生命体エナジー浄化の会ブログ

「生命体エナジー浄化の会」というホームページのブログです。

将来、要介護・自立生活困難にならないために 2

《 将来、要介護・自立生活困難にならないために 2 》

 前回は、「要介護」「認知症」のリスクについて、その実態と、かって私が大きく携わっていた講座の内容などに触れて、「健康寿命」と実際には、10年間も余命があり、非健康寿命の状態で生活する方が、ケタ外れに増えている実態に触れました。

 

では―――「要介護」の状態で、10年に及ぶ非健康寿命の状態で生活することを防ぐには、どうすべきなのか?

 

また、そのチェックは、どうするのか、また、それを防ぐにはどうすべきなのか―――ということを、今回は考えていきます。

 

まず―――「要介護」の可能性の有無をチェックします。

 

次のテストを行います。

 

椅子に座り、片足の膝を伸ばします。

 

これは、大腿四頭筋の筋力レベルが正常か否かのチェックです。

年と共に筋肉が衰えます。

 

筋肉の衰えの顕著なのは、「大腿四頭筋」です。

大腿部の前にある「大腿四頭筋」は、全身の筋肉が衰えを健著に示す指標となります。

 

通常、30才過ぎると、年に1%ずつ筋肉が減少していきます。

10年で10%も減少するのです。

 

20年では、つまり50歳では20%も筋肉量が低下していることになります。

いや、筋肉量の衰えは、年と共に加速度的に拡大していきますから、もっと大きく筋肉の減少はあるものと思った方がいいようです。

 

前回、「フレイル」(虚弱で筋肉が落ちて、認知機能が低下して、要介護の予備軍の状態)と、その前段階である「サルコベニア」の指標として、「握力」が云々とありましたが、

 

これは普段から物を持ったり、「手」を使いますので、「握力」はそれほど顕著に筋力が低下することはありませ。ここでは「大腿四頭筋」を使います。

 

要介護を受けるのか否か、自立した生活ができるのか否か―――これには、大腿部の筋力が十分にあるのか否か、が大きく関わるのです。

 

この姿勢をしっかりと保てる。

さらに言えば、脚は「平行」か「平行よりも上」、できれば5センチから10センチ上げます。

 

「平行よりも上」、できれば5センチから10センチ上げる

 

この状態を保持できることが必要です。

 

ブルブル震えたり、直に足が下がってしまう方は不合格です。

このとき―――

 

正しく背中は立てます。

背中が丸まってもダメです。

 

大腿前部の大腿四頭筋が、つったりしないか。

大腿後部のハムストリングスが、「痛い」「つらい」と感じることはないか。

 

「つらい」と感じるのであれば―――

 

今現在は40歳であっても、30年後には要介護の可能性があり、

自立した生活を送れない可能性があります。

 

虚弱を示す「フレイル」の前段階である「サルコベニア」(運動不足で筋肉の喪失を招き、身体機能が低下している状態)は、30代になると多くに方に見られてきます。

 

そして、40歳を超えると、実に4人に一人に、その兆候が始まるとされています。

 

そして―――40代で虚弱な「フレイル」の状態に入り、

気が付くと、「要介護」「認知症」予備軍となり、晩年のおよそ10年間は健康寿命を全うできずに、介護施設に入るか、「ここは、どこ?」「私は、誰?」の認知症状態になってしまうかもしれないのです。

 

このような「要介護」「認知症」予備軍の方が、我が国では爆破的に増えているようです。

 

実際に「要介護」「認知症」の状態になると、それをカバーするための「介護者」が必要となり、これだけでも我が国の国家予算を圧迫する莫大な「医療費」が必要とされています。

 

そのために、国民一人一人が真剣に向き合わなくてならない事態が切迫しています。

では、どうすべきなのか―――

 

それには、「クスリ」の服用で解決することはありえません。

本質的に、「クスリ」で健康を買えるものは存在しません。

 

「クスリ」は「症状を抑えるだけ」であり、「症状を治す」ものは、ほとんどありません。

いや、それよりも―――

 

「クスリ」を3種類から5種類以上も服用されていますと、

自己治癒力(自然治癒力)が働かなくなります。

 

「免疫系機能」がダメージを受けて、様々な症状を示すようになります。

 

「免疫系機能」とは、脳下垂体、視床下部甲状腺、胸腺、副腎、脾臓、左右精巣・卵巣です。

これに、膵臓、肝臓、腎臓さらに言えば小腸なども関連します。

 

多種のクスリを服用することで、「免疫系機能」が低下します。

それに輪をかけるのが、携帯・スマホの電磁波です。

 

ほぼ全ての人は、電磁波の悪影響下にあります。

携帯・スマホを所持しているだけで、腰椎5番、3番が歪み、左側頭骨に過度なストレスがかかります。

 

今後は5G電磁波の強烈なストレスを受けることになりますので、事態は深刻になっていくのは必定です。

 

「若返り神気」「脳発達認知症」または「脳若返りCD」で作成した「波動水」を、携帯・スマホあるいはパソコンなどに週1回スプレーしている方なら問題はありませんが、

 

ほぼ例外なく、電磁波の悪影響で身体が歪んでいます。

 

仙台の電磁波の権威である〇山医師のところで購入した電磁波防御グッズも、私の治療を受けた二人の患者様が所持していましたが、効いていませんでした(効果がありませんでした)。

 

このようなことから―――若い方は「電磁波」、また高齢者になるほど「薬害」の悪影響で、身体がストレスを受け続けていますので、常に身体が歪んだ状態で生活しています。

 

そのために、まず行うべきことは―――

 

「薬害」と「電磁波の悪影響」を避けるために、「クスリに過度に依存しない」ことと、

携帯・スマホあるいはパソコンなどに、若返り神気を週1回スプレーすることが大切です。

 

今まで多くの電磁波防御グッズを見てきましたが、有効なものは「ほとんどありません」でした。

 

では、本題の身体の筋肉を刺激して、それ相応の筋量を確保するためには、どうしたらよいのか―――

 

簡単に言えば、フィットネスクラブに行って、マシーンでもよいから、筋トレをすることをお薦めします。

 

自宅で、通販などで購入した運動器具が多くありますが、自宅では大多数の方は運動を継続できずに、ただのガラクタと化しているのが実情です。

 

それでも、最低限は自分で鍛えていきたい方は、ここで簡単に行えるエクササイズをご紹介します。

 

全てのエクササイズは、8回から12回できるようにします。

個人差がありますので、軽ければ両手にダンベルを持って行うなど、自分で負荷を増やしてください。

 

1セットから開始して、徐々に2セット、3セットと増やします。

 

1,ウォール・スクワット

壁に両手をついて、バランスをとり、膝の屈伸を行うスクワットです。

 

これで、下半身の多くの筋肉が連動します。

マシーンで、スクワットと同等の効果を示すには、12種類のマシーンを行う必要があることが示されています。

 

多くの高齢芸能人は、必ず行っているエクササイズです。

 

2 ワンレッグド・スクワット

 

1ランクアップのスクワットです。

片足を台の上に載せて、片足で膝の屈曲・伸展を行います。

 

これにより、大腿前部(大腿四頭筋)だけでなく、大腿後部のハムストリングスも殿筋群も鍛えます。

 

3 片足挙上してヒップ・リフト

仰臥位で、片足を挙上して、臀部を持ち挙げて、「イーチ、ニーイ、サーン・・・」とゆっくりと数えて、ゆっくりと臀部を元に戻していき、再び臀部を持ち挙げていきます。

 

これをゆっくりと繰り返していきます。

 

負荷を強めるには、足のかかとの位置をより遠くにします。

負荷を小さくするには、足のかかとの位置を近くにして、両足を付いたままで行います。

 

年と共に衰えの目立つ「殿筋群」と「ハムストリングス」、「背筋群」を鍛えます。

 

4 シッシー・スクワット

下半身の体軸をとるために、大腿四頭筋の中の「大腿直筋」(唯一の2関節筋で、膝と骨盤に付着します)。

 

少し、「きつい」と感じる方は、無理して行う必要はありません。

これは、通常の大腿部のエクササイズでは、直接鍛えることのないもので、正しく行えば、骨盤のバランスを整えることができます。

 

鍛錬者は、胸の前にプレートなどの負荷を持って行います。

 

以上は、全てが主に大腿部―臀部などを鍛えるエクササイズです。

 

以下、もう少し「上半身」「腹筋」などの主要なエクササイズも紹介しておきます。

 

このようなバーの下に身体を置いて、両足の膝を曲げます。

両手でバーを掴んで、腕を曲げて、身体を上方に引き上げます。

 

背中のエクササイズです。

 

多くの方は、背中を鍛えることを怠ります。

腕立て伏せ(プッシュアップ)などは簡単にできますので、誰でもできますが、背中を鍛えることはあまりやらない傾向にあります。

 

そのために、立った時に、シャキッと正しい姿勢を取れない方が多くいます。

背中が丸まった、見るからに不健康そうな方は、硬くなった背中を防ぐためにも、取り入れておきたいエクササイズです。

 

 

これは、「胸」「肩」「腕(上腕三頭筋)」を鍛えるエクササイズです。

 

普通の「腕立て伏せ」(プッシュアップ)と違うのは、腕を曲げたときに片側の「手の上」に顎を付けます。

 

これは―――少しきついので、両膝を床に付けたままで行います。

 

 

腹筋下部を鍛えるエクササイズです。

 

両ひざを曲げて、そのまま腰を持ち挙げます。

これをゆっくりと行います。

 

腹筋のエクササイズというと、仰向け姿勢で足首を固定行うことが多いですが、

これだと、腹筋の上部繊維を刺激しますが、メインは「腸腰筋」のエクササイズとなります。

 

腰痛の方は、さらに腰痛が悪化する可能性があります。

ですが―――

 

このエクササイズなら、腰痛の方でも問題なく行うことができます。

 


 

腹筋エクサイズで、特に腹筋の強度をアップさせたものです。

パートナーに足首を保持してもらい、そのまま上方に腰を持ち挙げて、

ゆっくりと、背中から降ろしていき、骨盤が床につくまで降ろします。

 

これを繰り返します。

 

高齢者になると、「尿漏れ」の問題が深刻になります。

 

「尿漏れ」の問題に悩んでいる方は、次の点をチェックしたください。

 

〇 膀胱に神経切断があるか否か

 ※私の調整ルームで、この「神経切断」が多くみられます。

  その影響で、「尿漏れ」を起こします。

  残念ながら、神経切断は医療施設では、画像に映らないので見つかりません。

 

〇 尿道括約筋の神経切断があるか否か

 ※尿が出るのを我慢できないケースの場合には、これを疑います。

 

〇 骨盤底筋群の神経切断があるか否か

 ※骨盤の底には、左右の「筋群」があって、支えています。

   この筋群に、時々神経切断のある方が見つかります。

   この場合にも、尿を我慢できずに漏らしてしまう可能性が高まります。

 

このように、「尿漏れ」の多くのケースで「神経切断」が介在しますが、医療機関では見つからないことが多く、「おむつ」をして耐えている方が多くいます。

 

その多くが、肝臓に毒素が溜まり、肝臓の「尾状葉」というエリアに、水銀、鉛、ヒ素などが溜まり、その影響で神経内を走っている「血管」が脆くなり、切れてしまうケースを数多くみてきました。

 

それよりもます、「尿漏れ」を心配して悩んでいる方は、

 

〇 腹筋が弱い(腹筋力の低下)

 

これが、背後に必ず潜んでいます。

つまり―――

 

「尿漏れ」を心配して、その可能性を怖がるのであれば、

まず、腹筋を鍛えて、そうならないように鍛えるしかありません。

 

「腹筋は、鍛えないと弱化します」

「背筋は、鍛えないと硬くなります」

 

これらのことを深く胸に刻んで、将来「要介護」「認知症」にならないために、今から備えていただけたら・・・・と思います。

 

※「認知症」については、今の医学では治せません。

進行を止めるのが精一杯です。

これについては、その時期がきた時に開設する予定です。

 

             了

 

         2024年3月19日記

 

 

将来、要介護・自立生活困難にならないために 1

《 将来、要介護・自立生活困難にならないために 1 》

 現在の国民医療費は、我が国の国家予算100兆円のうち、約35%を占める莫大な経費を必要としています(国家予算額は、米国、中国、ドイツに次ぎ、世界4番目の規模です)。

 

大雑把に言えば、「国家予算の半分近くが、国民医療費が占めている」ということになります。

 

それは―――高齢化が進む我が国が抱える大きな問題であり、高齢者の大半が医療費の保険診療に頼っていることに、根本的な問題があります。

 

特に、健康寿命と要介護を受けなくてはならない状態で生活する非健康寿命の問題は、多くの高齢者の大きな問題です。

 

日本人の平均寿命は、男性81.41歳、女性87.45歳です。

しかし、何も問題なく生活できる「健康寿命」は、男性72.14歳、女性74.79歳なのです。

 

つまり、平均寿命では日本人は世界一とされながら―――

 

残りの10年間は、平均寿命と健康寿命の差が「延命期間(健康に生活できない期間)」であって、介護費用などの出費が必要とされているのです。

 

このことは、長生きしていても、健康寿命そのものを延ばさなくては、人生の晩年には悲惨な状態が待ち受けていることを意味しています。

 

もし、家族もいなくて、一人きりで生きている高齢者の方は、自分の晩年を考えると十分な老後資金が必要であり、

 

さらに、多くの高齢者が抱える問題となっている「認知症」に罹ると、十分にあるはずの老後資金ですら、正しく自分の老後資金に充当できるのか否かすら、解らないことになってしまう可能性もあります。

 

認知症」では、銀行の管理が不十分となり、家族がいればともかく、悪意のある第三者が介入すれば、悲惨な結果を招く事態に陥る可能性すらあるからです。

 

特に―――配偶者の妻に先立たれた男性高齢者は、通常は5年ぐらいで身体はボロボロになって亡くなります。

 

それは―――たとえ配偶者と触れ合うことがなくても、一緒に生活することで、男性は女性から生命体のエナジーをもらっているからです。

 

男性は、大地や樹木からは生命体のエナジーを吸引することはできないようです。

しかし、

女性は、大地や樹木からは生命体のエナジーを吸引することができますので、「夫」に先立たれても、さらに数十年と生きつづけることができるのです。

 

 

自分の親の介護のために仕事を辞めた方もいますし、親を介護施設に入れるための経費を捻出するために、退職金を前借りする方もいます。

 

亡くなる前日まで元気に動き回っていて、朝起きたら亡くなっていたという「大往生を遂げる」のが理想ですが、寝た切りで10年間の過ごすようなケースは最悪です。

 

その面倒をみる家族の負担は、並大抵のものではありません。

 

過疎化が進む山間部の集落などは高齢化が進み、廃村などが深刻化しています。

 

都会でも、自立して生活している高齢者の老人は減少の一途をたどり、高齢者の介護をする人の時給が低く、介護者の不足が国家的な問題にまでなってきています。

 

このような現状の中で、我々ができることを考えてみました。

 

まず、要介護の「前段階」である「フレイル」について、簡単に解説します。

 

フレイルとは、海外の老年医学の分野で使用されている英語の「Frailty(フレイルティ)」が語源となっています。

これは―――日本語に訳すと「虚弱」や「老衰」、「脆弱」などを意味します。

 

日本老年医学会は高齢者において起こりやすい「Frailty」に対し、正しく介入すれば戻るという意味があることを強調したかったため、多くの議論の末、「フレイル」と共通した日本語訳にすることを2014年5月に提唱しています。

 

フレイルは、厚生労働省の報告書では―――

「加齢とともに心身の活力(運動機能や認知機能等)が低下し、複数の慢性疾患の併存などの影響もあり、生活機能が障害され、心身の脆弱性が出現した状態であるが、

一方で適切な介入・支援により、生活機能の維持向上が可能な状態像」とされており、健康な状態と日常生活でサポートが必要な介護状態の中間を意味します。

 

多くの方は、フレイルを経て要介護状態へ進むと考えられていますが、高齢者においては、特にフレイルが発症しやすいことがわかっています。

 

高齢者が増えている現代社会において、フレイルに早く気付き、正しく介入(治療や予防)することが大切となります。

 

フレイルの基準には、さまざまなものがありますが、多くは次のものです。

基準となるものには5項目あり、3項目以上該当すると「フレイル」、

1または2項目だけの場合にはフレイルの前段階である「プレフレイル」と判断します。

  1. 体重減少:意図しない年間4.5kgまたは5%以上の体重減少
  2. 疲れやすい:何をするのも面倒だと週に3-4日以上感じる
  3. 歩行速度の低下
  4. 握力の低下(簡単に握力計で測れますから、これが用いられます)

しかし私は、下肢の筋力低下が顕著なのに比べて、握力の低下は顕著ではないことから、少し否定的です。

  5、身体活動量の低下

「フレイル」には、体重減少や筋力低下などの身体的な変化だけでなく、気力の低下などの精神的な変化や社会的なものも含まれます。

 

フレイル状態に至るとどのようなことが起きるか―――

フレイルの状態になると、死亡率の上昇や身体能力の低下が起きます。

したがって、何らかの病気にかかりやすくなったり、入院するなど、ストレスに弱い状態になっています。

 

例えば健常な人が風邪をひいても、身体の怠さや発熱を自覚するものの数日すれば治ります。

しかし、フレイルの状態になっていると風邪をこじらせて肺炎を発症したり、怠さのために転倒して打撲や骨折をする可能性があります。

 

また、入院すると環境の変化に対応できずに、一時的に自分がどこにいるのかわからなくなったり、自分の感情をコントロールできなくなることもあります。

 

転倒による打撲や骨折、病気による入院をきっかけに、フレイルから寝たきりになってしまうことがあります。

フレイルの状態に、家族や医療者が早く気付き、対応することができれば、フレイルの状態から健常に近い状態へ改善したり、要介護状態に至ることを減らせる可能性があります。

 

では、実際にフレイルの状態には、どのくらいの比率で出現しているか―――

 

4000人以上の在宅高齢者の調査によると、実に4人に一人がフレイルです。

そして、

65歳でフレイルであれば、その後早い段階で「要介護」「認知機能低下の状態」に入るとされています。

 

この調査からは、フレイルの人は、3年後にはこの問題に入る方が、そうでない方の2.4倍も高いことが示されています。

 

ところで―――健康とは、「病気でない状態で、元気に活動できる体力があること」と定義されたときに、では、「体力」の最も重要な要素とは何か?

 

私は、サラリーマンをリアタイアして、現在の治療家の道に進む以前には、サラリーマンでありながら、休日の多くを講習会の講師として活動することが多々ありました。

 

講習会の主体は「筋トレ」が主ですが、「健康」をテーマとした講座も数多く経験していました。

 

その当時、「体力とは何か」というと、体協の講習会でもその他の公的な講習会でも、壇上に立つ講師の運動生理学者などは、例外なく「有酸素運動系(エアロビクス)」がメインとしなくてはならない、と発言していました。

 

というのは―――

 

1960年代に米国にケネス・クーパーという学者がいて、「体力の第一は、まず呼吸循環器系の向上を目指さなくてならない。

筋力とレーニンは、無理に行わなくても、エアロビクス能力が高まれば、健康でいられる」

と主張していました。

 

この主張を日本の多くの学者が信じて、一様に「健康のためには、エアロビクスをやりなさい」と言っていたのです。

 

このことは、当時のスポーツ選手にも多大な影響を与えていました。

現在と違い、昔のスポーツ選手は、筋トレを毛嫌いしている選手が多くいました。

 

それは、選手を指導する監督・コーチの影響で、

「筋トレをやると、スピードが落ちる、身体が硬くなる。

筋トレで造り上げた筋肉は、太くて大きい筋肉になるが、硬くなる。

体操選手のような、細くても柔らかい筋肉を造るのがよい」

と、多くの方が一様に信じていました。

 

私も体協のスポーツトレーナー講習会で、運動生理学の日本の第一人者が、

筋肉トレーニングは、やり過ぎてはだめだ。

そのような筋肉は、スポーツには生かせない」

という発言をしていました。

 

私の師匠である故窪田登、元早稲田大学教授、吉備国際大学学部長からは、このような間違った見解を、幾度も聞かされていました。

 

窪田登先生は、「トレーニング界の最高権威」と言われていた方でした。

その先生から、直接多くのことを学ばせて頂いていました。

 

私の健康講座では―――

「スポーツ選手は、筋トレをやらなくて、世界に勝つことができない!」

「高齢者ほど、筋トレが必要になる。

高齢者は、歩くだけで健康は保てるので、筋肉を鍛えるようなことはしなくてもよい、とうのは正しくない」

と、主張し続けていました。

 

他の有名な大学教授の講座では、「体力は、エアロビクスが第一」と言っているのに、私の講座では、高齢者ほど、筋トレが必要になる」というので、なぜそうなるのかと、論争を引き起こしたことがあります。

 

当然、有名な教授の話が正しいと思われましたし、特に「高齢者には、筋トレが必要」という主張には、あまりにも時代がまだ早すぎる感がありました。

 

その当時に、マシーンで筋トレが必要です。だが、その上をいくならバーベル、ダンベルなどのフリー・ウエイトが望ましいのです―――と言っていたのです。

 

その後の受講者との懇親会では、著名な教授なども加わり、この件で私と教授との論争に発展したこともありました。今では、よき思い出です。

 

例えば、高知県で行われた健康講座で、野球選手と筋トレの話となり、当時注目を集めていた蔦監督率いる徳島県の池田高校が、甲子園で大活躍をしました。

 

選手は「攻めダルマ」と呼ばれるガタイの凄い選手が多く、甲子園で優勝3回、準優勝2回の好成績を収めていました。

 

蔦監督は、まず身体の出来上がっていない高校1年生には、徹底して筋トレの基礎を造り上げて、それで2年生、3年生で活躍できるようにしました。

 

それで、ガタイのいい高校球児が「攻めダルマ」の異名をとったのです。

これを知った当時の巨人軍の長嶋監督は、「高校球児の革命である」と表現しました。

 

講座の参加者には、高知県の各地から野球部関係者がおりましたから、このような話をしました。

 

これを聞いていた高知新聞の記者が、その日の夜の懇親会で、

「池田高校には、たまたま優れた素質の選手がいたからで、高校球児の革命とはならない」と発言したことに、私は大の長嶋ファンであるので、カチンときて論争になりました。

 

というのも、当時のプロ野球選手は、筋トレなど皆無、「箸より重いものは持ったこともない」と自慢するプロ野球投手さえいたのです。

 

私は国立競技場のトレーンングセンターにいましたので、多くの方と接していました。

そんな時に、400勝投手の金田正一がロッテの監督をしていたときに、大リーグのラフイーバー(後に大リーグの監督)が、筋トレをしていました。

 

彼は、金田監督を「クレージー!」と表現していました。

筋トレは、選手に一切やらせないし、ひたすら「走って体力を造り上げることlを徹底していました。

 

これに耐えられなくて、一人で国立競技場のトレーンングセンターで筋トレをやっていたのです。

 

今では考えられないことですが、昔の選手は「走って、体力をつける」と信じ込んでいました。

 

走ることは、スポーツ選手の基礎中の基礎ですが、日本のスポーツ選手は、昔はほとんど筋トレをやりませんでした。

 

そんな中で、池田高校の高校球児が、筋トレに励んで「ダルマ」と呼ばれるほどに大きくなった体格で、猛烈な打線で甲子園を沸かせたのです。

 

その後、少しは筋トレをやる高校生もいましたが、

「背が伸びなくなる」

などの迷信が知れ渡り、積極的に行うことはなかったようです。

 

私も昔は、1960年の東京オリンピックの金メダル第一号となった三宅義信選手が、初めは身長1M62センチだったのが、重量挙げで背が縮まって、1M52センチになったという話を聞いたことがありました(当然、嘘です)。

 

そんな折、当時万年最下位であったヤクルトに、元巨人の広岡達郎氏が監督となり、国立競技場のトレーニングセンターで、筋トレを開始したのです。

 

というのは、広岡監督自身も筋トレはやっていませんでしたが、大リーグではシーズン中であっても筋トレをやっているとう話を耳にして、監督1年目にして筋トレを取り入れたのです。

 

広岡監督はその1年間だけでフロントと意見が合わずに退団しますが、その監督になって1年目でいきなり優勝します。

 

このとき、私は国立競技場のトレーニングセンターで実際にヤクルトの選手をみましたが、当時のプロ野球選手は、噂通り、まったく身体は鍛えられていませんでした。

 

先天的な体格だけが優れていたようで、本格的に筋トレで鍛え上げたというような選手は、ほとんどいませんでした。

 

ただ、若松選手(彼なら日本人初の4割バッターになれるといわれていた)だけは、高い身体能力で、腹筋なども優れた能力を示していました。

 

甲子園で活躍した投手の酒井選手(愛称はサッシー)は、でかい身体でしたが、まともに腹筋ひとつもできないほどでしたので、「これではプロでは通用しない!」と思いましたが、案の定その後も鳴かず飛ばずで消えていきました。

 

その当時、漫画「たぶたくん」で人気のあった安田投手などは、緩急を上手く使いこなし、当時の審判団からは「最も速く見える投手」とされていましたが、懸垂すら1回もできない有様でした。

 

こんな状態でしたが、その年ヤクルトは優勝したので、筋トレに無縁だった野球選手が筋トレ(レジスタンス・トレーニング)を行う大きな切っ掛けとなったようです。

 

 その後、甲子園で一世を風靡した桑田真澄選手がプロ野球に入り、ノーチラスマシーンを使い、プロ野球に入って、1年目で大腿部が格段に大きくなったことを知りました。

 

このことは言い換えると―――高校時代には本格的に筋トレはやっていなかかったことの裏返しで、PL学園なら近代的な設備のなかで、しっかりと筋トレを行っていたものと思っていましたが、そうではなかったようなのです。

 

さて―――高齢者こそ筋トレが必要という話です。

 

当時のスポーツ選手の多くが筋トレを敬遠していたなかで、「高齢者こそ筋トレが必要」という私の話には、その当時には多くの講座の参加者は驚いていました。

 

スポーツ指導者ですら、「高齢者は、歩くだけで十分に健康になれるもの」といった風潮が浸透していたからです。

 

当時は、運動生理学者はその多くがケネス・クーパーのエアロビクス理論に染まり、まず、体力・健康のためには「走ること」を薦めていました。

 

これを受けて、多くのドクターも「走ること」を薦めていて、筋トレは「身体に良くないから、高齢者やってはならない!」とTVでも、専門外ながらも平然として発言している有様でした。

 

そんな折に、私の師匠である窪田登(みのる)先生は、40代になって『40歳から始める筋力トレーニング』を上梓して、その後年齢を重ねて『50歳から始める筋力トレーニング』となっていき、高齢者になるほど筋トレが必要なことを訴えていました。

 

弟子の一人である私も、ゆるぎない自信を持って、私の講座でもそのような発言を繰り返していたのです。

 

そして現在、様々な観点から筋トレの必要性が見直されてきて、「ダンベル体操」も普及して、NHKの「ラジオ体操のその第3」には、「ダンベル体操」が加えられる議論まであったと聞き及んでいました。

 

全米での高齢者の死因の第5番目には、「転倒骨折」で、その後「寝た切りになって死亡する」が入ります。

 

我が国でも、「転倒骨折」で、その後「寝た切りになって死亡する」例は多いのです。

昔、といっても1960年代のケネス・クーパーは、体力の最重要は呼吸循環能力であり、筋トレは高く評価していませんでした。

 

そんな当時、米国の運動生理学者のモアハウスは、

「ケネス・クーパーは、間違っている。

健康のためにのフィットネスは、トータルフィットネスが重要であり、そこには、筋トレも含めたトータルなフィットネスが必要で、偏ったものであってはならない」

と、当時全米でも大流行していたケネス・クーパーの理論を否定していたのです。

 

その後、エアロビクス一辺倒であったケネス・クーパーは、

「これだけでは、身体に身体的なバランスが崩れることに気がついて、ことに身体をシェイプアップするには、筋トレが必要であることを自覚して、エアロビック・ウエイトトレーニング」を推奨するようになっています。

 

ケネス・クーパー自身は、このようの自分の主張を修正することになりますが、

「エアロビクス理論」にはまっていた我が国の運動生理学者などは、依然として古い理論に染まっていました。

 

しかしながら―――

 

映画俳優やモデルなどは、シェイプアップして、自分の美しい身体の体型を保つには、筋トレが絶対的に必要なことに気が付いていました。

 

すでに米国などのモデルは、一流モデルと云われほどに、マシーンではなくて、フリーウエイト(バーベル、ダンベルなどの自由な方向に動くもの)を使用して、身体を鍛え上げていました。

 

昔から、女優やモデルなども「エアロビクス」を行うことが多かったのですが、これだけではバストアップができず、目指している身体の美ボディを保持できないことに気が付いていました。

 

自分の身体が資本となるモデルは、シェイプアップしないと身体のラインが崩れるので、それを防ぐには、絶対的に筋トレが必要になることを理解していました。

 

そのときに、2流のモデルはマシーンを使いますが、一流になるほどフリーウエイトを使用して、多角的に鍛え上げることに専念していたのです。

 

今でこそ、日本のモデルもシェイプアップするために、パーソナルトレーナーについて鍛えるようになりましたが、それ以前の日本人モデルは、そのような概念がなくて、

 

持って生まれた先天的な体形の良さだけに頼っていて、年と共に身体のラインが崩れてきて、第一線からの隠退を余儀なくされていたのです。

 

さて―――筋肉不足は、30歳を過ぎると減少に転じます。

 

鍛え上げている方ならば、筋力・筋量ともに30代前半から、さらに継続的に鍛えている方なら40代までも、発達を続けていきますが、

 

多くの方は、若い時の体力を保つのは、20代までで、30歳を過ぎるとドンドン退化していきます。

 

学生時代に、ハードなトレーニングを続けて、しっかりとした土台を造り上げた方も、社会人となりフィットネスクラブに行って、身体を継続的に鍛えることができなくなってきます。

 

ところが―――体重は変わらないから、自分はまだ問題はない―――と、感じている方が多くいます。

このことは、多くの元アスリートが陥る問題があります。

 

実は―――

筋肉は鍛え上げていかないと、継続していかないと、確実に機能が低下して、筋量も低下していきます。

 

社会人になって何もしていないと、確実に「筋量」は落ちていきます。

そして―――体脂肪は確実に増えていきます。

 

最初は、このことで体重には大きな変化が見られません。

筋量の体重減少と、脂肪の体重増量があって、体重の変化は見られないのです。

 

だから、安心していますが、筋量の低下が限界点に達して、それ以降は、どんどん体脂肪が増えていきますと―――

 

体重増加に切り替わり、気が付いたときには、成人病予備群の仲間入りの状態であった、ということが、多くの人々が陥る問題でもあるのです。

 

加齢に伴い筋肉が低下している状態を、「サルコベニア」といいます。

 

これは、ギリシャ語の「筋肉」を「サルコ」と言い、「喪失」を表わす「ベニア」を組み合わせた言葉です。

 

この「サルコベニア」は、虚弱を示す「フレイル」の前段階です。

つまり、運動不足が筋肉の喪失を招き、身体機能が低下している状態で、

 

このことが、「転倒」「骨折」「寝たきり」を引き起こす「フレイル」を通して、いずれは「要介護」「認知症」へと進行することに繫がっていきます。

 

つまり―――

虚弱を示す「フレイル」の前段階である「サルコベニア」を防ぐことが、まず人生の晩年を悲惨な状態で迎えるのか否か―――の大きな岐路になります。

 

その昔、私の講習会で「高齢者ほど、筋トレが大切です!」と言い放って、多くの参加者には驚かれた経緯がありましたが、現在では、そのような風潮は消えてきています。

 

当時は、同じ講習会で

「筋トレよりも、有酸素運動(エアロビクス)が重要で、健康の第一目標はエアロビクス運動をやればよい。

このことは、高齢者の方も例外ではない」

と言っていた運動生理学の権威者も、その後は、素早く世界の実情に触れるようになって、自分の立場を180度変えた方もいます。

 

私の師匠の窪田登先生からも、そのことはよく聞かされていました。

日本体育協会の指導者講習会で

「筋トレは、身体に益はない。エアロビクスが最も大切である」

と言っていた教授は、

 

「窪田さん、いや世界では今はレジスタンス・エクサイズ(筋トレ)が主流になってきているようですな・・・・」

と、自分の主張をまったく変えた方もいたといいいます。

 

昔は、レジスタンス・エクサイズ(筋トレ)で、高齢者が筋トレをやるなど想像もしていない方が大半でした。

 

しかし、現在は多くの高齢者がフィットネスクラブに通い、筋力エクササイズを行うようになってきました。

 

昔とは格段の差があります。

 

と言っても、まだ「歩くだけで、十分に健康は維持できる」と思い込んでいる方が多く、多くの運動指導者もそのように主張しています。

 

私は、昔の講座では、

「高齢者は、歩くだけで健康には十分であり、これだけで高齢者には十分な体力が保持することができる―――というのは、聞こえは良いですが、まだ不十分です」

と言っていました。

 

「世間では、エアロビクスの有酸素運動が勧められていますが、まず筋肉レベルが低下したら、歩行そのものが制限されてしまいます。

 

高齢者は、まず正常に歩行できるだけの筋力ベースが必要です。

階段を「昇る」「下る」にも、しっかりとした筋力のベースが必要となります。

 

「走る」などのエアロビクス(有酸素運動)を行うにも、それを可能にする筋力ベースが必要なことは明らかなのです。

 

筋肉レベルの低下が、転倒を招いて、骨折の可能性を高めますので・・・・」

このような趣旨でした。

 

それが今、高齢者の「転倒・骨折から寝た切り状態になる」ことへの注意が高まってきています。

 

まず、エアロビクス(有酸素運動)を行うにも、足腰がしっかりとしていないと、何もできません。

 

寝たきりの要介護になる前段の「フレイル」段階では、エアロビクス(有酸素運動)も否定はしませんが、まず「立って歩ける」だけの最低限の筋力レベルがないと、話になりません。

 

では、歩くことを趣味にしているハイカーなどは、どうなのか―――

残念ながら、歩くだけでは、全体の筋量は確実に低下していきます。

このことは、彼らのデータから明らかになっています。

 

つまり、歩くだけでは「筋肉の低下、全身の機能低下」は防ぐことができないのです。

 

では―――筋肉が低下して、虚弱となる「フレイル」の前段である「サルコベニア」は、いつ頃から始まるのか。

 

それは、40歳前後といわれています。

 

あるデータによると―――

 

〇 BMI(体格指数)が、18.5未満

BMI(体格指数)とは、体重(kg)÷身長(m)÷身長(m)で示されます。

〇 横断歩道を、青信号で渡り切れないことがある

〇 ペットボトルや瓶の蓋が開けにくい

これらにあてはまる方は、「要注意」となります。

 

この「BMI(体格指数)」は、多くの指標として用いられていますが、これには少し問題があります。

 

そこには、「筋量」による体重の増加は考慮がなくて、アスリートなどには適応できない問題があります。

 

そうは言っても、多くの健康指数でこのデータが用いられています。

 

そこで―――

 

1965年から50年間以上に渡って、継続して行なわれた調査では、75歳前後の男性の2300名のデータをみますと、

 

「普通型(健常者)」、「肥満型」、「やせ型」、「やせ型肥満」の4つのグループに分けたところ、

 

死亡リスクの24年間に及ぶデータでは、最も死亡リスクの高いのは「やせ型肥満」でした。

やせ型と、普通型(健常者)と肥満型は、死亡リスクにはそれほどの差はありませんでした。

 

やせ型とは、加齢とともに筋肉が減少した状態で、寿命に影響しているのは、肥満やメタボよりも筋肉不足なのです。

 

つまり、「やせ型肥満」の、痩せているのに肥満である高齢者の死亡リスクが最も高かったのです。

 

死亡リスクの高さには、筋肉の不足が大きく関わっていることが示されています。

このことは―――

 

かって米国のケネス・クーパーが主張した「エアロビクス理論」とは矛盾します。

彼は、健康・体力の向上の一番は、呼吸循環機能が向上がメインであり、筋肉の発達には、当初は目を向けていませんでした。

 

しかし、実際の示すデータからは、

まず、高齢者には「筋肉」をしっかりと確保することが大切になることを示しています。

 

ここまでは、多くの高齢者も理解できる思われます。

 

では―――現在の「あなた」は、「フレイル」なのか、それともその前段である「サルコべニア」なのか、

 

また、そのレベルによって、今後数年後には「要介護」「認知症」のリスクが大きくなっていくのか―――このことを自分自身でチェックする必要があります。

 

それは―――

 

             つづく

 

          2024年3月12日記

 

 

未来エステ研鑽会Bコースの開催について

未来エス研鑽会Bースの開催について

 
先着20名様です。
 
参加の意思は「メール」でお知らせください。
 
2024年5月12日(日) (Bコース) 
13時から16時(時間は延長する可能性があります)
 
参加費: 各コースの初回参加費は18,000円(大光明神液進呈)
            各コースの2回目以降は 10,000円です。
 
メールの宛先は「生命体エナジー浄化の会」の「ホームページ」をご覧下さい。
 
 

メールは、これです。 hc-lab@nifty.com

 
お申し込みを お待ちしております。

丹生川上神社下社登拝 その5

《 丹生川上神社下社登拝 その5 》

岩尾神社―ダンノダイラ磐座―石舞台古墳丹生川上神社上社丹生川上神社下社―御厨子神社

 

丹生川上神社下社―御厨子神社

 

 丹生川上神社上社から、今回の大きな目的の一つである丹生川上神社下社の「登拝」のために、「下社」に来ました。

 

思えば―――吉野に来て、クルマで道を走っているときに、「丹生川上神社下社」の幟を目にして、波動が高そうだから行ってみよう―――となったことから、

我々はこの神社に惹きつけられてきました。

 

年に1回だけ、一般人でも階段の上にある本殿の参拝ができる6月上旬の予約をしていました。

 

まず、「下社」で白馬が出迎えてくれました。

 

私が、白馬の鼻を撫でています。

 

タッキーも白馬を撫でますが、何か「お前、食べ物があるだろう。それを寄こせ!」と言っているようです。

 

神馬ですが―――

社伝によると、かつて朝廷より、雨を祈るときには「黒馬」を、晴れを祈るときには「白馬」が奉納されたといいます。

 

室町時代には神馬献上祭は途絶えていましたが、近年水害が多いことから、復興を願い2012年(平成24年)に約600年ぶりに神馬献上祭が行われたということです。

 

この水神信仰が絵馬発症の起源として伝わっています。

これが―――京都の貴船神社へと受け継がれていったとされています。

 

この貴船神社では、靈紙に願い事を書いて、水につけて流します。

 

同じようなことが、ここ丹生川上神社下社にもあります。

 

これは、「人形祓(ひとがたはらい)の石」です。

 

ここに「人形祓(ひとがたはらい)」とあります。

 

和紙の人形(ひとがた)の左肩、右肩、左肩を順に撫でて、次に自分の気になる箇所と同じところを撫でます。

 

最後に人形(ひとがた)の真ん中に息を吹きかけて、自分の念を人形(ひとがた)注入します。

 

そして―――それを水が流れるこの岩に流すと、和紙は水に溶けていきます。

これで、身代わりになって悪い気から守ってくれる、といいます。

 

 

神職の方がいて、説明してくれました。

 

 

丹生川上神社下社の正面にある鳥居から、拝殿―階段―本殿と眺めます。

 

この階段の上にある「本殿」に、年1回だけ許されるお参りをするのです。

この「本殿」の波動の高さに惹きつけられて、我々は来ています。

 

拝殿から、75段の階段を昇り、本殿に行けるのは年に1回だけです。

 

いよいよ、午後の部が始まります。

神職の方が準備に入ります。

 

この若い神職の方は、初めてここ「丹生川上神社下社」に来た時に、親切・丁寧に教えてくれた方で、

 

2023年奈良県吉野にある「神仙洞」の御神水を探し求めていたときに(結局、地元の観光センターの人に尋ねても判りませんでした)、その「神仙洞」でお祓いの神事をしている人物が、この方でした。

 

「神仙洞」では、ここ「下社」がお祓いの神事を行っているようなのです。

 

いよいよ75段の階段を昇り、「本殿」のお参りが開始されます。

私は、先頭の位置におりましたが、ある思いがあって、先頭を譲りました。

 

どのような状態でお参りができるのかを、把握したかったのです。

つまり―――

シャッターチャンスがあるか否か、これを知りたかったのです。

 

このとき、下で一人一人が登拝するのを待っているときには、何とかチャッターは押せますが、本殿ではそれができないかもしれなかったからです。

 

そして―――

私が撮った唯一の画像です(関係者の皆様ごめんなさい)。

 

この本殿前の扉は開かれていますが、その中には踏み込むことはできません。

 

この扉の内部の空間は、ほぼ全ての「龍神系のエナジー」で満ちています。

青龍、赤龍、白龍、黒龍黄龍、銀龍、金龍さらには「神龍」まで反応します。

 

さすがに「天龍」の反応はありませんが、この「天龍」はここに来る前に立ち寄っている丹生川上神社「上社」で同調させて頂いています。

 

我々は、「拝殿」で静かに一人一人が登拝するのを待っていました。

 

待っている間は、正座がきつくて、真ん中のミッチーやその横にいるゾネス、先頭の皇子なども耐え難くなっていましたが、左側のカネゴンは正座したまま順番を待っていました。

 

この若い神職の方が、「神仙洞」でお祓いを司っていた方です。

 

こうして―――目的であった「下社登拝」を終えて、まだ帰りの時間の余裕がありますので、次の目的地へと向かいました。

 

「みずし観音」とあります。

 

 

「御厨子神社」への途に進みます。

厨子神社(みずしじんじゃ)とは、妙法寺の中にあり、右大臣吉備真備(きびのまきび)の発願で716年に端を発したものです。

 

参道を昇っていきます。

 

ここに鳥居があります。

 

これは、御厨子神社の「月輪石」(つきのわいし)」です。

真っ二つに割れた磐座です。

 

この石を、「生気」を授ける神・「石析神(いわさくのかみ)」として拝んでいます。

 

 

ここは、社務所と思われますが、今では使われていないように思われました。

 

これは、「拝殿」なのか。

案内文がなく、正確には判りませんが、「拝殿」のように思われます。

 

この神社の「御祭神」は、以下の3柱です。

根析神(ねさくのかみ):根を裂く威力のある神で、生気を授ける神

安産霊神(やすむすびのかみ):安産の神

誉田別命(ほんだわけのみこと):八幡大神

この地は、清寧天皇「磐余甕栗宮」の跡です。

社名は、磐余池の尻辺に位置するので、古くから「水尻(みずしり)神社」といいました。

 

祭神は根析神(ねさくのかみ)、安産霊神(やすむすびのかみ)二柱でしたが、應仁(室町時代)より御厨子観音(御厨子妙法寺)が移建され鎮守八幡宮が合祀されてから「御厨子神社」と改称されたといいます。

 

拝殿の後方に「本殿」があります。

 

この「狛犬」は生きています。

我々の動向をジーっと見守っていました。

 

 

こちらの「狛犬」は生きていません。

ただ、ここに鎮座しているだけです。

 

これが、3柱を祀る「本殿」です。

 

根析神(ねさくのかみ):根を裂く威力のある神で、生気を授ける神

この神を感知します。

この神が働きが、真っ二つに割れた磐座の「月輪石」(つきのわいし)」に影響しているのだと思われます。

 

そこで―――

一刀両断されたような「月輪石」(つきのわいし)」に再び向かいました。

 

「月輪石」(つきのわいし)」には、根析神(ねさくのかみ)の霊力が感知されます。

 

我々は、この岩の裂け目から吹きあがってくる霊力を、持参したブレスレットに吸引しました。

 

ここは、「妙法寺」の本堂のようです。

ここに「妙法寺厨子観音」があります。

 

ひっそりとしていて、人の気配がありませんでした。

この中に「御厨子観音」が鎮座しているようなのですが、中には入れませんでした。

 

厨子観音(みずしかんのん)は、奈良時代の賢人である吉備真備(きびのまきび)が遣唐使として派遣され、無事唐から帰国できたことを喜んで創建させたということです。

本尊は十一面観音菩薩です。

 

これは、「水子・子育て地蔵尊」です。

特に反応はありません。

 

「光明不動」とあります。

案内板には―――

 

「この階段を下って右に進むと自然石があります。

この自然石の中にお不動明王さまの姿が見えれば 眼病が治ると伝えれれています」

このようにあります。

 

これが自然石です。

残念ながら、我々には「お不動明王さまの姿」は見えませんでした。

 

最後に、全員でこの自然石を拝みました。

というのは―――

 

この自然石は、次元を変えると

お不動様が浮き上がってきたのです。

 

この画像は、高次元に転換しています。

 

「ノウマク・サンマンダバザラダン・カン」

の御真言に反応します。

 

さらに、心中で

「ノウマク・サンマンダバザラダン・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン」

の中咒を3回唱えると、さらに反応が強まります。

 

こうして・・・・今回の旅を終えました。

 

              了

 

          2024年3月5日記

 

 

丹生川上神社下社登拝 その4

《 丹生川上神社下社登拝 その4 》

岩尾神社―ダンノダイラ磐座―石舞台古墳丹生川上神社上社丹生川上神社下社―御厨子神社

 

丹生川上神社上社

 

 飛鳥の「石舞台古墳」を見た後に、クルマに乗り吉野方面に来ました。

丹生川上神社」の上社、中社、下社の中で、最後に残っていた「上社」を訪れました。

 

初めて偶然に通りかかった「下社」の看板を視て、そこに惹かれて凄い高波動の神社であることを知り、「三社巡り」をしなくてはならないと思ったので、いよいよ「上社」に来て目的が達成されます。

 

そして―――期待通りの波動の高さでした。

 

丹生川上神社上社」は、天武天皇白鳳4年(675年)ご神宣によって建立奉祀されたと伝わります。

 

御祭神は高龗大神(たかおかみのおおかみ)で、「龍神」です。

つまり、「水」「雨」に関わる「大神」様です。

 

天災・飢饉などが起こると、つまり、(台風などの)嵐が続いたり、雨が降らすに農作物が発育しないようなときに、ここの神社に御参りしたのです。

 

奈良時代には淳仁天皇天平宝字七年(763)の奉幣祈晴をはじめ、室町時代に至るまでに、数10回の奉幣祈願がなされ、朝廷・国家また人々より篤い崇敬を受けていたといいます。

 

「手水舎」です。

 

この台座となっている「石」は、なかなかの高波動です。

 

丹生川上神社上社」が、「天空の社」といわれるのが分かります。

高い、眺望の素晴らしいところに位置しています。

 

ここに「拝殿」があります。

 

ここの拝殿掲額には「神雨霑灑(シンウテンサイ)」とあります。
「神の雨がうるほしそそぎ、恩恵をほどこす」という意味のようです。

 

「拝殿」の中は、このようになっています。

 

ここの空間は、良好な波動で包まれています。

 

 

この「拝殿」の奥に、「本殿」があります。

主祭神は、高龗大神(たかおかみのおおかみ)です。「龍神」です。

 

また、

配神は、「大山祇神」と「大雷神」です。

 

以前は、主祭神を「罔象女神」としていましたが、大正11年(1922年)に、丹生川上神社「中社」との併合に際して、「高龗大神(たかおかみのおおかみ)」(龍神)に改めました。

 

それ以前には、丹生川上神社「下社」の「奥の院」が、この「上社」となっていました。

 

さらに言うと―――

 

明治初年までは高龗神社という小規模な祠でした。

その由緒も不詳でしたが、大滝ダム建設に伴う境内の発掘調査により、宮の平遺跡が発見され、

 

本殿跡の真下から平安時代後半(11世紀末)以前に遡る自然石を敷き並べた祭壇跡が出土しました。

 

また付近からは、縄文時代中期末から後期初め(約4000年前)にかけての祭祀遺跡が見つかり、そこには、立石を伴う「環状配石遺構」が出土したのです。

 

このような経緯から、この神社は、その祭祀空間としての機能は縄文時代にまで遡る可能性が出てきたのです。

 

明治6年に、丹生川上神社「下社」を「口の宮」、「上社」を「奥の宮」と称したのです。

 

ところが、

大正4年(1915年)に、『丹生川上神社考』が世に出てきて、これが受け入れられて、大正11年(1922年)に「上社」「下社」は、丹生川上神社「中社」に包括される形で、「丹生川上神社」とされたのです。

 

その際、「上社」の祭神は、罔象女神から以前と同じ高龗神に再び戻されたといいます。

 

なお、現在は丹生川上神社「上社」「中社」「下社」は、それぞれ独立しています。

 

このとき、我々は「この奥にある本殿」から「天龍」のエナジーを感知しました。

 

「天龍」とは、「青龍」「赤龍」「白龍」「黒龍」「黄龍」「金龍」「銀龍」など、多くの龍神の中でも最高位のものとされています。

 

「天龍」とは、日本においては「天皇の守護神」となる高貴なレベルのもので、今までに出会ったことのない「龍神」でした。

 

さすがに、これには感動しました。

さっそく―――

我々に所持しているブレスレットに、「南無天龍菩薩」として取り込みました。

残念ながら、ごく一部を除いて、このとき同調した「南無天龍菩薩」様は、ほとんど現在では離れています。

 

同調はできても、そう簡単には体内には留まらないし、ブレスレットにもいつまでもそのエナジーを保持することは難しいようです。

 

「拝殿」の右側です。

神職の方がいますが、ここで働いていますので、体軸はしっかりと取れています。

 

「拝殿」の左側です。

龍神の画像が飾られていますが、波動は平凡なものです。

 

拝殿の外に、「樹幹」があります。

御神木の「杉」の「樹幹」です。

 

平安時代祭場跡(復元)」とあります。

 

これによると、

「平成11年の発掘調査で出土したもので、敷石遺構で、12世紀末から13世紀初頭頃に造営されたもので・・・・(ダム建設にともない)遷座されるまでの800年間に渡って造替を繰り返してきた。

この遺構は、それ以前からあったものを利用している・・・」

 

このようなことが書かれています。

 

 

これが、「平安時代祭場跡(復元)」です。

 

水没した湖の下に、この遺構があったのです。

これは「復元」されたものなので、特に何も反応しませんでした。

 

末社 川上社」です。

 

「川上社」とは、天武天皇に関わるもののようです。

詳しくは判りません。

 

これが、「拝殿」から先にある「本殿」です。

 

本来は、旧境内地が大滝ダムの建設に伴い水没することになったために、伊勢神宮の旧社殿の古材を用いて、平成10年に造営されています。

 

また、ダムの建設で水没した旧社殿は、大正6年(1917年)の造築のもで、「飛鳥坐神社(あすかいますじんじゃ)」の本殿となっています。

 

「本殿」横に、このような入口があり―――

左から「愛宕社」「恵比寿社」「水神社」が並んでいます。

 

さらに―――となりに

 

「山の神神社」があります。

 

我々は、この「社」に高波動を感知して、ブレスレットを置きました。

 

この背後の山は、高波動空間です。

人が立ち入ると―――体軸が歪みます。

 

何人たりといえども、立ち入ることを許さず―――の反応を示します。

ただただ、イメージでこの背後の山の中に入ると、ジワーっと何とも言えない感触が伝わってきます。

 

この「馬の像」は生きています。

 

朝廷の奉幣にあたり、旱魃の際の祈雨には黒毛の馬を、長雨の際の止雨には白毛の馬を奉るのを例としたといいます。

この銅像に、ありがたいので手を合わせました。

 

上がモリモリで、その下にタッキーがいます。

二人は過去生で「親子」です。

 

私の講座の参加者には、「過去生で親子」だった方が、不思議とよく集まってきます。

何とも不思議な縁で結ばれているのです。

 

丹生川上神社上社」の全景です。

 

平安時代の「延喜式」(927)では、名神大社という特に霊験あらたかな神社として月次、新嘗祭に際し官幣に預かり雨師社・雨師明神・丹生大明神とも称されました。

そして平安中期以降は朝廷における最高の社格となる「二十二社」の一つに数えられました。

 

丹生川上神社上社は―――

日本遺産「森に育まれ、森を育んだ人々の暮らしと こころ ~美林連なる造林発祥の地“吉野”~」の構成文化財の1つとして認定されました。(平成28年

この画像からも、背後の山の波動が高いことが判ります。

 

波動が高い地にあるからこそ、「天龍菩薩」様が反応しているのだと思います。感謝感謝

 

この高台の端に、「元宮遥拝所」があります。

ここに

「おおたき龍神湖に 元宮の跡地が沈む」(巫女のお告げ)

とあります。

 

ここから―――

眼下にダム建造によって生まれた湖が見えます。

その下に、「元宮」がありました。

 

このダムで水没した元宮に、「水の靈」である「龍神」が祀られています。

 

我々は、しばらくこの景色の中に溶け込んで、平安期代からさらに遠く、縄文時代にまで思いを巡らせていきました。

 

                つづく

 

            2024年2月27日記

 

 

丹生川上神社下社登拝 その3

《 丹生川上神社下社登拝 その3 》

岩尾神社―ダンノダイラ磐座―石舞台古墳丹生川上神社上社丹生川上神社下社―御厨子神社

 

石舞台古墳

 

 奈良の飛鳥にある「国営飛鳥歴史公園」に向かいました、

そこには有名な「石舞台古墳」があります。

 

駐車場を降りると、遠くに「国営飛鳥歴史公園」があります。

 

 

300円を支払って、中に入ります。

 

「古墳」は、通常は盛土があって、外部が土で覆われていますが、ここでは盛り土がありません。

そのために、「古墳」を形成する「石」がむき出しになっています。

 

この古墳は、「方墳」というもので、出来た当初は、盛土で覆われていたと思われますが、巨大な両袖式の横穴式石室が露呈しているという独特の形状です。

天井の石の上面が広く、大きく平らで、まるで石舞台のように見える形状から、

この古墳は古くから「石舞台」よ呼ばれています。

 

 

古墳の上には、巨大な石が載っています。

 

墳丘は1辺50mの方墳で、周囲には幅8.4mの濠がめぐる。石室の長さは19.1m、玄室は高さ約4.7m、幅約3.5m、奥行き約7.6m。石の総重量は推定2,300tです。

 

古墳最大の巨岩である天井石は、南側が約77t、北側約64tもあるといいます。

この巨大古墳が誰の墓なのかは不明です。

 

このような巨大な石を持ってきて、「古墳」を造るとう技術が昔の日本人でも行えたということに、少し誇らしいものがあります。

 

石の総重量は推定2,300tということは、天井石でも77tあるので、これを持ち上げるのはどうやって行ったのか―――

 

以前に、本ブログで

「自分の過去生の全ての記憶を覚えている方がいて、その方はインカ時代の子供の頃に、2人の男性が石を空中に持ち挙げて、それをはめ込んでいた時の記憶があった」ことを記しています。

 

イースター島に行ったときに、まだ岩の中に彫られたままで、その島最大の「モアイ像」を見ましたが、

それが立ったままで彫られているではなく、地面に横たわっている状態だったので、どう考えても、そのモアイ像の下の面を削り取ることは不可能に思えました。

 

空中に浮かせる何らかの技術が必要で、いまでも「どうやってモアイ像が移動できたのかが解明されていない」のが現状です。

 

実際に、多数の丸太を地面に置いて運んだ説も、現実では成功しませんでしたし、大勢でロープで引き、歩かせたという説もありましたが、成功しませんでした。

 

ただ、いまだに反重力を使って運んだのではないか―――という説が、最も有力なものとなっています。

 

古代の人は、「反重力を操れる能力があった」と主張する学者も少なくありません。

現在でも、反重力は実験室レベルで成功しているに過ぎないのです。

 

このことから、エジプトの大ピラミッドの建造でも、この「反重力を操れる能力」を用いていたとの説は、今でも有力です。

 

この「石舞台古墳」は、できた当初は盛土があったはずですから、丸太に石を載せて、ロープで多人数で引っ張って、上から載せて、古墳を造ったと通常は考えられますが、

重さが77トンにもなりますと、簡単にはいかないかもしれません。

 

1933(昭和8)年~35(昭和10)年の発掘調査で、方形の墳丘、堀、外堀が存在すること、6世紀代の小古墳を壊して築造されていたことなどが確認されています。

そのことから、築造は7世紀初め頃と推定されています。

また、

その巨石は、3キロ離れたところから切り出されたものです。

古墳時代の昔に、どうやって運んだのかを想像するのも面白いものです。

 

ここからが「入口」になります。

 

上に載った巨石が、まさしく「石舞台」を思わせます。

 

このとき、「古墳の中」に入るのに、少し違和感がありました。

我々は、「歓迎されていない」と認識されました。

 

このことは、超過敏なゾネスや皇子も感知してしました。

 

このまま―――この古墳の石室の中に入り込んでは、正しく状況は掴めなくなるかもしれない・・・・・。

 

こんな思いがあり、まず「この中に入ることのお許しを頂く」ことにしました。

 

この画像は、そのお許しを頂いた後のものです。

これで、

我々を歓迎してくれる―――との反応に変わりました。

 

石舞台古墳の俯瞰図(ネットより)

 

 

 

石室の内部です。

人が立って入れるだけの、十分な大きさがあります。

 

石の隙間から、光が漏れています。

ここに―――

出来上がった当初(7世紀)には、石棺があって、人が埋葬されていたものと思われます。

 

誰の墳墓なのか?

これには諸説あるようですが、最も有力なのは蘇我馬子の墓という説です。

 

というには、この近くに蘇我馬子の邸宅があったからです。

もし悪名高い蘇我馬子であれば、盛土がすべてなくなってしまったことも理解できます。

 

蘇我馬子は、聖徳太子亡き後、太子の子供の山背大王子(やましろおおえのおうじ)とその一族を滅ぼしました。

 

そして、天皇家を凌ぐほどの勢力を持つにいたり、645年中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)後の天智天皇(てんじてんのう)や中臣鎌足(なかとみのかまたり)らは、中国(隋や唐)で政治や文化を学んで帰国した留学生と共に、蘇我氏を滅ぼしました。

 

そして、政治改革に着手したのが、有名な「大化の改新」です。

 

改心の基本方針は―――

1,公地・公民(豪族が支配して所有していた土地・人民)を、国家が直接支配する

2,班田収授法(はんでんしゅうじゅほう)

戸籍を作り、公地を公民に分け与え、死ぬと国に返還させる

3.国郡制度(全国を国と郡に分ける)

4.租(そ)・調(ちょう)・庸(よう)の税制

   公民に税や労役を負担させるなどを定めた

 

これによって、「律令国家」の基本が定まりました。

 

さて―――

蘇我馬子の孫の蘇我入鹿が殺されて、国家としての体制が整いましたが、これは蘇我馬子であろうと推察されるだけで、確定される資料はありません。

 

我々は、「蘇我馬子の墳墓説」に同意しています。

というのは―――

 

2023年7月に、この近くにある「飛鳥坐神社(あすかいますじんじゃ)」に行きました。

そのとき、初めて聖徳太子の反応を感知しました。

 

今までに多くの神社、仏閣に行きましたが、聖徳太子の反応を感知したのは、初めてでした。

 

そして―――その近くに、「蘇我入鹿首塚」があり、いまだにそこはマイナス波動で、そのエリアに留まるだけで、体軸が歪んでしまう反応がありました。

 

「大化の改心」で殺された蘇我入鹿は、蘇我馬子の孫にあたります。

 

確かに、そこには「蘇我入鹿首塚」として反応しましたので、「首」が「首塚」に埋められてようですが、その首塚と「石舞台古墳」に埋葬された人物の血縁関係をチェックしました。

 

「血縁関係のある人物」と確認されます。

「血」は、その血縁関係のチェックで、正確に判断されるようです。

 

そこで―――1400年から1500年前にセットして、誰れが埋葬されたのかをチェックしますと、「蘇我馬子」との反応が出てきました。

やはり・・・・従来からの指摘通りの反応でした。

 

さて、古墳の内部に入ると―――体軸が歪みます。

なぜなのか?

 

埋葬された「死者」にとっては、その内部は神聖なエリアです。

その神聖なエリアに、何の関係もない人々が入ってくるのですから、嫌がるのは当然かもしれません。

 

それで、この内部空間はマイナス波動になっているのかもしれません。

 

このときの我々も、一様に軸が乱れました。

そこで―――次元を変えました。

 

次のものは、高波動の次元に変えたものです。

9次元の高波動空間になりました。

それで―――

この画像に映っている人物が、一様に波動が整いました。

 

ついでながら、本ブログで書いていますが、私の住む田園調布の隣の駅である「多摩川駅」の駅前には、大きな古墳があります。

 

公園となっていますが、その周囲の建造物は、ほとんどがマイナス波動です。

その古墳の影響です。

 

その周辺の100から200Mの空間の住居は、全てがマイナス波動で覆われています。

 

田園調布は、今でこそ高級住宅地とされていますが、関東大震災のときに、ほとんど無害だったので、セレブが移り住んできて高級住宅地となったのです(私の住むところは高級住宅地ではありません)。

 

関東大震災では、首都東京の大半の建造物は崩れ落ちました。

それを、ほとんど無害で終わらせたことの背景には、この多摩川駅前の古墳が大地を守っているから―――私は思っています。

 

多摩川駅前の古墳には、誰もが自由に出入りできますが、やはり人が入るのを嫌います。

周囲の住宅街にも悪影響をもたらしていますが、大地はしっかりと守っているようです。

 

そのようなことから、この「石舞台古墳」は―――

人が入るのは嫌がりますが、近隣の大地はしっかりと守護してくれているように思います。

 

本来的に、古墳を建造する場所は、「いやしろち」といわれる大地のエナジー波動が高いエリアに設けられます。

 

「けかれち」という大地の波動が悪く、人や犬,家畜などに病気を招くエリアには、まず造ることはありません。

 

古い神社・仏閣あるいは古い教会なども、大地からの高波動が繋がるようなエリアに建てられています。

 

 

この古墳の中を、次元を変えて高波動空間にしたときの「内部」です。

この空間の中にしばらく留まりますと―――

 

体軸が安定して、整ってくるのが判ると思います。

 

              つづく

 

            2024年2月20日記

 

 

丹生川上神社下社登拝 その2

《 丹生川上神社下社登拝 その2 》

岩尾神社―ダンノダイラ磐座―石舞台古墳丹生川上神社上社丹生川上神社下社―御厨子神社

 

ダンノダイラ磐座

 

 岩尾神社で、巨石群に触れて麓に戻ると、そのまま続いて、「ダンノダイラ」を目指しました。

 

「十二柱神社(じゅうにはしらじんじゃ)」です。

「岩尾神社」から下ってくると、その麓の集落にあります。

 

 

 

ここに「案内標識」があります。

それによると―――

「祭神 神代七代(かみよななよ)の神

     国常立神など 7柱

     地神五代の神

     天照大神など 5柱

十二柱神社は 「出雲ムラ」の村

大昔は、神殿がなく「ダンノダイラ」(三輪山の東方1700Mの嶺の集落地)を拝んだ云々」

このように書かれています。

 

参考までに―――十二柱の神々とは、

神代七代
・国常立神(くにとこたちのかみ)
・国狭槌神(くにのさづちのかみ)
・豊斟淳神(とよくもぬのかみ)
・泥土煮・沙土煮(うひじに・すひじに)の神
・大戸之道・大苫辺(おおとのじ・おおとまべ)の神
・伊邪諾・伊邪冊(いざなぎ・いざなみ)の神
・面足・惶根(おもたる・かしこね)の神

地神五代
天照大神
天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
・彦火日出見尊(ひこほほでみのみこと)
・彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)

 

十二柱神社の鳥居です。

「十二柱」ですから、十二の神々が祀られています。

 

この地には、相撲発祥(諸説あり)の地として知られています。

というのは、

出雲集落のこの地は、日本初の天覧相撲で勝利した 野見宿禰(のみのすくね)を祖とし、境内に五輪塔があります。

 

この地に、野見宿禰(のみのすくね)が住んでいたという伝承があり、昔は古代の「出雲集落のダンノダイラ」に村人が集まり、相撲を取ったと云われています。

 

また、第25代武烈天皇の「泊瀬列城宮跡」伝承地とされています。

 

大和の古道紀行として

野見宿禰(のみのすくね)信仰として、江戸時代は巡業で通る力士一行は、必ず野見宿禰(のみのすくね)の墓に参拝しました。

明治16年ころまでは、信仰のシンボル的存在として宿禰塚があったようです」

とあります。

 

これが「本殿」です。

 

ここは、創建年は不明ですが、大昔は神殿がなく古代の出雲集落にあった「ダンノダイラ」とよばれる磐座(いわくら)を祀っていた、とされています。

 

武烈天皇泊瀬列城宮伝承地」とあります。

 

武烈天皇は、仁徳天皇の皇統が絶えたことに関わるようで、仁徳天皇が聖帝で、武烈天皇は悪性非道な政治を行ったと日本書紀では強調しているようです。

 

日本書紀』における武烈天皇による悪虐非道の記述は、『古事記』には一切見られないといいます。

日本書紀と比較すると、古事記の記事は極めて簡潔なものになっているようです。

 

 

「泊瀬列城宮伝承地」とあります。

 

悪虐非道の名を遺した武烈天皇ですが、この地に「宮」があり住んでいたようです。

武烈天皇には「子」がなくて、応仁天皇の5世の孫を迎え入れたといいます。

 

 

「泊瀬列城宮」の跡地です。

 

日本書紀』による記述では―――

「長じて罪人を罰し、理非を判定する事をお好みになった。法令にお通じになり、日の暮れるまで政治をお執りになって、世に知られずにいる無実の罪は必ずお見抜きになり、それをおはらしになった。

訴訟の審理はまことに当を得ておられた。」

とある一方で、

「また、しきりに多くの悪行をなさって、一つも善業を行われなかった。さまざな酷刑をご覧にならないことはなく、国内の人民は、みな震え怖れていた。」

ともあります。

思うに―――

 

その当時の民は、武烈天皇を慕うこともなく、多くの方の「呪詛」を受けていたと思われます。

 

そのためなのか―――この地にはマイナス波動が、今でも蠢(うごめ)いています。

画像の後方の「地」には、人が踏み込むと身体が歪みます。

 

不思議なことに、後方にも集落の家屋がありますが、その住人は平常のままでいます。

それは、「十二柱神社」や、これから行くことになる「ダンノダイラ」、あるいは「岩尾神社」の影響が及んでいるのかもしれません。

 

 

「ダンノダイラ」への標識があります。

これより、古代の出雲ムラの集落があったとされる「ダンノダイラ」を目指します。

 

はじめは、緩やかな途を進みます。

 

まだ、この辺りはいいですが、徐々に傾斜がきつくなってきます。

 

かなり傾斜がきつくなり、息が上がってきます。

 

すると―――

ここに「古代の出雲ムラ」とあります。

 

「古代人が畏敬した御神域です。

神の奉斎地です」

このような標識があります。

 

すごい「高波動の地」です。

 

この「地」に長く留まりますと―――身体が溶け込んでいくような感覚に襲われます。

 

この地で、下から上空に向けて画像を撮りました。

高波動です。

 

さらに嶺を進みます。

 

すると―――

「磐座(いわくら)」の標識です。

 

「ダンノダイラ」の東端に、約20メートル立方の巨大な磐座が、下半身を埋もれて鎮坐している。

磐座から南へ30メートル谷越えに、三列の石組み跡がある(昔の拝伏場か)。

 

磐座から東方の峡谷下、約800メートルに乗田神社(ひきたじんじゃ)がある。

 

昔、出雲村の十二柱神社には 本殿がなく、この磐座さんを拝んでいた(地元伝説)」

とあります。

 

これが「磐座(いわくら)」です。

確かに・・・高波動です。

 

この下に住む住民(出雲村)が拝むだけのことはあります。

 

この「磐座(いわくら)」の中に、自分の身体を投入しますと―――

肉体よりも、「霊体」が浄化されます。

 

これからは、さらに一段と「靈主体従」(肉体よりも霊体が優位に働くこと)の世の中になると云われていますので、この「磐座(いわくら)」は多くの方の「霊体」を癒してくれるものと思われます。

 

この御神体の「磐座(いわくら)」は、誰もが踏む込むことを嫌います。

 

ようやく許可を頂いたので、その上に登りました。

すると―――

このように、亀裂が入っていました。

 

その最もパワーがあるエリアに、持参のブレスレットを置いて、「磐座(いわくら)」のパワーを吸引しました。

 

とくに幽体(コーザル体)を整えます。

 

その「磐座(いわくら)」の近くに、別の「磐座」があります。

これも、高波動です。

 

カネゴンが両手を当てて、磐座からパワーを吸引しました。

 

さらに―――

両手だけでなく、自分の額(ひたい)も当てて、全身に磐座のもつパワーを吸引します。

このとき、

「静脈血」の循環促進が見られました。

つまり、「血流」が促進されるような反応が認められます。

 

この磐座も、高いパワーがあります。

 

この磐座からも、持参のブレスレットに高波動を吸引しました。

 

天壇(てんだん)の跡

「ダンノダイラ」中央西寄りにある。

直径20メートルぐらいの土盛りが、5段の円球状になっており、最上段には多くの小石がある。

 

ここは日本式天壇(てんだん)の跡ではないか」

としています。

 

「天壇」とは、中国では天子が帝城の南郊で、冬至の日に、親しく天帝を奉祀した祭壇のことです。

 

つまり―――ここは、古代の祭壇跡だったようです。

 

ここが、天壇(てんだん)の跡です。

 

 

 

我々一行9人は、この「天壇(てんだん)の跡」に立ち、いにしえの古代人に思いを巡らせて、超絶の高波動の「地」に感謝の想いを捧げました。

 

そして―――

一人ずつ「天地結合の印」を結んで、大地(地球)と天(太陽)のエナジーを身体に入れて、体内で結合させます。

 

久々に参加したモリモリも「天地結合の印」を結び、高波動のエナジーを吸引しました。

 

こうして、「岩尾神社」「十二柱神社」「ダンノダイラ」と巡り、次の目的地である「石舞台古墳」を目指しました。

 

            つづく

 

           2024年2月13日記