《 東北恐山を巡る旅 その4 》
十和田神社その1
せっかく十和田湖に来たのだからと・・・・、十和田湖周辺を観光することにしました。
十和田湖は、火山の噴火口の中に水が溜まり、湖となったカルデラ湖です。
周辺の長さは46キロもあり、最深部の深さは327Mの日本3位の深さを誇ります。
ここから流れ出た川が、「奥入瀬川」の渓流で、有名な観光スポットとなっています。
かっては活火山で、噴火していたところのカルデラ湖ですから、大きな火口を持っていますので、かなりの噴火規模だったと想像できます。
915年に噴火した記録があります。
やはり・・・過去2000年間で起きた日本国内で最大規模の噴火であったとされています。
京都に残る古文献の記録には、太陽に輝きがなく、「まるで月のようだった」とあるので、京都にいても爆発の黒雲に日本が覆われていたのかもしれません。
今は十和田湖となっている火口湖ですが、2016年から「常時観測火山」になっています。
このことは、十和田湖は死火山ではなく、富士山と同じように「休火山」であると認識していることになります。
十和田湖が爆発・再噴火・・・・など、考えたくもないことですが、念のためにチェックをしてみました。
100年後・・・200年後・・・、しかし500年後になると、何やら反応があります。まあ・・・どうでもいいことですが・・・・。
ただ、十和田湖は東北の豪雪地帯でありながら、真冬であっても凍ることがないので、「神秘の湖」と呼ばれています。
十和田湖が「神秘の湖」と呼ばれている理由の一つに、この外輪山の内側には、「結界」が張られていて、昔は女性の立ち入りが禁じられている「禁足の地」であったことです。
十和田湖を囲む外輪山は、修験道の「山岳修行の地」でもありました。
十和田湖を管理する「盛岡藩」は、ここを「聖域」として、他の修験道系の行者、熊野系、出羽系、日光系などの修験者の立ち入りを禁じていました。
そのために、出羽系(津軽藩)の行者は、はるか遠くの御鼻部山から参拝して戻るしかなかったといいます。
今でこそ、自由に誰もが十和田湖に来て、自由に散策することができますが、その昔は「聖域」で、自由に立ち入ることができなかったのです。
「神秘の湖」に湖畔に来て、散策できる有難さを満喫できることに感謝しなくてはならないかもしれません。
「十和田八幡平国立公園」の記念碑です。
十和田湖は、美しい「湖(みずうみ)」です。
その昔、19歳の時に、21日間の北海道均一周遊券というのがあって、北海道を一周したことがありました。
そのときに、透明度では世界屈指といわれる摩周湖や、「日本の湖」という本に「然別湖(しかりべつこ)」という聞いたこともない湖があり、それが十和田湖に次いで第2位であり、摩周湖が第3位でした。
「然別湖」の、その時の感動は今でも忘れられませんでした。
その時の顛末を、本ブログで掲載しましたが、その後家族で訪れたときには、道路が通っていて、ガラリとその様相が変化していて(俗化)、残念に思ったことがありました。
その19歳で行った北海道旅行の時に、女性の観光客が
「十和田湖にまさるところは・・・・ないわねエ・・・」
とつぶやいていたのを聞いて、
どうしても、そのときに十和田湖に行きたくなり、青森駅の急行に乗って帰京する寸前の、23時58分発に乗ると東京に戻れるのですが、
弁当を買って、「誰か、私のチケットと交換してください」と列に並ぶ人に、あと少し有効期間のあるものとの交換を申し込んだことがありました。
だが・・・うまくいかずに、泣く泣く東京に戻ったことがありました。
その後、幾度も十和田湖には来ていますが、それほどの感動はありませんでした。
周辺のホテルは寂れて、奥入瀬の観光スポットも、来るたびに感動が薄れていきました。
さて・・・今回は、また通常の観光バスで来るのではなく、自由に自分の意志で回れるので、少しの期待感がありました。
十和田湖は、さすがにきれいな湖です。
透明度が高く、水草が水中にたなびいていました。
せっかくなので、有名な観光スポットである「乙女の像」を観ようということで、案内板に従い、湖畔を歩いていきました。
すると―――
御前ヶ浜というところで、溶岩でできた島に、祠が見えます。
これは「恵比寿大黒島」で、かなり波動の高いところでした。
ボートに乗っても、この島には上陸できないようです。
垂直の壁が、人の乗り入れを拒絶しています。
別の角度からみても絶壁で、上陸できないので、精逸な波動に守られています。
何のエナジーなのかを探ると、どうやら・・・・修験道系のエナジーのように反応します。
そもそも十和田湖周辺の外輪山は、修験道の行者の「修業場」であるとの文献があります。
ですから、この「恵比寿大黒島」の「祠」も、修験道に関わる方が据えたのでは・・・・と、解釈しました。
御前ヶ浜に、名所の「乙女の像」があります。
「乙女の像」は、詩人であり彫刻家の高村光太郎の晩年の作です。
モデルは、「智恵子抄」の千恵子夫人と云われています。
「智恵子抄」で、「千恵子は東京には空が無いという」というくだりで、「阿多多羅山の上に、毎日出ている青い空が、ほんとの空だという」のが思い出されます。
千恵子夫人は精神疾患で、晩年は高村光太郎が介護を続けていますが、
最後の死を迎えるときの「レモン哀歌」もまた、浮かび上がってきます。
「そんなにも あなたはレモンを待ってゐた
かなしく白くあかるい死の床で・・・レモンをがりりと噛んだ
・・・・
レモンの汁は ぱっとあなたの意識を正常にした
・・・・
千恵子はもとの千恵子となり 生涯の愛を一瞬にかたむけた
・・・・・
深呼吸をひとつして あなたの機関はそれなり止まった
・・・・
すずしく光るレモンを今日も置こう」
高村光太郎と千恵子の深い愛に満ちた感動のドラマが、このモデルとなった千恵子夫人にみられます・・・が、しかし、
なぜかあまりいい印象はないのです。
それは―――ここは神霊スポットとして有名で、夜に訪れると様々な霊的な奇怪な現象が起こる、と云われていることに関係があるようです。
この地では、数々の心中事件が起こっているようで、湖面に女性の顔が浮かんでいるなど・・・・様々な霊的な現象が報告されています。
自殺者の死体は、水面には浮きがって来ないといわれますので、人知れず自ら命を絶った人が多いのかもしれません。
このときはまだ朝で、何も感じませんが、
「左の袖下から見ると・・・」
マイナスの霊気が漂っているのが解ります。
「左の袖下」は、霊気の存在を見出すときに、私はよく行います。
「違和感」を感じると、「何かある」と判断できるからです。
敏感な方なら、直ぐに感知できると思います。
これは、普通の人であっても、何か違和感を感じたら、「左の袖下から見る」ことで、霊が憑依していることを感知することができます。
「左の袖下」で、改めて「乙女の像」を視ますと―――
自殺者の霊が5体ほど反応します。
この影響で、夜になってこのエリアに立ち寄ると、霊的な現象に遭遇するので、「心霊スポット」となっているのだと思われます。
この近くに、「火の神」「風の神」などと書かれたスポットがありますが、ここは十和田神社への「帰路」で、ご紹介します。
「行った方がよい」と反応しますので、立ち寄ることにしました。
反応通り、そこは凄いパワースポットでした。
このような小径を進みます。
すると―――
神社の「鳥居」が見えてきます。
この「鳥居」には、「結界」が張られています。
明らかに、「鳥居」の手前と、その先ではエナジーが違います。
この最初の「一の鳥居」は、「女人結界」で、全ての女性が浄化されます。
階段を上ると、「二の鳥居」があります。
ここには、やはり「結界」が張られていて、「男人結界」です。
全ての男性は、この鳥居を通過することで浄化されます。
これは「御神木」です。
通常「御神木」には、直接手を触れることは許されないのですが、我々は「触れてもよい」と反応しましたので、「御神木」からエナジーを吸引しました。
この大木の間を通過すると、さらに身体は浄化されます。
自然の「結界」となっています。
この2つの大木に挟まれた中間の大地のエリアが、かなりの高波動です。
この場所に立つと、心地いい波動に包まれます。
さらに「三の鳥居」があります。
ここは、男女ともに身体が浄化されます。
「十和田神社」の聖域に踏み込むことで、ここまでにも次から次へと身体が浄化されてきましたが、何重にも「結界」が張り巡らされていますので、この全域が高波動に満たされています。
ここに手水舎があります。
手水舎の後方に磐座(いわくら)があります。
やはり、波動が高いです。
この先に―――
さらに「四の鳥居」があります。
この「鳥居の下」で立ち止まると、最後の浄化が始まります。
幾度も浄化されてきましたが、まだ残っている「マイナスの気」がすべて抜けていくかのようです。
徹底して身体が浄化された状態で、最後の階段を上ることになります。
この「四の鳥居」の左右に―――
狛犬の像があります。
これもまた、「結界」の役割をしています。
こちらは右側の「狛犬」です。
良好な波動です。
こうして、最後の階段を上った先に―――
十和田神社の拝殿が出現します。
つづく
2022年8月16日記