生命体エナジー浄化の会ブログ

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東北恐山を巡る旅 その6

《 東北恐山を巡る旅 その6 》

恐山その1

 

 「恐山」は、まだ私が若い時から一度は行ってみたいと思っていました。

というのは―――

「恐山(おそれざん)」という名称が、そもそも凄いのと、死者が必ず訪れる「地」とは、どんなところなのか?

 

また、死者の「口寄せ」を行うイタコのことが、よくTVなどで放映されて、興味があって、見てみたいと思ったからです。

 

今から20数年前に、当時岩手県のスポーツ指導者の講習があり、数年間に渡り継続していましたので、一度せっかく岩手県に行くのなら、ついでに「恐山」に行ってみようと思ったからです。

 

このときは配偶者と一緒でした。

「恐山」の麓まで来ますと、恐山への通行路があり、夜なので不気味な気配が漂っていたことを思いだします。

 

麓の温泉ホテルで宿をとり、翌日恐山に上りました。

 

イタコがいるのかと思いましたら、「恐山大祭」か「恐山秋詣り」以外にはイタコはいないし、近くのむつ市にも定住していないことを知りました。

 

その期間中のみに、イタコはやってくるのです。

 

 

「恐山」に入るには―――

この「三途の川」を必ず渡ります。

 

最初に来た時には、この橋を渡った記憶がありますが、2度目に来た時には、バスで素通りでした。

 

しかし、今回はレンタカーですので、自由に自分のペースで回れます。

「三途の川」でクルマを降りました。

 

今では、人はこの太鼓橋を渡れません(保存のため)。

手前の「現生」と、その先の「あの世」を分ける橋です。

 

この川を渡るには、善人は金銀財宝で出来た橋を渡りますが、軽度の罪人は、浅瀬を歩いて渡り、重度の罪人は、簡単には渡れずに滑り落ちる難所となっています。

 

現在では、この川は船で渡ることが出来るとされていて、船賃が「六文」と決められています。

 

火葬にふす際には、死者に六文を握らせる風習も残っています。

 

真田幸村の「六文銭」の旗印は、六文さえあれば三途の川を渡れるので、「死をも恐れない」という心意気で戦場に赴いた、と伝わっています。

三途の川のそばに、「奪衣婆(だつえば)」と「懸衣翁(けんえおう)」の像があります。

 

三途の川の渡し賃を持たずにやってきた死者は、この鬼婆(奪衣婆)に衣服を剝ぎ取られます。

 

その衣服を受け取った老爺(懸衣翁)が、衣領樹(えりょうじゅ)に掛けて、枝の垂れ具合によって生前に犯した罪の重さが量られます。

 

「三途の川」を渡ると―――

「地獄」で死者を裁く10尊の十王の審査を受けて、死んで初七日から始まり、最後の三十五日目に「閻魔大王」によって、来世が言い渡されます。

 

そして、死後の四十九日目には、六道の中から次に行く道が決まります。

「恐山」には、この六道を示すエリアがいくつもあります。

 

例えば、六道のひとつである「地獄道」には、罪の深さで8種類に分かれ、さらに138の「地獄」があるとされています。

 

死者にとっては耐え難い世界に落ちても、「一周忌」「三周忌」や「三十三周忌」などがあり、再審査が行われますので、どうしても「家族の供養」が大切になります。

 

家族の先祖靈への感謝を込めた「水」と「線香」での供養が、有効なようです。

 

「神」は個人を救うことは決してありませんが、「先祖靈」は唯一子孫の繁栄に手を貸してくれます。

 

「先祖靈」を敬わない民族は滅んでいきます。

先祖供養をしっかりと行う日本民族は発展を遂げています。

 

あらためて「先祖靈」への「感謝と供養」の大切さを思わせて頂けるところが、「恐山」です。

 

この「奪衣婆(だつえば)」と「懸衣翁(けんえおう)」の石像は、恐ろしいエリアです。

 

この石像は恐ろしい「霊気」が反応しています。

試しに―――

 

何でもない普通の方を、この像のそばにセットしてみました。

即効で、体軸が歪み、身体が崩れました。

 

すぐに外しましたが、ここに長く留まると、病気になる可能性があるかもしれません。

 

恐ろしいところです。

「感謝」を捧げるところではないようです。

 

この三途の川には、このような石を載せて、風車を置いたエリアがあります。

これを「賽の河原」と呼んでいます。

 

幼くして亡くなった子供たちを思い、石を積んで、あの世での幸せを祈る親御様方の思いが伝わってきます。

 

 

三途の川を過ぎて、「恐山」の入り口「総門」に来ました。

 

ここには、「六大地蔵」があります。

今回の画像です(曇天で、少し画像が暗いです)。

そこで、前回の画像です(よく映っています)。

前回の「恐山ブログ」(本ブログの2017年7月から)の一部を転載します。

 

以下転載―――

恐山菩提寺(恐山全体が境内となります)の総門手前にある六大地蔵(石像)。


死後に向かうと言われる六道の世界を示すもので、それぞれの世界で救いの手を差し伸べる「地蔵菩薩」を顕しています。


六道とは―――

多くの善行を積んだ者がいく天道、己の本能や欲望のままに生きた者がいく鬼畜道、強い競争心や自尊心をもつ者がいく修羅道


自殺や殺人など悪行を積んだ者がいく地獄道、欲深く富や権力に執着した者がいく餓鬼道、そして人の道からなる6つの人間道を指します。



どの道へ進んだとしても、この地蔵菩薩が それぞれの世界で衆生の苦しみを救ってくれる といいます。



この6種の世界それぞれで、衆生の苦しみを救ってくれるのが六大地蔵なのだといいます。 もう少し詳しく述べると、次のようになります。



天道から救ってくれる日光地蔵

人間道から救ってくれる除蓋障地蔵

畜生道から救ってくれる宝印地蔵

阿修羅道から救ってくれる持地地蔵

地獄道から救ってくれる壇陀地蔵

餓鬼道から救ってくれる宝珠地蔵


この画像から、左からそれぞれの地蔵菩薩となります。


そしてーーー左端の日光菩薩(天道)は、高波動です。

その隣の除蓋障地蔵(人間道)は、普通の波動で、そこから右はすべて「マイナス波動」の石像となっています。

つまり、この総門入り口の手前にある「六大地蔵」では、左端の日光菩薩(天道)のみに、感謝を捧げて拝むのがよいと思われます。


このことを知らずに、不用意に拝んでいるとーーー


最もその人にマッチしたマイナス波動の地蔵菩薩の影響を受けてしまい、総門に入る前に身体が歪んでしまうことになるようです。

 

転載ここまで―――

 

この「総門」前の駐車場でクルマを止めて、六大地蔵」の「日光菩薩」(左端)に手を合わせました。

 

そもそも「地蔵菩薩」とは、本体は「国常立大神(くにとこたちのおおかみ)」様です。

 

この神は強烈で、マイナス波動を一瞬で断ち切ってしまいます。

心に迷いがある方は、この「国常立大神(くにとこたちのおおかみ)」様の慈悲にすがると、ほんの一瞬で浄化されます。

 

「行くべきか、行かざるべきか・・・」と悩んでいたり、「やるべきか、止めるべきか・・・」と悩んでいる場合には、「国常立大神(くにとこたちのおおかみ)」様と同調するだけで、瞬時に、どうすべきかの反応を示してくれます。

 

世の中には、至る所に「お地蔵様」があります。

昔の私は、「地蔵尊」を通常よりもワンランク低いものとみていました。

 

しかし、その本体には「国常立大神(くにとこたちのおおかみ)」のエナジーが背後にあること知って、両手を合わせるようになりました。

 

「総門」に入る手前に、「霊場 恐山」とあります。

 

この地蔵菩薩像には、多数の「霊」が群がっています。

敏感な方は、この前に立っただけで、立ち竦んでしまうかもしれません。

 

この石像の周囲には問題はないのですが、このエリアに立ち入ると、大多数の方は不成仏霊に取り憑かれてしまうように思います。

 

このエリア内には、霊的な結界があり、「外部の世界」と「霊的な世界」とのバリアが張られています。

 

私が初めて「恐山」を訪れた時は、「霊的な世界」にはそれほど関心がない時代で、配偶者と一緒で、ほとんど何も感じなかったのですが、

 

3度目の今回は、「霊的な世界」への関心が一段と増していますので、入場門の前のエリアからも、様々な反応を捉えることができます。

 

2度目に訪れた時には、観光バスで東北を巡る団体旅行でしたので、バスのガイドさんが、毎回恐山に来ると「とても怖い!」と、ガイド仲間の誰もが異口同音に語ります、と言っていたのを思い出します。

 

確かに、最初に来た20数年前には、少し不気味な雰囲気が漂っていました。

これが霊場恐山の「総門」です。

 

ここで入山料500円を支払います。

 

「総門」の前から参道が、本殿である「地蔵殿」まで続きます。

 

昔から、死者が来る「恐山」では、面白半分で来ると「祟られる」という言い伝えがあります。

 

これは、恐山の昔の画像です。

 

現在は、この地蔵殿の周囲も整備されて、この時代とは全く違いますが、この画像からは、死者の霊が蠢(うごめ)いているのが解ります。

 

このような状態であれば、マイナス波動の方、霊を極端に恐れるような方には、ここの集まってくる死者の霊が同調して(憑いて)、身体が歪んでしまうのも頷けます。

 

 

これは「山門」です。

 

この「山門」の左右には、仁王像が鎮座しています。

心なしか、仁王像の波動は高くありません。

 

この「恐山」の「霊場」に集まる死者の影響を受けているように思われます。

 

この「山門」には、「霊場恐山」の扁額があります。

霊場」となっているのは、この「恐山」は、「高野山」「比叡山」と共に、「日本三大霊場」となっているからです。

 

恐山は、千百五十年以上前、862年(貞観4年)に、天台宗の慈覚大師が開山したところです。 慈覚大師とは、最澄の弟子の円仁のことです。

 

慈覚大師が、唐で修行中に 夢枕に立った高僧のお告げによると言われています。

その高僧は、次のように語ったと伝えられています。

 

「汝、国に帰り、東方行程三十余日のところに至れば、霊山あり。地蔵尊一体を刻し、その地に仏道をひろめよ!」

 

帰国した慈覚大師は、お告げに従い、本州最北の地を目指します。

 

辛苦の末に辿り着いたのが、むき出しの岩肌に、ここかしこに硫気孔から立ち上る蒸気、沸々と湧き出す硫黄泉と、亜硫酸ガスで岩肌が焼ける地獄のような様相を呈する奇観でした。

 

お告げに従い、地蔵堂を建立して、地蔵尊を祀り、修行に励んだと伝えられています。

 

つまり、当初は天台宗霊場でしたが、その後衰退して、500年程前に再興された際、曹洞宗に改められ、現在に至ります。

 

この山門の横に、「本堂」があります。

 

 この「本堂」に入りました。

この「本堂」には、「釈迦如来像」があります。

 

なぜか、波動は高くないです。

立派な祭壇ですが、左右の像にも、「死者の霊」が群がっています。

 

どういうことなのか?

その原因は、直ぐに解りました。

この本堂には、亡くなった死者の「霊体」が蠢(うごめ)いていました。

 

亡くなった方の写真には、それぞれその死者の「霊体」が寄り付きます。

 

このように「死者の写真」を奉納しますと、在りし日の自分を思い、その霊体が成仏でずに寄り付くと思われます。

 

死者には「戒名」を与えて、その個人の氏名をお墓にも残さないのは、「霊体」が自分はまだ死んでいないと思い、そこに寄り付くからと云われています。

これは、「地蔵菩薩像」でしょうか。

 

この像には、死者の「霊体」は群がっていません。

死者の「霊」を「霊界から救い出す」という、地蔵菩薩ならではの現象かと思われます。

 

この写真にも、亡くなった故人の「霊」が反応します。

残念ながら、「成仏」できていないようです。

 

この羅漢像にも、死者の「霊」が群がっています。

「救いを求めています」が、ここでは救われないように思われます。

 

ここには、人形が納められています。

 

花嫁衣裳をつけた人形や、夫婦となった人形もあります。

 

これは―――

幼くして亡くなり、結婚もできなかったわが子を思い、その適齢期になったときに、「死者の結婚式」をあげるようです。

 

これを「冥界結婚式」といいます。

東北地方には、このような風習が残っていると云われています。

 

 

 

ここで、「室内撮影禁止」であることを知りました。

申し訳ありませんでした。

 

これも何の像なのか、よく判りません。

 

ただ、波動は高くないです。

死者の「霊」が、救いを求めているのか群がっています。

 

ここの空間には、死者の霊が多数存在しますので、敏感な方は長く留まらない方がいいようです。

 

本堂を出ます。

山門の先に、地蔵殿(本殿)があります。

両側には「四十八燈」が、参道に並びます。

 

その途中に―――

「塔婆堂」があり、そこに「塔婆」が林立しています。

 

ここの「塔婆」は、「角塔婆(かくとうば)」といって、仏教の世界では「功徳を積むもの」と云われています。

 

それは高いほど願いが叶うということから、大きなものでは5Mもある「角塔婆(かくとうば)」があります。

 

これだけでも―――死者が訪れる「地」であることを、参拝者の脳裏に刻んでいきます。

 

亀の像なのでしょうか。

「子孫繁栄を願う亀」といいます。

 

賽銭が多数献じられています。

 

「地蔵殿(本殿)」です。

 

ここが参道の突き当りとなり、ここに本尊の「伽羅陀山地蔵大士」、いわゆる「お地蔵様」が安置されています。

 

天台宗の慈覚大師によって、862年に開山されていますが、死者が行く冥界で、そこが「地獄界」であろうが「餓鬼界」であろうが、

 

唯一救いの手を差し伸べる「お地蔵尊」を祀ることで、死者の霊を弔うことができるようです。

 

ここの扁額には「伽羅陀山」とあります。

本尊の「伽羅陀山地蔵大士」を示すものと思われます。

 

ここにお参りする方には、ほとんどの方の右肩に「死者の霊」が載ってきます。

我々がお参りするときにも、右肩に「死者の霊」が反応してきました・

 

まるで、この中の地蔵殿(本殿)の中に連れて入ってくれと言わんばかりです。

ですが―――

 

この中には、連れて入ることができません。

この中には、立ち入れません。

 

実際に、本堂の「地蔵殿」には入れませんが、イメージで中に入りますと、右肩にいる「死者の霊」は、中に入れずにスーっと消えていきます。

 

中の空間は、地蔵尊である「伽羅陀山地蔵大士」のエナジーが反応します。

この本体は、「国常立大神」様です。

 

しかし、ここには「霊的な結界」があって、中には入れないのです。

 

この中の空間は、かなり波動が高いです。

しかし、「死者の霊」は、この中に入り、より高いレベルの靈界に行きたくても、常時そのような機会は与えられていないようなのです。

 

どういうことなのか。

 

「死者の霊」は、死後もその人の生前に犯した罪を反省、浄化する必要があり、その人に最もマッチするレベルの「冥界」に行かされます。

 

それを救い、よりよい「冥界」に上がるには、子孫による「供養」が必要なようなのです。

 

子孫による日々の仏壇などにあげる「線香」や「お水」の供養が冥界に届き、悪行を犯した先祖靈がいたとしても、それなりに救いの手を差し伸べられる「先祖靈に感謝」をする子孫の存在が、大切なようなのです。

 

このことは、昔から「迷信」のように語られてきましたが、この「地蔵殿」の中を診ることで、改めて先祖靈への供養が大切であることを、気付かせて頂きました。

 

「地蔵殿」の参拝を終えて、いよいよ「恐山」の地獄巡りがスタートします。

 

まさに「地獄」の様相を呈するところ、「死者が必ず訪れる地」です。

 

               つづく

 

           2022年8月30日記