生命体エナジー浄化の会ブログ

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ダ・ヴィンチの絵画 その14

 
     ≪ ダ・ヴィンチの絵画 その14 ≫
 
12-1-30
 
 
ダ・ヴィンチの絵画から 話がそれていますが、もう少し続けます。
 
カトリックは、イエス使徒であったペトロを初代教皇として、ペトロの墓の上に バチカン宮殿を建てています。
 
世界中に 11億人もの信者を持つカトリック教会のトップは、「ローマ法王教皇)」です。言うまでもなく、絶大な権力を持っています。
 
バチカン市国は小さいですが、今でも世界の歴史を左右する力があります。
 
 
少し 歴史を振り返ります。
 
アジアの匈奴フン族)が、ヨーロッパに攻め入ったとき、その難を逃れるために「ゲルマン民族の大移動」が起こりました。
 
ローマ帝国は、ゲルマン民族の侵入によって、各地で領土を失っていきましたが、ゲルマン民族の起こした国は、存亡を繰り返しました。
 
しかし、フランスの礎となったフランク王国は、ローマ・カトリックに改宗することで、生き残っていきます。
 
そして後年、フランク王国カール大帝が、ゲルマン諸民族の領土(西ヨーロッパ)を統一することになって、その信仰の総本山となるローマ・カトリックは、絶大な権力をふるうようになっていきます。
 
そもそも、ローマ・カトリックが権力を掌中に収めるようになったいきさつを、簡単に概略します。
 
4世紀のローマ帝国のコンスタンチヌス1世のとき、キリスト教は内部抗争に明け暮れていました。
 
コンスタンチヌス皇帝は、乱れ切ったローマ帝国を立て直すために、トルコの現在のイスタンブールに首都(コンスタンティノポリス)を移したのです。
 
これが後に 東西ローマ帝国に分裂する要因となります。
 
さらにローマ帝国の支配者は、宗教を利用することにしたのです。
 
カトリック教を政治支配に利用するようになって、教義(聖書)を 自分達の都合のいいように書き換えた・・・・と、いわれています。
 
 
この当時、イエスは「神」か「人間(神の意志を伝える者)」か・・・・という立場で、キリスト教会は 内部抗争に明け暮れていました。各宗派に分裂していたのです。
 
それを イエスは「神」である―――とするカトリック教会が、ローマ帝国の国教として選ばれたのです。
 
その結果―――
 
ローマ法王教皇)に従うものは、正当な信仰者であり、正義である。それ以外の教義を信仰するものは、『異端者』とされたのです。
 
エスは「人間である」とする立場の宗派の人々は、異端として処刑されていきました。
 
アレキサンドリアの図書館にあった イエスが人間であったというすべての記録を焼却した・・・といいます。貴重な資料が失われてしまったのです。
 
ローマ法王は、「神(イエス)」の代理であり、民衆は「神」に従うこシステムを、帝国支配に組み込んだのです。
 
本来のキリスト教は、「輪廻転生」を受け入れているものでしたが、このとき聖書の記述から削除された―――と、言われています。
 
さて―――
 
エスは、洗礼者・聖ヨハネの洗礼を受けておりますが、
ヨハネは 「サロメ」(オスカー・ワイルド作)でお馴染みのように 斬首されています。
 
ヨハネを信奉する教団は、バチカンカトリック教皇支配にとって、不都合なものであったようです。
 
それ故、様々な手段で カトリック支配に都合のよい方向へと導いていきました。
 
カトリックに反目する教団・団体は、潰されますので、秘密結社として 秘密裏に行動することを余儀なくされていたようなのです。
 
エスを「神」として、神の名のもとに君臨するバチカンカトリックに対して、
 
洗礼者・聖ヨハネを崇拝する教団、マグダラのマリアを崇拝する教団―――シオン修道会は、秘密結社とならざを得ない 社会的な背景があったようです。
 
このことは―――
 
死海文書にも通じていくようです。
 
1947年から1956年にかけて、死海近くの要塞都市の 11か所の洞窟から、「死海文書(死海写本)」と呼ばれるものが発見されました。
 
炭素年代測定法で、紀元前の写本であり、800巻以上に及ぶ「ユダヤ教聖書」に関わるものです。
 
文書の中で示されている「イエスと洗礼者・聖ヨハネとの見解」は、バチカンの教義に反するものであることから、
 
エス一神教の「神」とするカトリックは、この死海文書を否定する見解を示しています。いや、隠蔽している・・・・と、いわれています。
 
バチカンカトリック教会は、初代の教皇となるペトロから「イエス・キリスト」を神として 信奉しています。
 
教皇ペトロとは―――
 
エスの12使徒の一人で、ローマの地で イエスの教えを広めた聖人のことです。
 
サン・ピエトロ大聖堂とは、「聖ペトロ大聖堂」の意味となります。
 
ペトロは処刑されますが、その教えを受け継いで、バチカンカトリック教皇―――つまり、現代につながる『ローマ法王教皇)』の初代は、神に仕えた「使徒ペトロ」となっているのです。
 
このような経緯がありますので、「死海文書(写本)」に書き込まれている内容―――
 
エスは、洗礼者・聖ヨハネの弟子であり、その教団で修業をしていたことを示す文書は、ローマ・カトリックは認めるわけにはいかないのです。
 
 
我われ日本人からみると、キリスト教は、イスラム教と何世紀にもわたって敵対し、何故 いまだにそれが解決できないのか・・・・と、
 
基本的な点に 大きな違和感を持っています。ともに人類愛を説いている宗教が、敵対を続けているのですから・・・・。
 
キリスト教徒と 十字軍の昔から争いを続けていたイスラム教は、基はキリスト教の流れの中で誕生したものです。
 
ただ、イスラム教は 絶対神の存在のみを信奉しますので、「神の子」であるイエスの存在を否定するのです。
 
「神の子」として誕生したのであれば、神である「父親」「母親」が存在しなくてはならないので、明らかな矛盾がある―――となるのです。
 
「大工の息子」は「神の使い」であろうと何であろうと、偶像として形状化されたものは、一切認めないのです。イスラム教では、唯一「コーラン」だけを音誦します。
 
現在に至るまで、キリスト教文化圏とイスラム教文化圏は、対立を続けています。
 
イスラム教は、宗派は問わずに、すべてを受け入れる―――と、教義の上ではなっています。唯一 絶対神がすべてを受け入れるからです。
 
一方、バチカンカトリックは 教徒以外は「異端者」として 排斥するようです。魔女狩りが行われてきた歴史の原点も、ここにあるようです。
 
 
ローマ・カトリックは、偶像崇拝をしています。
 
しかし、偶像崇拝を認めなかった宗派は、やがて ローマ・カトリックの「西方教会」に対して「東方教会正教会)」として分離します。
 
ニュートンは―――
 
エスを「神」ではなく「人間」としてみています。
だから、「神」とするカトリック正教会にとっては、異端者となります。
 
当然、イエスは「神」ではないので、神ではない「人間イエス」を拝むことは、偶像崇拝として拒絶しています。
 
ニュートンは、新約聖書よりも旧約聖書を研究していたようで、カトリック系の教義とは、科学者の立場においても 相いれないものであったようです。
 
だから―――生涯をかけて追究した研究は、秘密文書となっているのです。
 
もうひとつ、秘密文書にしなくてはならない理由に、『魔術師』『錬金術師』としての裏の顔が、浮かび上がってきます。
 
ナイトの称号まで授かっていながら、裏の素顔を隠して、錬金術の研究に没頭していたようなのです。
 
死後の髪の毛から「水銀」が検出されて、錬金術に関わっていたことが、裏付けられています(水銀は、錬金術における3大要素のひとつです)。
 
ニュートンは、キリスト教の教義に反する立場から、自分の生涯を賭けた研究を秘密裏に行っていたことは――ダ・ヴィンチと共通しています。
 
ニュートンは、「魔術師」と呼ばれる『錬金術』に関わっていたということは、科学者でもあった大天才 レオナルド・ダ・ヴィンチとも 共通するように思われてきます。
 
というのは―――
 
秘密結社シオン修道会の歴代の総長(長官)として、第8代目にニコラ・フランメル(1398~1418)がみられれことです。
 
ニコラ・フランメルとは、錬金術師なのです。
 
つづく