生命体エナジー浄化の会ブログ

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箱根元宮を巡る旅 その1

《 箱根元宮を巡る旅 その1 》

大雄山最乗寺―玉簾(たまだれ)の瀧-箱根元宮(駒ヶ岳

 

 2022年12月に「今年のパワースポット探索の会の締めに、どこか近場に行こう」となりました。

そして、「たまにはゆっくりと温泉に浸かって、楽しむのもアリじゃない?」となって、

まだ行っていない箱根の元宮である「駒ヶ岳」に行くことになりました。

 

5人なので、「一台のクルマでいける。5人が乗り込むから、クルマお願い!」と云われて、嫌々私がクルマの運転手をして、出発しました。

 

箱根方面や伊豆方面に行くときには、いつも訪れている「大雄山最乗寺」を目指しました。

 

私は幾度も訪れていますが、同行者は誰一人として訪れていませんでした。

初めて訪れると―――通常は「感激します」。

やはり・・・・同行者は、全員が大きな感動に浸りました。

 

では、その一部始終をカンタンに再現します。

 

600年の歴史のある曹洞宗の禅寺です。

東京ドーム27個分の敷地面積があります。

 

駐車場を降りて、このような階段を昇ります。

左右には石塔が多数立っています。

 

最初に現れる「瑠璃門」です。

ここには、「結界」が敷かれています。

 

この奥には、「奥の院」に入る入口に「結界門」があります。

 

初めてここを訪れたきに、この「門」を通過するときに、明らかに空間の波動が変わるのを実感したところでした。

 

ここは「本堂」(護国殿)です。

1394年(応永元年)に了庵慧明禅師が創建しました。

 

禅寺の曹洞宗ですので、坐禅道場もあります。

そのために、会社企業の研修の場として修業をする施設もあるようです。

 

最長寺は、曹洞宗の禅寺ですが、天狗界系の寺院でもあります。

ここには、6体の「天狗」が守護神として祀られている―――といいます。

 

確かに・・・・ここに、「大天狗」のエナジーが反応します。

5体を感知します。

 

天井には、美しい天蓋(てんがい)があります。

この天井を眺めていますと、「曼荼羅」の世界に引き込まれていきそうな感覚を覚えます。

 

「金剛水堂」があります。

 

この中で「金剛水」を取り込むことができます。

ここの「水」は良好な波動ですので、多くの方が この「金剛水」を口に含みます。

 

「多宝塔」です。

 

周囲の静寂な環境の中に溶け込んでいます。

ですが・・・・それほどの波動ではありません。

 

天狗界系の像が、いくつか立ち並んでいます。

「カラス天狗」などの、大天狗を守護する眷属神が在ります。

 

 

「三面大黒天御尊像」とあります。

 

通常、三面大黒天は、「毘沙門天」「大黒天」「弁財天」の金運を上昇する三体が合体した像です。

 

豊臣秀吉が戦場でも所持していて、「金運」「出世運」など大幅に運気が上昇したlことから、小さな「三面大黒天」を保持する方が多くなったようです。

私も所持しています。

 

「三面大黒天」です。

 

多くの方々の「金運アップ」を願う「念」が周囲を覆っています。

このままでは、ほとんど効力はないように思われます。

 

そこで―――

次元を変えました。

本来の高次元の反応にもどしています(9次元で反応します)。

 

この階段を昇ると「奥の院」です。

235段あります。

 

高齢者には、少しきついかもしれません。

 

 

この階段を昇り切ると―――

 

奥の院」です。

 

「十一面観世音」とあります。

多数の「オーブ」が出現していました。

 

扉は閉じられていましたが、隙間から撮りました。

 

「オン ロケイジンバラ キリク ソワカ

「十一面観世音菩薩」の御真言に反応を示します。

 

再び、下に戻ります。

有名な「天狗の高下駄」があります。

 

この下を潜(くぐ)ると「御利益がある」といわれますが―――

 

天狗界系は、不埒な輩(やから)などを嫌いますので、境内で何かをしでかすと、その眷属神(カラス天狗など)が反発して事故など起こしやすい状況になる場合があります。ご注意してください。

 

この「高下駄」のそばに―――

「御真殿(妙覚宝殿)」があります。

 

ここは、大雄山最乗寺の「最大のパワースポット」といわれています。

「道了尊」が祀られています。

 

「道了尊」とは、「天狗」のことです。

曹洞宗の禅寺ですが、「天狗界系エナジー」の「大天狗」をも祀っています。

その謂れは―――

 

了庵慧明禅師の弟子であった道了尊者は、その師である創健者の了庵慧明禅師が最乗寺を建立することを聞き、近江の三井寺から天狗の姿になって来たといいます。

 

そして、神通力を使って寺の建設を手伝いました。

その後・・・・・師の了庵慧明禅師が75歳で世を去ると、最乗寺を永久に守るために天狗に化身して、山中深くに飛び去ったと云われています。

 

これ以来、最乗寺の守護神として祀られています。

 

ここには、「天狗界系のエナジー」が充ちています。

 

中は、このようになっています。

 

「道了尊」の「天狗のエナジー」は感知しませんでしたが、「最乗寺」の「大天狗」のエナジーは感知します。

これが「道了尊」なのかは、解りません。

 

我々は、長いことこのエリアに留まっていました・・・・。

 

「多宝塔」です。

 

中は暗くてよく見えません。

「釈迦如来」のような仏像がありますが、「生きてはいません」。

 

本堂のある境内の一角に、「金剛水堂」があります。

この中にある「水」を口に入れると、身体がすっきりします。

 

全員が、すっきりしたところで、次の箱根を目指しました。

 

                    つづく

 

               2024年11月25日記

 

世界の覇権国家であったスペインが日本を侵略できなかった理由

 《 世界の覇権国家であったスペインが日本を侵略できなかった理由 》

 アジアの国々は,欧米諸国に侵略によって「植民地化」され、「奴隷のように扱われ」様々な「物資などを搾取」されていました。

 

アジアの国で「植民地化」されなかった国は、「タイ」と「日本」だけです。

「タイ国」は、ヨーロッパ列強の緩衝地帯として生き残りましたが、純粋に他国に侵略されずに皇統を守り続けたのは「日本」だけです。

 

ただ、大東亜戦争(太平洋戦争)で米国に屈して、GHQ進駐軍が入り、徹底的に日本の文化を破壊して、「二度と強い日本をみたくない!」として、日本人を骨抜きにしました。

 

学校教育から変えられて、正しい日本の姿を知らずに多くの日本人が育っています。

戦後派の私自身もそうです。

 

多くの日本の根底にある文化を破壊して、多大な書籍を「焚書」(ふんしょ)にして、日本人として伝統的な文化をも変えてしまいました。

 

しかし、歴史を戻しますと、日本が侵略される危機に陥ったことが過去にもありました。

その一つが―――

 

戦国時代を統一した織田信長から豊臣秀吉となり、その天下人の秀吉が亡くなると、「将軍」の称号は空白のままでした。

 

そして、徳川家康率いる「東軍」と、秀吉恩顧の大名である石田三成率いる「西軍」(総大将は毛利輝元)の東西の激突を迎える「関ヶ原合戦」がありました。

 

このとき、東西の両陣営の外に、もう一つ「別の勢力」がありました。

この「別の勢力」は、歴史上から消されています。

教科書にも載っていません。

 

だから・・・・大多数の方は、そこに誰が存在していたのか、知ることはありませんでした。

 

その「第3の勢力」とは、スペインの宣教師の集団です。

伴天連(バテレン)と云われたキリスト教の宣教師ですが、その実態はスペイン国のスパイ達です。

 

その当時、スペインは世界の覇権国家であり、「太陽の沈まぬ国」と称えられた繁栄を誇っていました。

 

世界史のなかでルネサンス産業革命とならび大きな転換点といわれているのが、15世紀末にはじまる大航海時代です。

 

1492年のアメリカ大陸発見、1498年のインド航路発見、1522年の世界一周の達成など、新しい世界が次々と開け、猛烈な勢いで世界の勢力地図が塗り替わっていきました。

 

その中心となったのがスペインであり、ポルトガルでした。

 

スペインやポルトガルの植民地化政策の第一は、宣教師を送り込んで住民を教化して、地元の支配者に反乱させて、それを機会に本隊が乗り込んで征服する手法をとっていました。

 

1543年(天文12年)に種子島ポルトガル人の乗った船が漂着して、鉄砲が伝来しました。

 

それから―――わずか30年後には、日本は世界有数の鉄砲保有国になっています。

日本人は、優れた文化を取り入れる能力が高く、元のベースをも凌駕してしまう才に長けていました。

 

我々は、日本人は優れた才があり、多くの文化を大陸から入っているものを通して学んできた――――このように思い込んでいます。

 

しかし、その実態は大きく違っています。

そこで、少し長くなりますが、本ブログ「幕末の天才・小栗上野之介」で載せた文章をもう一度示します。

 

以下、転載―――

 

話を古代の日本に向けます。

 

我々は、中国や朝鮮から文化を取り入れて、日本の国は発展してきた―――このようなイメージで、我々は学校で習いましたし、漢字や稲作などの文化も取り入れてきたので、日本は発展した・・・・と思ってきました。

 

子供のころに教わったものは、深く人の心の奥底に根付いています。

「古代の日本は、中国や朝鮮半島を経由して、大陸からの文化を取り入れ 発展してきた国だ」と言われていますが、 そうではありません。

世界的な美術史家であり、歴史学の権威の東北大学名誉教授の田中英道氏は、

 

「古代日本は中国や朝鮮など、 実は海外こそ、日本に憧れ、 多くの人々が渡来人としてやってきたのです」

と言っています。

 

どういうことなのか―――

 

正倉院は、聖武天皇光明皇后の御物を納める、文化財の宝庫です。

その御物には唐や西域、さらに遠くペルシャから渡ってきた品々が数多く含まれています。

 

また、多くの文物が大陸から直接に、あるいは朝鮮半島を経て日本に流れ込みました。


しかし、それだけなのでしょうか。日本から向こうに渡っていったものはないのでしょうか。

 

日本のこの時代に対する歴史観には、日本は文化が遅れていて、中国や朝鮮に学び、向こうの文化を取り入れて発展してきたという観念が、日本人の根底にあります。

特に戦後、この見方が浸透しました。

 

太平洋戦争(大東亜戦争)で日本が敗れて、米国の進駐軍GHQが来て、日本が二度と立ち上がれないように、徹底的に日本の文化を叩き潰したことで、まず日本の教育を根本から変えてしまい、北朝鮮と繋がる組織、日教組の台頭を黙認していました。

 

そのために、日本の文化は常に西欧諸国よりも遅れていて、古代から日本は中国や朝鮮経由での文化を取り入れていた―――という教育が浸透してきたのです。

 

その代表例は遣隋使、遣唐使です。


607
年に小野妹子が遣隋使として派遣されました。遺唐使の最初の派遣は630年です。日本からたびたび唐に出かけて向こうの進んだ文化を学び、それによって日本は発展したということになっています。

 

我々もそのように教育されてきましたので、そのように思い込んでいます。
しかし、事実はまったく違うのです。

 

たとえば小野妹子の遺隋使のときですが、

こちらから行っただけでなく、隋からも位の高い役人などが32艘もの船を連ねてやってきています。いわば「遣日使」です。

唐の時代になると、さらに頻繁に日本にやってきています。その人数がまたすごいのです。

たとえば、669年には2000人あまりの人が来ています。671年にも2000人が来日、という具合です。

ほかにも、当時新羅は日本に高い関心を抱いていたようで、30数回も来ています。
いまの中国の満州から朝鮮北部、そしてロシアの沿海州まで版図を広げた渤海という国がありましたが、ここからも33回も来ているのです。

遺隋使、遣唐使よりも遣日使のほうがはるかに多かったのです。


では、彼らは何のために日本にやってきたのでしょうか。ほかでもありません。
日本の文化を摂取するために来たのです。経済的には日本の産出する銀、絹などの高い需要がありました。

 

8世紀後半になると日本は金も産出するようになり、日本への関心はさらに高まりました。
文化的には日本の仏教、それに聖徳太子の思想を学ぶということもありました。

 

鑑真が日本への渡航に5回も失敗し、6度目にようやくたどり着いた話は有名ですが、鑑真がなぜこれほどまでに日本に執着したのか。

聖徳太子の思想をはじめ、日本に定着している仏教を高く評価していたということが根底にあるのです。

鑑真だけではありません。インド人、ベトナム人、ソグド人の僧侶も日本の仏教を学びにきています。

 

奈良時代、日本も唐もその他の諸国も文化的には対等で、相互に学びあい、物を交流させていたのです。

だから―――遺隋使や遣唐使と呼ぶのが誤解のもとなのです。


正確には交流使というべきだと、田中英道氏は指摘しています。

日本に、これほどたくさんの人々が移ってきたというのは、日本の文化が高く評価される水準にあったことを証明しているのです。

では―――
彼らは日本の何に憧れてやってきたのでしょうか?

 

日本には、上古代から優れた文化・文明があり、それが「神話」ともなっているものが日本の魅力であり、そこに魅了されたといいます。

他国からみると素晴らしいものと映っていたようなのです。

 

では一体、なぜ日本から「神話」が消えてしまったのか。
初等科「国史」という教科書はなぜ使われなくなってしまったのか?


それは、戦後、GHQによって「焚書」されてしまったからです。

GHQが7年にわたる占領活動で、日本の数々の教科者や本を「焚書」したのは―――


〇 日本の言語空間をコントロールし、 日本をアメリカの都合のいいように扱うこと。
〇 日本の軍部だけにとどまらず、 日本全体を弱体化させること。


これを果たすために、「焚書」を行ない、日本から神話を消したのです。


「十二、十三才くらいまでに 民族の神話を学ばなかった民族は、 例外なく滅んでいる」

歴史学者であるアーノルド・トインビーはこのように語ったと言われています。

 

確かに、欧米諸国がアジアの大半の国を植民地化して、搾取していましたが、

この植民地政策として、現地語を話させない、支配国の言語に統一する、伝統の文化を学ばせない等々がありました。

 

アジアの国の中で、欧米諸国からの植民地化をされなかったのは、「日本」と「タイ」だけです。

大きな理由の一つに、言語統一がありました。全国民が、同じ言語を使っていたのです。

 

しかし、ただ「神話」といわれても、私たち日本人にとっては馴染みのない少し遠い存在のものと感じると思います。

ましてや、神話を学ばないことで民族が滅ぶと言われても、多くの方はピンとこないかもしれません。

 

確かに、私たちの使ってきた歴史の教科書に「神話」が載っていることは99%ありませんし、そもそも学校では、神話は空想の出来事に過ぎない、非科学的な絵空事だとして教えられてきました。

 

そんな「神話」ですが、実は、世界では、常識として扱われているのです。
例えば、世界の人口の約33%を占めるキリスト教徒は、「聖書」に書かれた「神話」によって繋がっています。

 

紀元前1776年ごろ、何十万もの古代バビロニア人をまとめあげた「ハンムラビ法典」も一種の「神話」です。
北米大陸にあったイギリス植民地の人々が連帯し、アメリカ合衆国をつくりあげる際にも、「独立宣言」という「神話」が重大な役割を果たしました。

 

このように、世界で常識として扱われてきた「神話」ですが、戦前の日本でも、小学生以上なら誰もが知り、常識として扱われていたという過去があるのです。

 

では一体、日本では「神話」という常識がどのような役割を果たしたのか。
なぜアメリカが日本から「神話」を消してしまったのか。

 

それは―――神話に描かれる世界は、日本の皇室――天皇に繋がるからです。

日本人が、当初考えていたよりも はるかに強く、大東亜戦争(太平洋戦争)でも、アメリカでさえあれ以上に戦争を長引かせていては、国が傾く可能性があったからです。

 

日本人の強さの根本に、日本人一人一人が先祖を辿ると皇室の天皇に繫がるとされていたからで、どの家にも家系図の先祖は、天皇家に何らかの形で接点を持っていたからです。

 

そのような神話に繫がる「国史」の教育の場を奪う必要があることを、日本人の強さの根源を剝奪する必要があったからなのです。

 

また、江戸幕府の260年間に及ぶ古臭い政治から、明治政府から近代化されて、日本は飛躍的な発展したという認識を、明治政府がとっていたので、

現在の多くの日本人は、「江戸までの日本は古臭く、遅れていて、間違っていた」といった認識を持っています。

 

しかしながら―――

江戸の外交は、中世アジアで最も成功していた外交として評価されているのです。

江戸時代の日本は、外交交渉だけで拉致問題を解決し、一方的な侵略への謝罪も勝ち取っているのです。
これがペリー来航の約40年前の外交です。

 

ペリー来航の40年前に、ロシアは一方的に択捉島に上陸して、略奪を始めました。

江戸幕府はすぐに迎え撃つが、負けてしまいます。

 

そこでロシア艦隊の艦長を人質にとり、交渉します。

ロシアも島民を人質にとり、交渉が開始されます。

しかし江戸幕府は断固として突っぱねて、ついにロシアは折れて、互いに人質を渡して、ロシア艦隊は帰路に就きました。

 

たしかに、いくら無事に解放しているとはいえ、他国の人を人質にとることは褒められる行為ではないかもしれません。
ですが、この時の日本はウクライナのように侵攻されていたのです。


今の日本のように、北朝鮮に自国の国民が拉致されようとも、アメリカを始めとする他国に理不尽な要求を突きつけられようとも、無言を貫く姿勢とは全く違う堂々とした日本の姿がそこにはありました。

「よく、日本が植民地化されなかったのは明治の志士たちの力だと言われます。


それはそうでしょうけれど、同時に江戸幕府は堂々とした外交を行ったこと、しかも平和外交を行い、それに成功したという江戸幕府の外交力も、日本の植民地化を防いだ大きな理由の1つではないか考えております」

このような発言する評論家もいます。


しかし、なぜこのような外交がロシアとあったにもかかわらず、私たちは「弱腰な江戸幕府」のことしか教わらなかったのでしょうか?

 

ペリーが浦賀に来て、「日本と外交したい!1年後にまた来る」と要求してきたときに、幕府の面々は慌てます。

 

しかし、その難局を見事に治めたのは、江戸幕府であり、その残った記録を読み解く限り、当初は武力で脅そうとしていたペリーですが―――

 

幕府の役人の対応に打ち勝てず、捕鯨船などの緊急時に「助ける」、また必要な物資を調達することができる。

また、上陸する期間も制限されていて、簡単に日本に上陸して砦を造ることなどできない条項になっていました。

 

つまり、江戸幕府の外交は、一般に云われているほど、軟弱なものではなかったのです。

では、なぜ? 

江戸幕府の外交は、軟弱なものだったと評価されているのか―――


一言で言うと、明治維新、そして欧米を一方的に礼賛する学者やメディアのせいです。

 

彼らは、「日本が成長できたのは、古臭い日本を捨てて、欧米の技術を取り入れたからだ」「それ以前の江戸はダメだった」と主張します。
しかし、そのような聞こえの良い主張によって、いつしか江戸史は偏ったイメージに塗り替えられてしまいました。

 

そして、間違った江戸のイメージはいま、大きな問題を生んでいます。

それは―――「欧米に付き従えば、何でも解決できる」という間違った幻想が生まれてしまったことです。

 

その結果、現在の日本は外交では、腰抜けとしか思えないような醜態を晒してきました。

転載ここまで―――

 

さて、イエズス会バテレン集団は、日本に根付いていました。

やがて・・・・それは大きな勢力になり、キリスト教が九州の地域に広まると、バテレン大名が現れてきて、由々しき問題を引き起こしていました。

 

火薬と日本人女性の人身売買に問題は発展します。

多くの日本人女性が奴隷として売られていき、異国の地で亡くなっています。

 

これに気が付いた豊臣秀吉は、金を支払い、奴隷となっていた女性達を救います。

そして、「バテレン禁止令」を出します。

 

天草に残るキリスト教の教会や隠れキシリタンが世界文化遺産になりましたが、その裏には悲惨な過去があったことを忘れてはならないと思います。

 

それでも当時の世界の覇権国家であったスペインの宣教師たちは、その後も大きな勢力を持っていました。

 

そのような中で、天下人秀吉が亡くなり、「将軍」が空白のままで豊臣家と徳川家の天下分け目の戦い「関ケ原合戦」が起こります。

 

その前に、スペイン国王に「イエズス会」から書簡が届きます。

 

キリスト教宣教師の「イエズス会」とは、その国に乗り込んで植民地化するための集団です。

「日本人は貧しいから、簡単に我々の仲間になってくれる」

「武力で制圧するには、今が絶好の好機である」

と、スペイン国王に報告しています。

 

それがあって、この第3の勢力である「スペイン宣教師軍団(イエズス会)」は、関ケ原合戦を見届けていました。

 

1600年10月12日関ケ原の天下分け目の合戦は開始されました。

これをイエズス会のスペインのスパイ集団は見守っていましたが・・・・・

 

「サムライ」の戦い方は驚くべきもので、槍や鉄砲で打ち合い、それが尽きると素手で殴り倒して、小刀で相手の首をはねる―――という凄まじいものでした。

 

関ケ原合戦に勝った徳川家康を、スペイン国王に当てた書簡では、「エンペラー(皇帝)」と称していました。

 

スペインのトップでも「国王」です。

しかし、徳川家康を「国王」のさらに上の地位である「エンペラー(皇帝)」としているのです。

 

つまり、日本の覇権を持った者を、自分たちのトップである「国王」よりも格上の存在として扱ったのです。

 

ドン・ロドリゴは、

「メキシコ先住民のように野蛮人ならともかく、理論と理解の能力の高い日本人では、征服することはできない」

としていました。

 

日本を征服して植民地にすることなど―――到底できない!

 

さらに―――

「アジアでは、スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリスの植民地であったが、日本が本格的にアジアに進出すると、アジアの全てを植民地化してしまうかもしれない・・・・」

このような報告書を送っています。

 

そこで―――

家康の近くにキリシタンを置いて、その情報を抜き取ることが大切であるとしていました。

 

しかも、家康、二代将軍秀忠の代では無理でも、三代先なら可能性があると考えていました。

 

しかし家康は、側近にイギリス人の三浦按針(ウイリアム・アダムス)を置いて、世界情勢を掴んでいました。

だからスペイン宣教師(エイズス会)の企みも見抜いていました。

 

それで、スペインに対して

「何かしでかそうとしているようだが、そうはさせない!」

として、キリスト教の「禁教令」を出したのです。

 

徳川幕府の出した「禁教令」に対して、様々な「キリシタン弾圧」物語がなされ、天草四朗などの英雄伝説も生まれましたが、徳川家康の英断によって、

 

「禁教令」「鎖国政策」で日本はその後 独自の発展を遂げていきます。

そして―――

 

德川政権下の「江戸」は、その当時の世界の都市の中でも、トップレベルと云われる水準に達していたのです。

 

この文化的資産などの貯えがあったので、

「西欧で100年以上かかったか改革を、日本はたったの30年で成し遂げてしまった」

といっています。

 

つまり―――

日本国の突然の繁栄は、歴史学者で著名な分析家・アーノルド・トインビーは「世界史の奇跡である」とまで言っているのです。

 

それに対して、日本という国は、その当時の文明も世界水準を超えたものであり、それは当然の帰結であるとして、様々なデータを駆使して、そのことを裏付けている人もいます。

とくに江戸の文化は、世界水準でも当時から抜きん出ていた、というのです。

 

明治政府は―――それまでの江戸幕府の政策は非文化的なものであり、日本の発展は新政府が行った「明治維新」の政策があったからである。

 

つまり、江戸幕府の政策では、世界の列強とはまともに対峙できない状況であったが、我々新政府の決断と対処があったから、日本はこうして発展を遂げたのである。

 

明治政府は、それまでの江戸幕府の政策を否定して、すべて「明治新政府」が行なったことで、現在の日本国の発展があったのである、と主張し続けてきました。

 

それは違います。

 

日本という国が、突然世界の中に躍り出たのは、それだけの国力が背後にあったからで、「江戸時代」というのは、世界史からみても260年間も一切の争いのない「平和な時代」であったのが、世界史では「奇跡的なこと」であったのです。

 

しかも、その「江戸時代」の文化は、世界から比べても、群を抜いて発展する土壌があったことが解るのです。

 

こうして見てくると―――徳川家康は、世界史の中でも「皇帝」と評される人物であり、明治以後の世界の白人社会の列強の中で、抜きんでた存在として君臨していた、日本の基礎を築いてくれた人物だったかもしれません。

 

家康については、次の2つの点が挙げられます。

 

〇 キリスト教を禁止にした、その理由とその裏の実態が教科書には出来てこない

〇 歴史書が明治で変わり、「禁教令」と「鎖国政策」のマイナス面のみが国民に知らされた(260年の長きに渡り、一切の戦争のない時代が続いた世界史の奇跡を成し遂げている)

 

私の中には、子供の頃に受けた漫画などで、「徳川家康は、狡猾なタヌキ親父であった」という思いと、

 

德川家に反旗を翻していた「真田十勇士」に感動していた思いとが、複雑に交錯しますが、あらためて家康を「日本の偉人の一人」として再評価する思いが湧いてきています。

 

                 2024年11月13日記

 

未来エステ研鑽会Cコースの開催について

未来エス研鑽会Cコースの開催について

 
先着20名様です。
 
参加の意思は「メール」でお知らせください。
 
2025年1月12日(日) (Cコース) 
13時から16時(時間は延長する可能性があります)
 
参加費: 各コースの初回参加費は20,000円(大光明神液進呈)
            各コースの2回目以降は 12,000円です。
申し訳ありません。2025年から値上げさせて頂きます。
 
メールの宛先は「生命体エナジー浄化の会」の「ホームページ」をご覧下さい。
 
 

メールは、これです。 hc-lab@nifty.com

 
お申し込みを お待ちしております。

日光秘仏公開で輪王寺へ 2

《 日光秘仏公開で輪王寺へ 2 》

磐裂神社(いわさくじんじゃ)-輪王寺その2―

 

輪王寺その2―

 

 輪王寺に来ています。

 

中に入りますと―――

「疫病退散」とあります。

 

その正面の奥に、3体の大仏が並んでいます。

この奥に入ると、その3体の大仏と対面することができます。

 

「勝道上人」とあります。

 

勝道上人(735年―817年)とは、僧侶で山岳修行者であり、日光山の山岳修行の創始者です。

 

766年に悟りを得るための修行として、男体山(2486Mの登頂を目指しました。

その当時は「途(みち)」などないために、3度目の挑戦で登頂を果たします。

 

男体山の山頂からは、奈良時代にさかのぼる仏具などが出土していますので、ここが「山岳信仰の聖地」であったことが裏付けられています。

 

 

正面から後ろに回る通路があり、3体の仏像と対面することができます。

ここでの対面が、輪王寺の最高の至福を得られるエリアです。

 

手前にある正面右側の像は、「千手観音」です。

これは日光山の「男体山」に相当するもので、御神体大己貴命(おおなむちのみこと)」です。

 

本尊の高さは3M25センチ・総高7Mです。

 

隣の三大仏の中心は―――「阿弥陀如来」像で、「女峰山」に相当するものです。

御神体は「田心姫命(たごりひめのみこと)」です。

本尊の高さは3M・総高7Mです。

 

正面右側の「千手観音」像は、「生きています」。

 

正面左側は――「馬頭観音で、「太郎山」に相当します。

御神体は「味彦根命(あじすきたかひこねのみこと)」です。

本尊の高さは3M・総高7M44センチです。

 

三体ともに金色の仏像で、巨大なものですが、いつ頃に制作されたものなのか、という来歴が不明なので、文化財には指定されていません。

文化財には指定されていなくても、この三体の仏像は「生きています」。

かなりの高波動です。

 

多くの方は、この三体の 仏像のいずれかに、自分に最も相性のよいものがありそうです。

 

私は、左側にある「馬頭観音」像に最もマッチします。

いずれか判らない場合には、真ん中にある「阿弥陀如来」像がいいようです。

 

この「阿弥陀如来」像は、誰でも身体の「霊体」を整えて、「肉体」を正常にしていただけるように思います。 

 

ここで三体の仏像と対座していると、長い時間いられます。

体内に溜まった全ての「邪気」などは洗い流してくれると思われます。

 

これは何なのでしょうか?

狛犬のようですが・・・・よく判りません。

 

三大仏の横に、「大日如来」像があります。

大日如来」とは、密教系の最高神です。

 

残念ですが・・・・この「大日如来」像は「生きていません」。

 

 

この後、いよいよ「秘仏」と対面します。

 

「特別御開帳」とあり、「鎮将夜叉尊(ちんしょうやしゃそん)」とあります。

「御開帳」は9年に一度です。

 

それを拝顔するために、今回は来させていただきました。

「鎮将夜叉尊(ちんしょうやしゃそん)」についての説明文です。

 

「古くは京都山科の毘沙門堂門跡に伝えられる」とあります。

 

「大きさが4.6センチと小さいので、僧侶なら袈裟の中に案じ、信奉者は髪の中に案ずれば、怨念を持つものや敵の手にかかることはないとされ、持仏として身に案じるため」とあります。

 

「小さいながら、その後利益は絶大で・・・・。

九年に一度巡ってくる五黄中宮の年には、良事も災難も強く出るので、この年に御開帳する」とあります。

 

これが「鎮将夜叉尊(ちんしょうやしゃそん)」です。

小さいですが、もの凄い波動を放っています。

 

この後で行くことになる「護摩堂」の中心を担う「秘仏」です。

9年に一度の御開帳ですから、当然撮影は禁止です。

 

ですが、たまらずにシャッターを切りました。

この秘仏を見ていて、私もこのような「秘仏」が欲しくなりました。

 

以前に持ち歩ける「仏像」を所持していましたが、「欲しい!下さい!」と懇願されて、幾度も断ったのですが、ついに私が折れてその方に差し上げたことがありました。

 

この日光参拝のあと、小さな「三面大黒天」像を購入しました。

持ち歩いていませんが、豊臣秀吉に倣って運気上昇のために所持しています。

 

この場を立ち去り難く、再び三大仏と対座しました。

手前から、「千手観音」「阿弥陀如来」「馬頭観音」が並びます。

 

その中心にある「阿弥陀如来」像の下に、小さな仏像があります。

 

ここで「千手観音」と目が遭います。

 

スーッと中に吸い込まれるような感覚があります。

仏像と「一体化」できます。

 

阿弥陀如来」像とも、この位置に立つと目が遭います。

そして、

阿弥陀如来」像と一体化します。

 

 

 

不動明王」なのでしょうか。

波動は高いです。

 

右の像は、「薬師如来」です。

「生きています」。

 

 

 

薬師如来」像です。

生きています。

 

これは、「虚空蔵菩薩」像です。

 

お大師様空海が、この御真言を唱える続けて、「虚空求聞持法」に開眼して、一度目にしたものは「二度と忘れることがない」能力を授かったと云われています。

 

 

外に出ると「護摩堂」があります。

 

中に入ると誰もおらず、ひっそりとしていました。

ここの「護摩堂」には、多くの仏像があります。

 

しかし、その全てが「生きている」という反応はまだありません。

 

このように多くの仏像があります。

この奥にある扉の閉まっている中に、今回の秘仏「鎮将夜叉尊(ちんしょうやしゃそん)」が 通常ではあるものと思われます。

 

護摩焚きを受けるために、一組の家族が来ていました。

 

我々も護摩焚きが始まるのを待っていました。

 

護摩焚き」が始まりました。

 

依頼者の家族はその前に座っています。

我々は、後方からその一部始終を見守っていました。

 

今までに幾度も「護摩焚き」に立ち会いましたが、不思議なほどに場内の全ての仏像に「生きている」反応が示されます。

 

以前に「根来寺」に行ったときに、大伽藍の本堂の中の仏像たちは、全てが「生きていました」。

 

それには少々驚かさたことがありましたが、その時、別のエリアにある「護摩堂」で「護摩焚き」があり、多くの参拝者が詰めかけていました。

 

その後、場内を見て歩き、最後に再び大伽藍の「本堂」に戻りましたら、そのほとんどの仏像から「生きている」反応が消失していました。

 

護摩焚き」の、そのときにだけ「生きている」反応を示していたことになり、「護摩焚き」の効力に驚かされたことがありました。

 

                 了

 

             2024年11月6日記

 

日光秘仏公開で輪王寺へ

《 日光秘仏公開で輪王寺へ 》

磐裂神社(いわさくじんじゃ)-輪王寺

 

 2022年12月に、日光の輪王寺で「秘仏が公開される」ということで、再び輪王寺を目指すことになりました。

 

秘仏の公開」は、9年に一度といいます。

この機会を失することはできないので、「パワースポット探索の会」のメンバーが集まりました。

 

日光に着くと、まずいつもの自転車屋を目指しました。

 

前回、私は電動自転車に乗り、電機が充電不足に陥り、下り坂で切れてようやく戻れた経験がありますので、自転車屋の方に十分に充電していることを確認して出発しました。

 

しかし、最初に訪れた「磐裂神社(いわさくじんじゃ)」の手前で、かなり容量が少なくなり、これではとても一日持たないとなって、同行者の自転車と交換しました。

 

しかしながら充電不足は解消されずに、計3回同行者の自転車に乗り換えることになりました。

 

どうやら・・・・私は、「若返り神気」に封印されている「電磁波バリア」の外に、「電磁波をエナジーとして取り込む働き」が強く、電動自転車の「電気(電磁波)」を吸引しているのかもしれません。

 

ともかく―――まず、最初に「磐裂神社(いわさくじんじゃ)」に行きました。

磐裂神社」とは、日光のエリアだけでも6個所もあります。

 

今回の「パワースポット探索の会」のメインは輪王寺の「秘仏」に会いに行くことですが、神橋―東照宮などのメインとなるエリアに向かう手前で立ち寄りました。

 

「磐裂神社(いわさくじんじゃ)」とあります。

 

この階段を昇ります。

 

「磐裂神社」の古めかしい扁額のある鳥居があります。

 

境内は、それほど高い波動ではありません。

 

 

ここが「本殿」のようです。

 

 

その中には、このような「祠」があります。

それほどの波動ではありません。

 

我々が帰りに再び立ち寄ると、本殿の扉が開いていて、

祭神の「磐裂根裂神」が反応していました。

 

この地域全体の「総氏神」です。

 

この境内にはいくつかの「石仏」があります。

しかし、特に波動が高いということはありません。

 

このとき、地元のお年寄りが我々に近寄ってきて、何やらこの神社の説明を始めました。

 

まったく頭に入りませんでしたが、有難いので感謝のお礼を全員で述べました。

 

この左側の石像は、まだ波動が良好です。

この程度の波動では、「此処に来たのは・・・外れたのかな?・・・」と思い始めていました。

 

さらに小高い丘の上を目指しました。

 

すると―――

小さな「祠」がありました。

良好な波動です。

その先のエリアに、高い波動が反応します。

 

 

そのエリアの上空を見上げますと、螺旋状に渦が巻きあがっています。

 

「待ってました!」と、我々はそのエリアに立ち、全員で「天地結合の印」を組んで、

上空から天体(宇宙空間)のエナジーと、大地から地球のエナジーを身体に取り入れます。

 

「天地結合の印」を組んでいます。

人にもよりますが、上空の「天体」は、「太陽」でもいいですし、「大銀河宇宙」でも「北極星」でもいいのです。

 

その上空にある「宇宙エナジー」と、大地である「地球の核のエナジー」を足元から吸引して、これを身体の中に取り込んで、身体の中を循環させます。

 

最終的に、丹田に落とし込むのか、「先天の氣」が宿るとされる「腎臓」に取り込むのか、そうすることで、体内にエナジーが満ちてくることが実感できるようになります。

 

このエリアに立ちました。

 

ここには、時計回りのエナジーで大地にめり込んでいくエナジーと、

反時計回りのエナジーで上空に吹き上がっていくエナジーとが共存していました。

 

何とも不思議なスポットでした。

 

このあと、いよいよ今回の旅のメインである「輪王寺」の秘仏公開の「秘仏」を目指して、「輪王寺」へと向かいました。

 

此処が「輪王寺」です。

大伽藍です。

 

輪王寺東照宮などは「世界遺産」に登録されている「日光山輪王寺」です。

東照宮」は徳川家康を神として祀る神社なので、江戸時代の創建ですが、輪王寺は「山岳信仰」の社寺として創建されていますので、奈良時代までさかのぼります。

 

日光山周辺は、「山岳信仰」が盛んであり、この輪王寺は「山岳信仰」の基点となった施設の一つでした。

 

           つづく

 

           2024年10月29日記

 

アドバンスコース講習会の時間の変更について

 11月より、アドバンスコース講習会が開催されますが、開催時間を変更します。

このことは、来年2025年4月より第1第3金曜日に開催されるベーシックコース講習会も同様です。

 

実施時間は、9時半~12時半を

     ⇒ 10時~13時に変更します。

 

以上、宜しくお願い致します。

より多くの方が参加されることを、お待ちしています。 高天原保須美

 

小野澤洋次郎氏の「症例報告」その12

《 小野澤洋次郎氏の「症例報告」その12 》

 ドラスティックセラピストの小野澤洋次郎氏から「症例報告」が届きました。

 

以下―――転写します。

 

何例か、興味深かった事例が溜まりましたので、またご報告させていただきます。

もし、参考になるものであれば、お願い致します。

 

【50代女性、植物状態の原因】

クライアントのお姉様、50代が、夜間のお仕事中に、倒れ意識不明に陥り、

いわゆる、植物状態となってしまったようです。

医師の診断では、

倒れた原因は、心筋梗塞が原因で、その際、脳に酸素がいかなくなり、

脳機能が低下してしまった

ということなのです。

延命措置のみで、もう目覚めることは、ない。とのことです。

そこで、時々、遠隔でもチェックや修正を依頼されるクライアントから、

「(遠隔でも)何とかなりませんか?」

とセッション中に言われましたので、

遠隔でチェックしてみました。

そうすると、不思議なのです。

どこにも機能低下が自分の筋反射チェックでは、感知出来ないのです。

確かに脳のCT?MRI?などでは、脳が白く写ってしまっているー、

そして、瞬きはすれど、起きることは、無いーという状態なのですが、

脳の機能低下も、心臓の機能低下も感知しないのです。

さらには、全ての内臓、内分泌腺が、機能低下してないー、と反応してしまいます。

では、生きる気力がないのか?

それも身体に問うと、それには、NOの反応、つまり生きたい、という反応がありました。

その場では、分からなかったので、持ち帰って、再度チェックしてみました。

そうすると驚くべきことが分かりました。

この方は、クライアントの情報によると、いわゆるゴミの山の部屋に住んでいるようなのです。なま物などは捨てていて、水回りもかろうじて掃除していたようですが、物が溢れかえっていて、山のようになっていたのです。

写真を見たのですが、本当に山積みでびっしりでした。足の踏み場もありません。

もしやと思い、チェックしてみると、そのゴミの山の霊的な重みが、脳にのしかかっていたのです。

もはや、自分では手に負えない量の物を所有してしまった為、霊的なエネルギーとなり、脳を圧迫してしまったのです。

通常の筋反射チェックでは、脳機能低下を感知しないのに、

ゴミの山の霊的な重みを乗せると、大きな機能低下を感知するのです。

そうして、チェックすると…心臓も機能低下の反応を示します。

つまり、心筋梗塞になったから、脳機能が低下したのではなく、

ゴミの山の霊的な重みによって、脳の機能が低下した為、心臓の機能が低下してしまったようのです。

正しいかは、分かりませんが、自分には、そのように感知したのです。

もちろん、それだけのゴミの山なので、アンテナ(マイナス波動発振物質)になってしまっている物も、あるかもしれません。

ここで思い出したのは、マザーテレサの言葉です。

マザーテレサ:Wikipediaより

マザーテレサについては、先生のブログでも言及されていて、晩年は、聖人になるような高波動では無くなっていた、とのことですが、マザーテレサの名言は、短文でこの世の真理を表現しているようで、感銘を受けています)

 

【所有すれば、するほど、とらわれてしまうのです。より少なく所有すれば、より自由でいられます。】

 

この言葉を受けて、思うことは、自分ではコントロール出来ない程の、物の所有や、物への執着は、本当に心身に負担をかけて、実際に重さになってしまうのかもしれません。

不用なものは、なるべく持たない方がいいー、そして、出来る限り整理整頓しておいた方がよいー、と、この反応を受けて、思い知らされました。

ちなみに、この部屋は、ご家族の方で、徐々に片付けているそうです。

医師の説明通り、これだけ長く、植物状態ですと、回復は難しいかもしれませんが、片付けが終わり、その上でエナジーを、通せれば…もしかしたら、…

回復することもあるかもしれない…と望みを、繋いでおります。

 

【80代女性、車椅子、心不全不眠症の方の回復】

 

車椅子で、自分で立つことも、歩くことも、出来ず、

さらに、横になることも、眠ることも出来ない、という80代女性の方をご紹介頂きました。

まず、眠れないとのことで、チェックすると、第7チャクラのエナジーが枯渇していて、それにより松果体も機能低下していました。

またやはり、薬の飲み過ぎで、腎臓も機能低下。

電磁波などの影響も、もちろん反応はありますが、【若返り神気】にて、それらは対処しました。

また、経絡という点で、チェックすると、【肺経】が機能低下しており、それによる、循環器系の機能低下もありました。

それ故に、呼吸がうまく出来ていないのです。

心不全という診断も受けており、度々、呼吸困難もあり、入退院も繰り返していました。

心不全があると、横になって眠ることが出来なくなる場合があり、またそれがさらに、身体にも負担がかかるようです。

横になって寝ようとすると、呼吸困難になるのです。

「横になって、ゆっくり寝たいー」

と訴えておりました。

そこで、チェックすると、なぜかー…

心臓には、機能低下の反応を感知しませんでした。

では、何が原因か?となり、チェックすると、

肺経エナジー枯渇の原因もありますが、

両足、両腕、に、エナジーが通ってないのです。

両手足にエナジーが通らなければ、当然血流が悪くなるし、栄養も行きづらく、筋肉も活動しづらいのです。

チェックすると、両手足は、3%くらいのエナジーになっていました。

(*筋反射チェックによる反応による)

これでは、筋肉が働かず、末端に血流を通したいために、より心臓が頑張らなくてはならないので、心臓が疲労してしまう、ようなのです。

そういった反応でした。

それにより、やはり実際に手足のむくみがすごく、

パンパンに腫れ上がっているような感じでした。

さらには、眠れないということに関しては、第7チャクラのエナジーが枯渇、松果体の機能低下も起こっていました。

これは、逆説的に、眠れないので、枯渇してしまっているような反応でした。

そこで、肺経、両腕、両足、第7チャクラ、すべてにエナジーを通したり、足部の背屈、底屈、また、腕、足のトレーニングをできる限り、行なっていきました。

そうすると、短期的には、エナジーが、100%となり、むくみも大分改善されました。

が…中々実際の血流や、心臓の負担の軽減が間に合わず、

また、心不全が、強く起こり入院されました。

ただ、その時、病院にて、利尿剤を使ったようで、とにかく、身体の浮腫みが取れた事や、

睡眠薬などで、強制的に睡眠をとった事などが良かったのか、

浮腫みも、かなり、すっきりとし2週間ほどで、退院されました。

その後から、しっかりと眠れるようになり、

たつ、歩くなどのリハビリトレーニングまで出来るようになり、現在に至っています。

退院から、3ヶ月ほどたち、医師には、もう心臓の検査などは、1年は、必要ないー、と言われるほど回復しているようです。

このような事は基本的にはなく、奇跡に近いーと言われたようです。よほど、薬があったのでしょう、と言われましたが…(笑)

先生に教えて頂いた、特に高齢者はエナジーが、通っていないので、四肢にエナジーを通す、後頭骨ー仙骨エナジーを通す、という事が、こういう時に大切だったのかと、分かりました。

現在は、どんどん回復してきて、まだ波はありますが、大分眠れるようになって来たり、

また全く歩けなかったのが、補助つきですが、歩行訓練が出来るまでになってきました。

 

また、時を同じくして、

いつもお越し頂いている、90代のクライアントが、肩がものすごく痛く、腕を上げようとしても全く上がらないと、訴えてきました。服を着るのにも1時間かかったそうです。

なんとか、お越し頂いてチェックすると、

左腕のエナジーが5%以下でした。

自力での外転(横から、腕を上げる)が、ほぼ、0%でした。全く上がりません。



(全く上がらないので右手の補助で上げようとしてしまいます。トレーニンググローブは、癖で着けているだけです。)

なぜ、エナジーが5%になったのか?にも理由がありますが、ここでは、割愛させて頂きます。

そこで、エナジーを通して、100%にしましたが、今まで3.4日ほど、全くエナジーが通ってなかったので、栄養も通っていなく、また筋力の働きも落ちてしまったので、エナジーを通してもすぐには、回復するわけではありません。

が1ヶ月ほどたち、痛みがあれど、ようやく大分上がるようには、なってきました。

三角筋中部が最大筋力を取り戻せてないですが、

また筋力が戻れば、通常通りに痛みなく上げることが、出来るはずです。

エナジー100%↓

 

 

【父親の変形性膝関節症の対処】

自分の父親が、5-6年ほど前から膝を痛めていました。

多くに機能低下がある事は、分かっておりましたが、自分の話すことは、聞かないですし、

色々言っても反発がくるだけなので、放置していました。

整形外科には、言っておりましたが、「大丈夫これなら、治る」と言われて通い続けていましたが、一向に良くなる気配はありません。

しかし、さすがに、両足とも、相当痛くなってきたようで、歩行にも、杖をつきながらで、支障を来すようになってきたので、さらに、正確な診断を受けようと、

他の膝専門の病院にて、精密検査を受けました。

 

そこは、

「変形性膝関節症でも、手術を回避する、病院」

という謳い文句でしたが…

「もう、どうにもなりません。これは、手術が必要です」

と言われてしまったようです。

「別にそうなったら、手術を受けても構わない」

という父でしたが、仕事などの事情のため、しばらくは、手術出来ないということでしたので、

ようやく、自分も本腰を上げ、なんとなくごまかしながら、父親のチェック、コンディショニングを行い始めました。

始めにどこが、実際に痛むのかをチェック。

そうしますと、両足の、内側半月板、大腿骨下端部の内側軟骨、を、押圧すると、かなりの痛みが走るようでした。

アライメント(骨の配列や、姿勢)も、典型的な、O脚になっております。

まず、腎臓の機能低下、小腸の機能低下は、すぐに感知され、

対応する大腰筋、内側広筋や、大腿直筋も、機能低下しておりました。

それらの筋肉を直接、筋反射チェックをすると、全然力が入りません。

大腰筋が機能低下している為、O脚になり、内側広筋が機能低下している為、膝不安定もあり、膝が痛むようになってしまったようです。

原因は、薬、添加物、電磁波など、様々でしたが、全て、浄化し、機能低下を改善しました。

浄化したあと、高天原先生に教わっているO脚の調整や、またそれらの筋肉をトレーニングし、促通させ、

最後は、出来る範囲のスクワットを行いました。

中々時間も合わず、月に2、3回、30分ほどのセッションでしたが、

どんどん痛みが減ってきたようで、

1年ほどたつと、膝の可動域は、見違えるようになってきました。

クォーターくらいでしか、出来なかったスクワットがパラレルを超えて、フルに近いくらいに出来るようになってきました。

そして、半月板や、大腿骨軟骨を、前と同じようにどころか、さらに強く押圧しても、

「ほとんど痛くない!奥の方にうっすら痛みがある程度」

くらいに、回復しているようです。

さらに、こちらのブログである、様々な高波動エナジーを膝関節症に直接注入しているのもあり、

半月板、軟骨、の若返りの反応まで出るようになっておりました。(今までは、どんなにやっても、老化で反応をしてしまっていた)

もう回復の見込みはないと、膝専門の病院で言われましたが、

やはり正しく筋肉を使える状態にして、アライメントを改善させていくと、痛みは激減していくようです。

それは、病院や、一般的な治療院だと出来ない事だと思われます。

そして…毎回、思うのが、腎の調整、大腰筋の調整は、かなり多くの人に必要な事だと思われます。

益々、高齢化社会、電磁波社会を迎える今、エナジー体まで調整出来る、ドラスティックセラピスト的な調整が本来は、より必要になってくるのではないかと思われます。(中々ご理解頂くのも難しいですが)

先生の教えがあったからこそ、父親の膝も何とか改善し始め、歩くーという基本的な動作を回復することが出来ていると思い、感動しております。

 

転載ここまで―――

 

 考えさせられる内容でした。

特に、ゴミ屋敷の最初の事例では、私自身が少しショックを受けました。

というのは―――

 

今年2024年に「年1回の大元帥明王像御開帳」があり、いつものメンバーと奈良の秋篠寺に行きました。

 

大元帥明王」とは、国家存亡の危機に立ったときに行われる「大元帥明王法」を行うときに、その中心に置かれるものです。

 

通常の「護摩焚き」では、不動明王がその中心になりますが、「大元帥明王法」とはそれを超えるエナジーがあるとされています。

 

元寇」で蒙古が日本を襲ったときには、全国の有名な寺院がこの「大元帥明王法」を行ったので、日本の危機を救ったその背後には、「大元帥明王法」があったと伝わります。

 

教科書では2度の「元寇」では、台風で蒙古の船は全て沈んだと習いましたが、2度目は11月の時で、しかも東から強風(台風とは逆方向です)が吹いていたと記録が残ります。

 

台風ではなく、本当に「神風(しんぷう)」が吹いていて、蒙古の全艦船が海に沈んだと伝わります。

 

その「神事」の中心に据えられていたのが「大元帥明王像」です。

 

秋篠寺の年1回の御開帳には、大勢の人が並んでいました。

当然、我々も列に長時間並んで、拝顔させて頂きました。

 

もの凄いパワーがあり、画像も販売していましたので、私もその画像を購入しました。

「10次元」の最高次元で反応していました。

 

その画像を 私のベットの枕側の上に載せていました。

寝ているときには、常にそのエナジーを受けられるようにセットしていました。

 

ところが・・・・ある時に、その「大元帥明王像」がなくなっていたのです。

どこを探しても見当たりません。

 

同居の家族は勿論私の寝室には入りません。

チェックすると、異次元空間に存在する―――と反応します。

 

消えたのです。

なぜなのか?

 

今回の小野澤氏の最初の投稿文を読んで、考えさせられました。

私は大きなダブルベッドに寝ています。

 

そのベットの半分は、ゴミのように衣類からモノがあふれかえっています。

 

当然、ベット以外でも多量のモノがあふれかえっていて、10畳ぐらいの部屋に3畳間とクローゼットがありますが、どこもかしこも大量の荷物であふれています。

 

その実態を実際に確認した方には、あまりの凄さに笑われたことがあります。

「整理整頓」が昔からできない性格で、「神棚」も「佛棚」もあまり掃除もしていません。

 

その空間に置かれた高次元の「大元帥明王」は、「生きていました」が、とても耐えられずに異次元空間に移動してしまった・・・・のでは・・・・。

 

恥ずかしながら、これが私の結論でした。

 

                   2024年10月15日記