《 天狗界、仙界、真言密教界を考証する 3その1 》
浜口熊嶽(ゆうがく)その3(その1)
いよいよ「熊嶽術」の核心に迫ります。
その元は、「熊嶽術真髄」(復刻版:八幡書店)です。
まず熊嶽は、数えきれないほど警察署に召喚されています。
幾度も法廷に立って、実際に自分の法術を示すことで、無実を勝ちとってきましたが、その都度、医学会や科学界からのパッシングを受けていました。
縁もゆかりもない人からも、「やれ山師だ」の「香具師だ」のと騒ぎまわって、八方から攻撃されましたが、
「最も進歩した医術でも全く治らない病を、自分はことごとく治してきた」
という自負があります。
そのため熊嶽は、
「人々は、気の短いわりに、学術(医術)という名のつくものには、ばかに道草をくって、のろくさくなる(治りが遅くても平気である)」
と言って、
世間で自分のことが知られるようになり、「心理学の領分に引き上げられるようになった」といいます。
しかし、
「現在の科学をもって、これを説明しようとしても、結局は徒労に終わる。
術の作用は科学の対象となるが、術の発し来る根元は、あまりにも遠く、あまりのも深い」
それは―――
「内部の真髄に侵入して、はじめて感得して、味得して、体得するものである」
このように述べています。
熊嶽は、自らが成し遂げた「金剛心身法」は平凡なものである。
それは実に単調で、飽きやすいものである。
この単調を好まぬ者は、私が行ったように那智山とは限らないが、怪奇に富んだ深山幽谷の地を選んで、山伏道を味わうべきである。
どのような道を選んでも、難行苦行の道程を経て至る到達点は同じである。
修業とは、即実行であり、後章で述べる「九字印」その他の秘法極意も、精神的実行を欠いたものでは、徒輩の身の守りとはならぬのと同じである。
私が授けんとする極意は、全てに伝習者の精神如何にかかっている。
精神の英気は、平凡時の修養を積むことから生まれるのである。
このように熊嶽は言います。
極意を伝習しようとする者は、1年365日黎明に起きて、天地の精気を肝裏(とり)に収めねばならない。
これを行うには「深呼吸」をすることである。
深呼吸とは、日の昇らない時間の、空気が極めて新鮮なもので、太陽が昇る方向に向かって、
両肩を正しく向けて、胸を張り、口を閉じて、鼻孔から清浄な大気を吸い、これを臍の下まで吸い込んで、次には口を開いて、腹中の汚気を吐き出す。
これを長く、細く、深く、喉や胸でなく、下腹で呼吸をするのである。
十分に息を吸い込み、しばらく大気を下腹に保持してから、今度はゆるやかに口を開いて、腹中の汚気を悉く吐き出すつもりで、下腹に力を入れて吐き出すのである。
これを続けていると、自然と下腹が落ち着いてくる。
ついには下腹で呼吸することが出来るようになると、さらに修練を積む。
そうすると、足の踵(かかと)で呼吸している如き態度になる。
「足が地に着く」というのは、本来はこのことを指している。
これが「真人の呼吸」であり、荘子がいうところの「衆人の息は、喉で行い、
真人の息は踵(かかと)で行う」ということになる。
さらに修練を積むと、歩いていても下腹で呼吸をし、さらに踵(かかと)で行うことができるようになる。
すると―――
鼻から吸った精気が、体内を巡って、身体全体八万四千の毛穴より、自由に呼吸吸うことが出来るようになる。
そうなると、ついには呼吸をしているとか、呼吸をしていないとかの域を超えて、最終的には「無息」という心身一如に至る。
まさしく、ものすごく長い息となる。
呼吸をしているのかいないのかも、判らないような領域に到達するという。
呼吸法一つでも、このように人知を超えたものとなってくる、というのです。
また本書では、静座、座禅についても触れています。
熊嶽が、那智山中で修業をしたときは、傍に老師がいたので、たえず刺激を受けていたので、短時間で「睡魔」を克服することができた。
しかし、常人はそうもいかない。
座禅していると、「睡魔」に襲われて、この克服がなかなかできないといいます。
座禅を組んで、身体が凝り固まってくると、それを避けるために、席を立って、外気に触れるとよいのだが、これは繰り返していると、癖となって悪習慣がつく。
それを克服するには、「九字を切って、清新の気を呼び起こす」のだが、まだその段階ではない。
そのためには、静座、座禅の姿勢において、膝の上に載せた左右の手を払い、合掌するように、左右の手を、額(前額)の前で組む。
画像(申し訳ありません。最上部の画像がここに入ります)
このとき左右の手掌は、ピッタリとつけるのではなくて、指先のみを合わせておく。
そして、両方の拇指を額の中央部につけて、次のように観念する。
「我れ今、無上の法を修して、宇宙の絶大に帰人(きじん)せんとす。
我が本心招々として明らかなり。
何者が我が修法を妨ぐる急々に退去せよ!」
このように念じて、全心身の意気込みを両手に籠めて、無言の叱咤と共に、はっと開いて、左右の手を斜め下方に引き下ろす。
これにより、端的に頭脳は冴えわたって、眠気を洗い流したかのように、清々しい心地となる。
この「睡魔退治の法」は、静座・座禅の時ならず、思索するときや、頭脳が重苦しくなったときなどにも、驚くべき効果を発揮するといいます。
このような項目があって、いよいよ「熊嶽術真髄」に進みます。
これ以降は、容量を超えますので、分割します。
つづく
2019年12月7日記