《 御神島紀行 その1 》
雄島―平泉寺白山神社―岡太神社・大瀧神社―御神島―常神社
雄島
我々は、「丹生川上神社下社の登拝」を終えて(本ブログ2024年3月5記)、それに連なるレイラインの起点である「御神島」に行かなくてはならない―――と、心に決めていました。
そして、2022年8月21日から2泊3日で福井県に行きました。
この地は、アジャリンコと2023年に入籍したコジャリンコの地元です。
雄島とは、福井県の越前海岸にある島です。
周囲2キロの島で、近くにある「東尋坊」のように柱状節理の外に、板状節理の海岸もある島です。
これが「雄島」です。
この橋を渡ると「雄島」に渡ることができます。
橋を渡ると、「鳥居」があります。
「雄島」の案内図があります。
ここに―――右上から、左へ
〇 ヤブニッケイの純林
〇 磁石岩―方位磁石を近づけると方針が狂う不思議な岩
〇 流紋岩の流理構造―美しい縞模様が見られる流紋岩。雄島の地盤は全てこの流紋岩で成り立っています。
〇 瓜割(うりわり)の水―湧き水は夏でも冷たく、その中に瓜を入れると割れる・・・・
〇 柱状節理の断面
このように書かれています。
これが案内板にあった「ヤブニッケイの純林」と思われます。
純林の中をさらに進んでいきます。
すると―――
海岸線が見えてきました。
「磁石岩」とあります。
これが「磁石岩」です。
確かに方針が狂います。
この岩には、磁力線が発生しているようです。
こちらの岩場も、磁力線を感知します。
磁界となっているのは、ここがいく度も雷に打たれたからだ・・・・とも云われています。
「瓜割(うりわり)の水」の案内看板です。
藤原重永(しげなが)という戦国時代の城主で、京都の北野天満宮(藤原道真を祀る)を再建した人物の書には、
「水が湧き出でて、旱魃(かんばつ)でも水は枯れることなし」
と記されていたといいます。
雄島に降った雨が地中に浸透して、それが地下水となって岩の割れ目に湧き出したもの。
今では枯れることもありますが、雄島の小鳥たちにとっては貴重の水飲み場となっているようです。
「瓜割(うりわり)の水」が、どこなのか―――探しました。
この時は8月の盛夏の時期ですから、枯渇しているのか―――とも思いましたが・・・・・
ここに僅かですが、「瓜割(うりわり)の水」と思われるところがありました。
これは、塩気のない「真水」です。
「大湊神社」の「拝殿」です。。
「本殿」は、この後方にあります
このとき、扉は閉まっていましたが、隙間から中を覗くことができました。
1370年前に創建された神社です。
「航海」「漁業」の守護神として崇敬されています。
この樹木に、心が惹かれました。
大地に根ざした大きなパワーを感じ取ることができます。
肉体と霊体が分離してしまうような方が、時々います。
そのように、肉体から霊体が少しズレてしまっているような方は、この木の根元に入りますと、肉体と霊体がピッタリと重なって、正常な状態に戻すことができると思われます。
そして、この樹木に寄り添いますと、大地にしっかりと身体が繋がり、地球のエナジーを感じ取れるようになると思います。
「拝殿」から中を覗くと、その奥に「本殿」が見えます。
それほど高い波動ではありません。
これが「拝殿」の奥にある「本殿」です。
やはり・・・・波動は高くはありません。
「重要文化財 大湊神社」の案内板です。
源義経が、東北の地に落ち延びる際に立ち寄って、家臣の兜を奉納した社と伝わります。
朝倉義景の後援を受けていたので、その因縁のある明智光秀が訪れて漢詩を詠んだという話もあるようです。
かっての社殿は、織田信長の兵によって焼き払われており、現在の社は棟札によると、元和7年(1621年)に造立されたものです。
ここに「水瓶」があります。
この「水」は、良好な波動です。
この「水」に持参のブレスレットを漬けて、高波動のエナジーを吸引させました。
「雄島」からみる「東尋坊」です。
「東尋坊」は、一大観光地で柱状節理の切り立った崖が海岸で有名です。
今回も昼飯のときに立ち寄りましたが、観光地としての画像は1枚もありません。
いく度も行っていますので、特に感動するところは皆無でした。
これが「大湊神社」へ入るときの鳥居です。
「結界」はありません。
これは、二つの樹木の間を潜らせる「結界」となっています。
「雄島」への橋を渡り、入口の鳥居から2方向に分かれますが、
我々が来た方向とは逆のコースでは、この「大湊神社」を通って島に入ります。
「雄島」は、地元の方々は「神の島」と呼ぶそうですが、そのような気配は感知しませんでした。
それほどのパワースポットではありませんでしたが、次に行くことになる白山神社に期待が」かかりました。
つづく
2024年4月16日記