生命体エナジー浄化の会ブログ

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東北恐山を巡る旅 その7

《 東北恐山を巡る旅 その7 》

恐山その2

 

 霊場恐山の地蔵殿(本殿)を後にして、恐山地獄巡りを開始します。

それは、

霊場恐山の他に比類のない荒涼とした「地」には、ここから踏み込みました。

 

ここに「供養塔」があります。

手を合わせて、「霊場恐山」の中に入りました。

 

 

右に行くと、「奥の院不動明王」とあります。

我々は、左の途を進みました。

 

恐山には、鳥がほとんどいません。

草木も生えていません。

 

金属があれば、どんどん腐食していきます。

荒涼たる、まさに地獄のような世界になっています。

 

なぜなのか?

 

それは―――心霊現象ではなくて、「火山ガス」の影響です。

というのも

「恐山」とは、活火山であり、恐山の「宇曽利山湖」はカルデラ湖なのです。

火山の火口に水が溜まってできた湖なのです。

 

活火山であるので、今でも「火山ガス」の影響があり、生物や樹木の生育にも適さない環境となっているのです。

 

霊場には、多数の石を積み上げてる個所がありますが、これは地面から吹き出てくる有毒な「火山ガス」を、空気となじませる効果があるからなのです。

 

ここには、少しの草木が生えています。

 

 

霊場」の中は、このような途を進みます。

 

霊場」ですので、「死者の霊」が充満しています。

ほとんどの方は気が付かないと思います。

 

しかし、試しに「自分に縁のある霊体」と呼びかけますと、一瞬で身体が歪みます。

即効で、「縁ある霊体」が集まってくるのです。

 

このことは、過敏な方は、「霊場」としての「恐山」を過剰に恐れることで、一段と「死者の霊」を呼び寄せることになるかもしれません。

 

これを防ぐには、自分自身の身体のバリアを強化して、一切の「死者の霊」を寄せ付けないイメージを持つとよいようです。

 

「恐れ」が、さらに身体を歪めて、自分自身のバリアを崩します。

さらに一段と「霊」に憑依される一因となります。

 

これは、上記と同じ状況において、自分自身のバリアを強化したときのものです。画像の波動が変化します。

一切の「死者の霊」が寄って来なくなります。

 

「恐れ」が身体を歪めて、バリアをも歪めます。

そのために「憑依されやすくなる」のです。

 

「大師堂」が見えてきました。

 

この背後の山も、「死者の霊」が集まっています。

 

 

このような地蔵菩薩像がありました。

 

「地獄界」に堕ちたとしても、「地蔵菩薩(お地蔵様)」は救いの手を差し伸べてくれます。

まさに―――「地獄に仏」なのです。

 

「無間地獄」とあります。

 

「大師堂」です。

霊場恐山」を開山した慈覚大師を祀るお堂です。

 

ここにも石を積み上げて、「風車」があります。

「風車」も、有毒な火山ガスを、空中に流す効果があると云われています。

 

 

この石像は慈覚大師の像のようです。

 

石像の前には、小さな地蔵菩薩の像があります(これは、この霊場の各所に見られます)。

草鞋があり、手拭いが縛り付けられ、風車に玩具(おもちゃ)もあります。

 

幼くして亡くなった我が子を供養するかのようです。

 

子供亡くした親は、必ず「恐山」に来なくてはならないとされています。

そのための供養をする「石像だろう」と勝手に思いました。

 

「大師説法の地」とあります。

 

霊場恐山」を開山した慈覚大師が、この地で説法をした処と思われます。

 

ここに大町桂月の詠んだ歌があります。

「恐山 心と見ゆる湖を 囲める峰も 連華なりけり」

 

大町桂月とは―――

 

明治に生まれて大正期に生きた詩人、歌人、随筆家、評論家です。

東京帝大を卒業して、明治大学でも教鞭をとりました。

 

大正2年に出版された『人の運』は、洋の東西を問わず通ずる処世訓集として,  当時のベストセラーとなっています。

 

全国を旅行して、終生旅と酒を愛し、数多くの紀行文を残し、北海道の「層雲峡」や「羽衣の滝」の名付け親でもあります。

 

大雪山の峰の中にも、「桂月岳」として名前が残っています。

十和田湖奥入瀬渓谷を、全国に紹介したのも大町桂月です。

 

歌人でしたので、与謝野晶子が明治39年に発表した

「君死に給うことなかれ・・・」

の詩に対して、

 

当時は国家一丸となって、列強と対峙する時局において、戦地に赴いていくのを、「(国のためや天皇のためなどに)死んではならない・・・」と詠んだ与謝野晶子を痛烈に批判しました。

 

「皇室中心主義の眼を以て、晶子の詩を検すれば、乱臣なり賊子なり、国家の刑罰を加ふべき罪人なりと絶叫せざるを得ざるものなり」

 

これに対して、与謝野晶子は「歌はまことの心を歌うもの」と弁明しています。

 

現在、大町桂月の評価が低いのは、こうした当時としては「常識的」で「多数派」であった発言が、後年の目から見れば国粋主義的に写ることから来ている面もあるようです。

 

しかし、この騒動以前の大町桂月は、与謝野晶子の才能を認めており、親交も深かったといいます。

 

 

「大平和観音」とあります。

「平和」を願う観音像として、ここに建てられたようです。

 

この周辺まで来ますと、波動が変化して、良好な波動になってることに気が付きました。

 

明らかに良好な波動になっています。

 

途中で多くの方は、「死者の霊」の影響で身体が歪みますが、ここまでくるとそのような反応は消滅しています。

 

前回の「恐山ブログ(2017年7月)」で書きましたが、

以下転写します―――

 

なぜ肉体のみならず、霊体までもが正常化してしまうのかーーー

 

私の分析では、この地の地下200Mに、「地蔵菩薩」様の巨大なエナジーが働いているように反応を示しました。

 

そのためなのか、地上では高波動の反応を示しませんが、この「地獄めぐり」の地上では、その波動の影響で 肉体のみならず、霊体までもが正常化してしまうようなのです。

 

地蔵菩薩真言は、「オン カカカ ビサンマエイ ソワカ」です。

このご真言を唱えると、特に効力が顕著に顕れるようです。

 

これには さすがに驚かされました。

 

転載ここまで―――

 

地蔵菩薩の背後に控える「本体」は、日本の国土を造った「国常立大神」様です。

強烈な神であり、妥協を許さない神でもあります。

 

また、「地獄に堕ちた人」にも救いの手を差し伸べる優しい神でもあります。

 

 

 

「人はみな それぞれ 悲しき過去を持ちて 賽の河原に 小石積みたり」

とあります。

 

賽の河原とは―――

 

幼くして亡くなった子供は、三途の川の畔で、河原の石を積み上げます。

自分の高さまで積むと元も世界の戻れると信じていますが、鬼が来てそれを壊します。

 

これを延々と繰り返しますが、ある時地蔵菩薩がやってきて、幼い子供を救うと信じられているのです。

 

 

この先に、「霊界への入り口」があります。

 

「恐山」に来たのは、ここのパワースポットを探すことが目的でした。

前回に来た時には、後で画像を整理していて、

 

「恐山は過去生のトラウマを消去するパワースポットがある」ということに気が付いたからです。

 

多くの方は、「過去生のトラウマ」の影響を受けています。

それを「浄化」「消滅」するには、このときの画像が大いに役に立っています。

 

この画僧の中に入り込むことで、「過去生のトラウマ」を「消去」「消滅」させてきました。

 

そのようなパワースポットのエリアがあるところが―――

ここにあります。

 

実際に現地に赴いて、さらにピンポイントでそのエリアを確認したかったのです。

 

敏感な方がこの画像を見ると、「赤いライン」が3本ほど大地を走っているといいます。

地蔵菩薩エナジー・ラインのようです。

 

このエリアのどこに、ピンポイントのパワースポットがあるのか・・・・・。

 

 

そのエリアのある右手には、「八葉塔」があります。

 

ピン・ポイントのパワースポットを探したのは、この塔の左後方のエリアです。

同行者四人と私の5人で、ピンポイントで反応するエリアを探しました。

このエリアを5人で探しました。

すると―――

 

ヒサヒサが、自分の左股関節に違和感があったのが、ここに来たらその違和感が消えたといいます。

 

 

それが、まさしくここです。

 

このピン・ポイントのエリアには、「時計回り」で地中深く入り込んでいくエナジーの渦があります。

 

ここに立つと、身体に蓄積したマイナス波動が、一瞬で浄化されます。

ほんとに一瞬で、マイナス波動をすべて抜き取ってくれます。

 

今回の旅の目的は、私にとっては、まさに「このポイント」を探すために来たといってもいいものでした。

 

自分にとっては、目的を達成できましたので、十分な満足感が得られました。

 

しかし、まだまだ我々は未知の領域へと踏み込んで行きました。

 

              つづく

 

            2022年9月6日記