生命体エナジー浄化の会ブログ

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新疆博物館の桜蘭美人ミイラ

《 新疆博物館の桜蘭美人ミイラ 》
 
新疆ウイグル自治区ウルムチに、『新疆博物館』があります。
 
ここに「桜蘭美人」とされるミイラが展示されています。
何体もあるミイラの中でも、最も有名で、今から3800年前のものとされています。
 
今回のシルクロードは、西安敦煌―それから新疆ウイグル自治区へと入りました。
 
新疆に入ると、余りにも警備が厳しいので、同行のツアー客は
「これでは、今日中に終わらないんじゃないか・・・と、思った」
と言っていました。
 
旅行のスーツケースまで、隅々をチェックしていました。
これは、治自区のどの施設にも入場時に、チェックがありました。
 
さてーーー『新疆博物館』の目玉は、「ミイラ」です。
 
シルクロードの交易で栄えた紀元前の都市国家・桜蘭の遺跡で出土したことから、「桜蘭の美女」として知られています。
 
まずここで目に付くのはーーー木の柱です。
 
本ブログ「パワースポットについて」の中に、「原住民シャーマンの画像を分析する2」で、
 
カナダの博文館に設置されてトーテムポールの柱では、まったく反応を示しませんでしたが、現地での古い画像から、「ひじょうに高波動の結界」が示されていました。
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「原住民シャーマンの画像を分析する2」より転載
 
周囲の環境が それほど高い波動でもないエリアでも、結界を造る「木柱」を立てることで、そのエリアを高波動なものとしてしまうように思われます。
イメージ 2
この画像の周囲は、特に反応しませんが、柱の内部エリアは高波動空間となっています。

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これは発掘現在での画像です。
 
砂漠地帯の何の変哲のないエリアが、木の柱を立てることで、そのエリア内は、高い波動が確保されています。

イメージ 4
 
そのようなエリア内から 見つかったミイラを発掘している調査団の画像です。
 
「木」の一本一本では、まったく反応を示しませんが、そのエリア内では、波動が高まっています。
 
3800年前の 気の遠くなるほどの歴史の中で、ミイラ化した当時の遺体が残っているのは、単純に砂漠に埋めただけではないように思われます。
 
これについては、あることが思い浮かびます。
 
楢崎皐月(ならさき・こうげつ)という天才科学者が、1万2000年以上前の我が国の上古代に存在したとされる「カタカムナ」に出会い、
 
そこから 土地を高波動に変えるために、地中に「炭」を埋めることで、「イヤシロチ(高波動な土地)化」することを提案しています。
 
古い神社、仏閣の地中には、「炭」が埋められていて、その周辺を高波動の「イヤシロチ」にしていた痕跡が、いくつも残されているといいます。
 
我が国では「炭」ですが、このシルクロードの古代国家や、北米のシャーマンなどでは、「木」を立てることで、そのエリアの波動を変えていたように思われます。
 
雨量が少ないので、「木」も腐らずに残っていたようですが、それでも「衣服の布」や「皮膚」なども、白骨化せずに長い年月を耐え抜いてきたことは、驚きです。
 
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白人女性で、身長は155センチ程度ですが、生前は 身長165センチはあったのではないか、といわれています(ミイラとなって縮む)。

 
1980年に、新疆ウイグル自自区で出土しました。
死亡時の年齢は推定40から45歳とみられています。
 
それよりも、今から3800年も前に 生きていた人物(白人女性)が、こうして目の前に見られることに、小さな感動すら覚えました。
 
古代エジプトでのミイラは、ミイラ化するために 全ての内臓などを取り去って、特別な処理を行いましたが、
 
この地域では 自然のあるがままの状態で残る「乾燥したミイラ」です。
 
イメージ 7

この人物の「復元図」もありました。
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「桜蘭美人」とされていますが、私にはそのように思われません。
 
このミイラの霊体を引き出して、尋ねました。
 
Q「あなたは、今から38000年前に生きた人物とされていますが、そうなのですか?」
A.「いや、およそ3200年まえである」

Q.「あなたは、この周辺のエリアで生活していたのか?」
A.「いや、ここから100キロ以上離れたエリアにいた。
川があって、家畜は飼っていなかった。ただ、生活には馬が必需品であった」

Q.「では・・・どうやって生活していたのか?」
A.「エリアを通行する旅人から、略奪していた。私の住む周りの人間は、皆自分たちでは食料を作っておらず、すべて他の人間から奪い取ったもので生活していた」
駐:騎馬民族の前身かもしれません。

Q.「あなたは、生まれた当初からそのような生活をしていたのか?」
A.「いや、私はここで育ったのではない。18歳ころに、ずーっと離れた場所から攫われてきた」

Q.「では、生まれたときは、どこにいたのか?」
A.「〇▽□×という街に住んでいた(よくわからない)。そこで、この部族に襲われて、街は壊滅させられて、そのとき一緒に連れられてきた。
以来、その部族と共に生活している」

Q.「子供は?」
A.「3人産んでいる。3人とも誰の子供か判らない。
多数の男の慰み者となっていたが、あるころから、この部族のナンバー3の男の女となった」
「部族同士の闘争が幾度もあって、その都度生き延びてきたが、他にも私のように攫われてきた女性が10人以上いたが、皆長くは生きていなかった」
「私は、そこで20年近く生きていたが、同じ部族の者が次々と死んでいく病気(伝染病か?)で、私も亡くなった」
 
Q.「生まれ育った街が襲われて、親兄弟親族のほとんどが殺された、というが、この部族に復讐しようとは思わなかったのか?」
A.「当時は、ズーっと思っていたが、帰るところもなく、いつしか同化していった」
 
なんとも悲惨な状況があったように思われます。
 
公的には ミイラは3800年前とされていますが、匈奴フン族の前身である騎馬民族であったかもしれません。
 
ともあれ・・・・いやな思いの残るミイラとの対話でした(内容は、私の受けた反応ですので、真偽は問わないでください)。
 
                  2018年4月25日記