≪ 歴史の裏を読む 小松帯刀その後 8 ≫
私は・・・・密かに思っています。
小松帯刀は、「転生」しています。
ここからは、私の戯言(たわごと)です。
以下、そのような戯言にお付き合いください。
小松帯刀は、維新改革を断行する「幻の宰相」とされた人物です。
人は転生します。
自身の思いが成し遂げられずに、悔しい思いを残したまま黄泉の国へと参ることは、そのような達成できなかった思いを、もう一度実現するために、再受肉する可能性があると思っています。
小松帯刀にも「そのような思い」を残したまま病没していますので、「どこかに転生しているのではないか」と、思いました。
反応では、「転生している!」となりました。
では、どこに?
「白人・・・ではない・・・ヨーロッパでもない・・・北米でも・・・ない」
反応では、「亜細亜で転生している」となりました。
出てきた答えが、「マレーシア」でした。
少し歴史を振り返ります。
第二次世界大戦当初、日本はアジアを植民地支配していた欧米諸国を相手に、目覚ましい躍進を遂げて、米国などによって止められていた、日本の死活問題となる石油の確保をするために、アジアに進出しました。
しかし、その後、日本は無条件降伏をします。
東京の街は焼け野原となりましたが、朝鮮特需もあって、その20年後には新幹線が走っています。東京オリンピックも開催されました。
たったの20年です。
世界が驚愕した日本の復興劇でした。
その背後には、日本人に宿る美徳の精神が息づいていたからだーーーと、思っています。
その昔、日本にやってきた宣教師フランシスコ・ザビエルやルイス・フロイスなどは祖国に報告書を送っています。その中でーーー
「日本人は、ヨーロッパの最先進国の人々ですら,足元にも及ばないほどの文化とモラルを持っている」と絶賛しています。
幕末に日本にやってきた人物の多くが、
「日本は他のアジアの諸国とは、まったく異なる」と、その歴然たる差異をはっきりと認めています。
その中のひとりシュリーマンは、帰国後『日本見聞録』を著わしています。
日本に来る前に行った中国との比較をしています。
中国では、平気でウソをつき、お金をごまかす一般庶民にうんざりしていました。
乗り物に乗っても、後で高額の料金をふっかけられることが、幾度もあったのです。そのエピソードを紹介しています。
日本で渡し船に乗ったときに、中国での不快な思いが頭をよぎりました。
どうせ法外な料金をふっかけられるのに決まっているのだろからと、ならば最初から高い料金を渡しておこうと思い、数倍の料金を支払ったのです。
すると船頭は不思議な表情で、「規定の料金とは違います」と言って、余分な料金を突き返してきました。
「教育のない田舎人ほど、真の意味の紳士を日本ではみることになる」
ラフカディオ・ハーンもまた、「日本には美しい心がある。なぜ西洋の真似をするのか・・・・」と述べています。
日本に開国を進めた初代駐日アメリカ公使タウンゼント・ハリスは、
「日本人の容姿と態度に甚だ満足した。
喜望峰以東のいかなる民族よりも優秀である。
私はときとして、この日本を開国して、外国の影響を受けさせることが、はたしてこの国の人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか,疑わしくなる」
幕末の武器商人である長崎のトーマス・グラバーは、
これは、武士が高潔かつ清廉であったために、賄賂を使うことすらできなかったのである。 このことは、ぜひ後世に伝えていただきたい」
このように、「恥じることは、一切しない」武士道精神を絶賛しています。
旅館の女中に その旨を告げると、「お預かりします」と言って、モースの泊まった部屋にそのまま置いただけであったのです。
もちろん部屋はふすまで仕切られているだけで、鍵もありません。
驚いたモースは宿の主人を呼ぶと、「ここに置いておけば安全です」と平然と答えます。
自分の旅行中に他の人もこの部屋を使います。
女中も何人も出入りします。
不安感を抱いたモースでしたが、日本の社会の実験をしてみようと思って、そのまま遠出しました。
一週間後に戻ったモースは、このときの驚きを次のように綴っています。
「私は、ふすまを開けて驚き感じいったのです。時計は言うに及ばず、小銭の1セントに至るまで、私がそれらを残していった時と同様に、蓋のない盆の上に
のっていたからです・・・・」
このような世界に絶賛される日本人が、アジアに侵攻して、大戦で敗れ去りましたが、これを契機として、アジア諸国は生まれ変わりました。
それは・・・イギリス軍の主力が、これまたイギリスに植民地支配を受けていたインド兵だったからです。
インド兵は、日本統治によって、すっかり独立精神を取り戻したインドネシア人の、ものすごい抵抗に感心していたのです。
「自分たちも このやり方をすれば独立できる。 同じ信徒(イスラム教)の インドネシア人を射殺する訳にはいかない」
と腹をくくって、英印軍を離脱し、インドネシア軍に参加する人が続出しました。
だから、イギリス軍の内部はガタガタになってしまったのです。
統治した国の民族に誇りを取り戻させ、独立精神を育んだ日本人の影響でした。
独立精神を、インドネシア人たちに吹き込んだのです。
そんな独立精神がインド兵にまで乗り移っていったわけです。
白人国家は現地人から搾取し、奴隷として扱った一方で、何故、日本は統治した国を独立させようと、たくさん支援したのか・・・?
インドネシア人は、日本刀を持ち、これには「魂が入る」と信じて戦いました。
そして・・・それは、日本が独立できるように支援したのです。
ですから、オランダの知識人ですら、日本は史上最高の善政を敷いたと言わしめました。戦争で日本が悪いことをしたとの史観を持つ必要は一切ない、と断言しています。
米国は、「誰も捕虜にするな」と指令を出しています。
食事はない。収容所もない。戦えるわけでもない足手まといの捕虜のために割ける資源などない。
そんな米軍の考えで、硫黄島に住んでいた人たちは皆殺しにされてしまった・・・のです。
直接米軍に牙をむいた日本軍だけではありませんでした。
洞窟に閉じこもった民間人までも区別なく、殺されてしまったのです。
またーーーフィリピンでの「バターン死の行進」があります。
ここで容量がオーバ-しましたので、「つづき」ます。