生命体エナジー浄化の会ブログ

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阿波の国から讃岐の国象頭山を巡る旅 8

《 阿波の国から讃岐の国象頭山を巡る旅 8 》

灌頂ヶ滝―立岩神社―金毘羅宮象頭山弥谷寺大麻神社大水上神社-妙見宮―善通寺

 

大水上神社(おおみなかみじんじゃ)

 

 ここは平安時代の「延喜式神名帳」に記載された「讃岐二宮」です。

「二宮」とは―――

 

由緒正しい古社で、諸国において最も崇敬を集めた神社を「一宮」と称していました。

それに次ぐのが「二宮」です。

 

讃岐の国の「一宮」は、高松市の「田村神社」ともう一つ、水神を祀る「水主神社」の2つがあります。

「一宮」といっても、一宮争いが生じた国(甲斐、肥前の国など)もあり、交替することもあったといいます。

 

ここ「大水上神社(おおみなかみじんじゃ)」も水神を祀ることから、「水主神社」と似ています。

 

創建年代は不詳です。

ただ、かっての参道は「夏至の日入方向」に伸びていたといいます。

 

夏至に太陽が沈むときに、谷の奥にまで陽光が差し込むことが「聖地とされる」大きな要素となっていた、といわれています。

 

山腹にある奥宮の参道は、今でも夏至の日入方向に伸びています。

このことは―――

 

讃岐のエリアにおいて、「冬至の日の出」と「夏至の日が沈む方向」を結ぶレイラインであるとも指摘されています。

つまり、

ここは太古からのレイラインに関わる「地」であったかもしれません。

 

ここ大水上神社(おおみなかみじんじゃ)は、悠久の太古より「水神」「龍神」が棲む古代の御神体である「磐座(いわくら)」があり、弥生時代の祭祀土器が出土した磐堺(いわさか)の祭祀場がなど、古代の祭祀遺跡が残ります。

 

実に、数千年の歴史のある 印象に残るパワースポットでした。

 

中世には、「八幡神」を勧請し、「大水上大明神」とともに「八幡大神」・「三島龍神」を祀って「二宮三社」と称するようになったといいます。

その後神仏混淆の神社となり、空海弘法大師)が唐に渡るとき当社に訪れ詣法を行い三神と問答和歌を詠んだといいます。

空海

「はるばると詣きゑれば 三の神力を そへてまもりたまへや 五月雨 ややまゑ思ひに旅の空 いとま 恋しくまいる我なり」

返歌は八幡大神

「我はたゝいまも弓前の神としれ もろこしまても守護じめくまん」

大水上大明神上之句

「往来は心やすかれそらの海」

三嶋竜神下之句

「水上清きわれハ竜神

 

元暦元年(1184年)源平合戦の際に、源氏と平氏がそれぞれ願文を奉納したといいいます。

戦国時代に長曾我部軍勢に焼かれたと云われ、現在の建物は永禄年間の再建したのを、明治以降改築したものです。

 

 

大水上神社(おおみなかみじんじゃ)」とあります。

入口に このような石碑があります。

 

ここが入口にある鳥居(一之鳥居)です。

この鳥居には、「結界」が敷かれています。

 

なかに踏み込みますと、その先に鳥居があり、その背後の山容は高波動のエナジーが反応します。

 

この「二之鳥居」には、強烈な「結界」が敷かれています。

この先に立ち入る方は、かなりこの鳥居を通過することで浄化されます。

 

境内の波動は良好です。

 

 

その途中に建物があり、屋根から蒸気のような靄(もや)が上がっていました。

 

石柱に、見たこともない紙垂(しで)が垂れ下がっています。

めったにお目にかかれない形をしています。

 

この紙垂(しで)は、この神社特有のものだといいます。

なぜこの形状なのかは、今ではよく判らないようです。

 

百度石」とあります。

 

百度参詣することによってみずからの信仰心のあつさと祈願の切実さを訴えて神仏の加護や霊験を得ようとしたものです。

 

寺社側でも百度参りのために,「百度石」を立てて本堂との間を往復参拝できるようにしたものです。

 

百度参りは俗に「お百度を踏む」といわれるものです。

 

ここは神社なので「隋神門」があります。

 

境内に入りますと、良好な波動に身体が包まれます。

 

案内図があります。

 

 

「時雨灯籠(しぐれどうろう)」とあります。

 

康永4(1345)年、南北朝時代に建てられたものです。
基礎と中台は六角形で、竿全面に雲龍文様が施されています。

 

建立年や願主などが記された六角形時雨燈籠の貴重な作例として、県の有形文化財に指定されています。

 

 

これは「拝殿」です。

この奥に「本殿」があります。

 

祭神は 「大水上大明神」(諸説あり)です。

また、「保牟多別命」「宗像大神」も祀られています。

 

このとき宮司の方がいらっしゃって、我々に中を案内してくださりました。

我々は この方の話を真剣に聞いていました。

 

「うなぎ淵(竜王淵)」とあります。

 

ここは「雨乞神事遺跡」です。

昔は旱魃(かんばつ)の時に神事がここで行われていたようです。

 

頭に苔を載せた「狛犬」です。

珍しいので撮りました。「生きています」。

 

こちらの「狛犬」は、「生きていません」。

 

さらに階段を昇り、奥の御神域(奥宮)へと進みます。

 

もの凄い高波動の「磐座(いわくら)」です。

 

この辺り一帯は、多くの「磐座(いわくら)」があって、強い「霊気」を出しているように思われます。

 

宮司の方は、さらに鳥居を潜り、この先の奥宮まで案内してくれました。

この参道は、冬至の「日に出」方向になります。

 

我々は、宮司の方の後に従います。

この方は、「体軸」がしっかりと取れている方でした。

 

ここに素晴らしい「祠」がありました。

「千五百皇子社(せんごひゃくおうじしゃ)」です。

 

巨石の磐座の上に建てられています。

強い波動が感じ取れます。

 

このお宮には、「伊邪那岐命(いざなぎのみこと)」を祀っています。

 

なぜ、「千五百」なのか?

それは―――

 

伊邪那岐命伊邪那美命(いざなみのみこと)が離婚することになったときに、

伊邪那美命(いざなみのみこと)は、黄泉の国から伊邪那岐命を追いかけたときに、言い合いになって、

 

黄泉の国に住む伊邪那美命(いざなみのみこと)は、「お前の国の人間を 一日千人殺してやる」と言い放ちます。

 

それに対して伊邪那岐命は、「それならば 私は産屋を建てて、一日に千五百人の子を産ませよう」と言い返しました。

 

この千五百人の皇子が生まれることからきた名称です。

 

このエリアも、ご神域です。

穢れを嫌いますので、霊的な垢(あか)が付着している方は、ここに踏み込むべきではないように思われます。

 

ここは「御神木」として祀られているのかと思いましたが、・ここには「陰陽石」が祀られていました。

 

「産霊社(むすひしゃ)」というようです。

あらゆる願い事を叶えるといわれるようです。

 

かなりの高波動です。

ここの空間も素晴らしいものでした。

 

とくに ここのエリアは、超絶の高波動空間です。

 

宮司の話では、あるとき この周辺で猪の集団に出会ったことがあったといいます。

そのボス格の猪は、軽トラック並みの大きさがあったといいます。

 

実際に、この周辺では猪が出没するので、夜間は「立ち入りが禁止」されているようです。

 

我々は、長いこと ここに留まっていました。

 

陰陽石」が生み出したものなのか、ここの大地そのものにパワーがあるのか・・・・・

高波動のエナジーを十分の身体に浸透させていました。

 

この「御神木」は、我々に何かを語りかけているかのような感じがしました。

 

本来は、この「御神木」「陰陽石」には、誰でも近づけるものではないようで、ここから拝むだけのものであったようです。

 

確かに・・・・この先は「御神域」で、人が立ち入ることは禁じられている空間のように思われました。

 

川を挟んだ対岸にある磐座(いわくら)です。

そこも「御神域」で、柵がありましたが、中には入ることができました。

 

しかし・・・・この「御神域」には「立ち入るべきではない!」との反応があり、断念しました。

 

さらにこのような参道を進み、拝殿―本殿の方に戻ります。

 

次に来たのは―――

「四社宮」です。

 

平資盛」「平教盛」「平経盛」「平有盛」が祀られています。

 

なぜ、「平氏」なのか?

それは―――

 

源氏と平氏の戦があったとき、両者ともにこの神社で「戦勝祈願」をしています。

しかし、平家は滅亡していまいましたので、ここに平氏の四者を祀ったようです。

 

このような階段がありました。

そこを昇ると―――

「豊葉神社の由緒」の案内板があります。

 

ここに―――

豊葉神社として、

 青葉大神  たばこの神

 茅野姫命  野の神 箒の神

 大己貴命  医薬の神

 少彦命    田作の神

が祀られています。

 

さらに、

牛神神社   保食神

荒魂神社   大物主神

を祀る神社があります。

 

ここの階段を上がり参拝します。

 

これが中心にある「豊葉神社」です。

 

「豊葉大神」様のエナジーは感知しました。

しかし、他の3柱のエナジーは反応しませんでした。

 

これは、「荒魂神社」と思われます。 

大物主神」のエナジーは反応しません。

 

参道を抜けて国道に戻ると、「一之鳥居」の近くに瓦の華麗な塀がありました。

 

見事に彫刻のされた「瓦」です。

 

こうして、次の目的地である「妙見宮」を目指しました。

 

               つづく

 

            2024年9月17日記