≪ パワースポット巡り10人旅 その9岩船寺へ≫
山道を歩いているその途中に、「立ち入り禁止」の看板が目に留まりました。
そこの波動が良好なことに気づきました。
「立ち入り禁止」の看板
行かなくては・・・・
「立ち入り禁止」の看板を無視して、階段を上りました。
階段を上る。
ここの波動が高かったから・・・・それだけの理由で、我々10人は「立ち入り禁止」のエリアへ踏み込みました。
廃寺の跡
中に立ち入ると、やはり「良好な波動」を感知します。
後日 調べてみると―――ここは東小田原寺・隋願寺の跡でした。
隋願寺を東小田原寺と呼び、前回紹介した「浄瑠璃寺」を西小田原寺と呼んでいたようで、かっては大寺院であったといいます。
「浄瑠璃寺」の近くにありますので、その昔は栄えていたのだと思われます。
名もなき祠
小さな「祠」があります。
栄えていたであろうその当時は、陰陽道に関わる「山伏」たちの根城となっていたようです。
その後 山伏たちは岩船の地へと移り、廃寺となって現在に至るようです。
春日神社
このエナジーは「スサノウノミコト」として感知されます。
石仏
途中に 「石仏」がありますが、波動は高いものではありません。
残念ながら、すべての「石仏」は 波動の高いものではありませんでした。
岩船寺への参道
良好な波動は感知されません。
鎌倉時代を中心とした中世にあって、南都(奈良)の世俗化を嫌って、修業の場となっていたようです。
確かに・・・・800年前にセットすると、この地は高い波動であったように反応します。
三重塔
三重塔は室町時代に創建されたといわれています。
承久の変で焼失しますが、鎌倉時代に再び再建されています。
岩船寺本堂
岩船寺本堂です。
813年(弘仁四年)嵯峨天皇が皇子誕生を祝い、堂塔伽藍が整備されて、岩船寺となりました。
最盛期には39の坊舎をもつ大寺院であったといいます。 ですが―――1221年(承久三年)承久の変により大半が焼失してしまいました。
それ以後、再興された堂塔も 再度の兵火により次第に衰え、現在は本堂と三重の塔のみとなりました。
ここの問題は、結界が張られていないことです。
岩船寺には「結界」が 張られていません。
前回の「浄瑠璃寺」は、山門から良好な結界が張られていました。
そのため、参拝に訪れる方々の体軸が、自然と整うようになっていました。
岩船寺には結界がないために―――境内に来て参詣する方の体軸も 整うことがありません。
本尊の阿弥陀如来座像です。
平安時代に造られたもので、重要文化財となっています。
天慶九年(946)の作で、 ケヤキの一本造であり、作者 行基といわれています。
残念ながら・・・・「生きている」反応はありません。
像の表面には、参拝者の霊的垢が びっしりとこびり付いています。
曼荼羅図
本来は 高波動なのでしょうが、参詣者の霊的垢が溜まっていて、まるで有難味が沸いてきません。
ですが―――この霊的垢を取り除いて 中をチェックすると、高波動のエナジー体が現れます。 惜しいものです。
浄瑠璃寺のように 境内全体に結界を張って、その中に立ち入る方の霊的垢をすべてそぎ落とせるようであれば・・・・惜しまれてなりません。
十二神将像
十二神将像と思われます。
「生きている」反応はありません。
十一面観音像
十一面観音像と思われます。
「生きている」反応はありません。
この仏像は 600年前で全く反応しませんが、800年前にセットすると、かなりの高波動が表面に顕われてきます。
伝では「鎌倉時代の作」とされているようですが、そうかもしれません。
こうして―――
10人旅は 予定通り全てのパワースポットを観て、様々な霊的エナジーをたっぷりと吸収して、帰路につきました。
了
2016年2月16日記