生命体エナジー浄化の会ブログ

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秘仏巡りの奈良旅 10

《 秘仏巡りの奈良旅 10 》

法華寺―八咫烏神社―秋篠寺―定光寺―長谷寺―法起院―宝山寺―談山神社

談山神社その1

 

談山神社(たんざんじんじゃ)は、奈良県桜井市多武峰(とうのみね)にある神社です。旧社格は別格官弊社で、現在は神社本庁の別表神社となっています。

明治の神仏分離以前は、多武峯妙楽寺(とうのみねみょうらくじ)という、有力な神仏習合の寺院でした。

また、拝所としてつくられた講堂を「妙楽寺」とし、歴史的記述では「多武峯」(とうのみね)を用いています。

現在は桜と紅葉の名所として知られています。

藤原氏の祖である歴史上有名な中臣鎌足が葬られた地を移して、その上に「十三重塔」を建立したのが、「妙楽寺(談残神社)」の発祥です。

 

昌泰元年(898年)に初めて当社の裏山の御破裂山が鳴動しました。

 

御破裂山は 国や藤原氏に大きな災いが起こる際に、その前兆として鳴動すると言い伝えられるようになり、過去には37回御破裂があり、そのたびに寺から朝廷に報告され、朝廷からは告文使(こくもんし)が派遣され平穏を祈ったといいます。

 

ところで、談山神社の歴史を見ていくと、何度も何度も焼き討ちに合って、消失しています。

 

これほど途方もない焼き討ちに合い、その都度再建されてきたのには、やはり、そこには「何かある・・・のでは・・・・」との思いもあり、訪ねてみました。

 

「談山神社 入口」とあります。

ここから入りました。

 

「別格官幣社 談山神社」とあります。

 

石の手水舎です。

この「水」の波動は、よろしくありません。

 

その先に「鳥居」があります。

鬱蒼と樹木が茂っています。

 

その「鳥居」の先に、階段があります。

階段の左右のエリアは良好な波動ですが、なぜか 階段の波動はよろしくありません。

 

なぜ? この階段の波動は よくないのか・・・・。

 

我々に問題はありませんが、通常の体軸の乱れている方は、

この階段そのものが「結界」となっていて、踏み込むことを控えるようになっているようなのです。

 

つまり―――この「談山神社」は、「人を選別する神社」であるようなのです。

 

マイナス波動で汚染されている方は、この階段を昇ると 異常に疲弊して、この先に踏み込んでいいのか否か・・・・考えさせられるように思われます。

 

もしかしたら・・・・この神社は昔から幾度も幾度も焼き討ちに遭い、苦難な歴史があることにも・・・・関係があるのではないか・・・・、こんな思いもよぎりました。

 

階段の途中に、「恋神社 恋の道 むすびの岩坐」とあります。

 

このような看板があることに、違和感を覚えました。

神聖な「聖域」では、このような文言は書かれません。

 

まだ、階段は続きます。

 

拝所」とあります。

重要文化財で、旧妙楽寺講堂があるようです。

 

ここが「神廟(しんびょう)」です。

昔の「妙楽寺講堂」です。

 

「神廟(しんびょう)」の扉は開いていました。

中に入りますと―――

このようになっています。

 

藤原鎌足の像があります。

藤原鎌足を祀るところを、「神廟(しんびょう)」とするようです、

波動は高くないものです。

 

中は暗く、このようなものがありました。

やはり、波動は高いものではありません。

 

さらに「お堂」があります。

この中に―――

何かが祀られています。

 

このようなものです。

これは「福禄寿」ですが、波動はよろしくありません。

 

談山神社の神廟拝所は、江戸時代中期(1668年)に再建された重要文化財です。

ここは、飛鳥時代後期に、藤原鎌足の供養のために創建したと伝えられています。

 

「神廟(しんびょう)拝所」を観て、再び階段に戻ります。

この階段は、相変わらずマイナス波動で、参詣者を選別しています。

 

ここに「登れません」と書かれています。

 

ここに「権殿(旧常楽堂)」とあります。

 

権殿とは―――芸能の神を祀るものです。

芸能活動に携わる方々は、「いこいの場」として、「芸能の聖地」としてご崇敬ください、とあります。

 

そうは言っても、この中を観ることはできません。

ただ―――

重要文化財「権殿」の表示だけがありました。

 

ここに天禄元年(970年)に創建されて、現存のものは室町後期の再建とあります。

かなり歴史は古いものです。

 

ここに「籠神社」があります。

ここの波動も、よろしくありません。

 

末社「籠神社(龍神社)」

龍神を祀っているようです。

 

ここは末社の「比叡神社」です。

祭神は、「大山昨神」です。

 

元は「明日香村」の大原にあった大原宮で寛永4年(1627年)建立です。

その後、現在地に移築して明治時代まで「山王宮」と呼ばれていました。

 

しかし、残念ながら波動は、よろしくありません。

 

このように「祠」の波動が、ことごとくよろしくないのは・・・・・

何か原因があるのではないか?

 

このような観点から、周囲の波動を捉えるようにしてみました。

 

これより「談山(かたらいやま)」

「御破裂山(ごはれつやま)」とあります。

 

此処は かって原因不明の「鳴動」があったところかもしれません。

何で、鳴動するのか? いよいよ怪しいモードが漂ってきます。

 

この先に踏み込みますと・・・・「異界」につながるエリアになるかもしれません。

この先には、大多数の参拝者の体軸を崩します。

 

そして、いよいよ「十三重塔」にまで、やってきました。

 

これが「十三重塔」です。

これが、「異界」に関わるものかもしれません。

 

              つづく

 

        2026年8月25日記

秘仏巡りの奈良旅 9

《 秘仏巡りの奈良旅 9 》

法華寺―八咫烏神社―秋篠寺―定光寺―長谷寺―法起院―宝山寺―談山神社

 

宝山寺その3(奥之院へ)

 

 奈良と大阪の県境にある生駒山の最奥へと、さらに歩きました。

宝山寺奥之院を目指します。

 

その参道には―――

多くの石仏が並んでいます。

良好な波動の空間です。

 

その参道の先に、奥之院に関わる建造物が見え始めました。

なぜか、この辺りのエリアでは、それほどの波動ではなくなります。

 

この画像の右端に写る地蔵菩薩の波動が低いために、このあたり一帯の空間波動が低下していました。

 

この途中に、「ケーブルカー」の文字のある看板がありました。

 

その昔、私はケーブルカーで麓から「宝山寺」にやってきたのです。

この生駒山に来た時には、クルマで道路を登って来ましたので、ケーブルカーなど一切見えませんでした。

 

それで、車中の同行者は、私の話を疑いの目を持って聞いていましたが、これで証明されました。

 

この生駒山の宝山寺へのケーブルカーは、日本初のものと云われています。

 

当初は、鉄道会社の現在の近鉄は、生駒山のトンネル貫通工事で莫大な資金を費やし、会社の存続危機にまで陥ったといいます。

 

それで、宝山寺は深夜でも開門していて、大阪商人が「聖天(歓喜天)」のご利益を求めてお参りできるようにしたことから、商売繁盛のご利益から参詣者が増して、近鉄は危機を脱した、とも云われています。

 

宝山寺「丸山真道」とあります。

 

そこに「大師堂」の御案内があります。

この地で修業されたと伝わる弘法大師空海の座像が鎮座されているようです。

 

これが「大師堂」です。

お大師様の座像が、この中にあるようです。

 

さらに参道は続きます。

 

参道の左右には、多数の石仏が置かれています。

しかし、

なぜか、この空間波動は高くありません。

 

何かの句碑があります。

 

ここが奥の院の「本堂」です。

お不動様が祀られています。

 

奥之院の案内図です。

 

ここに高波動の「お堂」があります。

かなり強いです。

 

この「お堂」の前に立ちますとーーー

身体が揺れます。

 

「白龍弁財天」とあります。

 

龍神とは、「水」や「雨」、あるいは「川」(滝)や「海」を司る存在とされて、日本各地で信仰されてきました。

 

一方、弁財天もまた、「水辺」や「島」、あるいは「湖」「川」「海」に囲まれた地にお祀りされることが多い「女神」です。

 

「水」は命を育て、土地を潤し、富や文化を運んでくる象徴です。

この「水の神」龍神と、「芸術」や「財」を司る弁財天が結びついたのが「白龍弁財天」です。

 

この土地全体の「流れ」や「めぐり」と結びついているものと理解されました。

 

その隣に、「金集弁財天」なるものがあります。

 

「金集(かねあつめ)」と謳っていますので、マイナス波動です。

こういうものに、多くの方は飛びつきます。

 

この前に立ちますと、波動が乱れます。ご注意ください。

 

そこの並びにも、多くの像がありますが、その影響を受けているのか、

一様に波動はよくありません。

 

その中には、「慈母観音菩薩」像もありますが、やはり波動は良好ではありません。

 

さらに階段を昇ります。

 

宝山寺は、山の斜面に建つエリアにあることが判ります。

 

奈良県側の街並みが見えます。

 

「大黒堂」です。

ここが奥之院では、最奥になります。

 

大黒天です。

ここに「大黒天」が祀られています。

 

我々は、「大黒天」のご加護を祈って、感謝を捧げました。

 

ここに「大黒天」の扁額があります。

 

ここは「奥之院」の最奥のエリアですので、山深い峻厳な地です。

 

ここは奥之院で、不動明王の御真言が書かれています。

奥之院には、「不動明王」が鎮座しています。

 

中は暗くて見えませんが、奥之院本堂には、「不動明王」が鎮座しています。

「ノウマク サンマンダ バザラ ダンカン」の御真言に反応します。

 

このエリアには、まだまだ見るべきものがあります。

 

「開山堂」です。

 

ここの開山堂には、宝山寺中興の祖(湛海律師)の像が安置されています。

 

このお方は、「生駒の生き仏」とされて、多くの方の尊敬を集めたといわれています。

88歳で亡くなられましたが、この「開山堂」には 77歳頃のお姿とみられる湛海律師の木造が祀られています。

 

「開山堂」です。

 

さらに別のルートを進みますと―――

鳥居には「福徳大神」とあります。

 

この「石磐」には、

確かに「福徳大神」様のエナジーが反応します。

 

福徳大神とは、「福」と「徳」の金運、商売繁盛、開運などに関わる「神」のことです。

この「石磐」に「福徳大神」様のエナジーが反応しますが、ここは「遥拝所」のようです。

 

ここの「本殿」となるのは、この先の「禁足地」のエリアのようで、立ち入ることができませんが、もの凄い波動が感知されます。

 

ここが「禁足地」です。

 

ここは―――邪気っている方は、イメージでそのエリアに入り込むだけで、体軸が乱れます。

正常で、清浄なエナジーの方以外は、受け入れてもらえないようです。

 

こうして、宝山寺の奥之院エリアを探索して、下の境内に戻りました。

 

少し、気を惹いたものがありました。

 

立派な「狛犬」です。

 

「生きています」。

この「狛犬」は、我々を歓迎してくれていました。

 

さらにこの「宝塔」を観て、次の「談山神社」へと向かいました。

 

             つづく

 

          2026年8月18日記

 

秘仏巡りの奈良旅 8

《 秘仏巡りの奈良旅 8 》

法華寺―八咫烏神社―秋篠寺―定光寺―長谷寺―法起院―宝山寺―談山神社

宝山寺その2

 

 宝山寺の本堂をお参りすると、その隣りに「聖天堂拝殿」があります。

ここは棟や破風の数が多く、寺院建築としては めったに見ない外観をしています。

 

その本堂の隣に、「聖天堂(歓喜天堂)」があります。

鳥居の「扁額」には、「歓喜天」と書かれています。

 

ここには強烈な「結界」が敷かれています。

この鳥居で浄化されます。

 

中に入りますと―――

これは、賽銭箱です。

 

聖天(歓喜天)は、大根が好物で、その絵柄が彫られています。

好物である大根は「悩みを清める」、巾着袋は「豊かさの象徴」とされています。

 

この大根では、「浅草七福神巡り」(2022年6月6日)の本ブログの中で、ラストに設定した「待乳山聖天(まつちやましょうてん)」では、祭壇に多量の「大根」が置かれていました。

 

「触らぬ神に祟りなし」との言葉がありますが、この「神」とは聖天をさす言葉です。

 

聖天は、穢れを嫌います。

ですから、いい加減な対応では、その祀った本人にも災いをもたらすことになる―――と云われているのです。

 

そのために、通常の寺院でも「聖天」様を祀るのは、避けたいし嫌がられると云われています。

 

聖天は、「子孫七代の福を、一代でとる」と云われています。

 

紀伊国屋文左衛門やパナソニック創業者の松下幸之助などは、「聖天信仰者」でした。

 

一説では、徳川家康も「聖天信仰者」で、あまりに霊力が強いので、「聖天は恐ろしい!」との噂を流して、世間に浸透するのを妨げたともいわれています。

 

中に入りますと―――

堂内は暗くて、よく見えません。

 

我々は、真剣に「聖天」(歓喜天)にお祈りをしました。

絶大な加護を受けられる絶好の機会ですので、真剣でした。

 

私は、「オン キリク ギャクウン ソワカ」の御真言を繰り返していました。

 

ここの「聖天堂」は、建物の手前が「外拝殿」、その後方が「中拝殿」、その奥に「大聖歓喜天(聖天)」を祀る「聖天堂」があります。

 

「大聖歓喜天」とあります。

 

ここでも、我々は真剣にお祈りを捧げました。

 

その効もあってか、我々は全員がすこぶる体軸が整いました。

聖天(大聖歓喜天)に感謝を捧げました。

 

再び、岸壁に刻まれた般若窟の「弥勒菩薩座像」に感謝を捧げました。

 

聖天堂」の奥に階段があります。

ここは「文珠堂」です。

 

その横にある岩盤には、多くのお賽銭の硬貨が埋め込まれていました。

 

「文珠堂」には、本尊である「文殊菩薩騎獅像」が安置されています。

堂内は見られませんでした。

 

この手前は「常楽殿」です。

その奥が「観音堂」です。

 

その背後の山全体が、ここをパワースポットにしているエリアです。

 

この「常楽殿」には、如意輪観世音菩薩坐像、吉祥天女、毘沙門天の3体が安置されているようです。

 

いずれも商売の神様で、歓喜天と同様に、こちらにも商売繁盛を祈願する人が多くいるといいます。

 

中は暗くてよくみえませんが、ここに―――

「如意輪観世音菩薩坐像」、「吉祥天女」、「毘沙門天」が鎮座しています。

 

ここは「観音堂」です。

 

扉の中には、「オン ロケイジンバラ キリク ソワカ」の御真言に反応を示しますので、「十一面観音菩薩」が鎮座しています。

 

ここに、「烏枢沙摩明王」像が祀られています。

 

「烏枢沙摩明王」とは、不浄や罪障、邪気を焼き尽くして清浄を回復する仏とされています。

 

日本では平安時代以降に密教とともに伝来し、真言宗・天台宗などの密教諸派では護摩や加持祈祷の本尊とされています。

 

除穢・息災・増益・敬愛・調伏に加え、求児・安産・富貴など多岐にわたる祈願に用いられています。

 

不浄を転じて清浄となす働きを持ち、憤怒尊として炎に包まれている像です。

真言は、「オン クロダノウ ウンジャク ソワカ」です。

 

「烏枢沙摩明王」は、烈火をもって不浄を浄化することから、寺院の東司(便所)に祀られていることも多いものです。

 

こには、永代供養の観音像があります

 

鳥居があり、「水神」とあります。

「水神」を祀る「祠」です。

 

ここには、「水神」様のお水が流れていますので、

その水を柄杓ですくって、水を掛けました。

 

この水は、山から引かれた「延命水」と呼ばれる湧き水です。

 

いつも枯れることなく流れ、夏の時季も冷たくておいしい。飲めば健康長寿が得られるといいます。

 

「水神」は「水天」のことです。「水天宮」も「水神」を祀っています。

御真言は 「オン バロダヤ ソワカ」です。

 

ここから「多宝塔」までは、左右に寄進された地蔵菩薩の像などが並びます。

 

「多宝塔」から「奥之院」へと続く途は、日中でも暗くなる樹木に覆われた参道が続きます。

 

途中には―――

このような「石塔」が数多く並んでいます。

 

石塔が続きます。

 

「開眼自我出世大師」というようです。

 

さらに 薄暗い参道を進みますと―――

 

「多宝塔」があります。

 

「多宝塔」とは、釈迦如来と多宝如来の二人の如来を祀る塔のことです。

 

ここに多宝塔の案内板があります。

 

「仏塔古寺18番霊場」「第15番札所」とあります。

それほどの波動ではありません。

 

ここに観音菩薩像が祀られていました。

 

参道は、さらに続きます。

参道には、300体を超える石像が並んでいます。

 

          つづく

 

        2026年8月11日記

 

ドラセラ10月の研鑽会申し込みについて

ドラセラ10月の研鑽会申し込みについて

 

ドラスティックセラピストの研鑽会の申し込みを、昨日から受けていますが、

10月10日(土)、11日(日)12日(月・休日)の3日のどれかですが

 

〇 現在 12日は定員20名を超えました。

〇 11日も定員を超えそうです。⇒ 定員を超えました。

〇 10日(土)は、まだ十分に空きがあります。

 

そこで、申し訳ありませんが、

〇 これから申し込まれる方は、できれば10日(土)でお願い致します。

〇 すでに11日、12日に申し込まれた方で、10日(土)に変更してもよい

  という方は、変更をお願い致します。

 

以上、よろしくお願い致します。    高天原保須美

 

 

 

秘仏巡りの奈良旅 7

《 秘仏巡りの奈良旅 7 》

法華寺―八咫烏神社―秋篠寺―定光寺―長谷寺―法起院―宝山寺―談山神社

宝山寺その1

 

 次の目的地は、「生駒山」です。

 

ここには、私の「守護神」となっている「聖天(歓喜天)」が祀られています。

それを祀る「宝山寺」には、かなり昔に訪れています。

 

その時には、麓からケーブルカーで山に入った記憶があり、クルマの中で

「ここは来たことがある。ケーブルカーで山に入った・・・・」

などと説明していたのですが、その山頂に向かう道路には ケーブルカーなどはなく、誰も私の話を信じていない様子でした。

 

この生駒山は、「日本書記」において、神武東征の折、神日本磐余彦尊と長髄彦が山麓で激戦を繰り広げたとされています。

 

奈良県と大阪府の県境にある山で、山頂は奈良県側にあります。

 

この生駒山は、古くは役行者の鬼退治の伝説で知られていて、宝山寺を中心に 滝の修行場や祠など、数多くの施設があります。

 

宗教法人として届けられていないものも多く、その総数は把握されていない、とまで言われています。

 

宝山寺に到着しました。

 

宝山寺のある駐車場に来ました。

 

駐車場から見ますと、参道があり、下から続いています。

参道には、左右に「灯籠」がぎっしりと並んでします。

徒歩で来ることもできるようで、我々はクルマですので、簡単にここまで来ています。

いや、その昔 私はケーブルカーで来たので、参道につながる商店街を抜けて来ています。

 

駐車場から、さらに―――

参道は続きます。

灯篭も続いています。

 

鳥居で拝礼をして、中に踏み込みます。

 

なぜか、この鳥居が「一の鳥居」のようで、この下のエリアには「二の鳥居」もあるようですが、この場所に移築したといいます。

 

ここから踏み込みますと・・・・なぜか、気配が変わります。

 

さらに参道は続きます。

高波動の空間が続きます。

 

宝山寺の「案内図」

 

「宝山寺 獅子閣」とあります。

この階段の上に「獅子閣」があるようです。

 

「獅子閣」です。

さらに、その先に階段が続きます。

 

この階段を昇ります。

その先には、高波動の空間があると 感知できます。

 

ここは・・・・何なのでしょうか?

波動は良好です。

 

「授福の神 七福神」とあります。

この「七福神」の影響で、ここの空間が良好な波動となっているようです。

 

「大日如来」と「地蔵菩薩」像があります。

 

ここに「七福神」の像がならんでいました。

 

右から 恵比寿―大黒天―毘沙門天―弁財天―布袋天―福禄寿―寿老人です。

なぜか、右から3番目の「毘沙門天」と左端の「寿老人」の波動は良くありません。

 

なぜ、この左端の「寿老人」の波動は低いのか?

この左端の背後のエリアの波動が悪く、その影響を受けているようなのです。

 

ここの「七福神」を守る位置にある「大日如来像」は、「生きていません」。

 

ここには、お大師様などの像があります。

それほどの波動ではありません。

 

さらに階段を昇ります。

すると―――

このような「門」があり、

その門を抜けていきますと―――

さらに別の境内へと続いています。

 

ここに手水舎があります。

両手と口を濯ぎ、正式にお詣りできる状態に整います。

 

本堂のある背後の山に、見覚えがありました。

ここに―――

山肌に、「弥勒菩薩座像)の像があります。

ここ宝山寺は、「聖天」様信仰で有名です。

 

聖天」とは、通常の寺院では祀ることが難しく、穢れを嫌いますので、避けられています。

 

「触らぬ神に祟りなし」と云われますが、これは「聖天」を指す言葉と云われます。

 

京都のある老舗の主人が怖いものを聞かれて、『一に聖天さん、二に税務署はんでんな』と答えた―――という話まで残っています。

 

いい加減な心構えで祀りますと、祟られるとさえ言われています。

しかし、その一方で―――

 

聖天」の加護を得られると、莫大な冨を得られるという信仰があります。

紀伊国屋文左衛門や三菱の創業者・岩崎弥太郎が「聖天」信仰で有名です。

 

また、

聖天」は、「歓喜天(かんぎてん、歓喜自在天)」とも云われます。

ヒンズー教の「ガネーシャ」に相当する尊格で、ガネーシャと同様に象の頭を持つのが「歓喜天(かんぎてん)」です。

 

形像

六臂単身の聖天(歓喜天)
(高野山真別所円通寺本『図像抄』より)

 

 

象頭人身の単身像と立像で抱擁している象頭人身の双身像の2つの姿の形像が多いですが、多くは「厨子」などに安置され、「秘仏」として扱われており一般に公開されることは少ないものです。

 

ヒンドゥー教の神・「ガネーシャ」は、元々は「鬼神」でしたが、やがて一つの神格へと融合され、文献においては 

シヴァ神に仕える魔物の長となり、そして最終的にシヴァの息子とされるようになったといいます。

 

「障害を司る神」でしたが、やがて障害を除いて「財福をもたらす神」として広く信仰されたといいます。

 

同じように、「聖天」「歓喜天」の系統として―――「毘那夜迦大明神」というものがあります。

 

ある文献で、「絶対秘仏」としていたもので、「この神の加護を得られると、財運と福運がもたらされる」というので、

私はこの「毘那夜迦大明神」のお入り頂いた仏像を大切に祀っています。

 

このヴィナーヤカ(毘那夜迦・びなやか と音写)は、ヒマラヤ山脈の聖地「カイラス山」で、9千8百の諸眷属を率いて三千世界と仏法僧の三宝を守護するとされています。

 

悪神が十一面観音菩薩によって善神に改宗し、仏教を守護し財運と福運をもたらす天部の神とされ、日本各地の寺院で祀られています。

 

カイラス山

 

標高6656 mの未踏峰です。

信仰の山であるため、登頂許可は下りない山です。

 

ただし聖者ミラレバ(1040年―1135年(?)が山頂に達したという伝説が有ります。

 

ここは、信仰の聖地で、

チベット仏教、ボン教、ヒンズー教、ジャイナ教で聖地とされています。

 

カイラス山の周囲の巡礼路を、チベット仏教徒は右回りに、ボン教徒は左回りに巡礼します。

 

ジャイナ教と安息教の信徒たちは反時計回りに山を回りながら歩きます。

 

一周約52 kmある巡礼路は、最高点ドルマ・ラは、標高5630 mもあります。

 

信仰心の厚いチベット仏教徒では、さらに五体投地(キャンヂャー)による礼拝で行う者も少なくないといいます。

 

ついでですが―――

世間では「聖天」と同じく真言密教では、「荼枳尼天(だきにてん)」も「天部」に属する神ですが、

これらを「信仰することは 怖い」とされることが多いようです。

 

「聖天」は、「歓喜天」あるいは「毘那夜迦大明神」と同じで、多大な幸運と財運をもたらされるとされていますが、

これらの神は、「人を選ぶ」と云われます。

 

加護するのに適した人物か否かを選定するというのです。

 

その一方で――――

「荼枳尼天(だきにてん)」は、人を選定したりしないといいます。

 

信仰してくれるのであれば、誰でも加護をしてくれる、と云われています。

 

ただし、一度信仰したら 生涯その信仰を続けることが大切である、とも云われています。

 

「苦しい時の神頼み」に終わらずに、その加護を与えられたら、その恩に報いるために一生涯に渡って信仰を続ける覚悟が必要だということです。

 

そうでないと、一度ご縁を頂いたら、生涯信心しないと災いが起こる、祟られる、最強に恐ろしい神だ、ともなり得ます。

 

「荼枳尼天(だきにてん)」は、我が国では「稲荷信仰」と強く結びついているので、「金運」が高まるとされています。

 

この場合の「荼枳尼天(だきにてん)」は、白狐に乗る天女の姿で示されることが多いです。

 

つまり、「眷属の狐系」がここに由来されます。

 

多くの「稲荷信仰」では、キツネ系の眷属を祀ることが多いので、私も好きではありません。

 

しかし、この機会に 「稲荷信仰」に関わる「荼枳尼天」について触れておこうと思います。

 

平氏の絶頂期を迎えた平清盛は、荼枳尼天の修法を行っていたといわれています。

 

さらに言いますと―――

近世になると荼枳尼天は、伏見稲荷の「愛染寺」、豊川稲荷の「妙厳寺」、最上稲荷の「妙教寺」など、憑き物落としや病気平癒、開運出世の福徳神として信仰されています。

 

明治政府が成立すると 神仏分離政策を受けて、それまで全国の寺社に荼枳尼天を勧請していた愛染寺は廃寺となり、伏見稲荷で荼枳尼天を祭祀することは途絶えています。

 

また荼枳尼天を祀っていた稲荷社も多くは「宇迦之御魂神」などを祭神とする稲荷神社となっています。

 

また、成田山には、出世開運稲荷として、成田山枳尼天堂がありますし、比叡山にも星峯稲荷があります。

 

高尾山にも福徳稲荷があり、浅草の浅草寺にも鎮護堂の稲荷系がありますし、東京の深川不動にも深川吒枳尼天堂があります。

 

このように多くの有名な寺院には、稲荷系の「荼枳尼天(だきにてん)」信仰が残っています。

 

ですから―――正しい「荼枳尼天(だきにてん)」を祀っている「稲荷神」では、何ら問題はありません。

 

別のカメラで撮った像です。

「般若窟」とも言われています。

 

ここでは、「弥勒菩薩」として反応しています。

弥勒菩薩の真言である「オン マイタレイヤ ソワカ」に反応を示します。

 

ただ、私には「聖天」の「オン キリク ギャクウン ソワカ」にも反応します。

 

ここに何かの「お堂」があります。

 

横から見ると、やたらに「牛」像が置かれています。

 

この像は何なのでしょうか?

詳しくは判りません。

 

お堂の前にも「牛」像があります。

「牛」といえば―――

やはり、「天神」様でした。

大宰府に流された菅原道真を祀る「お堂」です。

 

菅原道真の遺骸を運ぶ際に、防府天満宮のある地で「牛が止まった」ことから、その地に天満宮が建てられていますが、

その天満宮の眷属とも云われる「牛」を撫でますと、ご加護が受けられるといいます。

 

当然、多くの方々が撫でていますので、邪気が溜まっていますので、浄化してから撫でるようにしてください。

 

それにしても、「撫で丑」が多く据えられています。

その横に―――

「水掛不動尊」があります。

我々は、全員で柄杓から水を取り、お不動様に水を掛けました。

 

ここに「不動明王」の御真言(中呪)が書かれています。

ここは「第十三佛第一番霊場」となっています。

 

ここも波動は良好です。

ここが「本堂」です。

 

ここは「本堂」の拝殿です。

 

ここには、宝山寺の中興開山者である湛海律師による「不動明王像」が祀られています。

 

この中で「護摩祈祷」が行われるので、煤(すす)で暗くてよく見えません。

 

ここに「宝山寺」と書かれた「額」があり、その「額」は弘法大師空海が書いたと伝わります。

 

その額は、現在の宝山寺が出来るよりも前に、お大師様が「縁起のよい言葉」として示したものであるとのことです。

 

ここの本堂の床下には―――

このようなモノが置かれています。

 

不思議なのですが―――

この床下に入り込みますと、身体が整います。

 

体軸の乱れた方、何となく不調を訴える方がいれば、

この床下に潜り込ませるといいようです。

 

         つづく

 

         2026年8月4日記

 

秘仏巡りの奈良旅 6

《 秘仏巡りの奈良旅 6 》

法華寺―八咫烏神社―秋篠寺―定光寺―長谷寺―法起院―宝山寺―談山神社

長谷寺その3―法起院

 

 御本尊の「十一面観音菩薩」のある本堂を出ますと、

その本堂の横に「地蔵菩薩」があります。

 

地蔵菩薩で、その持ち物としての「如意宝珠」にお手を触れると、どんな願いでも叶えてくれるといわれています。

 

すごく立派に見えますが、この像は「生きていません」。

 

「如意宝珠」についての説明があります。

宝珠とは 宝玉(ほうぎょく)のことで、仏教においては 霊験を示す宝の珠のことです。

 

「大黒天」を祀るお堂(大黒堂)です。

参拝している方がおられます。

 

七福神の一つである「大黒天」です。

残念ながら「生きてはいません」。

 

左側には「鬼子母神」があります。

この「鬼子母神」は、「生きています」。

 

右側の脇仏は、「愛戦明王」のような像がありますが、

その前に、高波動の像が鎮座しています。

 

反応では「不動明王」のように反応します。これは「生きています」。

 

「打ち出の小槌(こづち)」

 

大黒天の持つ「打ち出の小槌」を示しています。

これで金銀財宝が得られるという縁起物です。

 

石造りなので、「手を触れて財運・幸運を得ましょう」となっていますが、それほどの邪気は溜まっていません。

 

さらに「福袋」もあります。

 

大黒天が背負ってる「福袋」です。

金銀・財宝が入っているといわれます。

 

「御影堂(みえどう)」です。

 

「御影堂(みえどう)」は、弘法大師空海が入定(亡くなる)した1150年目にあたる年(昭和59年)に、その恩徳を偲び建立されたものです。

 

「南無遍照金剛!南無遍照金剛!南無遍照金剛!」と お大師様の御真言を唱えますと、反応します。

 

この「御影堂(みえどう)」の中で、お大師・弘法大師空海様のエナジーが反応を示します。

 

お大師・弘法大師空海様の像が置かれています。

この像は「生きています」。

 

不思議なのですが・・・・この像に向かって、

「南無遍照金剛!南無遍照金剛!南無遍照金剛!」と 御真言を唱えますと、誰でも身体が浄化されて、体軸が整うように反応を示します。

 

試してください。その効験に驚かされます。

 

お大師様、弘法大師様、空海様が、今でも生きていて 我が国の人々を救ってくれている・・・・と、思わされます。

 

次に、「五重塔」のある方向に向かいました。

 

ここに「一切経蔵」とあります。

 

この階段を昇ります。

 

この中を見ることができます。

驚きました―――

もの凄く豪華なものが置かれています。

 

これが一切経蔵(いっさいきょうぞう)なのか―――

それは、仏教におけるすべての経典(一切経)を保管・収蔵するためのものです。

 

これは寺院内に置かれる「経蔵」の一種で、内部に経典を収めるための回転式の書架(輪蔵(りんぞう))が備えられています。

 

この中心の「経蔵」の右には、お大師様空海の像(そのように反応します)があります。

 

ここの空間は高波動です。

 

「五重塔」です。

 

ここは、「三重塔」が建っていたところで、天武天皇の時代(673年から686年)に建立されたといいます。

 

その後、豊臣秀頼により再建されるも、明治9年に全焼しています。

この中に、長谷寺その1のブログにある「国宝・銅板法華説相図が置かれていました。

 

これが「五重塔(五重宝塔)」です。

 

「五十宝塔」とあります。

 

それまでの「三重塔」が消失していまったので、昭和29年(1954年)に建立しています。

 

「納骨堂」となっています。

 

「納骨堂」の中です。

堂内には、多数の骨壺が納められています。

 

納骨堂で我々は手を合わせましたが、いずれは皆この世から去っていきます。

 

その後を継ぐ子孫の代になると・・・・、その墓守は誰が引き継ぐのか・・・・。

今、墓終いが行われるようになっています。

 

そんなときに、このような納骨堂に納められて、日々お経をあげられている方がいいかも・・・・。

こんなことを考えていました。

 

ここには多くの「供養塔」があります。

 

「鳥獣・猟犬供養塔」のようです。

 

ここは、長谷寺の「奥之院」です。

 

「菩提院」があります。

 

扉も閉じられていて、中も見えません。

特に波動が高いこともありません。

 

期間限定 「本坊書院・大講堂」(重要文化財)とあります。

 

また、観音大画軸(実物大複製)

「国内最大 掛けられない掛け軸」とあります。

これを見に行きます。

 

「本坊書院・大講堂」です。

この中に入ります。

 

「重要文化財 長谷寺本坊八棟」についての説明文があります。

 

中に入りますと―――

長い廊下があります。

 

この中に―――

大きな部屋があり、

ここに―――

「観音大画軸(実物大複製)」

「国内最大 掛けられない掛け軸」があります。

 

確かに・・・・こいれではデカすぎて、「掛け軸」とはなりません。

複製のせいなのか、波動はそれほどでもありませんでした。

 

「如来像」があります。

しかし、残念ながら「生きてはいません」。

 

その如来像の背後には、多くの歴代の僧の仏像があります。

そのどれもが「生きてはいません」。

 

右側の背後にも同じく仏像が並んでいます。

しかし、そのいずれもが「生きてはいません」でした。

 

もう一度、我が国最大の観音掛け軸をみます。

やはり・・・・残念しかいうことができません。

 

しかし―――

別の部屋に行きますと―――

素晴らしい「襖絵(ふすまえ)」があります。

この画筆の素晴らしさに目を奪われました。

 

ここには「冬山水(とうさんすい)」とあります。

 

「夏山水」と対になるようで、説明文があります。

さらに―――全体を眺めますと―――

素晴らしい「襖絵(ふすまえ)」となって展開されます。

 

もの凄い波動を発散させています。

心 打たれました。

 

次のものは、「夏山水」です。

「険しい峰々に金色の陽光が差し込んで・・・・」との説明文があります。

 

「夏山水」です。

なぜか・・・・こちらの襖絵には、それほどの感動は覚えませんでした。

 

「皇后陛下 玉座」(手前)です。

その後ろは、「天皇陛下 玉座」です。

 

「行幸啓」とありますので、天皇陛下と皇后陛下のお二人が、この長谷寺に来場したようです。

 

行幸啓(ぎょうこうけい)とは、天皇と皇后がご一緒に外出されることを意味する宮廷用語です。

天皇陛下おひと方の場合は「行幸(ぎょうこう)」、皇后陛下おひと方の場合は「行啓(ぎょうけい)」と呼ばれます。

 

それほどの波動ではないようです。しかし―――

この額が飾られた当時の次元にしますと・・・・・、

 

とてつもない波動が現出します(この画像は、その次元にセットしています)。

 

外に出ますと、長谷寺の大伽藍の大きさが判ります。

 

このような池もありますが、整備されていないようです。

 

「大聖不動明王」との扁額があります。

中に入りますと―――

 

「不動明王」が鎮座しています。

 

この「不動明王」像は、「生きています」。

「ノウマク サンマンダ バサダ ダンカン」の御真言に反応を示します。

 

小さな「祠」があります。

 

中には、石仏が2体あります。

お大師様とお不動様なのでしょうか・・・・詳しくは判りません。

 

こうして―――

我々は、長谷寺を後にしました。

 

次に向かったのは、長谷寺の門前町の中にある「法起院」です。

 

その門前です。

「西国三十三所開基 番外」とあります。

 

ここから、中に入ります。

 

「番外 札所」とあります。

小さな寺院です。

 

「総本山長谷寺 開山坊 法起院」

「徳道上人 御廟所」とあります。

 

徳道上人を祀っているようです。

 

徳道上人(とくどうしょうにん)とは―――

奈良時代の僧侶で、日本最古の巡礼路である「西国三十三所観音巡礼」の開祖として広く知られています。

 

この薄暗い中に安置されているのが、徳道上人の像のようです。

 

見づらいですが、境内に観音菩薩像がありました。

それほどの波動ではないです。

 

こうして、次の目的地へと向かいました。

 

           つづく

        2026年7月28日記

 

秘仏巡りの奈良旅 5

《 秘仏巡りの奈良旅 5 》

法華寺―八咫烏神社―秋篠寺―定光寺―長谷寺―法起院―宝山寺―談山神社

 

長谷寺その2

 

 いよいよ巨大な伽藍である 全国に240箇所ある「長谷寺」の総本山である「本堂」に入ります。

 

特別拝観日なので、本尊の「十一面観音菩薩」像の足元にいくことができます。

 

本堂は、「観音堂」との別称もあり、巨大な観音菩薩像(十一面観音菩薩)が祀られています。

 

ここの「本堂」は、初瀬山中腹の懸崖に建つ大殿堂で、舞台からの眺望は雄大そのものです。

ここは、国宝に指定されています。

 

ここに「本尊 大観音特別拝観」とあります。

 

さらに、「大きな観音様のお御足に触れて お慈悲を感じてください」とあります。

特別拝観日とは、直接観音菩薩像に「お御足」に触れることができる日なのです。

 

中に入りますと、薄暗いです。

 

多くの羅漢像が待ち構えていました。

良好な波動を感知します。

 

同様に多くの仏像が並んでします。

かなりの高波動です。

 

そして―――

巨大な「十一面観音菩薩」です。

 

これが「本尊」の「観音菩薩像」です。

奈良時代に、徳道上人の造立で、右手に錫杖、左手に水瓶を持っています。

身の丈は三丈三尺(約10M)の巨大な仏像です。

 

国宝・重要文化財指定の木造彫刻の中では最大のものです。

 

幾度も火災で炎上していますが、頂上の仏のみが残ってきたといいます。

現在の「観音菩薩像」は、天文7年(1538年)に造立されたものです。

 


 
別の性能の高いカメラで写したものです。

超絶の高波動です。

 

本像は通常の十一面観音像と異なり、右手には数珠とともに地蔵菩薩の持つような錫杖を持ち、方形の磐石の上に立つ姿となっています。

 

左手には通常の十一面観音像と同じく水瓶を持っています。

 

伝承によれば、これは地蔵菩薩と同じく自ら人間界に下りて衆生を救済して行脚する姿を表したものとされ、他の宗派(真言宗他派も含む)には見られない独特の形式です。

 

この種の錫杖を持った十一面観音を「長谷寺式十一面観音(長谷型観音)」と呼称しています。

 

左側からの画像です。

 

あまりに巨大な像ですので、全体が撮れない場所のために、画面に収まり切れない状況です。

申し訳ございません。

 

「本尊」の足元に直接触れる機会でしたが、暗くて画像に残りませんでした。

重ね重ね 申し訳ございません。

 

薄暗い本堂の中にあります。

 

本尊の「十一面観音菩薩像」です。

これは国宝です。「生きています」。

 

その背後には、鮮やかな菩薩像が描かれています。

 

本尊「十一面観音菩薩」像です。

 

「オン・ロケイジンバラ・キリク。ソワカ」の御真言に反応を示します。

この位置に来ますと、その威容が見えるようになります。

 

「稲荷大明神立像」です。

 

ここには「十二神将」が写っています。

暗くて申し訳ありません。

 

ここは正面の祭壇となっています。

 

ここの本尊を安置する「正堂(奥になります)」と、通常の参詣者がお参りすることになる「礼堂(手前になります)」があります。

 

この両者をつなぐ「相の間」の3部門に分かれているのです。

 

今回は「特別拝観」で正堂(奥になります)まで入れましたが、通常は礼堂(手前になります)からの、つまり、ここからの拝観となるようです。

 

ここの奥行きは27Mもある巨大なものです。ですから―――

この礼堂からは、本尊は巨大な10Mに及ぶ我が国最大の木造菩薩像ですが、その大きさから通常の菩薩像のように観ることができます。

 

礼堂は、このようになっています。

 

京都の「清水寺」の舞台のように、外の景観を眺められるようになっています。

 

ここでは「外舞台」と称しています。

この「外舞台」の内側を「内舞台」といいます。

 

そこに―――

「賓頭尊者(びんずるそんじゃ)」が鎮座しています。

釈尊の弟子の一人で十六羅漢の一人です。

 

自分自身の患部を撫でると、その症状が消失するといわれます。

そのために、多くの方がこの像を撫でていますので、波動がよくないです。

 

モリモリ(右)とタッキー(左)が、撫でまわしていました。

 

注意しなくてならないのは、多くの方はこの像を長く撫でまわしますと、邪気が身体中にたまります。

この二人は 安定していますので、それほどの問題は生じません。

 

参詣者が奉納した額などが飾られています。

 

天蓋のようにも見えますが、何でしょうか?

 

外に出ている「外舞台」となっています。

 

天気もよく、気持ちがいいので、全員で「外舞台」の欄干に出て、長谷寺の大伽藍の風景に浸りました。

 

「外舞台」から内部の礼堂をみると、このようになっています。

 

「外舞台」からは、眼下に他の伽藍が見えています。

 

五重塔が見えています。

 

長谷寺の巨大な伽藍は、まだまだ多くのパワースポットがあります。

この景色に浸りながら、ワクワク感を持って、次のエリアへと進みました。

 

           つづく 

 

              2026年7月21日記