《 鎌倉の史跡を巡る 5 》
銭洗辨財天―
鎌倉大仏を出て、次に最後の目的地である「銭洗辨財天」を目指しました。
閑静な住宅街を通り、急な斜面を自転車で登ります。
なぜか、私は電動自転車に乗ると急激に電池が消耗します。
そのために、最後の急坂では電池切れが起きて、歩いて自転車を押して到着しました。
「銭洗辨財天」です。
ここが「入口」で、ここから洞窟のようなトンネルに入ります(隧道になっています)。
画像では、少し判りづらいですが、その先はトンネル(隧道)になっています。
このトンネルは、ややマイナス波動が漂っていました。
敏感な方は、このトンネルに入るのは少し躊躇(ためら)いがあるかもしれません。
まったく気にしない「元気な方」は、何も感じることもなく入っていけます。
そこを抜けると―――
「銭洗辨財天」の境内に入ります。
今から800年以上も前のこと、文治元年(1185年)の巳の年、巳の月、巳の日に、鎌倉幕府を開いた源頼朝が、夢のお告げを受けました。
お告げは、「西北の谷にきれいな泉が湧き出ている。それは、宇賀神からもので、この地に湧き出す水で神仏を供養すると、天下泰平の世が訪れる」というものでした。
お告げの場所では、実際に岸壁から「霊水が湧いていた」といいます。
そこで源頼朝は、そこに「社」を建て、宇賀福神を祀る神社となったそうです。
その後、同じく巳年の1257年に、第5代執権北条時頼が、この霊水で銭を洗って一族の繁栄を祈願したのが、「銭洗い」の始まりとされています。
この辺り一帯は、急峻な崖です。
自転車で登っていて、よくもまあこんな所に道路を造ったものだ、との思いがありました。
現在は、道路の入り口にトンネル(隧道)がありますが、今では「裏参道」と呼ばれる南側の細い参道があり、そこが本来の入口でした。
本宮のお参りには、いくつかの鳥居を潜(くぐ)ります。
しかし、
「結界」は張られていません。
「線香台」には、多くの方が線香に火を点けて供えていました。
「鎌倉銭洗弁財天宇賀福神社御由緒」
とあります。
そこに
「一人の老人が夢枕に現れて、ここから西北の方向に仙境があり、きれいな泉が岩の間から湧き出しています。
そこは清浄な地で、福の神住んでいて、その水を使っています。
この水こそ真の神の霊水なのです・・・・」
このようなことが書かれています。
ここには、霊威は感知しませんでした。
「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」が祀られていますが、まったく反応しませんでした。
「弁財天」の反応もありません。
「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」とは、弁財天と同一視されていて、「音楽」や「芸能」に関する御利益があるとされています。
「銭洗弁財天」と「銭洗辨財天」の扁額です。
一文字違うだけですが、「銭洗弁財天」の方がより強く反応を示します。
「奥宮」とあります。
ここに来ました。
こちらは―――
「弁財天」が反応します。
「オン ソラソバテイエイ ソワカ」を3回唱えると、「弁財天」が出現するように思われます。
ここには、神的なエナジー体は特に反応することはないようです。
しかし―――この反応は変わりました。
「下之水神(しものすいじん))に滝があります。
この「滝」は、霊泉ではありません。
しかし―――
「瀧が流れ出すエリア」は、崖の上ですが かなりの高波動です。
「下之水神宮」とあります。
ここは「高波動」です。
ここに―――
本宮で祀られていた「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」のエナジーが反応を示しました。
本来は、「下之水神宮」に祀られるべきエナジー体なのかもしれません。
この小さな祠のようなものにも、「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」のエナジーが反応していました。
このエナジーは、「弁財天」と同一視されるものですので、ここに感謝を捧げることでも、「金運」「財運」に恵まれるかもしれません。
「上之水神宮」とあります。
「鳥居」の先に、高波動の反応があります。
ここに「弁財天」の反応があります。
御真言の
「オン ソラソバテイエイ ソワカ」に強く反応します。
ここでも、その御真言を3回唱えることで、「弁財天」様のエナジーが浮きあがってきます。
「弁財天」様のエナジーが、浮き上がっている状態にセットしておきます。
このエナジーと同調すると、「財運」「金運」が上がるかもしれません。
我々は、持参のブレスレットを捧げて、その「弁財天」様のエナジーを吸引しました。
「上之水神宮」に御参りするには、このような数多くの「鳥居」を潜(くぐ)るようになっています。
この「鳥居」は、「結界」となっていて、参拝者の「霊的な垢」をここで落としてくれます。
参拝するには、身も心も清浄な状態となって拝むことができるようにしてくれます。
こうして、我々は「鎌倉史跡を巡る」という「パワースポット探索の旅」を終えました。
そして―――自転車を返却して、鶴岡八幡宮に通じる「小町通り」でスイーツを食べて、帰路につきました。
了
2024年7月9日記