《 浅草寺絶対秘仏 》
2023年2月24日、この日は浅草に行きました。
「浅草寺の初詣」として、遅ればせながら2023年の祈願を兼ねて行ったのです。
少人数でしたが、全員2023年の初詣は 当然済ませています。
ただ・・・・浅草寺で、今年(2024年)の祈願を奉るために行きました。
というのは―――2023年には、次の2024年を迎えるにあたり、しっかりと浅草寺の「絶対秘仏」に祈りを込めてお参りしておかないと、「来年(2024年)は、何か転機が訪れる可能性がありそうだ・・・・」と、漠然と思ったからでした。
結果論になりますが、実際に今年(2024年)に私が創業から関わっていた「日本ホリスティックコンディショニング協会」を辞めました。
今年の11月からホリスティック・コンディショニング研究所(大田区田園調布)で、私個人で主宰する「アドバンスコース講習会」を開催しています。
2025年4月から「ベーシックコース講習会」を開催する予定です。
さて―――何故に「浅草寺」なのか―――
それは・・・・浅草寺の「絶対秘仏」の効力があまりにも凄まじいもので、その効力にあやかりたい、と思ったからです。
浅草寺の「絶対秘仏」については、本ブログ・パワースポットについての項目の中で、「浅草七福神巡り その1」(2022年5月17日記)で、浅草寺の「絶対秘仏」について書いています。
それをもう一度、転載します。以下、転載―――
「本堂」の内部です。
はっきり言って、有難くも何ともないところです。
元は天台宗でしたが、現在は「聖観音宗」としての本山となっています。
絶対秘仏ですので、公開はされていません。
その秘仏はなぜここにあるのか?
宮戸川(現在の隅田川)で魚をしていた漁師の網に仏像がかかります。
それが浅草寺本尊の「聖観音像」で、その漁師の主人は出家して、自宅を寺に改装して「聖観音像」を祀りました。これが浅草寺の始まりです。
では、なぜ「聖観音像」が川に流れていたのか?
一説によると、上流にある寺が水害に見舞われて、現在の飯能市の成木川に沿った岩井堂の仏像が流されました。
岩井堂観音の水害は、浅草寺創建の100年ほど前です。
この観音堂に安置されていた「聖観音」が、現在の隅田川に流れついて、網にかかったというのが真相かもしれません。
水害にあった寺院や郷の人々は、その後返還するように申し出ますが、これを無視して今に至ります。
その後、大化元(645年)に勝海上人が、夢のお告げでこの「聖観音像」を秘仏と認定して、観音堂を建立しました。
これによって、武蔵野の国の観音信仰の中心地となります。
本堂再建工事の跡から、平安時代には伽藍が建てられていたことが解ってます。
武蔵野の寒村に、多くの出土品のなから立派な観音堂があったことが分ったのです。
平安時代のはじめに、延暦寺の円仁:慈覚大師の巡拝により、伽藍の整備が行われて、信者も増えました。
慈覚大師を「中興の開山」としています。
鎌倉時代になると、将軍頼朝などが帰依するに及び、多くの名将が篤く信仰しました。
江戸時代になると、日光東照宮や上野寛永寺を創建して、江戸城に様々な「結界」を構築して、江戸幕府を霊的に守護した立役者の天界僧正は、ここを江戸幕府の祈願所に制定しました。
これだけの文化と信仰の中心地であったのには、それなりの理由があるはずです。
絶対秘仏の片鱗に触れたいと思いました。
わずか5、5センチの非公開の秘仏のエナジーに触れたいと思います。
絶対秘仏の「聖観音像」のエナジーを、外に引き出したものです。
凄いです!ほんとうに凄いです!
公開しない理由がわかりました。
あまりにも恐れ多いとの反応が伝わります。
「なにごとの おはしますかは知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」
このような心境にさせられました。
この画像をコピーしては、波動が落ちます。
この画像の中に、不調な方がいらしたら、投入してみてください。
一瞬で、体軸が整います。
初期レベルのガンの反応のある方でも、しばらく留まると「ガン靈」も消失します。試してください。
あまりにも凄い反応なので、ネットで調べてみました。
それによると―――
歴代住職の中には、「この目で確かめようと・・・」した方もいたようですが、扉を開けると、目の前が暗くなり、見えなかった・・・と伝わります。
さらに、明治になって「廃仏毀釈」で、政府の役人が強引に扉を開けようとしたところ、一人が転落して死亡。他の一人は逃げた帰った・・・と伝わります。
誰一人として、正確に「絶対秘仏」を目撃した者はいないようなのです。
年に一度開帳される秘仏は、慈覚大師が天安元年(857年)に造った「御前立ご本尊」で、絶対秘仏ではありません。参考までに―――
転載ここまで―――
お判り頂けたでしょうか。
絶対秘仏「浅草寺聖観音像」は、小さい仏像でありながら とてつもない霊力があり、ほとんど目にすることはできない「大霊仏」なのです。
このときのブログでは―――
「本堂」の内部です。
はっきり言って、有難くも何ともないところです。」
と書いています。
この時には、まだ、直接本堂の内部に入り、その空間に浸ることが出来なかったので、そのような表現をしていました。
というのは、「浅草寺」に行くと、本堂の前にある線香の煙になかで、参拝者が数多くの「邪気」「霊的な垢」を落としていくので、これが嫌でした。
敏感な方は、本堂前の邪気が充満する中でいることに耐えられない方は、恐らく多いるはずです。
鈍感な私でもいやでした。
しかし―――お堂の中に「入ることができる」と聞いて、誰でも中に入ることが出来ることが判りました。
そうすると―――本堂前の邪気の影響が、まったく受けないことが判りました。
ここは、本堂の前面です。
まだ、中には入っていませんので、ここの空間は邪気っています。
それまでは、ここの空間が嫌で、「浅草寺には行きたくない!」と、ズーっと長いこと思っていました。
しかし、正面向かって右側から、誰もが本堂の中に入ることができます。
中に入りますと―――外部の邪気った空間と、まるで違った静逸な空間の中に入ることができます。
本堂の中のエリアには、多くの参拝者が座っていましたので、
そこを避けて、後ろのエリアに回りました。
良好な波動です。
ここも良好な波動が漂っています。
この空間にいると、多くの方の身体に溜まった「霊的な垢」が消滅していくように思われます。
なぜ、浅草が発展して、浅草寺が一大パワースポットとなったのかは、
次の画像――絶対秘仏が鎮座すると思われる空間の波動に、その答えがあるように思われます。
この中に、絶対秘仏が鎮座すると思われます。
画像は、横から見たものです。
この扉の内側に、イメージで入りますと・・・・・
全身が痺れます。
布が被せられているようで、絶対秘仏の本体は直接見れないようですが、当然です。
浅草寺の関係者であっても、目にすることのできない「絶対秘仏」であるからです。
その昔、あるクイズがありました。
それは―――
日本最大の仏像である奈良東大寺の大仏と、浅草寺の絶対秘仏「聖観音像」が立ち上がって、互いに両者が対面するように前進すると――――どの地点で、両者は相まみえるのか、というものでした。
その答えは、浅草寺から、わずか100Mも行かない地点でした。
それほど「絶対秘仏」は、小さいのです(わずか5.5センチ)。
試しに、この「絶対秘仏・聖観音像」を納めている祠から取り出して、覆っている布などを取り除いて、イメージでこの中に立てかけてみました。
画像は、イメージで絶対秘仏を取り出しています。
すると―――
大本教の聖師・出口王仁三郎であっても、神仙界出身の大谷翔平であっても、歴代の著名な霊能者であっても、ことごとく「身体が痺れます」「自由が効かないような状態」に陥ります。
「気」を自由に操り、相手を翻弄した合気道の創始者・植芝守平翁も、歴代の武術・武道の達人・名人であっても、この御前ではひれ伏すしかないようです。
さすがに、これには驚きました。
では―――
身体の不調な方などは、どうなのか?
私が行くフィットネスクラブのプールに、毎日のように通って正常に歩けない足を引きずっている方がいます。
試しに、その方をこの中に入れてみました。
すると―――正常に足が動くようになる反応が示されました。
ガン霊のある方も、この中に入れておくと・・・・ガン霊が消滅しました。
どうやら―――この絶対秘仏のエナジーは、身体を正常に保つのにも有効なように思われます。
さらに―――この絶対秘仏のエナジーは、身体の老化反応をもブロックするかもしれない反応を示します。
通常の一般的な方は、恐らく「絶対秘仏のエナジー」を引き出すことはできないと思われますのが、この画像をコピーして(エナジーは低下します)、利用されることをお薦めします。
2024年12月24日記