≪ ダ・ヴィンチの絵画 その11 ≫
11-12-24
という解釈に、小さな衝撃を受けたことがありました。
「たった一枚の絵画から、その人物の内奥まで迫れる手法」に、単純に感動したのです。
ダ・ヴィンチは「母親」を 性的な魅力あふれる女性としてみており、「モナリザ」の中に、「母親」像を描いている。
それは同時に、父親と 母親をめぐって対立する「エディプス・コンプレックス」が垣間見える・・・たしか、こんな解釈をしていたように記憶しています(間違っているかもしれません)。
ダ・ヴィンチの母親は、入籍していませんでしたので、ダ・ヴィンチは私生児として、学校にも行かずに自然の中で育った・・・と、いわれています(諸説あるようなので、正確なところは判りません)。
では―――
ダ・ヴィンチが、「モナリザ」の中に 母親を無意識下で描き込んでいる―――という解釈が成り立つのであれば、
このような解釈も成り立つことになりますが、学生時代に受けた感動は、今では全くありません。
このように思うのです。
どういうことかというと・・・・
◆ 秘密の儀式を執り行う司祭(伝授者であり 霊能者)である
という指摘が、脳裏から離れないのです。
秘密の儀式とは、「性的儀式」と云われています。
現在のキリスト教徒の立場からすると―――
シオン修道会では、男女の咬合によって、神の次元に達する秘密の儀式が行われていた―――とする説(ダ・ヴィンチ・コードなど)は、カトリックには 決して受け入れられないものです。
シオン修道会の歴代の長官(総長)であったダ・ヴィンチは、胸椎10番の慢性的な変位から 「同性愛者」である―――と、述べてきました。
このことと、シオン修道会は 決して無関係ではない、と思うのです。
秘密の儀式とは、男女の咬合に関わるものとは 思えないのです。知られていない世界があると―――私は 確信しています。
いまだに聖地エルサレムをめぐる対立の、世界的な抗争が続いています。
テンプル騎士団について、簡単に紹介すると―――
第1回十字軍は聖地エルサレム奪回に成功しましたが、聖地を維持・支配するには不安定なものでしたので、
これが「テンプル騎士団」の始まりです。
この騎士団は、その後の十字軍の遠征では、伝説的な活躍をしています。そのため、騎士団は フランス国王などの後ろ盾があり 拡大発展を続けます。
しかし、数々の特権を受けて肥大化していくと、軍事組織を背景とした巨大な金融機関に成長していき、他の司祭や修道会 あるいは商人から敵意を持たれるようになっていきます。
すると―――
13世紀の終わりに、フランス王フィリップ4世によって、突如騎士団は解体・資産没収となりました。テンプル騎士団の資産を、フィリップ4世に奪い取られたのです。
理由は、騎士団の入会の際に行う秘密にの儀式が、起訴容疑とされました。
その秘儀とは―――
◆ 男色(同性愛)
◆ 反キリストの誓い
◆ 悪魔崇拝
フランス国王のいいなりであった教皇も加担して、彼らを異端者扱いにして、騎士団は火あぶりの刑に処せられたと云われています。
このとき―――
投獄されていた最高指導者のジャック・ド・モレーは、セーヌ川の中州で「火あぶりの刑」にされましたが、
「余は フィリップ国王とクレメンス教皇を 決して許さない。1年以内に 神の法廷に引きずり出すであろう・・・」
との、不気味な予言を遺した―――と、伝えられています。
予言通り、まもなくフィリップ4世は45歳で亡くなり、また クレメンス教皇も1年以内に 亡くなりました。
また、フィリップ4世の出身である「カペー家の断絶」も呪っており、実際にそのとおりとなってしまいました。
これが後年、「ジャック・デ・モレーの呪い」として、テンプル騎士団が逮捕された1307年10月13日が、金曜日であったことから、
不吉な 『13日の金曜日』の 語源となっています。
現在では 「テンプル騎士団は異端者集団である」という批判について―――
カトリック教会は明らかな冤罪であると 公式に認めており、完全に汚名は晴らされています。
さて、現在の世界を支配しているフリーメースンは、その起源をテンプル騎士団の神秘性に結び付けている―――と されています。
当初の騎士団の本部は、聖地エルサレムの ソロモン王の神殿跡にあったということと、秘密の儀式が行われていたという背景が、好まれたのではないか―――との指摘があります。
有名なエール大学の秘密クラブ「スカル アンド ボーンズ」は、
当然、ロックフェラー家が背後に控えています。
入会式(毎年15人、男性のみ)では、全裸になっての性的な秘儀が行われる―――と されています。
秘密は絶対に保持するので、詳細は不明のようですが、秘密結社に共通する「秘儀」の一端を、「モナリザ」の中に表現されている―――
このように 思われてなりません。
つづく