生命体エナジー浄化の会ブログ

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ダ・ヴィンチの絵画 その8

≪ ダ・ヴィンチの絵画 その8 ≫
 
11-12-6
 
ダ・ヴィンチを語るうえにおいて―――
 
どうしても はずすことのできない3点の絵画があります。ダ・ヴィンチが、最晩年まで手元において、終生 手放すことがなかったと云われる3点の絵画です。
 
それが―――「モナリザ」「洗礼者・聖ヨハネ」「聖アンナと聖母子」です。
 
モナリザ」は、いまさら言うまでもありません。
ルーブル美術館にある あまたの名画の中にあって、別格扱いとなっています。
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モナリザ」には、ダ・ヴィンチの人物像が 見事に表現されていますので、いずれ検証していきたいと思っています。
 
 
 
ダ・ヴィンチが、モナリザとともに死ぬまで手元においていたといわれる『洗礼者聖ヨハネ』は、1515年のダ・ヴィンチ最晩年の作と伝えられています。
 
私は、『洗礼者聖ヨハネ』こそ―――西洋絵画史上における最高傑作のひとつであると、思っています。
 
内面から発するエナジー(エネルギー)の大きさからみて、この「絵画」に比肩し得るものは、洋画においては いまだにお目にかかっておりません。
 
なぜ、そう言い切れるのか―――ということは、いずれ その詳細に触れたいと、思っています。
 
   
ダ・ヴィンチは、世間的な評価では  ミケランジェロの後塵を拝した―――との苦々しい思いがあったようです。
 
そのためなのか、フランソワ1世(仏)の招きに応じて 晩年はイタリアの地を離れます。 
 
フランスで亡くなっているので、ダ・ヴィンチが最後まで手放さずに 絵筆を入れ続けていた「モナリザ」「洗礼者・聖ヨハネ」「聖アンナと聖母子(未完)」が、パリのルーブル美術館に遺されることになったのです。
 
 
今回は、「聖アンナと聖母子」に焦点を合わせたいと、思っています。
 
この作品は、未完のまま終わっている―――とされています。
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 ルーブル美術館に在る「聖アンナと聖母子」
 
 
 
 
 
 
この作品は、フランス国王ルイ12世の依頼で制作した―――と 伝えられています。
 
「聖アンナ」(マリアの母)の膝の上に、「聖母マリア(キリストの母)」を乗せて、
その聖母マリアが 幼い「キリスト」を抱き上げる・・・・という場面を描いています。
 
メシア(この世の終焉に現われる)とされるイエス・キリストに、羊(盲目的な一般大衆)と戯れているのを、「もう・・・そのへんで止めときましょう・・・」といって、 抱き上げている――――ように、私には 思えてしまいます。
 
 
これが、未完の「聖アンナと聖母子」とされていますが、ダ・ヴィンチの作品ではない―――と、私は断定できます。
 
どこにも、ダ・ヴィンチが描き込む 「特有のエナジーが存在しない」 からです。
 
背景の雰囲気は、「モナリザ」と似ていますが、似て非なるものです。
 
ダ・ヴィンチの死後、弟子たちが下絵に基づいて描き込んでいた・・・・ものかもしれません。詳細は 不明なのです。
 
 
次のものは―――「聖アンナと聖母子」の下絵です。
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ロンドン・ナショナルギャラリーに在る 「聖アンナと聖母子」の下絵です。
 
 
 
 
 
これは―――ダ・ヴィンチ本人が描きこんだものに、間違いありません。
絵が発するエナジー(エネルギー)が、直接伝わってきます。
 
確かに―――これが 完成していたら、間違いなく「人類の生んだ最高の絵画」となっていたかもしれません。
 
描き込まれている生命体エナジーからは―――
 
● 中央の洗礼者・聖ヨハネの右脚に、「マグマダのマリア」が腰をかけています。
 
● 聖ヨハネは、男性の生体エナジー(エネルギー)を主体として、描いています。
● 聖母マリアの母である「聖アンナ」では、ありません(ルーブル美術館のものとは相違します)。
 
● 「洗礼者・聖ヨハネ」と「マグマダのマリア」には、「神」の存在を認識させるエナジーを、描き込んでいます。
 
 
● マリアが抱きかかえているのは「イエス」ですが、生体エナジー(エネルギー)としては、普通の「人間」としてしか 表現されていないように思われます。
 
● やはり、ダ・ヴィンチは その当時のバチカンカトリックの背後にうごめく魔界のエナジー(エネルギー)を、科学者の立場から 嫌悪していたようです。
 
それ故、カトリックが「神(イエス)を 崇めよ!」という対象となる「イエス像」から、あえて「神的」なエナジーを抜いているのかもしれません。
 
この絵画が 実際に完成していたら、(恐らく)ダ・ヴィンチはそのように内的な世界を描き込んでいた―――と、私には思われます。
 
● 右端の子供は、「女神」です。人間としては、描いておりません。
 
この子供は、「洗礼者・聖ヨハネ」である―――と、現在は解釈されているようですが・・・・。
 
この絵画こそ―――ダ・ヴィンチが最後に描きたかった究極の家族・世界観なのかもしれません。
 
つづく