生命体エナジー浄化の会ブログ

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ネパールの生き神(女神)様 その1

≪ ネパールの生き神(女神)様 その1≫
 
2012-3-30
 
ネパールには、現在でも「生き神」様として 人々に崇め奉られる対象が存在します。
 
「クマリ(Kumari)」と呼ばれる生き神様で、「女神」です。
 
ネパール人の多くは、額の「第3の目」に相当する部位に、朱色を塗っています。ヒンズー教徒が大半で、仏教徒もいます。
 
先進国の中で「生き神様」と称したら、おそらく怪しげな「新興宗教」に関わる人物などが、イメージされてしまいます。
 
ですが、ネパールでは 違和感は抱きませんでした。
 
インドの聖人と崇められ、わが国でも信奉者の多かったサイババは、現代における「生き神様」と讃えられていました。
 
スピリチュアルに関わる著名人の多くが、サイババに接見して、その神がかりした現象を報告していました。
 
私も、「これは凄い!」と、TVの映像などを通じて思っていましたが、
あるとき、サイババエナジー転写することがあって、気がつきました。
 
体調がすぐれないどころか、ものすごく歪んでいました。
そして なによりも―――背後は「魔界」でした。
 
気持ちが悪くなるので、そのエナジー転写しての分析は、取りやめにしたことがありました。
 
昨年、サイババは亡くなったと伝え聞きましたが、以前に インドに行ったときに、現地ガイドに尋ねてみました。
 
サイババについては、インドの人はどう思っているのですか?」
サイババは、インドでは人気はないです!」
 
簡単に切って捨てていました。
 
私たちは、インドにはヨガによって、叡智を極めた「聖者」が数多く存在する・・・そんなイメージを持っています。
 
こんなことがありました。
 
あるクライアントの方が、ご夫婦でインドの「聖者」に会いに行ったというのです。
 
不思議なことに、夫婦はそれぞれが自分用の「大光明清水」をお持ちで、ホテルの部屋に置いて行ったというのです。
 
フタは しっかりと締めてありました(間違いないということです)。
 
ところが―――
 
ホテルに戻ると、二人とも フタが外れて、なかの清水がすべて無くなっていた・・・・というのです。
 
「もしや・・・」と思って、そのインド行きを薦めてくれたというスピリチュアリストを、チェックさせていただきました。
 
予想通り、その方の歪みは大きく、背後にあるエネルギー体が取り憑いている方でした。
 
さらに、インドの聖人と言われる方をイメージしていただき、そこから「インドの聖人」を引き出して診ると・・・・
 
背後は、魔界に染まった人物でした。
 
「その聖者は、地元のインドでも 多くの信者がいますが・・・・・」
クライアントは 言っていましたが、
 
霊的汚染の集団に過ぎないように、私には反応していました。
 
そして―――
 
その(恐らく・・・ニセの)聖者に関わる「眷属(手足になって働くもの)」が、二人が所持する「大光明清水」を嫌がって、ホテルに在るビンの蓋をはずしてしまった―――このような反応が、示されました。
 
間違っているかもしれませんが、そこに関わった方は、クライアントも含めて、全ての方が魔界に汚染されていたのは 事実です。
 
このクライアントがいらして、不調を訴えていた原因が、魔界のエナジーを注入されている反応があったからです。
 
「スピリチュアルに関わる方と お会いしましたか?」
と、尋ねたところ
 
このインドの聖者と会ってきた―――ということが、「その後」で判明したのです。
 
サイババといい、この一件といい、「ヒマラヤには・・・聖者がいる」との先入観があると―――
 
不用意に 何でも受け入れてしまうので、気をつけなければ・・・・という自分自身に対する思いもあって、今回のネパールに行ったのです。
 
今でも覚えているのですが、大昔 私が小学生か中学生頃だったか・・・インドの神秘を示す 有名な報告がありました。
 
 
夕暮れになると、一人の老人が広場に来て、人々の見守る中で ロープを取り出すと、そのロープが上空へ スルスルと上がっていきます。
 
そのロープを伝って 小さな少年が登っていき、空中へと消えていくのです。
 
そして―――
 
その少年の「手・腕」「足・脚」「胴体」などが バラバラになって 地上に堕ちてきます。
 
人々がどよめく中を 老人はそれらを拾い集めて箱に入れると、五体満足な少年が そこから蘇って 出てくる・・・・こんな報告です。
 
それは、上空にあらかじめ別のロープが張ってあり、箱の中には 双子のもう一人が あらかじめ潜んでいる―――こんなトリックの解説であったと記憶しています。
 
このことを聞きつけた外国人記者は、それが行われる「地」へと出向きます。
そのトリックを暴いてやるつもりで乗り込んだのです。
 
実際に、夕暮れの中で それは行われたと報告しています。
その記者は、あらかじめ空中も確認して、怪しいものは一切みつからなかった―――と言います。
 
あまりにも現実離れしたその実演を、実際に目の当たりにします。
報道記者は、そのすべてをカメラに収めて、興奮して その特ダネの記事を配信するつもりでした・・・・が、
 
写真を現像すると、映っているのは―――老人が一人で座っている姿だけだったといいます。
 
カメラはドイツ製の「ライカ」です。カメラの問題ではありません。
取り囲む人々の中で、ポツンと老人がいるだけで、それ以外は一切 映っていなかったのです。
 
すべては集団催眠による「イメージ・ショー」であったようなのです。
 
そんなこともできてしまうヨギのいる国が、インドである―――子供心に 強くイメージされていました。
 
ネパールは、このインドと隣り合わせです。
ヒマラヤ聖者が 存在するかもしれない「地」です。
 
国民の8割が ヒンズー教徒ですから、当然インド系の人も多く、「ヒマラヤの聖者」につながるようなパワー・スポットも、断然多いであろう・・・・こんな幻想を抱いていました。
 
過去に2度、チベットへの旅行を計画しましたが、いずれも催行できないなどの事情で、ネパールへの旅行も、変更のあげくに、ようやく実行できたものでした。
 
ヒトラーはかって、世界を支配するために チベット聖者の超能力の秘密を解き明かそうとして、本格的に部隊を送り込んでいます。
 
ヒトラーは 超能力者です。
正確には、悪魔が憑依して 超能力を発揮していた人物です。
 
そのヒトラーの周りには、チベットの不可思議な集団がサポートしていた・・・・といいます。
 
ヒマラヤには、世界を支配する「神界」と「魔界」の両者が存在する・・・そんな漠然としたイメージも、心の片隅にありました。
 
だから・・・ヒマラヤ山脈の麓に在るネパールには、さぞや素晴らしいパワー・スポットが存在するであろう・・・・と、思っていました。
 
また―――
 
「ヒマラヤ聖者の生活探求」という名著が、強く私の脳に刻印されていましたので、このように印象付けられている傾向があったと思います。
 
この書籍は最初の巻を大昔に読んで、感銘を受けていたのです。
ヒマラヤ聖者の超能力を 実際に目撃した西欧の探検隊の実録です。
 
しかも、その探検隊一行は、全員がヒマラヤに住みついてしまったのです。
 
チベットには縁がなくて、いまだに行けていない状況ですが、興味深い実録を読んでみると、やはり寺院などには ほとんど本物の聖者はいないようなのです。
 
映像を通しても、チベットの僧侶で「この人は・・・凄い!」と思うことは、ほとんどありませんでした。
 
本物のヒマラヤ聖者は、俗界との接触を 極力避ける傾向があるようなのです。
ただ、人類を正しい方向に導くように、人知れず パワーを送り続けている―――と いわれています。
 
でも・・・心のどこかで、現地に行けば 期待を上回ることがあるのでは・・・との 思いが潜在していました。
 
確かに、自然の山々の素晴らしさは言うに及びません。
ですが―――
 
信心深いネパールの人々の寺院・仏閣には、残念ながら私が魅かれるものは ありませんでした。
 
しかし、生き神様が ネパールには存在する・・・というのです。
実際に、この目で「確かめてみたい・・・・」と、期待が膨らんでいました。
 
つづく