生命体エナジー浄化の会ブログ

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箱根深澤銭洗い弁財天と江の島神社の探索 その3

《 箱根深澤銭洗弁財天と江島神社の探索 その3 》

江島神社その2

 

 三女神を祀る江島神社に入り、「辺津宮(へつみや)」と「中津宮(なかつみや)」と回りました。

まだ、高波動のパワースポットには行き当たりません。

 

いよいよ「奥津宮(おくつみや)」を目指します。

 

「亀石(亀甲石)」とあります。

 

 



ここに「亀石(亀甲石)」があります。

 

この木は、元は御神木であったようです。

落雷か台風で倒れたのが、まだ地中の根は生きていて、幹から何本もの枝が育っています。

 

この「枝」の波動は良好です。

「亀石(亀甲石)」です。

 

見た目には、何の変哲もない「石」ですが、この石に触れると、身体がチャージできるようです。

 

指先を「亀石(亀甲石)」に触れると、特に身体が歪んで生体エナジーが低下している方は、身体にエナジーが流れ込んできてチャージができるようです。

 

この「亀石(亀甲石)」にパワーがあるとうよりは、ここのエリアのパワーが高いので、その大地のエナジーを、この「亀石(亀甲石)」を通して入るようです。

 

ここのエリアは高波動なので、この木も多くの枝が、幹から生えてきているのだと、納得しました。

「力石」です。

 

ここには

「江戸時代に日本一の力持と言われた卯之助(岩槻藩)が当神社に奉納したもの」

です。

 

重さは八十貫(320キロ)もあります。

石には「岩槻卯之助持之八十貫」と刻まれています。

 

バーベルと違って、持ちづらいし、デッド・リフトであっても、八十貫(320キロ)はほぼできる人はいないと思います。

これは大変な記録であると思います。

 

昔、神社へ奉納する83キロの力石を頭上に持ち上げている画像を見たことがあります。

持ちづらいですし、簡単に挙上出来る人は普通にはおりません。

 

西洋人は、力技が好きなようです。

昔から酒を飲みながら、互いに力比べをすることが多かったようで、大昔ミュンヘンのビールのホールに行ったときに、

その奥にはバーベルやダンベルが転がっている舞台があり、そこで観衆の声援を受けながら力自慢の比べ合いをしたようです。

 

日本では、それが神社という神聖な場所で、力技を披露して奉納するという背景の違いを感じました。

これが重さは八十貫(320キロ)の「力石」です。

この重さでは、鍛えている方でも、せいぜい石をズラせる程度だと思います。

 

これを―――下から持ち上げた(デッドリフト)のは、異常な人物だと思います。

「日本一の力持ち」と云われたのは当然だと思われます。

 

「奥津宮(おくつのみや)」の案内標識があります。

 

 

これが、「奥津宮(おくつのみや)」です。

 

海を守る神である「多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)」が祀られています。

 

ここにきて、ようやく高波動の「社に」接見できました。

中には入れません。

横から撮っています。

 

「多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)」のエナジーは感知しませんが、

龍神系の波動が、ビシビシと伝わってきます。

 

「水龍」の波動を感知します。

さらに、「白龍」の波動も感知します。

 

この「奥津宮(おくつのみや)」のとなりにあるのが、「龍宮(わだつみのみや)」です。

ここが今回の最大のパワースポットです。

案内板には、

「龍宮(わだつみのみや) 御祭神 龍神」とあります。

その説明文には―――

 

江の島は湧出以来龍の棲む所といわれ 古来より龍神は弁財天信仰と習合し、密接な結びつきから江島縁起をはじめ多くの伝説が残っている。

太平記」には云々・・・・「足利治乱記」には云々・・・とあります。

 

そして―――当社発祥地たる岩窟洞窟の真上にご鎮座となった。

 

このように書かれています。

 

いよいよ、発祥地たる岩窟洞窟に行きます。

ここが、「龍宮(わだつみのみや)」です。

幟には「龍神大神」とあります。

 

ここに「水龍」と「白龍」のエナジーが反応します。

確かに・・・・龍神エナジーで、この「岩窟洞窟」は覆われています。

 

「岩窟洞窟」の上には、「龍神大神」があります。

 

この地は、この下の地下にある洞窟内の「江島神社発祥の地」からのエナジーが、沸き上がってきます。

 

「岩窟洞窟」の中です。

ここには、まさしく「水龍」と「白龍」のエナジーが反応します。

 

そのエナジーを感知しますと―――

「水龍」と繋がりますと、身体が前方に引き寄せられます。

「白龍」と繋がりますと、身体が後方に引き寄せられます。

 

この後で、我々はこの下の地下にある「江島神社発祥の地」に向かいます。

島の反対側は、隆起海蝕台(岩棚)となっています。

 

関東大震災で、島が隆起して、海蝕台が現れてきました。

浸食が著しくなると、海蝕洞が崩壊して、大きな谷状の地形となり、島を分断する地形となっています。

 

これを「山二つ」と呼び、東部を「東山」、西部を「西山」としています。

 

このあとは、下に向かいます。

快晴で、波も静かで、のどかな景色が広がっています。

 

分断された隆起海蝕台(岩棚)です。

 

 

下の海岸線に沿って通路があります。

 

 

ここから、有料の岩屋洞窟の中に入ります。

 

社伝によると―――

欽明天皇13年(552年)に、欽明天皇の勅命により、ここの洞窟に宮を建てたのが始まりと伝えられています。

 

吾妻鏡」によると、寿永元年(1182年)、源頼朝の命により、島の岩屋に弁財天を勧請したとあります。

その後、歴代の鎌倉幕府の将軍や執権、代々の領主から崇敬を受けています。

 

江戸時代には、弁財天信仰が盛んになり、多くの庶民が参詣するようになったといいます。

 

元々は、仏教系のお寺(江島寺)でしたが、明治元年廃仏毀釈で、多くの施設(三重塔)・仏像などが破壊されて、明治6年に仏式から「江島神社」に改称されています。

そのとき、僧侶は全員が神職についています。

 

 

「岩屋洞窟」の中は、このようになっています。

 

ここは海蝕洞窟で、奥行き152Mの第一岩屋です。

第二岩屋は、奥行き56Mです。

ここに龍神の伝説があります。

 

第一岩屋は、昔の子供の頃に来た時には、「ここは富士山の洞窟と繋がっている」と説明を受けた記憶がありました。

そのときには、奥行きが深く、いまだにどこまで繋がっているか判らないとされていて、「凄いものだな・・・」と思った記憶が蘇りました。

 

今でもここの洞窟は、富士山麓鳴沢氷穴と通じているとされています。

伝説によると、富士山の鳴沢氷穴に入った仁田四郎という人物が、江の島の岩屋から抜け出てきたといいます。

 

「岩屋洞窟」は、江の島の最奥部にあります。

 

弘法大師空海日蓮上人も修行したと伝わります。

江島信仰の発祥の地です。

 

ここでは、源頼朝が奥州藤原秀衡征伐を祈願したと伝わります。

 

このような洞窟を進んでいきます。

この第一岩屋洞窟に、江島神社発祥の地があります。

このようなものがあります。

 

 

「観音立像」とあります。

 

ここの波動が超強烈です。

中には入れません。

 

さすがに、これが江島神社の大元になるエリアだと思われます。

超高波動です。

 

イメージで、この立ち入ることのできない穴に入ると、末期ガンの方であっても、しばらく留まるとガン細胞が消滅するように思われます。

 

凄まじいまでの超高波動です。

ただし、

この中に留まれるのは、身体の歪んだ体調不良の方だけのようです。

 

良好な波動を保持している方は、長く留まるとその波動に耐えられずに、身体が歪むかもしれません。

オーバーストレスとなるかもしれません。

 

江島神社発祥の地」とあります。

 

超高波動なので、昔からこの地が注目されたことが理解できます。

まさに、ここが発祥の地です。

近くにいくつかの像が並べられています。

 

あまりの高波動に目を奪われて、全てが凡庸に映ります。

 

 

 

外に出て、第二岩屋に向かいます。

綺麗な海岸線を進みます。

 

こちらの第二岩屋岩窟は、イルミネーションで飾られています。

ここに龍神のオブジェがあります。

中は綺麗にイルミネーションされています。

 

この後外に出て、再び「龍宮(わだつみのみや)」の「岩窟洞窟」に向かいました。

幟には「龍神大神」と書かれている「水龍」と「白龍」のエナジーが反応するところです。

「岩窟洞窟」の背後の、最も波動の高いエリアに立ちます。

この下に、超高波動の「岩屋洞窟」の江島神社発祥の地があります。

 

この背後にある小さな祠の前で、最も波動が強烈になる方向をむいて、「天地結合の印」を結びます。

 

ゾネスは、この方向が最も高波動を取り込めます。

それに対して―――

タッキーは、逆方向に向いて立つポジションが最適となりました。

 

我々全員が、この下から湧き上がる超高波動のエナジーを身体全身に吸収して、今回の旅を締めくくりました。

 

           了

 

          2022年7月5日記