《 出羽三山を巡る旅 3 》
「三山詣」をする人は、必ずこの「秡川」の清流に身を沈め、水垢離をとって「禊(みそぎ)」をしてから、登拝したといいますが、ここの「滝」で神仏に祈りを捧げたものと思われます。
ここに至るまで、様々な神的なエナジー波動を身体に吸引してきました。
我々は、イメージで「秡川」に身を沈めて、「禊(みそぎ)」をしてから、ここの滝に相まみえました。
この滝は、「須賀の滝」と呼ばれます。
この滝は―――
承応3年(1654年)に、別当天宥により、月山から8キロも引水して、秡川の懸崖に落として、これを「不動の滝」と名付けたと伝わります。
「不動の滝」の名称は、明治3年まで続きました。
「秡川神社」です。
祭神として―――次の神々が祀られています。
瀬織津比咩神(せおりつひめがみ)
速川の瀬に坐して罪汚れを大海原に放つ神
速開津比咩神(はやあきつひめがみ)
潮の寄るところに坐して罪汚れを呑み込む神
気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)
気の活発な所に坐して罪汚れを地底に吹き放つ神
速佐須良比咩神(はやさすらひめがみ)
地底に坐して罪汚れを祓い捨てる神
かなりの高波動です。
滝を祀っていますので、全ての罪汚れを祓ってくれる神徳がありそうです。
滝の落ち口は、かなり高い波動です。
イメージで、ここに入り、「滝行」をするといいかもしれません。
この記事を書いてるファミレスにいた他の方々を、次々とここに入れて「滝行」をさせてみました。
効果は抜群で、ほぼ全ての臓器に溜まったストレス波動が抜け落ちました。
まさしく
全ての罪汚れを祓ってくれる御神徳があるように思われます。
「秡川神社」のお堂の内部です。
神社ですので、「鏡」が置かれています。
この滝は「須賀滝」を命名されていますが、この滝は「不動の滝」と呼ばれていました。
「明治3年に、須佐之男命と奇稲田姫神が結婚して、家を建てる土地を求め、出雲の須賀の地に着いたとき、はじめて清々しい気持ちになったことに因み、この滝を「須賀滝」と改めた」
このように書かれています。
この滝には、不動明王が祀られています。
このお不動様は「生きています」。
そして、
黒龍、青龍、白龍の名が刻まれています。
しかし、
この滝に、龍神系の反応はありません。
少なくとも、この時点では反応がありませんでした。
ここから先は、「山上」となり、ここまでが「山麓」です。
ここの入り口には「隋神門」があり、そこから「神域」となるとしています。
しかし、修験者には ここからが本当の「神域」となるようです。
「山上」には、明治維新までは 本坊をはじめ30余の寺院があり、肉食妻帯しない「清僧修験」が住んでいました。
ここから下の「山麓」には336坊があり、「妻帯修験」が住んでいました。
このような途を進みます。
これは、天然記念物の樹齢1千年以上の「爺杉(じじすぎ)」です。
羽黒山で最大、最古の巨木です。
根周り10.5M、幹周8,25Mとあります。
付近に「婆スギ(ばばすぎ)」もあったのですが、明治35年に暴風で倒れたとあります。
いよいよ「五重塔」が見えてきました。
「国宝」です。
この五重塔は、古くは「龍水寺五重塔」と言われ、付近には多くの寺院があったと伝わります。
現在の塔は、長慶天皇の文中年間(約600年前)に再建したといいます。
何も塗られていない素木造り(しらきづくり)で、屋根は木の薄板を何重にも重ねて施工する「柿葺(こけらぶき)」の手法で造られています。
私は、多くの外国寺院の観光地を巡りましたが、その都度日本の簡素で素朴な色彩を使わない寺院の素晴らしさを再確認してきました。
石材で造られて、周囲にあまり樹木のない外国の寺院や、中国などの過度に彩色された寺院を見るたびに、自然と一体化して、決して過度に飾らない日本の寺院建築の素晴らしさに、その自然美に打たれてきました。
簡素で、侘び(わび)寂(さび)を表した素晴らしい国宝です。
いくつかオーブが浮きがっています。
我々は、しばらくこの五重塔のある空間に浸っていました。
「子守神社」とあります。
祭神は、「天之水分神(あめのみまくりのかみ)」と「国之水分神(くにのみまくりのかみ)」です。
この神は対になっているもので、「水を施し配る」とあります。
ここには―――
「国之水分神(くにのみまくりのかみ)」だけが反応を示します。
こうして我々は、羽黒山を後にして、過去に関わる「月山」を目指しました。
その昔、スキーに熱中しているときに、夏スキーをやるために乗鞍岳にクルマで行ったことがあります。
しかし、思ったよりもゲレンデが小さかったので、「では、もう一つの夏スキーで有名な月山に行こう」となり、そのまま高速で仙台まで行き、月山に行ったことがあります。
大昔のことでしたが、月山はたかだか1980Mなので、道はたいしたことはないだろうと思っていましたが・・・・山並みが深く、凄いところだなと思った記憶だけがありました。
そんな大昔の思いに馳せながら、月山の駐車場まで行きました。
ガスっていました。
このときに、めったに持参しないシューズを持ってきていましたが、クロックスのサンダルがやはり脱ぐことができず、そのままサンダル履きで外に出ました(アジャリンコは真剣にシューズを履きなさいと忠告していました)。
リフトに乗り、上を目指します。
このときに、リフト乗り場の係員は、時間がないので、「途中であっても引き返した方がいいよ」と忠告を受けていました。
リフトの止まる時間が迫っていたからです。
リフト乗り場を降りると、このような小屋があります。
後で判るのですが、これが「月山遥拝所」でした。
リフトでここまで来て、「月山」を遥拝するところです。
「月山スキー場」です。
その昔、私が来たところです。
今は雪はありませんが、5月ごろまではスキーができるところです。
すっかり霧がかかり、サンダルがズブ濡れになって、歩くたびに足が脱げ始めていました。
歩くとサンダルが水に濡れて、ズルズルと滑ります。
歩くのが困難になってきました。
シューズを履いていないので、このまま月山まで上ると、帰りのリフトの止まる時間までに戻れないかもしれない・・・・。
1670Mの「姥ヶ岳山頂」を目前に、私一人が月山まで行くのを諦めました。
このような途がつづき、その都度サンダルから足がズルむけました。
他の登山者が、私を追い越しながら、「大変ですね・・・」と声を掛けられました。
水に濡れてズルズルと足が脱げる様を見られて、かなり恥ずかしい思いをしました。
月山の案内地図です。
残り300Mの高低差の前で、時間切れでした。
残りの4人は、そのまま月山に登り、山頂近くにある「月山神社」をお参りしました。
後で画像で確認しましたが、中は邪気が蔓延していました。
4人とも、邪気には敏感なので、長くは居られずに、直ぐに下山したようです。
リフト降り場近くにある「月山遥拝所」の中です。
中は整備されていますが、何も反応しません。
ありがたくも何ともないところでした。
再びリフトで下り、本日の宿を目指しました。
「湯の澤温泉」です。
ただ、クルマから降りるときに、アブが異常に多く、クルマのエンジンが停止して、アブが周囲から去るまでは、外には出られないほどでした。
この日の夕食は、「水」が異常なほどにおいしくて、誰一人としてビールを頼むこともなく、ひたすら「水」を飲み続けていました。
つづく
2023年12月27日記