《 昭和最後の霊能者・大阿闍梨を求めて 》
鏑射寺―越木岩神社
鏑射寺(かぶらいじ)その1
本ブログの「歴史を考える」の項で、「天狗界、仙界、真言密教界を考証する」のテーマで、その9から11まで、昭和天皇に焦点を当てています。
その中で―――
昭和天皇が、その聖徳太子から伝わった古文献(「未来記」かも)を元にして、日本に向かっていたB29爆撃機に搭載されていた東京に落とす計画であった原爆を、異次元空間に消滅させてしまった、ということを述べています。
また、実際に函館空港にロシアの超高速戦闘機ミグ25を、「不動金縛り法」によって、日本に強制着陸させて、その戦闘機を徹底分解して、その構造の秘密を米軍は見出したことに、真言密教の阿闍梨が関わっていた―――ということを述べています。
これについては、その時のブログ「歴史を考える。神仙界、仙界、真言密教界を考証する 8-10」から引用します。
以下、転載―――
それは『祈りが護る国 アラヒトガミの霊力をふたたび』(明窓出版)で、著者は、理論物理学者でノートルダム清心女子学園名誉教授の保江邦夫氏です。
太平洋戦争の末期、米国は原子爆弾の製造に成功します。
原爆は3発ありました。
米国は、連邦準備銀行にあった金塊を全て使い果たして、これ以上戦争を継続するには、困難な状況に追い込まれていました。
どうしても、この最終兵器を使って決着をつけたかったのです。
それには、首都である「東京」に原爆を投下させるのが、最も有効です。
敵国の首都を壊滅するのが、常道です。
これは、誰が考えてもそうなる結論です。
ドイツも、首都のベルリンが陥落して、降伏しました。
非人道的な最終兵器ですが、東洋人、日本人を、虫けらの如く思っていた米国人の結論も、同じでした。
まず1号機は、「東京に投下する」つもりでした。
さらに「広島」「長崎」と、投下予定地が決まっていました。
その情報は、総理大臣も務めたこともある、陸軍大将である東条英機の耳に入ります。
東京は度重なるB29の空襲で、焼け野原になっていましたが、さらに原爆を投下して、日本の息の根を止めるつもりでした。
B29の爆撃機には、重い原爆を積載するために、銃器などの全てを外していましたので、その周囲を戦闘機が何重にもガードして、B29を守っていました。
テニアン島から、東京に向けて原爆を積載したB29が飛び立ちました。
厳重に何重にもガードされたB29は、どうやっても今の東京防衛の空軍では、撃ち落とすことが困難でした。
何かとてつもない爆弾を積んでいて、東京に炸裂させるという情報を掴んだ東条英機は、急いで天皇陛下に謁見します。
太平洋上を飛行しているB29爆撃機を、「今すぐに、消して下さい!」と願い出たのです。
東条英機や日本の要人は、天皇陛下が、どのような霊力があるのかを、すでに知っていたことになります。
天皇陛下は、生まれた時から「現人神アラヒトガミ」として育ちました。
戦前までは、「天皇は神である」と日本人は認識していましたし、天皇自身も、「神」として育てられて、そのように思い込んでいました。
東条英機は、太平洋戦争が始まる前に、密かに「陰陽師呪詛部隊」を編成していたことが知られています。
日本に戦争を仕掛けた張本人であるフランクリン・ルーズベルト大統領は、この「陰陽師呪詛部隊」に呪詛をかけられて、死期を早めたとも言われています。
東条英機などの日本の要人は、神道の霊力や呪術・祝詞といったものが、物理現象を凌駕することを知っていました。
明治時代の「日ロ戦争」は、大国ロシアの世界最高の艦隊といわれていたバルチック艦隊を迎え撃つのに、どこで待ち伏せるのかに、日本の命運がかかっていました。
連合艦隊司令長官の東郷平八郎は、久我山の神社の霊力の高い巫女のご神託で、「バルチック艦隊は対馬海峡から、日本海に入ってくる」というのを信じて、全艦隊を日本海に集結させて、バルチック艦隊を殲滅させました。
蒙古襲来があったときも、我が国の主だった神道および密教に関わる全ての霊力をもって、二度にわたる蒙古襲来を防いだとされています。
蒙古襲来には、台風という「神風」が吹いたから・・・とされていますが、最初の元寇のときは、11月です。
台風が、その時期に襲来することはありません。
また、二度目の元寇の時にも、蒙古軍は1か月以上も足止めを食らい、上陸できませんでした。騎馬で異常に強い蒙古軍を、上陸させなかったのです。
1か月以上も停留しているのであれば、台風は1度は2度は襲来しています。
しかし、記録によると、「神風」は日本の東側(関東から)から西側(関西、九州)へと吹き荒れたと―――と伝わっています(通常とは逆方向です)。
それにより、二度目の元寇でも、数千に及ぶ蒙古軍の艦船は、ことごとく沈没してしまったのです。
日本の主だった神道の神社、仏教の寺院も総動員して、「神風」を吹かせて日本を守り切った、とされているのです。
さて―――
日々、神道の祝詞を奏上して、日本および世界の平和を祈念している「現人神アラヒトガミ」の天皇陛下は、一度は東条英機の申し出を断ったといいます。
東条英機には、「戦争は決して起こすな」とクギを刺していたにも関わらず、開戦に踏み切った陸軍大将を、快くは思っていなかったとも思われます。
しかし、事態は急を要します。
「東京の民をお守りください!」東条英機にこのように言われて、天皇家に代々伝わる 聖徳太子が記したとされる、秘伝の祝詞が書かれている巻物の一巻を開き、そこに書かれている祝詞を唱えたと伝わっています。
その結果―――
東京に向かって原爆を搭載したB29は、周囲を護衛している戦闘機の前から忽然と消滅したのです。
異次元の世界に消え失せたのです。
護衛の飛行機は、周囲を懸命に捜索したそうです。
さらに終戦後も、B29の行方を捜索しましたが、見つかりませんでした。
これによって、東京に向かって原爆を投下するB29は、この3次元世界から消滅してしまい、東京は救われました。
この霊力を発動するために、天皇陛下は神がかり的祝詞奏上の後、意識不明の状態となって、1ヶ月以上も寝込んだといわれています。
そのため、原爆を搭載した二号機、三号機が「広島」「長崎」に飛来することは防ぐことが出来なかった―――このように言われています。
昭和天皇によって、「東京」は救われました。
また、
古代から日本に伝わる「祝詞」「神歌」などによって、物体を異次元空間に消滅させられるなどということは、コンピューター世代の科学者には、到底信じられなかったはずです。
しかし、昭和天皇がB29を消滅させてしまったという事実を掴んでから、極秘に研究が続けられていて、幾度も失敗と挫折を繰り返してきたようです。
ところが、その研究分析から、ようやく数年前に異次元空間に消滅させる方法が完成したようなのです。
ニコラ・テスラの生み出した高周波電磁誘導の上に、昭和天皇が用いた聖徳太子の巻物の祝詞を唱えて、その音波変動を使った人工知能のマシーンです。
それが実際に使えわれる事態が起こりました。
それは―――
2014年3月8日マレーシア航空340便が、マレーシアのクアランプールを飛び立って、北京に向かう途中で、消息を絶ちました。
これはいまだに記憶されている方も多いと思います。
近辺の海上も、途中の空路にも、どこにも痕跡すら見つかりませんでした。
このニュースは、世界が注目していました。
我が国でも、連日報道番組で どこに墜落したのか、ハイジャックにあったのかなど、様々な情報が取り上げられていました。
その後も捜索は続きますが、ついに機体の破片でなないかといわれるものが見つかり、世界は「やはり墜落した!」と思って、事件は忘れ去られていきました。
「墜落した!」とされる機体の破片は、マレーシア航空340便のものではないとされる情報もありました。
それは異次元空間に消されてしまったのが、真相のようなのです。
その真相とは―――
IBMで秘密裏に行なわれていた実験の効果が、試される事態が起こりました。
米国の国防総省のPCシステム設計に関わっていた中国系アメリカ人が、中国政府にその全システムを売るという計画を、CIAが掴みます。
そのエンジニアは、マレーシア航空で 中国に向けてクアラルンプールを飛び立ってしまったことが解りました。
中国に持ち込まれると、米国の防衛システムが丸裸にされていまします。
何としても防がなくてはなりません。
といっても、ミサイルで340便を撃墜するわけにはいきません。
そこで、完成していた新兵器の異次元空間に消滅されるマシーンを用いたのです。
ですから、機体もろとも消滅してしまったのです。
標的であるボーリング777は、エンジンの運行状況が、絶えず本社に衛星回線を通じて送られてくる最新のシステムとなっています。
それが突然、まさに忽然と消滅してしまったのです。
このことは、世界の要人が、米国に逆らうと消滅させられてしまう、という可能性を知らせることになりました。
これによって、昭和天皇が示した異次元空間に、時空間移動させてしまう聖徳太子の秘密の祝詞は、最新のマシーンとして生まれ変わり、現在米国が手にしていることになります。
昭和天皇がお示しになった「霊力」は、これだけではありませんでした。
我々の記憶に残っている事態にも関わっていました。
『祈りが護る国 アラヒトガミの霊力をふたたび』(明窓出版)の著者保江邦夫氏(理論物理学者、ノートルダム清心女子学園名誉教授)から、引き続き多くを引用します。
その中で、理論物理学者である保江邦夫氏は、ある高野山の僧侶と会います。
初対面のその方に、「天皇陛下がB29を消滅させた」という話を、理論物理学者の立場から、信じることができずに、「大変なホラ話」として話しますと、
その方は、「・・・いや、あると思いますよ・・・」として、次のような話を語ってくれたというのです。
その方の師匠は、高野山の阿闍梨で、偉大な法力を持っていた中村公隆和尚ということで、「高野山では、皆が知っている話です」といいます。
それは―――中村阿闍梨が、昭和天皇を手助けして、あることを行っていたというのです。
これに関する文面を読んで、私も驚きました。
今でも、その事件については記憶に残っているからです。
ときは、ベトナム戦争まで遡ります。
米国は、連日ベトナム軍を、空軍が攻撃していました。
あるとき、戦闘空域に、ベトナムを支援していたソ連(現ロシア)のミグ25が現れました。
米軍はF4ファントムⅡの最新鋭機です。
すぐに追跡して、空地空ミサイルを発射します。
レーダー誘導型のミサイルです。
だが、マッハ2のミサイルすら追跡できないほどの速さで、遠ざかっていきました。
当時、米国はソ連と冷戦状態にあって、核戦争が起こりかねないほどの緊迫した状況にありました。
この報告は、米軍を震え上がらせました。
とんでもない性能の最新鋭機を、ソ連が持っていることを知って、何としてでも捕獲して、その秘密を知りたいと思い、天皇陛下に手助けを依頼します。
トルーマン大統領から、昭和天皇がB29を消滅させたことを伝えられている歴代の大統領、その当時はニクソン大統領でした。
特使を昭和天皇のもとに送って、B29を消滅させたのだから、ミグ25を捕獲することもできるのではないか―――と、依頼しました。
しかし昭和天皇は、
「終戦前のあの当時は、できましたが、今はできないのです・・・」
このように語られたと云います。
それは―――
「私は現人神(アラヒトガミ)として育てられ、100%完全に自分は神であると思い込んでいました。だからできたのです。
ですが、今では人間宣言をしていますので、今の自分には無理なのです」
このようにお答えになられたといいます。
ニクソン大統領の特使は、「なにか方策があるでしょう・・・」と、なお食い下がります。
すると昭和天皇は、「もう一度私を現人神(アラヒトガミ)として思い込ませてくれたら・・・できるかもしれない・・・」
こうして昭和天皇の助手として、高野山阿闍梨の中村公隆和尚が指名されました。
そこで弟君の高松宮殿下が、皇宮警察を引き連れて高野山まで赴きました。
こうして緊急の要件で、中村公隆阿闍梨は皇居に連れて行かれます。
中村公隆阿闍梨の法力は、もの凄いものだったようで、真言密教の呪術を用いて、実際に昭和天皇を現人神(アラヒトガミ)として、類まれな霊力を持つ存在として蘇らせることに成功したようです。
その後、昭和天皇と題阿闍梨のお二人で、当時ソビエトで、ミグ25の飛行訓練をしていたビクトル・ベレンコ中尉を、「不動金縛りの術」をかけたのです。
1976年9月6日
ベレンコ中尉は自国の飛行場の戻ろうとしますが、操縦桿が日本に向けてしか動かなくなり、高い高度を飛んでいると上空侵犯で撃墜される可能性があったので、
仕方なく低空で、日本を目指します。
燃料が無くなってきたので、目視で捉えた「函館空港」に強行着陸しました。
このニュースは、当時ベレンコ中尉が「日本に亡命した」として騒がれましたので、今でも覚えています。
ミグ25に搭乗したまま、日本に亡命したのか・・・。
国家機密を抱えたままの亡命でしたので、ソ連は激怒しました。
「直ちにミグ25を返還せよ!」猛烈な抗議が、日本に向けられていたことは覚えています。
実際に、ソ連軍が機密保持のために ミグ25の破壊を目的とした行動に出るとの噂が流れて、航空自衛隊は戦闘態勢に入っていたともいわれています。
函館空港から茨木県の航空自衛隊の百里基地に運ばれて、米軍がミグ25を完全に分解して、その秘密を掌握しました。
なぜマッハ3以上のスピードが出せるのかも、解明したといいます。
米軍とソ連軍の戦闘機の格差が、これによって縮まりました。
だが、すべて米軍主導でした。
ミグ25は、分解すると真空管が使われていたり、時代遅れな感は否めませんでしたが、徹底した軽量を追求したものだった、と報道されました。
その後、ベレンコ中尉は米国に亡命して、ソ連時代の妻とは離婚して、米国で結婚していたようです。
なぜ、ベレンコ中尉は函館空港に強行着陸したのかは、今でも正確な情報は伝わってきていません。
実際には、亡命などではなく、昭和天皇と高野山の阿闍梨による「呪術」によるものでした。
さて―――昭和天皇と高野山の阿闍梨による「呪術」によるものとして、もうひとつ「別の逸話」も語られています。
それは―――アメリカとソ連が世界の覇権を競っていた冷戦時の話です。
米軍のファントム戦闘機よりも、ソ連のミグ戦闘機の方が速いので、米国はミグ25の秘密をどうしても知りたくて、CIAから外務省に何か情報はないかと依頼があったといいます。
CIAですら掴めない情報など、日本の外務省が知るわけがありませんが、「今空海」とまで言われた中村公隆阿闍梨に、ダメもとで連絡を入れました。
すると中村公隆阿闍梨は、
「日本にミグを呼んでしまえばいいのでしょう・・・」
と答えました。
さらに「一週間ください。一週間もあれば大丈夫でしょう」と答えたと云います。
そして・・・、一週間後にベレンコ中尉が函館空港にミグ25に乗って、着陸して亡命したというのです。
どちらの話が真実なのか。
中村公隆阿闍梨は、今も90歳の超える老齢でありながら、月に一度の護摩焚きを行って、人々に講話をしているといいます。
実際に会ってお聞きする以外には、真実には触れないかもしれません。
しかし―――簡単には、お会いになれないようです。
「今空海」とまで呼ばれた霊力のお力を授かりたい方々が、次から次へとやってきて、「身体の異常を治していただきたい」「経営難を救う手立てはないか」など、そのすべての個人的な相談にはのれません。
できれば私も、その霊力の一端を垣間見たいとの思いがありますが、現状では無理なようです。
そこで、中村公隆阿闍梨の霊体に尋ねてみました。
中村公隆阿闍梨の霊体からは、外務省からの連絡ではなくて、直接皇宮警察から依頼されて、昭和天皇の呪術を手助けして行ったようなのです。
昭和天皇のお名前を出すことは憚れるので、自分が行ったことにしたというのが真相のようです。
さらに―――
現在、兵庫県神戸市北区にある鏑射寺(かぶらいじ)を復興して、住職をされています。
真言密教の、聖徳太子の生母にゆかりのある由緒正しいお寺で、長い間荒れ寺だったところを、中村阿闍梨が復興されたそうです。
略歴は―――
鏑射寺(かぶらいじ)のある地は、神体山として、神秀倉(かみほぐら)・甘楽山(かぐらやま)・五智の峰などと呼ばれて人々に尊崇されていました。
聖徳太子は、ご生母の里にある此の山(神体山)に惹かれて、伽藍を建て仏教弘通(ぐつう)の道場として鏑矢(かぶらや)を奉納して、鏑射寺と命名されました。
その後、弘法大師空海は境内に独鈷水の井戸を掘られ、百丈岩には穿仏(せんぶつ)岩に、足跡を残しています。
北条時頼や、太閤秀吉は三度の参詣をしたとの事跡等々がありますが、南北朝時代と江戸時代に戦火と山火事にあい、文久二年(1862年)の勇阿上人により再建されました。
明治6年、天誅組と称する不逞藩士が神社仏閣を襲い、当寺も火を放たれ焼け残った太子堂及び本尊什器は寺廻りに移されて、その後廃寺となりました。
その約百年後の、昭和30年秋に久邇宮朝融(くにのみやあさあきら)王殿下が、道なき所を攀(よ)じ登り、生い茂る草をかき分けてご参拝になり、鏑射寺の再建と国家国民の安寧をお祈りになられました。
昭和34年9月、現山主中村公隆阿闍梨が入山、祈願に入りました。
同41年に護摩堂(不動明王)が、48年には三重塔(虚空蔵菩薩)、続いて53年函館の地に別院(不動明王等)が建立されました。
逐次旧寺領の買い戻しも進み、平成4年に大日如来・愛染明王を奉迎して本堂の落慶入仏法要が厳修され、同6年に弁天堂の落慶を見ました。
前記諸尊の他に、十一面観世音菩薩(飛鳥仏)、聖徳太子、弘法大師、毘沙門天がお祀りされています。
本堂はかなり高波動です。
本堂からは、愛染明王、毘沙門天は反応しませんが、「大日如来」「十一面観世音菩薩」などのエナジーが反応します。
鏑射寺の画像は、どれも高波動です。かなりの高波動です。
この地には、弘法大師空海の「南無大師遍照金剛」のエナジーで満たされています。
中村阿闍梨の「護摩焚き」法要などによって、その都度、「南無大師遍照金剛のエナジー」を降ろされているものと思われます。
「今空海」との異名を持つ中村阿闍梨は、多くの政治家や実業家に頼られていて、「外交判断」「経営判断」などの重要な指針を示してくれるようです。
今でも、首相や大企業の経営者などが、最終判断を迫られるときの相談相手にもなっているようです。
著書も多く、中村阿闍梨の書かれた書籍に、感銘を受ける方も少なくないようです。
今では、90歳を過ぎたご高齢であり、一般人の「健康相談」「自営業の相談」など、個人的な相談には簡単に応じてくれる状況ではないようです。
ひとり15分の面談時間のなかで、様々な相談に応じていて、難病を治したりもしているようです。
中村公隆阿闍梨
私は、兵庫県神戸市の鏑射寺まで行けそうもないので、中村公隆阿闍梨の画像を通じて、エナジーを頂きました。
90歳を過ぎたご高齢で、少し背中が曲がっているように見えますが、完全体の絶対軸がとれています。
ご高齢でも このように絶対軸が取れている方には、めったにお目にかかりません。
合気道創始者の植芝守平翁や合気道十段塩田剛三翁など、数名にしか見られません。
中村公隆阿闍梨は、若いころから高野山で修業を積み、毎日伽藍で座禅を組んで瞑想していたようです。
夏の夜に伽藍で瞑想していると、蚊に刺されます。
それでも、その修行を連日続けていると、ある時から蚊に刺されなくなったといいます。
明け方になって、伽藍での座禅を組む瞑想を終えると、自分の周りに蚊の死骸が、半径1M位まで円形に広がって落ちていたと云います。
これは、中村公隆阿闍梨の強固な結界が造られていて、その中に蚊が入れずにその結界の周りに落ちた死骸でした。どんぶりに一杯になるほどの量だったといいます。
結界が強固になると、その結界を広げていき、上空を飛んでいる鳥をその結界の中に包み込むことで、鳥が落ちてきた―――このようなレベルにまで達していたといいます。
さて、その霊力を私もまた、欲しいと思いました。
イメージの中で、勝手ながら私の手を握って頂いて、エナジーを流して頂きました。
初めてこれを行ったときには、もの凄い反応がありました。
同調するときは、身体が痺れました。
そのうちに反応はしなくなりますが、第5チャクラからエナジーが取り込まれました。
なぜ、イメージで「手を握っていただいた」のか。
それは―――
『祈りが護る国 アラヒトガミの霊力をふたたび』(明窓出版)の著者保江邦夫氏(理論物理学者、ノートルダム清心女子学園名誉教授)が、
中村公隆阿闍梨にお会いした時に、「もっと簡単に今すぐできる方法を教えてください」と頼んだ時に、阿闍梨はただ笑うだけでした。
その代わりに、保江邦夫氏の手を握ったというのです。
阿闍梨は、普段そのようなことはしないそうです。
それ以来、氏の背筋はむずむずしてきて、何をされたかも解りませんでしたが、以来、電磁気に異様な反応があって、ライトが異常点灯したり、様々な事象が起きたようです。
このような状況は、次のようなことにも関りがあるかもしれません。
国防上の観点からは、相手国の兵器が作動しなくなり、様々な事態を引き起こせることが、重要な項目となっていて、ここに焦点が当てられています。
UFOに遭遇したパイロットは、今までにも数多く存在しますが、なぜかその時には、UFOを攻撃するスイッチは、全く反応しなくなると云われています。
もし敵国が核兵器のボタンを押しても、全く作動しない状態になることこそが、防衛上の最適な防御の一つの方法になり得るのです。
IBMで極秘裏に開発された異次元に消滅させてしまうマシーンは、当初は人工知能搭載の最新型のマシーンに、聖徳太子の祝詞を反応させていましたが、全て失敗しました。
そこで、人工知能としては低レベルの、人間的なプログラムに組み込んだところ、開発に成功したと云われています。
ところで―――
稀代の霊能者であった昭和天皇と中村公隆阿闍梨が用いたという「不動金縛り呪術」とは、どのようなものであったのか。
その他にも、『不動尊』など関わる、いくつかの文献があります。
その書の中に、「不動金縛り法」が解説されています。
以下、参考までに そこから要点のみを引用します。
不動金縛り法」の根源は、「聖無動経(しょうむどうきょう)」の中の文句に由来します。
不動尊が火炎の護摩を焚き、あらゆる災いを起こす世界を浄化しようとすると、この不動尊の威力に打たれて、外道や悪魔が大いに恐れて、逃げ出します。
彼らは山や海に隠れようとしますが、足腰が痺れて動けなくなります。
ただ一つ逃れる手立ては、不動尊(仏)の前に行くことだけが出来たのです。
こうして、外道や悪魔は 従来の悪いことを止めて降参して、正道に立ち返ったというのです。
このことは、ベレンコ中尉が、日本に向けてしか操縦桿を動かせなくなっていたのと同じことのようです。
「不動金縛り法」の呪術によって、日本に誘導されてしまい、実際に米国に亡命してしまったことになります。
さて、この「不動金縛り法」とは、古来より名僧がしばしば行っているもので、布袋(ほてい)和尚が、虎を威圧して、金縛りにかけて、遂には虎の背を枕にして眠ったなどの話が伝わっています。
各地の山岳に、その名が残っている「役行者(えんのぎょうじゃ)」は、葛城山の山王一言主神(さんのうひとことぬしのかみ)を、金縛りにかけて手下にしたことや、前鬼後鬼(ぜんきこうき)を小使いとしていたのも、金縛りの威力です。
この「不動金縛り法」を修練することで、猛獣毒蛇や賊徒を征服した例は多くあります。
十数人の山賊を、一喝のもとに 皆倒したという例もあります。
この「不動金縛り法」が「九字を切る九字護身法」と一致または混同して、一種の職業的修法となり、あるいは俗化堕落して香具師(やし)の手品的なものになったものもあります。
一方で、剣道の発達により、禅の極意と不動法の妙諦と、剣術の奥義が互いに一致して、活殺自在の「気合法」となり、多くの剣豪剣聖を排出することとなりました。
気合術と金縛り法は一体不可分であり、幾多の剣豪剣聖も「剣」を通して相手を金縛りにかけることなど、当たり前のこととして修法されていました。
「不動金縛り法」には、いくつもの方法があるようですが、ここではその代表的なものを紹介します・・・・」
このように思って、文献からその方法を解説していこうと思いましたが、「待った」がかかりました。
安易に公開すべきではない、と反応するのです。
サーっとその方法を流し込んだだけでも、相手の軸が崩れてしまい、動きが鈍ります。
本格的に「不動金縛り法」を、その文献の通りに行っただけでも、威力がありそうで、体軸の崩れた方が真似をすると、その反動が、本人にも強く出そうに思われます。
実際にネットでも、「不動金縛り法」を解説しているものもありますが、ほとんどの方が真剣に読むこともなく、「なんだ、その程度か・・・」との印象を持つと思われます。
しかし、ときに「これは・・・凄い!」と思われるものに出くわすことがあります。
「不動金縛り法」は、そのような法術のひとつであるようです。
ですから、ここでの詳細は載せないことにします。
その代わりに・・・・
私は、ときに古文献に目を通すことがありますが、常に身体を整える方法に重きを置いています。
そのような中で、多くの古来から伝わる 神道系の古文献を集めたものがあります。『神道秘密集伝』という書籍で、
その中に「風宮神伝病気吹払禁厭法」(かぜのみやしんでんびょうきうちはらいまじないほう)というのがあって、そのなかにある神歌がありました。
ただページをめくっていては、気が付きませんでしたが、異次元にセットしてこの歌を読み込んで、相手に流し込みますと、信じられないほど強く効験が現れてきます。
信じない方には、まったく効験は現れませんが、少しでも「効力があるかもしれない・・・」と思って、次の神歌を歌い込みますと、それなりの反応を示すようです。
「ちはやぶる 神の伊吹(いぶき)の烈しさに 病(やまひ)あとなく 散り失せにけり」(9次元にセットしています)
この神歌を、そのまま対象者の身体に中に流し込んでください。
予想を超える反応を示しますので、驚かれると思われます。
私は、人を浄化・浄霊するときには、その人に憑依している全てのマイナス波動を引き出してきて、基本は「般若心経」で行います。
ですが―――簡易なものでれば、この神歌で十分な効験を示すことができます。
転載ここまで―――
かなり、転載文が長くなり過ぎましたが、ご興味が湧いたものと思われます。
さて―――
その伝説の中村公隆阿闍梨は、すでに齢96歳を超えていることから、
「今のうちに実際にあっておかないと、もう二度と会えないかもしれない!」
ということから、
伝説の大阿闍梨中村公隆『今空海』にお目に掛かろう―――ということになって、
2023年11月22日の護摩炊きの月例会に参加するために、その前日に兵庫県神戸市の鏑射寺のある ひと駅手前のホテルに集合しました。
鏑射寺へ行くには、その最寄りの道場駅から徒歩20分。
駅前にはほとんど何もないところですので、タクシーがあるか否かも判りません。
「タクシーを待っていても来ないので、歩いて行った」「途中で、高級車が止まり、鏑射寺へ行くなら お乗りなさい・・・・」と親切に案内されたとも訊いていました。
朝、ホテルまでタクシーを呼んでもらい、これが正解でした。
帰路は、徒歩で駅に向かいましたが、ほんとに何もないところで、タクシーなどまったく見ないような駅でした。
タクシーで鏑射寺へ到着しました。
386
「独鈷山 鏑射寺」とあります。
今回の参加者です。
左から、ヒサヒサ、サトウ、ミッチー、バルサン、オタケです。
385
参道の先に、建物があり、その部屋の2階に大阿闍梨がいる―――との反応がありました。
いよいよ、伝説の「今空海・中村大阿闍梨」に遭えると思いまいた。
387
手水舎で、左手―右手―口を漱ぎます。
「護摩焚き」までは、まだ時間がありますので、境内を廻ることにしました。
389
「弁財天」とあります。
この階段を昇った正面に、高波動の雰囲気が漂っています。
階段を昇ると―――
391
「弁財天」の祀られているお堂があります。
「弁財天」の御真言
「オン ソラソバティエイ ソワカ」に反応を示します。
弁財天は、「金運」「商売運」を上昇させます。
財運や投資をする方などは、その判断を迫られるときに、「良い流れを呼び込む」とされていますので、弁財天の御真言を唱える方が多くいます。
また、表現力、芸能、芸術にも効験がありますので、
声を使う職業の方や、クリエイティブな活動をする方にも運気上昇をもいたらすとされています。
さらに、縁結び、人間関係の調和にも効験がありますので、
心を込めて唱えることで、自分自身の波動が整い、人との運命的な出会いを引き寄せる力が高まるとも云われています。
392
堂内は暗いですが、空間が整っています。
397
弁財天の鎮座している祠は閉まっていますが、十分な波動を感知します。
395
三体の座像があります。
特に高い波動は感知しませんでした。
398
ミッチーが仏前で畏まっています。
外に出ますと―――
400
猫が二匹、同じく畏まっています。
401
ここに
「近畿三十六不動尊第十一番」
「摂津西国第十番」
とあります。
402
ここが「護摩堂」の入口です。
403
中に入りますと、護摩焚きの準備が整えられていました。
405
「八大龍王」とあります。
406
「八大龍王」として、反応します。
409
「不動明王」です。
この波動の高さには、驚かされました。
超絶の高波動です。
410
『毘沙門天』とあります。
412
「毘沙門天」です。
416
今回の参加者が徐々に集まってきました。
417
左から、サトウ、オタケ、ヒサヒサ、バルサンと並びました。
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私の前にも、多くの方が座っています。
こうして、「護摩焚き」供養が行われました。
結論から言いますとーーー
その存在は感知するのですが、実際にお目にかかる―――という希望は叶いませんでした。
96歳のご高齢になっていることから、「生きているうちに、伝説の大阿闍梨のお姿を目に焼き付けておきたい」との思いは叶いませんでした。
この日は2023年11月22日ですが、その翌月14日に亡くなられたようです。
すでに死期を察していたものと思われますが、残念ながら、生前の大阿闍梨のお姿を見ることはなく、
我々には、この日の「護摩焚き」が最後になるかもしれない―――という反応がありましたが、そのお姿を見せることもなく、その20日後にこの世を去られました。合掌
ですが―――鏑射寺は、高波動の寺院です。
この後、我々は鏑射寺の境内を回ります。
つづく
2025年12月2日記