《 秘仏巡りの奈良旅 7 》
法華寺―八咫烏神社―秋篠寺―定光寺―長谷寺―法起院―宝山寺―談山神社
宝山寺その1
次の目的地は、「生駒山」です。
ここには、私の「守護神」となっている「聖天(歓喜天)」が祀られています。
それを祀る「宝山寺」には、かなり昔に訪れています。
その時には、麓からケーブルカーで山に入った記憶があり、クルマの中で
「ここは来たことがある。ケーブルカーで山に入った・・・・」
などと説明していたのですが、その山頂に向かう道路には ケーブルカーなどはなく、誰も私の話を信じていない様子でした。
この生駒山は、「日本書記」において、神武東征の折、神日本磐余彦尊と長髄彦が山麓で激戦を繰り広げたとされています。
奈良県と大阪府の県境にある山で、山頂は奈良県側にあります。
この生駒山は、古くは役行者の鬼退治の伝説で知られていて、宝山寺を中心に 滝の修行場や祠など、数多くの施設があります。
宗教法人として届けられていないものも多く、その総数は把握されていない、とまで言われています。
宝山寺に到着しました。

宝山寺のある駐車場に来ました。

駐車場から見ますと、参道があり、下から続いています。
参道には、左右に「灯籠」がぎっしりと並んでします。
徒歩で来ることもできるようで、我々はクルマですので、簡単にここまで来ています。
いや、その昔 私はケーブルカーで来たので、参道につながる商店街を抜けて来ています。
駐車場から、さらに―――

参道は続きます。
灯篭も続いています。

鳥居で拝礼をして、中に踏み込みます。
なぜか、この鳥居が「一の鳥居」のようで、この下のエリアには「二の鳥居」もあるようですが、この場所に移築したといいます。
ここから踏み込みますと・・・・なぜか、気配が変わります。

さらに参道は続きます。
高波動の空間が続きます。

宝山寺の「案内図」

「宝山寺 獅子閣」とあります。
この階段の上に「獅子閣」があるようです。

「獅子閣」です。
さらに、その先に階段が続きます。

この階段を昇ります。
その先には、高波動の空間があると 感知できます。

ここは・・・・何なのでしょうか?
波動は良好です。

「授福の神 七福神」とあります。
この「七福神」の影響で、ここの空間が良好な波動となっているようです。

「大日如来」と「地蔵菩薩」像があります。

ここに「七福神」の像がならんでいました。
右から 恵比寿―大黒天―毘沙門天―弁財天―布袋天―福禄寿―寿老人です。
なぜか、右から3番目の「毘沙門天」と左端の「寿老人」の波動は良くありません。

なぜ、この左端の「寿老人」の波動は低いのか?
この左端の背後のエリアの波動が悪く、その影響を受けているようなのです。

ここの「七福神」を守る位置にある「大日如来像」は、「生きていません」。

ここには、お大師様などの像があります。
それほどの波動ではありません。

さらに階段を昇ります。
すると―――

このような「門」があり、
その門を抜けていきますと―――

さらに別の境内へと続いています。

ここに手水舎があります。
両手と口を濯ぎ、正式にお詣りできる状態に整います。

本堂のある背後の山に、見覚えがありました。
ここに―――

山肌に、「弥勒菩薩座像)の像があります。
ここ宝山寺は、「聖天」様信仰で有名です。
「聖天」とは、通常の寺院では祀ることが難しく、穢れを嫌いますので、避けられています。
「触らぬ神に祟りなし」と云われますが、これは「聖天」を指す言葉と云われます。
京都のある老舗の主人が怖いものを聞かれて、『一に聖天さん、二に税務署はんでんな』と答えた―――という話まで残っています。
いい加減な心構えで祀りますと、祟られるとさえ言われています。
しかし、その一方で―――
「聖天」の加護を得られると、莫大な冨を得られるという信仰があります。
紀伊国屋文左衛門や三菱の創業者・岩崎弥太郎が「聖天」信仰で有名です。
また、
「聖天」は、「歓喜天(かんぎてん、歓喜自在天)」とも云われます。
ヒンズー教の「ガネーシャ」に相当する尊格で、ガネーシャと同様に象の頭を持つのが「歓喜天(かんぎてん)」です。

形像
六臂単身の聖天(歓喜天)
(高野山真別所円通寺本『図像抄』より)
象頭人身の単身像と立像で抱擁している象頭人身の双身像の2つの姿の形像が多いですが、多くは「厨子」などに安置され、「秘仏」として扱われており一般に公開されることは少ないものです。
ヒンドゥー教の神・「ガネーシャ」は、元々は「鬼神」でしたが、やがて一つの神格へと融合され、文献においては
シヴァ神に仕える魔物の長となり、そして最終的にシヴァの息子とされるようになったといいます。
「障害を司る神」でしたが、やがて障害を除いて「財福をもたらす神」として広く信仰されたといいます。
同じように、「聖天」「歓喜天」の系統として―――「毘那夜迦大明神」というものがあります。
ある文献で、「絶対秘仏」としていたもので、「この神の加護を得られると、財運と福運がもたらされる」というので、
私はこの「毘那夜迦大明神」のお入り頂いた仏像を大切に祀っています。
このヴィナーヤカ(毘那夜迦・びなやか と音写)は、ヒマラヤ山脈の聖地「カイラス山」で、9千8百の諸眷属を率いて三千世界と仏法僧の三宝を守護するとされています。
悪神が十一面観音菩薩によって善神に改宗し、仏教を守護し財運と福運をもたらす天部の神とされ、日本各地の寺院で祀られています。

カイラス山
標高6656 mの未踏峰です。
信仰の山であるため、登頂許可は下りない山です。
ただし聖者ミラレバ(1040年―1135年(?)が山頂に達したという伝説が有ります。
ここは、信仰の聖地で、
チベット仏教、ボン教、ヒンズー教、ジャイナ教で聖地とされています。
カイラス山の周囲の巡礼路を、チベット仏教徒は右回りに、ボン教徒は左回りに巡礼します。
ジャイナ教と安息教の信徒たちは反時計回りに山を回りながら歩きます。
一周約52 kmある巡礼路は、最高点ドルマ・ラは、標高5630 mもあります。
信仰心の厚いチベット仏教徒では、さらに五体投地(キャンヂャー)による礼拝で行う者も少なくないといいます。
ついでですが―――
世間では「聖天」と同じく真言密教では、「荼枳尼天(だきにてん)」も「天部」に属する神ですが、
これらを「信仰することは 怖い」とされることが多いようです。
「聖天」は、「歓喜天」あるいは「毘那夜迦大明神」と同じで、多大な幸運と財運をもたらされるとされていますが、
これらの神は、「人を選ぶ」と云われます。
加護するのに適した人物か否かを選定するというのです。
その一方で――――
「荼枳尼天(だきにてん)」は、人を選定したりしないといいます。
信仰してくれるのであれば、誰でも加護をしてくれる、と云われています。
ただし、一度信仰したら 生涯その信仰を続けることが大切である、とも云われています。
「苦しい時の神頼み」に終わらずに、その加護を与えられたら、その恩に報いるために一生涯に渡って信仰を続ける覚悟が必要だということです。
そうでないと、一度ご縁を頂いたら、生涯信心しないと災いが起こる、祟られる、最強に恐ろしい神だ、ともなり得ます。
「荼枳尼天(だきにてん)」は、我が国では「稲荷信仰」と強く結びついているので、「金運」が高まるとされています。
この場合の「荼枳尼天(だきにてん)」は、白狐に乗る天女の姿で示されることが多いです。
つまり、「眷属の狐系」がここに由来されます。
多くの「稲荷信仰」では、キツネ系の眷属を祀ることが多いので、私も好きではありません。
しかし、この機会に 「稲荷信仰」に関わる「荼枳尼天」について触れておこうと思います。
平氏の絶頂期を迎えた平清盛は、荼枳尼天の修法を行っていたといわれています。
さらに言いますと―――
近世になると荼枳尼天は、伏見稲荷の「愛染寺」、豊川稲荷の「妙厳寺」、最上稲荷の「妙教寺」など、憑き物落としや病気平癒、開運出世の福徳神として信仰されています。
明治政府が成立すると 神仏分離政策を受けて、それまで全国の寺社に荼枳尼天を勧請していた愛染寺は廃寺となり、伏見稲荷で荼枳尼天を祭祀することは途絶えています。
また荼枳尼天を祀っていた稲荷社も多くは「宇迦之御魂神」などを祭神とする稲荷神社となっています。
また、成田山には、出世開運稲荷として、成田山枳尼天堂がありますし、比叡山にも星峯稲荷があります。
高尾山にも福徳稲荷があり、浅草の浅草寺にも鎮護堂の稲荷系がありますし、東京の深川不動にも深川吒枳尼天堂があります。
このように多くの有名な寺院には、稲荷系の「荼枳尼天(だきにてん)」信仰が残っています。
ですから―――正しい「荼枳尼天(だきにてん)」を祀っている「稲荷神」では、何ら問題はありません。

別のカメラで撮った像です。
「般若窟」とも言われています。
ここでは、「弥勒菩薩」として反応しています。
弥勒菩薩の真言である「オン マイタレイヤ ソワカ」に反応を示します。
ただ、私には「聖天」の「オン キリク ギャクウン ソワカ」にも反応します。

ここに何かの「お堂」があります。

横から見ると、やたらに「牛」像が置かれています。

この像は何なのでしょうか?
詳しくは判りません。

お堂の前にも「牛」像があります。
「牛」といえば―――

やはり、「天神」様でした。
大宰府に流された菅原道真を祀る「お堂」です。

菅原道真の遺骸を運ぶ際に、防府天満宮のある地で「牛が止まった」ことから、その地に天満宮が建てられていますが、
その天満宮の眷属とも云われる「牛」を撫でますと、ご加護が受けられるといいます。
当然、多くの方々が撫でていますので、邪気が溜まっていますので、浄化してから撫でるようにしてください。

それにしても、「撫で丑」が多く据えられています。
その横に―――

「水掛不動尊」があります。
我々は、全員で柄杓から水を取り、お不動様に水を掛けました。

ここに「不動明王」の御真言(中呪)が書かれています。
ここは「第十三佛第一番霊場」となっています。

ここも波動は良好です。
ここが「本堂」です。

ここは「本堂」の拝殿です。
ここには、宝山寺の中興開山者である湛海律師による「不動明王像」が祀られています。
この中で「護摩祈祷」が行われるので、煤(すす)で暗くてよく見えません。
ここに「宝山寺」と書かれた「額」があり、その「額」は弘法大師空海が書いたと伝わります。
その額は、現在の宝山寺が出来るよりも前に、お大師様が「縁起のよい言葉」として示したものであるとのことです。

ここの本堂の床下には―――

このようなモノが置かれています。
不思議なのですが―――
この床下に入り込みますと、身体が整います。
体軸の乱れた方、何となく不調を訴える方がいれば、
この床下に潜り込ませるといいようです。
つづく
2026年8月4日記