生命体エナジー浄化の会ブログ

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天狗界、仙界、真言密教界を考証する 7

《 天狗界、仙界、真言密教界を考証する 7 》

天狗小僧寅吉 その4

 

 寅吉は、篤胤(あつたね)の家族や弟子たちに、いとおしく思われていましたが、反面 無茶苦茶で、いたずらの度は比類のないものでした。

 

篤胤(あつたね)が寅吉の好きなようにさせていたからです。

 

膝にもたれかかり、肩にぶら下がって学問の邪魔をするのは当たり前で、机の前に座れば、錐で穴を空け、筆の穂先をもみつぶし、衝立を破壊して、墨汁をこぼし、灰を吹き散らし、手当たり次第に疵をつけました。

 

庭に出ては、草木の枝を折り、庭中裸足で歩き回り、高いところに登って、飛び降りては壊し続けました。

 

竹馬に乗って、泥の中に落ちても身体を洗わず、障子や襖を引き破り、さらに、強力な鉄砲を自分で作って、小石を弾にして、襖を穴だらけにして、

 

さらに天井板さえも打ち抜くので、「危ないからやめなさい!」とたしなめると、そのときはおとなしくなりますが、すぐに忘れて人に打ち当てることをやっていました。

 

起きだすと、すぐに誰でも組みかかり、「相撲を取ろう!」といってきます。

わざと負けると喜ばず、投げ飛ばしていると何度でも組み付いてきて、自分が勝つまでは、止めることがありません。

 

たまに自分が勝つことがあると、もの凄く喜んでいました。

 

寅吉には、様々な人物が会いに来ていました。

 

ある人は、最初に出会ったときに、「私が印相のことを教えたのである。それを、自分が天狗から学んだと言っているが、私の教えたことを、さも知っているように見せているのだから、さっさと追い出しなさい」という人物もいました。

 

これを陰で聞いていた寅吉は怒って、「私があの人に印の組み方を見せて、あれこれと教えたんだ」と言っていました。

 

このことのいきさつを知っている人に確かめましたが、確かに寅吉の言う通りでした。

 

寅吉は、初めて会う人物には、ジーっと顔を覗き込んで観察します。

 

ある神道家と会ったときも、その人物が寅吉に書をかかせ、幽界のことを訊ねていて、連れの人物に

 

「高津鳥の災難に遭った子さ」と、声高に言いました。

 

寅吉はその声に応じて、

「あなたは神職にある方のようですね。

だから中臣祓の詞にある高津鳥を天狗のことだと思い、私が高津鳥にさらわれたのだと思ったのでしょう」

 

「私は、そんな卑しいものではありません。それに中臣祓の詞にある高津鳥は、鷲の類(たぐい)のものだと山で聞きました」

寅吉にこう切り返されて、その人物(神道家)は赤面していました。

 

その後も寅吉に会いたがる人は多く、様々なことが記録されています。

中でも、ある僧とのいきさつは、寅吉の伝に登場することが多いので、これについても記しておきます。

 

寅吉の実家の名主に請われて、その家に行きました。

篤胤(あつたね)はいませんでした。

 

20人ほどの人々が待ち構えていて、その中に寅吉が嫌いな仏僧がいました。

 

あちらの世界での印の組み方を訊ねられて、実際に教えた通りの「印」を組んでいましたが、その僧は「さも知っている」かのように大きく頷いていました。

 

そこで試しに出鱈目な「印」をやったところ、さも知っているかのようにしていたので、我慢がならず、寅吉は爆発します。

 

「あんたは、さも知っているかのように振舞っているが、まったくのウソだ。

 

あなたは、神道の神よりも、仏道尊いものだと言って、伊勢神宮などを馬鹿にしても、何も神罰は被ったことがない、と言っていましたが、何ならいますぐここで、神を罵ったことの罰を示してやりましょうか」

 

寅吉はおさまらず、さらに

「私が、もとから坊主が嫌いだと知っているはずです。たっての願いだと私を招いておきながら、こんな売名僧を呼んでおいて、私に恥をかかせようとするのか」

 

「私の師匠は、釈迦よりもはるか前から生きておられるが、師匠が常々言われるには、仏道とは愚か者を欺くものであり、釈迦の妄想が生み出した道である、ということでした」

 

こんなことがあって、その僧はやむなく引き上げました。

 

また、ある人物が来て言うには―――

 

世間の儒者などは、この童子(寅吉)を疑いの目でみているが、私自身も幽界に羅われた童子を多く見聞している。

 

神仙に薬の処方を教わったという者にも会っている。

 

これは町医者の息子で、今は30歳ぐらいであるが、15,6歳のときに容貌の明らかに異なる人物がやってきて、「某日に下総の神崎社に来なさい。方書を授けよう」と言ったので、「ありがとうございます」と頷いたが、本当のこととは思えずに、その日は行きませんでした。

 

すると、後日またその異人がやってきて、「なぜ約束を破って来なかったのだ。次は必ず来なさい」と言われて前日に家を出て、神崎社の山に行くと、異人が待っていて、一巻の方書を授けて、「人には絶対に見せるな!」と告げられました。

 

その方書は、薬の処方であり、その薬を用いる度ごとに効き目がありました。

それは藩の聞き知るところとなり、「その一巻を差し出して見せよ」となりました。

 

異人に禁じられていることを申し上げたが聞き入れられず、前日に家の中で紙の焦げる臭いがしましたが、よく判りませんでした。

 

当日、方書を納めているところを見ると、完全に焼けて、少しも残っていませんでした。

 

不思議なことに、それを包んでいた紙は、くすぶっただけで残っていました。

藩にこのことを伝えても信じてもらえないが、その焦げた包み紙だけを持って行ったといいます。

 

このように神仙のなすことは、測りがたい。だから、寅吉のことも私は信じていると言っていました。

 

この人物とは、徳川光圀が「大日本史」編纂のために設立した、編集局の総裁を務めた人物であったといいます。

 

寅吉の伝には、いくつも考えさせられるものがあります。

 

寅吉は、いつも古びた頭巾を紐につけて持っていました。

「それは何か?」と尋ねると、「兄弟子からいただいたもので、寒風の吹く季節でも、これを被っていると邪気にあたることもない」といいます。

 

大変古びた頭巾で、油がこびりついているように見えます。

髪に油をつけず、髷(まげ)を結ばない山人の頭巾に、油がついているのはなぜか、と問うと、

 

「これは、髪の油ではありません。全身の精気が上がって凝縮し、シミ出てきたものです。

精気というものは、滝に打たれると下がり、下がり切るとまた上がるものです。

 

修行を積み、上達した者ほど上がる精気は強いものです。

それ故、この頭巾は私のような未熟者の邪気除けとなります。

 

ついでに言いますと、水行のときに必ず手拭か何かを頭の中央につけていないと、寒気を引き込んでしまいます」

寅吉は、このように応えています。

 

寅吉は、「山人」についての見解も述べています。

 

「山人」とは、中国では「仙人」とも呼ばれています。

また「天狗」と呼ばれることもあります。

 

こちらの世界で何と言われようと、それは気にしないようで、「天狗」というのであれば、「天狗」であると応えるがよい、と師匠には言われています。

 

「山人」は、いわゆる「仙人」のような存在ですが、どのような「山」でも、必ず「山人」「仙人」はいるといいます。

 

なかでも讃岐の国の「象頭山(ぞうずさん)」は、金毘羅神の住む「金毘羅山」はその中心であるようです。

 

といっても、「象頭山(ぞうずさん)」の神「金毘羅神」が、「山人」「仙人」の大元ではなくて、「山人」はそれぞれの山があって、それも時々変えることがあるようです。

 

寅吉の師匠「杉山組正(そうしょう)」は、本山は「信濃浅間山」ですが、常陸の国の「筑波山」「岩間山」にも住み、ときには中国やその他の国にも住むことがあるといいます。

 

ある時、門人が世間の人々は思い煩うことも多く、大変であるが、「山人」「仙人」は何事も神通力で簡単にできるし、気を使うことないと言いますと、

 

寅吉は、

「山人が神通力を持ち、山々に住んでいるのは中国の仙人と同じですが、のどかに住んでいる存在ではありません。

 

これを神の立場から説明すると、すべて神と崇められるには、世のため人のためになることには、全て恵み与えてやるのでなければ、その名に値しないということです。

 

だから千日祈って効験がないときには、万日祈れば効験がある。

万日祈って効験ないときには、生涯かけて祈る、というように祈願すれば、たとえ邪な願いでも、一度は効験をお与えになる。

 

まして正道な祈願は、よく心身を徹しさえすれば、かなわないことはない。

しかし、人間の願うことは、道理に叶っていると思えても、神の側からみれば、邪な願いが多い。それ故、後でそれ相応の罰を受けることになります」

 

さらに

「どの山であっても、神のおられない山はなく、また山人のおられない山もありません。

 

秋葉山や岩間山のように、山人がいることを知っている山もあります。

里の人は、天狗と呼んでいますが、ただその山に鎮座している神に祈る場合であっても、その山に住む山人が、世の人の願いを成し遂げさせています。

 

私の師匠の本山は、浅間山ですが、里の人は浅間神社に願いをします。

それを師匠がその願いを聞き、それを引き受けて、神に祈り、その願いを遂げさせる、という具合です」

 

このことは、神社で願掛けをすることも決して無駄ではないように思われます。

私は、神社・仏閣には、ただ感謝の意を捧げるだけで、願掛けをすることはしていません。

 

多くの方々が、自分だけの願いを頼み、心底では神を信じてはいないのに、願掛けだけをするので、大多数の神社、仏閣には「霊的な垢(あか)」を置いていきます。

 

その「垢(あか)」が、仏像などにこびり付いていて、「生きている」反応を示すものには、滅多にお目にかかれません。

 

そうなると、背後にある「ご神体山」を祈るようなタイプの神社に、昔から惹かれていました。

 

一般の方(里の人)は、神社に願いをします。

 

その願いを、山人(仙人)が聞き、それを引き受けて、神に祈り、その願いを遂げさせる、というのであるのなら―――

 

山人(仙人)や天狗が棲むといわれる山岳の神社などでは、願い事を叶えてくれる可能性があるのかもしれません。ありがたいことです。

 

神に祈って願い事を叶える―――ということでは、非常に印象に残った書籍があります。

 

それには、嘘や偽りが書かれているという気配は、微塵にも感じられなかったので、ここで紹介したいと思います。

 

これは、実際に伝え聴きますと、普通であれば耳を疑うかもしれません。

 

昭和天皇が、東京、日本の大惨事を救ったという話です。

さらにそれだけではない驚愕の事実が綴られています。

 

この本は、もうそろそろこの事実を世間に公表してもいい時期だから・・・・といって、宮内庁からも許可を得て発表しているものですと、このようにいわれて頂いたものでした。

 

それは・・・・

 

                     つづく

 

                   2020年4月13日記