生命体エナジー浄化の会ブログ

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歴史の裏を読む 小松帯刀 4

≪ 歴史の裏を読む 小松帯刀 4 ≫
 
 本ブログでは 明治維新を成立させた人物として、小松帯刀に焦点を当てています。
 
まず鎖国をしていた日本は、西洋列強に比べて、産業も文化もすべて遅れていて、一刻でも早く西洋文明を取り入れる必要があったーーーそれが明治政府の急務であった、とされています。
 
これに対してーーーそんなことはない。日本の文化文明は、その当時の世界の西洋諸国に比べて、劣っていない。いや、もっと進んでいるものもあるーーーとまで主張する立場に立つ考え方もあります。
 
 
例えばーーー
 
日露戦争は、小国日本が大国ロシアに立ち向かって、歴史に残る劇的な勝利を収めた戦争である」とされました。
 

「小国」の日本が、「大国」のロシア、それも白人国家を打ち破ったのですから、その当時、欧米によるアジア植民地支配によって、蹂躙されていたアジア諸国は、日本の活躍は誇らしいと感じていました。

ただ、日本は「小国」であるという一点は、疑問の余地があるところなのです。

 

日本は、島国で国土面積も狭く、極東の小さな国です。
小国だから日本の国力が小さいのは仕方ない、昔から小国なんだから今更大国になんかなれるわけない、というような認識が大半かもしれません。

日本が「小国」であれば、世界最大の領土を持ち、欧州列強の一国であったロシアに勝てるでしょうか?

『江戸時代以前から日本は「小国」ではない』と主張するのは、経済学者で多数の書籍を出版している三橋貴明氏です。

 
安倍政権が、「デフレ脱却」を標榜しておきながら、依然として先進諸国に大幅に遅れをとり、経済成長率が世界最下位となっている現状を憂いて、数々の提言を行っています。
 
安倍首相と会食をしたりして、懇意にしていますが、財務省指導の政策を根底から覆さないと、いずれ日本は中国の属国となってしまう、とまで発言しています。
 

その三橋氏の意見を参考にするとーーー

ほとんどの日本人が勘違いしているが、そもそも江戸時代以前から日本は「小国」でも何でもなかった。

 

日本が小国だったというのは、自虐史観に染まった我々が抱く印象に過ぎないーーーこのように主張します。

例えば、当時の日本と欧州諸国の「人口」を比較してみます。1750年、アメリカの人口はわずかに200万人に過ぎませんでした。

 
同じ時期、日本の人口はすでに2800万を超えていたのです。
 
以下、図は三橋氏の著書から引用しています。

イメージ 1

江戸時代の初期の時点で、実は日本は欧米諸国よりも人口が多かったのです。欧州の人口大国と言えばフランスですが、それでも2470万人です。

日本は、少なくとも近世以降は人口大国だったのです。

『ペリー来航時、日本の経済規模は、欧米諸国に匹敵するほどに大きかった』

さらに誤解と言えば、「ペリーの黒船」が来日した時点で、
日本が「小国」であったというのは間違いです。

 
明治維新で「開国」した結果、大国になっていったというのも、明らかに誤解です。
何しろ、当時の日本の「経済規模」は、欧米諸国に匹敵するほどに大きかったからです。
 

経済規模を何で比較するべきかと言えば、もちろんGDP(国内総生
産)です。

イメージ 2

江戸期の時点で、日本経済は、欧米を凌駕するほどに巨大だったのです。
無論、江戸幕府や諸藩の努力の結果です。

1700年頃、つまりは産業革命前ですが、実は日本のGDPはイギリスよりも大きかったのです。
フランスには負けていましたが、それでもわずかな差でしかありません。

日本のGDPは、イギリスのみならず、ドイツをも凌駕していました。


ソ連圏、統計の製作では、ロシア単体の統計を出していないため(カザフスタンウクライナなどをも含むソ連圏になっています)が、広大なソ連圏と日本のGDPが匹敵していたのです。

日本の江戸時代の経済規模をデータで出してみると、日本が小国だったとは言い難いことになります。

 
日本は、ユダヤから資金を借りて、「日露戦争」を戦いました。
ユダヤ人は、返済能力のない国へは 資金の調達をすることはありません。
 
一方、ロシアも日本との戦争をするのに、十分な資金が足りずに、ユダヤから資金の調達を頼みましたが、断られています。
 

国内情勢から判断して、ロシアは危険だと判断された可能性があったのです。

さて、今や世界の覇権を握っているアメリカでさえ、その当時の日本と比べるとかなり小国だったわけですし、「日本のGDPがアメリカよりもはるかに大きかった」というのは事実です。


それらを踏まえて歴史を見ていくと・・・・

● なぜ、欧州列強の時代で、アジアの国々が植民地支配され、ひどい生活を受けていたにも関わらず、日本が植民地にならなかったのか?

● 日露戦争で、大国と言われていたロシアに、なぜ日本が戦争で勝てたのか?

などについても、色々と見え方が変わってくることになります。

では、「17世紀には、GDP30倍も差をつけていた大国日本が、なぜ小国アメリカの言うまま開国したのか?」という疑問があります。

 
まず、日本の識字率―――つまり、庶民の文化水準は、世界最高レベルにあったという事実です。
 
庶民は、寺子屋で学問を学び、ほとんどの庶民は読み書きができました。
しかし、当時の欧米諸国は、一般庶民は読み書きができないレベルが大半だったといいます。
 
各藩の藩主は経済振興に努め、自国を富めるように努力をしていましたので、日本全体の経済規模は、莫大なものであったーーーと、いいます。
 
ただ・・・・鎖国で、二百年以上も戦争がなく、人を殺戮する武器の発達が大幅に遅れていたことと、産業革命による生産技術の遅れだけの差であったといわれているのです。
 
この背景があって、開国したのです。
 
ようするにーーー
 
徳川幕府が開かれて、長きに渡って鎖国政策をとってきた日本は、ほとんど戦争をしていませんでした。
 
それに対して、欧米諸国は戦争に明け暮れていました。
戦争を遂行するために、武器弾薬の開発が進みます。
 
そこに鎖国政策をとってきた日本には、最新の武器弾薬は必要がなく、その情報も十分に入らなかった―――この差である、とするのです。
 
1543年(1542年の説もある)に種子島に鉄砲が伝わると、またたく間に日本に広まりました。
そして・・・・鉄砲の保有台数では、世界有数の大国になっています。
 
最新の兵器の知識が浸透すると、昔から日本はすぐに取り入れて、日本独自の進化を遂げるようになってきたのです。
 
なぜ日本は鎖国をしていたのか―――
 
それには理由があります。
勿論、キリスト教の禁教令が その基本となっています。
 
スペイン、ポルトガルなどの当時のアジアを植民地化してきた列強は、まず宣教師を送り込みます。
 
住民を洗脳したうえで、そこの支配者と異なる文化を入れてしまい、後に乗り込んで支配をして、植民地化する政策をとっていました。
 
織田信長は、宣教師から世界の実情を聞き出すために、周りに宣教師を置いていました。
 
キリスト教に感化された「キリシタン大名」が当時の日本にも何人かいました。
ところが、我々があまり知らされていない実態がありました。
 
 
日本に来た宣教師では、我々は「フランシスコ・ザビエル」の名が思い浮かびます。
ザビエルが、日本にキリスト教を布教した―――このように歴史の教科書で習ったと思います。
 
ザビエルは、「聖人」に列していますが、日本に派遣したのはポルトガル王です。
西洋諸国は、キリスト教を文化的支配のための、単なる道具として使ってきました。
 
日本の戦国時代に、キリスト教の宣教師がやってきて、織田信長の時代に次々と宣教師がやってきました。
 
九州地方の大名には、「キリシタン大名」となる人物も現れます。
 
キリシタン大名の一人である、大村純忠は、キリスト教の洗礼を受けて、自らもキリスト教に入信していました。
 
彼は、あろうことか この地に仏教徒が住むことを禁止したのです。
その後、大村純忠は 寺社の破壊焼失、僧侶を含む全住民への洗礼強制を行います。
 

さらには 抵抗する僧侶を殺害しました。その他 反対者の国外追放を強行したのです。

この結果、領内では2万人の住民がキリスト教の洗礼を受け、仏像仏閣がすべて破壊されたといいます。

 
その後に教会と十字架が建てられ、小さな子どもまでも仏像の破壊に加わったといいます。九州地方では日本文化の崩壊が起きつつあったのです。

問題なのは、宣教師と手を組んで、「奴隷」を斡旋していたことなのです。
 
九州のキリシタン大名たちは、戦のために火薬が欲しかったのです。
大友宗麟や木村純忠などは、戦で捕らえた敵側の捕虜たちを奴隷として積極的に売っていました。
 

火薬一樽で、50人の娘が売られていたとの情報もあります。
そのせいで、市民たちが巻き添いにあい、奴隷船に連れこまれていきました。

 

奴隷となって売られていた日本の若き女性は、異国の地で 男の慰めものとして、朽ち果てていきました。

まさに西洋諸国によって、宗教を文化的支配の道具として使い、日本侵略が起きつつあったのです。

長崎や天草地方での「隠れキリシタン」や「潜伏キリシタン」が世界文化遺産に登録されて喜んでいるときに、かってキリシタン大名によって「奴隷として売られていた実態がある」ことを、思い出していました。
 
このような事態を知って、直ちにこれを止めさせた人物がいます。
彼が、奴隷として売り飛ばされていた 日本人女性を救ったのです。
 
彼の名前は・・・・・    (つづく)   2019年5月18日記