生命体エナジー浄化の会ブログ

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さらに東北を巡る旅 4

《 さらに東北を巡る旅 4 》

早池峰神社(はやちねじんじゃ)と丹内山神社(たんないさんじんじゃ) その4)

 

丹内山神社(たんないさんじんじゃ)の探索を続けます。

 

丹内山神社は、「下段」―「中断」―「上段」と別れています。

神社の案内板には、「上段」から「中断」「下段」へと進むのがよい、となっていますが、下の「下段」から進みました。

 

この階段を上ります。

ここから「中断」に入ります。

 

すると―――さらなる不思議な空間へと誘われました。

 

というのは―――

この「狛犬」の間には、「結界」が敷かれていて、「凶悪な心情を持つ方」は、この先に進めなくなりそうです。

 

鬱傾向のある方は、この手前までなら、「死んでも・・・ま、いっか!」程度のマイナス思考のままですが、

 

この先に進みますと、「死にたい!本当に死にたい!」と一段と鬱傾向に拍車がかかります。

 

自分の心の中に内包しているマイナス面が、一気に表面に浮き上がってくるような反応を示します。

 

このような方々は、救いようがないのでしょうか・・・・?

 

これは「五ノ鳥居」です。

このような「鳥居」には、めったにお目にかかれないようなものです。

 

どうしようもない、救いようのない奴だ―――と思われるような人でも、この「鳥居」を通過すると、全てのマイナス面が抜け落ちてきて、身体が良好な方向に向かうように思われます。

 

不思議な霊力のある「鳥居」です。

ただ・・・一般の方には、このことは恐らく感知しないようです。

 

何事もなく通過してしまいます。

邪気にまみれて、マイナス波動に覆われた人生を歩んできた方は、何となくこの違いを感知するかもしれません。

 

丹内山神社(たんないさんじんじゃ)の不思議を垣間見た感じがします。

 

「徳行顕彰碑」です。

顕彰碑ですので、誰かの「徳行」を讃えているのですが、誰かは判りませんでした。

 

 

この橋を渡ると、階段があります。

そこに門があり、いよいよ「上段」に進みます。

 

階段を上りますと―――

このような門があり、そこに「丹内山」と書かれた扁額があります。

この門は、「ご神門」というようです。

 

これが「本殿」(御本社)です。

 

ここに「丹内山神社七不思議」があります。

その一 唐獅子

本殿にある唐獅子と牡丹の彫刻を舐めると、修行僧たちは居眠りしなかったと伝わります。

 

その二 つらら

神社境内の建物には、「つらら」が下がらないと伝えれています。

 

その五 竹

神社境内には、竹が生えないと伝えられています。

 

その六 銀杏

舞踏殿の近くにある大きな銀杏の木の葉は、どんな強風でも境内の外には飛び散らないと伝えれられています。

 

 

「本殿」(御本社)には、祭神として―――

  • 多邇知比古神(たにちひこのかみ)
  • 天之御中主神(あまのみなかぬしのかみ)
  • 高御産日神(たかみむすびのかみ)
  • 神御産日神(かみむすびのかみ)
  • 鵜麻阿志訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)
  • 夫之常立神八十八座

が祀られています。

 

しかし―――

意外ですが・・・・この本殿の波動は、特に高いという反応がありません。

 

なぜなのか・・・な?・・・と思いました。

この「本殿」(御本社)には、ここだけでは解らない秘密がありました。

 

ここに、

「相殿に斎奉される天御中主大神等、十一面観音像、不動明王様等、御靈様等は 工事終了までこの御本社に 工事終了まで遷座いたしております」

と書かれていました。

 

このことから、この「本殿」(御本社)とは別の「相殿」にある「天御中主大神」「十一面観音像」「不動明王」などが、工事終了まではここに置かれてることが判りました。

 

このことが、ここでの波動に関わるのか・・・と、少し思いましたが、

そうではないことが、この先に進むことで理解ができました。

 

この丹内山神社の案内文には

 

「創建年代は1200年前であり、祖神・多邇知比古神(たにちひこのかみ)を祭神として祀った」とあります。

 

「その後、空海の弟子(日弘)が不動尊像を安置した」ようで、

「本殿左側の山頂付近の経塚(きょうづか)から、全国でも数個しかない白磁などが見つかった」とあります。

 

その後、本殿の裏側から通じる途を通り、さらに上に向かいます。

すると―――

 

その先の空間の波動が変わっているのが判ります。

 

ここを登りますと―――

 

いよいよ、丹内山神社のメインとなります。

ここに「胎内石」があります。

これが「御神体」です。

 

この「胎内石」からは、強烈な波動が吹き上がっています。

強烈です。

 

この「胎内石」には、「アラハバキ大神」が鎮座するようです。

 

「胎内石」についての案内板です。

 

アラハバキ大神の巨石(胎内石)」

「千三百年以前から当神社の御神体として 古くから大切に祀られている。

中略

安産、受験、就職、家内安全、交通安全、商売繁盛等の他

壁面に触れぬようくぐり抜けると大願成就がなされ、又触れた場合でも 合格が叶えられると伝えられている巨石である」

 

このように書かれています。

 

「胎内石」

壁面に触れぬようにくぐりぬけると 安産の願いがかなえられると伝えられています。

 

 

アラハバキ大神の巨石(胎内石)」

 

この御神体の波動は、もの凄いです。

身体が歪んでいる人でも、この巨石に手を触れることで、身体が整います。

 

その中でも―――

とくにこの巨石の割れ目の中が、高波動ですので、体調の良くない方は、イメージでもよいので、この中に入ってみて下さい。

 

この中に入りますと・・・・身体が整います。

 

大多数の方は、携帯、スマホ、パソコンの影響で身体が歪んでいます。

電磁波の悪影響で、腰椎5番、3番と左側頭骨が歪みますので、腰痛、肩こり、眩暈、耳鳴りなどの多くの症状をかかえています。

 

今後は5Gの時代となりますので、電磁波の悪影響は、ほぼ全ての世代の「全症状の根源的な原因」となりうる可能性があります。

 

そのような場合には、イメージでこの中に入っていると、身体が正常化します。

ですから―――

 

疲れ切った身体のまま、この中に入り、深呼吸を繰り返していますと、身体どんどん整ってきて、身体が回復します。

 

さらに付け加えると―――

 

今、花粉症の最盛期に突入しています。

「花粉症」には、ほぼ全てに「電磁波」が影響するようです。

 

今後は、4Gから5Gの強烈な電磁波の影響を受けることになりますので、さらに多くの方が「花粉症」に悩まされていくことになります。

 

「花粉症」でイライラしている方や、その周りにいる「花粉症」の方を、この中に入れてみてください。

 

「花粉症」による「目のかゆみ」「鼻水」などの症状が緩和されると思います。

騙された―――と思って、試してみてください。

 

ここから入ります。

 

壁面に触れずに潜り抜けることができますか・・・?

私は、できませんでした。

 

アラハバキ大神の巨石(胎内石)」の背後から見たものです、

 

 

 

 

アラハバキ大神の巨石(胎内石)」を潜り抜けてから、本殿に戻りますと―――

不思議なことに、各段に高い波動になっていることが判りました。

 

このことから、丹内山神社が、なぜ「上段」から「中断」―「下段」と参拝することを薦めているのかが、理解できました。

 

まず、「上段」の「アラハバキ大神の巨石(胎内石)」に触れることで、この神社での「霊格」を上昇させてから、

 

「中断」―「下段」と回ることで、反応が明らかに変化していることになるからだと思われます。

 

この神社の「御神体」に触れてから、順序通りに参拝することで、身体への霊的な反応が変わることについては、特に説明はされていませんが、そのようなものなのだろうと納得しました。

 

丹内山神社七不思議

 

「その四 この手水ばちは どんな旱天でも水が乾くことがないと伝えられています」

 

これが「手水ばち」です。

どんなに晴天が続き、干天の日が続いても、この水が乾くことはないとされています。

 

丹内山神社七不思議

 

「その三 肌石

この石には 雪が積もらないと伝えれています」

 

 

これが「肌石」です。

岩手県ですので、雪深い地域のはずですが、本当に雪が積もらないのか・・・・不思議です。

 

これは「早池峰山参拝石」です。

ここには―――

早池峰大権現」のエナジーが反応します。

 

この樹木には、「コブ」が幹に出来ています。

つまり、

この樹木の下の大地の波動は、「ガン」を生み出す波動があることを示しています。

 

この地に長く留まっていると、「ガン靈」が反応してきます。

特に婦人科系の疾患を抱えている方は、要注意です。

 

これは工事中ですので、「相殿」と思われます。

 

「忠魂碑」です。

明治維新以降の、「日清戦争」や「日露戦争」や「事変」に出征して戦死した、この地域出身の兵士の記念のために建てられたものと思われます。

 

戦死者の天皇への忠義を称える意味があります。

黙禱して、祈りを捧げてこの地を後にしました。

 

                 了

 

          2023年3月7日記