《 東北恐山を巡る旅 その12 》
不動の滝・桜松神社へ その3
「不動堂」には、高波動のエナジーが取り巻いていて、「オーブ」がかなり浮き上がっています。
「不動堂」は、岩窟の中に建てられています。
この岩窟の岩肌は、かなり良好な波動です。
良好な波動の中に、スッポリと収まるように建てられた「不動堂」は、そのまま高波動空間を建物の内部にも浸透させています。
やはり―――というか、当然というか―――
身体の体軸の歪んだ方は、この中に入ることを許しません。
ここには、霊格の高い「不動明王」のエナジーが、強烈に反応しています。
中は少し薄暗いです。
が、かなりの高波動空間になっています。
ここには、通常の方(一般的で、体軸が整っていない方)には、かなり厳しい反応です。
試しに、「霊的な、神的高波動の存在を信じない状態」にセットして、この場に臨みました。
すると―――
即効で身体が歪みます。
多くの男性がそうであるように(昔の私のように・・・)、一切の神仏の御加護を信じない、迷信だとして、「神々に感謝の念を捧げない」ような方は、この空間に入るべきではありません。
「罰が当たる!」とは言いませんが、間違いなく「運気」は低下します。
自然と自らが「運気」を上げるような心得をお持ちの方は、自然にこの空間にいるだけで、「運気」が向上するように思います。
神仏の加護を受けられるようになる、とは言いませんが、宮本武蔵のように
「神仏を尊び、神仏に頼らず」
との境地がいいように思われます。
このような心持で、この空間にもう一度相対しますと―――
体軸が整い、生命体エナジーの循環が正常化します。
ここには雑然と、物が置かれています。
それほどの波動は感じませんでしたが、自分の波動を高めて、あらためて相対しますと―――
ここにある物の、全ての波動が変化して、高波動空間になりました。
自分自身の気持ちの持ちようで、空間の波動も変化することに、あらためて気付かせて頂きました。
天上には、数多くのカンテラがぶら下がっています。
行事のある時には、蠟燭の灯りを灯しているのだろうと思われます。
ここでも我々が持参したブレスレットに、「不動明王」様の強烈なエナジーを吸引させて頂きました。
ここの「不動明王」様は、簡単には我々のような一般人には、同調してくれないことが判りました。
ここの「お不動様」は、「行者」のような、修験道系に縁のある人物でないと、簡単には同調してくれないことが判りました。
どうしたら―――同調することができるのか?
「千早ぶる 神の伊吹の@@@」
この神歌に、心の底から祈り祓いますと、同調できるようです。
「お不動様」と同調しますと―――
身体にビリビリした感触が走り、「心に思い描いたことが、何でも達成できる」かのようなイメージが沸き起こりました。感謝感謝
薄暗いのよく判りませんが、「倶利迦羅剣(くりからけん)」が、左右に祀られているようです。
「倶利迦羅剣(くりからけん)」は、不動明王が右手に持つ「剣」のことです。
この桜松神社の入り口にあったものと、同じように思われます。
「不動の滝」があることから、不動明王を祀っているこの「不動堂」だからこそ、この「剣」が祀られているようなのです。
この真ん中の写真の人物は、どういうお方なのか、一切判りません。
「不動堂」は、この岩窟と一体化するように建てられています。
この先には、まだ斜面があるようですが、危険なので我々はこの先には行きませんでした。
先に進むと―――
ここに、大黒天や恵比寿天などが祀られていました。
特に波動は高くないです。
「此処の上に龍神(蛇(ヘビ)・巳(み))を祀っております」
とあります。
その斜面を上がってみました。
このようになっています。
特に、龍神のエナジー(ヘビ神のエナジー)も反応しませんでした。
さらに先に進みます。
このように「紙垂(しで)」によって、結界となっています。
結界の先は、さらに波動が高くなっています。
十分な期待ができます。
すると―――
「不動の滝」の全景が、目に飛び込んできました。
期待通りでした。
癒されます。
実にここの空間に浸っているだけで、身体が癒されます。
この「不動の滝」の下に、「不動明王」の刻まれた石盤があり、お不動様が祀られています(少し判りづらいかもしれません)。
ここには、「9次元の不動明王」様が反応します。
ひじょうに霊格が高いです。
流れる「水」も波動が良好です。
この角度で見上げると―――
身体が整ってきて、不動明王様と一体化できるような感覚になります。
ありがたいことです。
ここまで来て、心の底から「来てよかった!」と思いました。感謝感謝
さらにもう一枚
ここの波動に浸ってください。
「百万遍供養塔」とあります。
これは―――
一般には、「念仏塔」ともいうようです。
近隣集落の人々が講をつくり、「南無阿弥陀仏」の真言・念仏を、「百万遍唱える」ことをして、それが達成されてことを記念したものと思われます。
こうして、我々は再び盛岡市へと戻りました。
そして、今回の旅の最後の目的地へと向かいました。
つづく
2022年10月26日記