生命体エナジー浄化の会ブログ

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御神島紀行 その4

《 御神島紀行 その4 》

雄島―平泉寺白山神社―岡太神社・大瀧神社―御神島―常神社

御神島(おんがみじま)

 

丹生川上神社下社」の登拝など、幾度も訪れたことのある75段の階段を昇った先にある「本殿」(年に一度しか登拝できません)は、その延長線上の先には「御神島(おんがみじま)」があります。

 

この「丹生川上神社下社」と若狭湾に浮かぶ無人島の「御神島(おんがみじま)」を結ぶレイラインがあります。

 

この時の画像には、拝殿には何も飾られていませんでしたが、以前にはこの拝殿に「御神島(おんがみじま)」の絵が飾られていたようです。

これは、以前の拝殿にあった画像です。

この島が、「御神島(おんがみじま)」です。

 

この拝殿にある「この島」こそ、ここから続いている「レイライン」の起点となっているのです。

レイライン (画像はネットより)

 

吉野の「丹生川上神社下社」から、「御神島」を結ぶレイラインの中に、

まず、

〇 橿原(あしはら)神宮

一般的に日本最初の都と言えば藤原京とされていますが、実はこの橿原神宮こそ日本最初の都となります。

 

初代天皇とされている神武天皇が神武東征の後に、都としたのがこの橿原神宮とされているからです。

その先に

〇 奈良の都があります。

それは、

〇 宇治

につながり、京都の

〇 貴船神社

につながります。

貴船神社は、「祈雨・止雨の神」として信仰されていました。

また、黒馬・白馬奉納からの絵馬が誕生しています。

このことは、丹生川上神社下社」の絵馬の起源説につながります。

 

また、「丹生川上神社下社」には「人形祓(ひとがたはらい)」とあります。

和紙の人形(ひとがた)の左肩、右肩、左肩を順に撫でて、次に自分の気になる箇所と同じところを撫でます。

 

最後に人形(ひとがた)の真ん中に息を吹きかけて、自分の念を人形(ひとがた)注入します。

 

そして―――それを水が流れるこの岩に流すと、和紙は水に溶けていきます。

これで、身代わりになって悪い気から守ってくれる、といいます。

 

同じようなことが貴船神社にもあります。

 

さて、このレイラインは、京の都を超えて、若狭湾につながります。

そこには―――

 

「常神半島」があります。

「常に」「神がいる」半島です。

 

この「常神」の集落は、40戸ほどと言われています。

その他にも、「竜宮」集落や「神子」集落もあります。

 

50年くらい前には、ここに行くには船で渡るか、山を越えていくしかない所だったといいます。

現在は、トンネルが出来て、クルマで行けますが、この半島に「御神島」があります。

 

この「御神島」が、レイラインの起点となっています。

つまり―――

御神島―京都(貴船神社)―宇治―奈良―橿原(あしはら)神宮―丹生川上神社下社とつながっています。

 

さらには、丹生川上神社下社―熊野本宮大社へとつながっています。

 

このことから、我々はどうしても「御神島(おんがみじま)」に行かねばならないと思い、福井県若狭湾にある「御神島」を目指したのです。

 

我々は、前日に民宿に着いて、一夜を過ごして朝を迎えます。

快晴です。

 

朝、民宿の前のボート上に、海鳥が止まっていました。

 

民宿では、ボートを出してくれて、「御神島」まで送ってくれます。

そのために民宿に泊まっていたのです。

 

ボートは2回に分けます。

この画像の後方が「民宿」です。

 

出発します。

 

これが沖合に浮かぶ神の島、「御神島」です。

 

常神半島の500M沖にある無人島です。

これは、福井県最大の島で、南北1キロ、周囲3キロで標高は195Mです。

 

私は、この島に渡れば、この中にある「神社」に行けるものと思っていました。

というのは―――

 

欣明2年(629年)に、天皇の勅により、この島に「常神大明神(つねかみだいみょうじん)」を祀った神社が建立された伝わるからです。

 

以来、およそ1400年の長きに渡って地元民に崇拝されているといいます。

 

このとき、島に向かって泳ぐ「猿」がいました。

 

御神島猿

 

海を泳ぐ「猿」に少々驚かされましたが・・・・・「101匹目の猿」現象を考えていました。

 

その昔、宮崎県の幸島の「猿(ニホンザル)」が、海水でイモを洗って食べることを覚え、それに誘発されて他の「猿」に広がり、

 

それが「閾値(ここでは100匹としている)」を超えると、何の接触もない他の地域に棲む「猿」にもこの現象がみられるという仮説です。

 

このことは船井総研の故船井幸雄氏の「101匹目の猿―思いが世界を変える」の著書で知りました。

 

シェルドレイクの仮説を元にしたようですが、このことは証明されてはいないようです。しかし、実際には過去の科学史では、大きな発明や発見には、同時に何の接触にない人物が、同じような発明や発見をする例は多くみられます。

 

例えば、ダ―ウィンは『種の起源』で、世界で初めて進化論を発表しましたが、同様な結論の見出したアルフレッド・ラッセル・ウォレスがいます。

 

ルフレッド・ラッセル・ウォレスは、「自然淘汰」「適者生存」の理論をすでに得ていました。

 

彼は、すでに有名になっていたダ―ウィンに手紙を書いて、自分の説を紹介しますが、同じ結論を得ていたダ―ウィンは驚いて、彼より先に『種の起源』を発表します。

 

こうして「進化論」の第一人者にはダ―ウィンの名が刻まれていますが、アルフレッド・ラッセル・ウォレスを知る人はほとんどいません。

 

このような例は、他にもいくつもありますが、これは精神分析学者ユングのいう「集合的無意識」では、人類には共通した無意識の領域があり、この無意識の領域を通じてこのような現象が起きるのかもしれません。

 

つまり―――人類に共通したう「集合的無意識」の領域が存在していて、そこから情報が得られる―――と、思わされます。

 

ユングは、「集合的無意識」として、無意識の領域を明らかにしています。

ついでに言いますと―――

 

精神分析学を創始したフロイトと、ユングは初めは共同で研究していましたが、「無意識」の領域については互いに意見が合わず、ユングフロイトは袂を分かちます。

 

ユングは、自分自身でも意識できない部分が大半を占めている―――と、しています。

 

ユングにとっての無意識とは、「個人的無意識」と「集合的無意識(普遍的無意識)」の2つの要素に区別しています。

 

まず、人の心の構造を「意識」「無意識」の2つの領域に分類することができると考え、その2つの領域が対になることで「心」のバランスを保つことができると説いています。

 

ユングは、意識(自分の知り得る意識)と知り得ない意識(無意識)のバランスが崩れた際に、精神疾患を生じると考えています。

 

つまり、ユングにとって無意識とは、精神疾患の発生を説明する時に不可欠な要素となるのです。

 

 

「御神島」が近づいてきます。

 

しかし、どこを見ても、切り立った崖で、上に登れるような「途」は見当たりません。

 

 

少しだけ「砂浜」があるようです。

 

 

195Mの頂は、ほんの少し見えますが、どうやってもそこに続く「途」がありません。

 

反対側も、切り立った崖が続いています。

 

このあたりから・・・・登れるかな・・・・と、考えていましたが、どうも難しそうです。

 

ここが唯一の砂浜であるとの案内がありました。

 

ここから見える山頂は、かなりの高波動です。

その高波動のエナジーが、この島全体にしみ込んでいるように思われます。

 

桟橋が一つだけあり、そこから上陸しました。

 

これが、唯一の「砂浜」です。

 

このような岩で構成されています。

 

山頂にあると伝わる「常神大明神(つねかみだいみょうじん)」は、はるか遠くにあり、そこに辿り着ける途はみつかりませんでした。

 

「常神大明神(つねかみだいみょうじん)」を祀った神社が存在するのか否か―――

 

これについては、ネットでの情報では「簡単に登れた。山頂は藪で、何もなかった・・・」との書き込みがありました。

 

小さな無人島ですから、200Mに満たない山頂までは、登る途さえみつかれば、確かに簡単に登れるものと思われます。

 

民宿のボートで来ると、桟橋は一つですから、ここにしか来られませんし、ここからはどうやっても登ることができません。

 

この常神半島の周辺の海は穏やかなので、カヌーで上陸する方が多いようです。

それで、山頂とは反対側の穏やかな斜面から登ったものと思われます。

 

上から一筋の「水」が垂れています。

この「水の波動」は良好です。

 

そこで―――各自がその高波動の「水」に当たりました。

 

イメージで、身体の深部にまで、その高波動の「水」が浸透して、全身に「御神島」の神のおわしますエナジーと一体化しました。

 

皇子とゾネスは、過去生でいく度も夫婦を演じてきました。

二人が揃うと、一段と大きなパワーが生まれます。

 

皇子は、大学教授であり科学者ですが、我が国の科学的な発展のためには、ゾネスのサポートが必要かもしれません。

 

この二人が揃うと、エナジー波動が4倍くらいに膨らんできます。

 

ここにも、上から「高波動水」がひたたり落ちる所があり、「水」を浴びました。

 

ここに―――

持参したブレスレットを置いて、高波動の水のエナジーを吸引しました。

 

さて―――せっかくなので、「御神島」の他の画像も載せておきます。

皇子は、パワースポットに行くと、全身にその高波動エナジーを吸引するために、全裸になることが多くあります。


 

これは、本人が了解済の画像です。

 

 

御神島矢野

私も何年ぶりでしょうか、浮袋を持って海に入りました。

 

 

御神島全員

参加者全員で記念撮影をしました。

 

このような切り立った崖の島では、山頂に行ける途など見つかりませんでしたが、後で聞いたところでは、たった一つだけ山頂まで登っていける途があるようなのです。

 

神域なので、我々のような一般人が立ち入ることは嫌がるのでしょうか・・・・明確には、地元の方も教えてくれませんでしたが、山頂の反対側から登る途があるようです。

 

後日調べたところ―――

 

「御神島」の山頂の「祠」(常神大明神)は、この後で行くことになる「常神社(つねかみしゃ)」に遷座したままになっているようなので、ネットの書き込みにあった「藪で、何も山頂にはなかった・・・・」というのが実情のようです。

 

 

しかし、実際に山頂に登って、そこの神々が棲むといわれる「地」から、「常神大明神」のエナジーを吸引したかった・・・・のです。

 

あらためて、「御神島」全体を眺めて、チェックしました。

すると―――

 

ここの山頂195Mの直下には、「水銀鉱床」があるように反応を示しました。

「水銀」の反応を示すのは、山頂のあるエリアだけです。

 

なぜ「御神島」を神の棲む島として、古代から崇拝していたのかが、少し判ったように思います。

 

「水銀」は、古来より「不老不死」に関わり、錬金術に携わった人物の多くは、「水銀中毒」で命を落としています。

 

しかしながら、中国の秦の始皇帝陵の中は、「水銀」で満たされていて(水銀の川が100本造られている)、中が守れられているので、その中に入ることができないとの情報があります。

 

始皇帝

 

また、メキシコのティオテワカンの「太陽のピラミッド」の中にも、水銀の川があって、中が守られているとの情報もあります。

 

太陽のピラミッド

 

我が国では、お大師様空海は、四国八十八ヶ所の寺院を選び霊場としましたが、その多くは「水銀鉱床」のあるエリアです。

 

四国八十八ヶ所」のすべてを巡ると、全長1200㎞にも達します。

 

空海は、無名にも関わらす遣唐使の一人に選ばれたのは、当時ひじょうに高価であった「水銀」の献上があったのではないかと云われています。

 

今もなお大師様空海は、高野山奥の院で、水銀に中に身体を浸した状態で保存されていると云われています(今も、日々食事が献上されています)。

 

空海奥の院

 

この空海もしくはその弟子が、「御神島」に来ていたとの伝説が残っています。

さらに言えば―――

 

「不老不死」を探し求めて、秦の始皇帝は徐福に命じて3000人の大船団で日本に遣わしています。

そのとき、徐福一行は ここの若狭湾の一角である丹後に上陸したと伝わります。

 

その痕跡は、若狭を起点として、熊野へと続いています。

 

また、この若狭湾の常神半島には、「人魚の肉」を食べて不老不死となり、800歳まで生きた八百比丘尼(やおびくに)の伝説があります。

 

八百比丘尼(やおびくに)伝説とは―――

 

ある村の長者達が、素性の判らない人物に誘われて家に招待されて供応を受けました。

そこは異界であり、長者の中の一人が屋敷の中で迷い、偶然 人魚の肉が料理されているのを見てしまいます。

 

その肉が御馳走として料理に出されますが、誰もが気味悪がって食べずに、土産として持ち帰ります。

 

皆、帰りにその料理を海に捨ててしまいすが、一人の長者だけが家に持ち帰り、翌日処分しようと思っていました。ところが―――

 

その人魚の肉を娘が食べてしまい、以来不老長寿を得てしまいます。

長者達はすべて死んでいきましたが、その娘だけは老いることがありませんでした。

 

その後、娘は村で暮らしますが、夫には何度も死に別れ、知り合いも皆死んでしまいましたので、出家して比丘尼(びくに)となって全国を巡ります。

 

死に行く人々に、安らぎを持って旅立たせることを続けていきます。

 

各地に木(杉、椿、松など)を植えたりして伝説を残します。

やがて・・・・故郷である若狭に辿り着いて、自分も死のうと決心して、洞窟に籠ります。

 

そして・・・・やがて身体が朽ちていき、砂のようになって入定します。

齢(よわい)800歳でした。

 

このような伝説の残る常神半島ですが、その中でも「御神島」の山頂のエリアには、水銀鉱床があることから、様々な伝説が伝わったのではないか、と思われます。

 

申し添えると―――「御神島」に渡った全員は、その後も高波動で充ち溢れていました。

 

                 つづく

 

            2024年5月7日記