生命体エナジー浄化の会ブログ

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西洋人が憧れた浮世絵と天才・葛飾北斎

《 西洋人が憧れた浮世絵と天才・葛飾北斎 》

 

 前回の本ブログ「箱根深澤銭洗弁財天と江島神社の探索」で、江の島にスポットを当てました。

 

このとき、ブログを執筆するときに、「江の島」を題材にした葛飾北斎の「富嶽三十六景」が、目に飛び込んできました。

この浮世絵を見たときに、身体に何ともいえない衝撃が走りました。

 

その浮世絵とは―――これです。

これは葛飾北斎の「富嶽三十六景」の相州江の島です。

見事な構図です。

 

江島の岩窟を背後から見た構図で、遠くに富士山が描かれています。

岩窟の岩の壁の描き方は、昔から日本の絵画に取り入れられている構図のように思われますが、凄いパワーを感じ取ったのです。

 

波動が傑出して高いのです。

 

これが、私の撮った「江の島です。

この画像からは、何も波動は感じません。

 

1890年代の江の島

 

この画像にある「江の島」が、北斎が描くと、まるで別世界のエネルギーに満ち溢れた「生きている島」のようになります。

その技量の高さに、心底驚かされました。

 

葛飾北斎は、日本よりも世界での評価が高いです。

レオナルド・ダヴィンチに匹敵する天才と認められています。

 

この浮世絵を見ていると、北斎の天才に引き込まれていきます。

不思議なのですが、天才の描いた構図の中で、人体は再生・復活するようです。

 

体軸が乱れて、身体の歪んだ方が多いですが、この浮世絵の中に引き入れますと、即効で身体が整います。

 

なぜ、日本の浮世絵がビンセント・ファン・ゴッホゴーギャン、あるいは『光の画家』といわれるクロード・モネに多大な影響を与えたのかが、少し分かる気がします。

 

モネは自宅の庭に日本庭園を造り、その庭の景色が有名な「睡蓮」を生みました。

モネの自宅には、竹林をはじめ、ススキの群生を配し、太鼓橋から藤棚までありました。

クロード・モネの「睡蓮」

 

浮世絵を愛し、日本に憧れていたモネは、自宅に造った日本庭園で「睡蓮」の連作を続けました。

 

次のものは、『近代画家の父』といわれるポール・セザンヌの絵画です。

セザンヌの絵(背後に富士山のような山が描かれています)

 

これは、葛飾北斎の「富嶽三十六景」の次の浮世絵を基にしています。

葛飾北斎の「富嶽三十六景

 

セザンヌの絵画と、北斎のこの浮世絵を比べると、「波動」は圧倒的に葛飾北斎に軍配があがります。

 

版画という浮世絵ですが、高波動なのです。

あのセザンヌをも上回る波動を示しています(波動という観点でみると、誰でも解ると思います)。

 

葛飾北斎は、93回も引っ越しを繰り返していた「奇人」で有名です。

「広益諸家人名録」には、北斎のところには「居所不定」とあります。

 

引越をしたその日のうちに、また引っ越しをしたこともあり、「居所不定」となるのも仕方がないかもしれません。

 

 葛飾北斎といえば、次の「富嶽三十六景」の一つ「神奈川沖浪裏」が有名です。

この浮世絵が、北斎をしてダ・ヴィンチと並び称される天才とされる所以です。

これは、「モナリザ」の次に有名な絵画といわれています。

 

この浮世絵は、超高波動です。

 

楽家のクロード・ドビッシーは、この浮世絵に感銘を受けて、交響曲「海(ラ・メール)」を作曲しました。

 

パリの有名なエッフェル塔は、ギュスターヴ・エッフェルの設計ですが、彼もまた葛飾北斎の「富嶽三十六景」に魅入られて、富士山を模したものがエッフェル塔なのです。

 

エッフェル塔は、富士山のイメージとも重なってきます。

 

画家のアンリ・リヴィエールは、「富嶽三十六景」に触発されて、「エッフェル塔三十六景」を発表しています。

 

さらに言うと―――

1998年に雑誌「ライフ」に、この1000年間で「最も偉大な業績を残した100人」が発表されました。

その100人の中で、唯一の日本人がいます。それが―――葛飾北斎です。

 

浮世絵の画家として、世界が認めた天才なのです。

葛飾北斎

「私は、6歳から物の形状を写す癖があり、50歳ごろから数々の作品を発表してきたというものの、70歳以前に描いたものは、実に取るに足らぬものばかりである。

73歳にして、ようやく禽獣虫魚の骨格や、草木の生え具合をいささか悟ることができたのだ。

 

だから80歳でますます腕に磨きをかけ、90歳で奥義を極め、100歳になれば、まさに神妙の域に達するものと考えている。

110歳ともなれば、一点一画が生き物のごとくなるであろう。

 

願わくば、長寿をつかさどる君子よ、わが言葉が偽りならざることを見届けたまえ」

このように語っています。

 

そして、「あと10年、いや5年あれば本当の絵師になれるのに・・・・」

こう言って、90歳の生涯を閉じました。

 

90歳とは、「奥義を極める」としていた年齢です。

「神妙の域に達する」とした100歳には至らず、老衰だったようです。

 

北斎の晩年の作品(天井画)

 

天井画で、これは対である「女波」です。

「男波」もあります。

 

「奥義を極める」とした晩年に差し掛かるころのもので、高波動です。

一人の人物の描く絵画が、人の人体の歪みを整えて、波動を高める効果のあることに、感動すら覚えます。

 

 

次のものは、北斎を検索しているときに見出したものです。

諸国滝廻り 下野黒髪山きりふきの滝

 

この絵画の構図には、人を引き付ける何かがあります。

あまり世に知られていない作品ですが、このような絵がベッドのそばにあれば・・・・人は常にリフレッシュされるかもしれません。

 

浮世絵は、その他にも彫刻家のロダン(「考える人」の作者)や、小説家のコナン・ドイル(「シャーロックホームズ」の作者)など、各界の天才と呼ばれる巨匠たちが、日本の浮世絵に熱狂して、影響を与えました。

 

印象派ゴッホゴーギャンなども、浮世絵に傾倒していたことは有名です。

ゴッホなどは、500枚もの浮世絵を所持していたといいます。

 

なぜ、巨匠たちが日本に憧れたのか?

 

背景に、宗教的な問題があると、国際美術史学会副会長の田中英道氏(東北大学名誉教授)は指摘しています。

どういうことなのか?

 

18世紀のフランス革命では、ルイ16世と王妃マリー・アントワネットがギロチンにされました。

 

民衆の怒りの矛先は、王政と宗教に向けられました。

キリスト教を否定して、3万人の司祭を追放し、数百名の聖職者を殺害しました。

 

キリスト教の暦である「グレゴリオ暦」も、フランス革命暦に替わりました。

それまでの精神的な拠り所であった宗教も王政も、すべて否定されました。

 

哲学者のフォイエルバッハは、「宗教は人間がつくった」と唱え、ニーチェは「神は死んだ」と叫びました。

マルクスも「宗教はアヘンである」と言いました。

 

キリスト教が否定される一方で、人々は神に替わる次のものを探し求めていました。

 

その一つの現われが、ギリシャ、ローマ時代に回帰しようとする「新古典主義」です。

エジプト、中国などの異文化を探求する「オリエンタリズム」もありました。

 

写実主義」の絵画が流行した時もありました。

しかし、すべて一時的なもので、決定的な救いを見出すことはできずにいました。

 

そんなときに、日本から浮世絵がもたらされたのです。

西洋画で描かれる宗教画や貴族の肖像画にはない、まったく異質の絵画でした。

 

これが西洋人の心を虜にしました。

 

ゴッホは、宗教家の家に生まれ、クリスチャンでしたが、あっさりと信仰を捨てています。

キリスト教と決別したのです。

 

日本的な感性にはまり、弟への手紙に中で

「日本美術は、因習に囚われた教育や仕事から、僕たちを解き放ち、自然へと回帰させてくれる」

と述べています。

 

自然の中、万物に神が宿るとされる日本的な、神道的な世界観に魅了されたのです。

浮世絵に示される、自然と共に生きる人々の姿こそ、自分の目指すべき世界観だと確信させてくれたのです。

 

このような物語が・・・・江の島の葛飾北斎の「富嶽三十六景」浮世絵からもたらされました。

 

                   2022年7月12日記