が自分に近づいてきて、やがて一体化する。そこで矢を放つと「狙わずに中てる」ことが可能になるということなども、
「遠き所を近く見 近き所を遠く見る事 兵法の専也」ということに、繋がるように思われます。
宮本武蔵像
これは本人自筆とは、いいがたいものです。武蔵が描いたとの反応は得られません。
最後に武蔵の気が籠った「筆勢」を見ますと、もの凄いものを感じます。
「戦気」
武蔵の本物の気が感じられます。
武人として生きた驚異的ともいえる「気」が、この書に溢れています。
この書をしたためたのは、58歳の時として反応を示しています。
五輪書の中で、二十代の後半までに六十数度の戦いに明け暮れましたが、それ以降は 特に目立った闘いはなかったようです。
常に「宮本武蔵を倒した人物」という称号を得ようとする 刺客に付け狙われていたので、刀はいつも所持していましたが、ある時から大悟して、無刀のまま過ごすようになったといわれています。
この書を描いた人物からは、とても打ち込める気配すらないように思われます。
体軸の完璧にとれた反応が示されています。
迷いもなく、少しも悔いることもなく、剣をとおして禅の道に帰依した人物として、58歳の時の武蔵の人物を感知することができます。
憶い出したことがあります。
武蔵は「厳(いわお)の身」について、語っています。
これを細川公に「どういうことじゃ!」と問われると、
武蔵は弟子を呼びつけて、「殿のお達しにより、直ぐに腹を斬れ!」と命じます。
弟子は一瞬躊躇しますが、静かに応えます
「・・・分かりました、支度ができるまで、今少しの猶予を頂きたいと思います・・・」
このように応えた弟子をみて、
「殿! これが巌の身です」と、述べたといいます。
武人であるには、死を厭わず、常に死を覚悟して生きる―――だから今を、より良く生きることができる、という『葉隠』にいう
「武士道とは 死ぬことと見つけたり」に通じるものがあるようです。
剣をとおして生きた宮本武蔵は、禅によって道を究めました。
禅は 意識的な観察や考慮をするいことなく、ただ無心に身体を動かす本質的なことを知らしめます。
精神が涵養されると共に、無意識で 最良の動きのできる人物たらしめてくれるようです。
昔、スペインのバルセロナで、世界的な画家ミロの博物館に行ったとき、なんとも退屈な空間で、なんの感動も持ちませんでした。
そのミロは 一本の線を引くのに、「この線を引けるようになるのに、30年もかかった」と述べたといいます。
ならば―――そのミロに、武蔵の描く「線」を見せてやりたい、と思ったことがあります。
ミロの30年は、「画家として描くための30年」ですが、武蔵の描く「線」は―――そのような線を引けるようになるための、絶ゆまぬ鍛錬を続けた末に辿りついた、強靭な意識の涵養が生んだ人物としての数十年の歳月です。
このような人物が日本にいて、このような作品を残してくれていることに、心から感謝を念をもって、本稿を終わりたいと思います。 了
2016年3月22日記