生命体エナジー浄化の会ブログ

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三峰神社奥之宮登拝 その3

《 三峰神社奥之宮登拝 その3 》

 三峯神社の「奥之宮」に登拝して、三峰神社の参拝をしました。

 

詳しくは―――2019年4月の本ブログ「秩父三峰神社参拝の旅」をご覧ください。

以下、簡単にご案内いたします。

 

三峰神社の入口には、全国でも珍しい「三ツ鳥居」です。

この鳥居は、金箔の模様が施されています。

 

三峯神社正参道」とあります。

 

三峰神社」なのか「三峯神社」なのか、正確には「三峯」なのだと思います。

ここでは、一般的な「三峰」としておきます。

 

参道の途中には、多くの記念碑が建てられています。

 

山門である「隋神門」が見えてきます。

 

この「山門」の前には―――

狼(山犬)が狛犬の代わりに、守護をしています。

この狼(山犬)が眷属神となって、「三峰神社」の守護をしています。

 

この狼(山犬)は生きていませんが―――

左側の狼(山犬)は生きています。

参拝者への睨みをきかせています。

 

このような参道を下ります。

すると―――

また、「狼(山犬)」の像があり、「結界」を敷いています。

ここを通過する方は、一時的に体軸が歪みます。

それは、身体が浄化されるからです。

 

三峯神社」の扁額が掛かった鳥居があります。

この「扁額」は、高波動です。

 

この階段を昇ると、「拝殿」があります。

 

「拝殿」の中です。

さらに、この「拝殿」の後方に「本殿」があります。

 

三峯神社の由緒は古いものです。

 

大縁起によると日本武尊(やまとたけるのみこと)が伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)をお祀りしたのが始まりと伝わります。

景行天皇の命により、東国平定に遣わされた日本武尊(やまとたけるのみこと)は、甲斐国(山梨)から上野国(群馬)を経て、碓氷峠に向かう途中三峯山に登ったと伝わります。

 

そのときに、山川が清く美しい様をご覧になり、国をお生みになられた伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)の仮宮を建てお祀りして、この国が永遠に平和であることを祈られたと伝わります。

 

この時、道案内したのが狼(山犬)であったとされ、神様の使いとして一緒にお祀りされたのが、三峰神社の眷属神である「狼(山犬)」なのです。

 

 

拝殿の後方にあるのが「本殿」です。

 

主祭神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)ですが、このエナジーは反応しませんし、「狼(山犬)」のエナジーも反応しません。

 

ここの配祀神は、造化三神である「天之御中主神(あめのみなかのぬしのかみ)」と

高御産巣日神(たかみむすひのかみ)」と「神産巣日神(かみむすひのかみ)」

さらに「天照大神(あまてらすおおみかみ)」です。

 

この配祀神が、この本殿にはそのエナジーを感知します。

これは―――前回訪れたときと同じです。

 

「三峯山代々祖霊之里」とあります。

ここは―――

「祖霊社」です。

 

ここに―――

主祭神である「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」「伊弉册尊(いざなみのみこと)」のエナジーが反応します。

 

本ブログの2019年4月に「秩父三峰神社参拝の旅」の「その2,3」の中で紹介しましたが、三峰神社の名を世間に広めた大きな要因の一つに、「白いお守り(氣守)」があります。

 

あまりにも高い効験のために、毎月1日に配布していたのが、あまりにもそれを求めてくる方が多く、過剰な渋滞が起こったために、販売を中止せざるを得なかったものです。

 

「白いお守り(氣守)」には、「狼(山犬)」の眷属神のエナジーが封印されていると云われています。

 

もう少し詳しく述べると―――

 

三峯信仰の中心は、御眷属(山犬)信仰です。

『社記』によると、日光法印が享保12年に山上の庵室に静座していると、山中から狼が群がって来て、境内に充ちたといいます。

 

法印はこれを神託と感じて、「猪鹿・火盗除け」として「山犬の神札」を貸し出したところ、高い霊験があったといいます。

 

この「山犬の神札」は、1疋で50戸まで守護すると云われていて、文政8年には貸し出された「山犬の神札」は5000疋となったと伝わります。

 

明治の文豪・幸田露伴は、三峰の神使は「狼」であるとして、祀っていたと云います。

 

その「狼(山犬)」の眷属神のエナジーが反応するところが―――

「国常立神社」(摂社)です。

 

ここに、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざでなみのみこと)のエナジーと共に、三峰神社の眷属神である「狼(山犬)」が共に祀られています。

 

ですから―――ここの波動が本殿よりも、私は好きなのです。

残念ながら、扉は固く閉じられていました。

 

2019年の本ブログの「秩父三峰神社参拝の旅」時には、この中に入りました。

その中の扉は閉じられいましたが、十分なエナジーを吸引することができました。

 

楽殿です。

それほどの波動ではありません。

 

日本武尊(やまとたけるのみこと)神社」です。

 

かなり高波動です。

何か「修験道系」のエナジーが反応します。

 

三峰山の中心は「雲取山」で、熊野の修験道が深く関わっていました。

中世以降は、日光系の修験道場となっていました。

その後、天台宗修験道の関東総本山となっています。

 

ここには「三峯大権現」が祀られてるようで―――

この「日本武尊(やまとたけるのみこと)神社」には、「三峰大権現」の修験道系のエナジーが反応します。

 

「三峯大権現」であれば、「奥之宮の祠」のエナジーと同じように思います。

 

なぜか「伊勢神宮」も存在します。

それは、主祭神の他に、配祀神として「天照大神」が祀られているからかもしれません。

 

残念ながら、今回は「天照大神」様のエナジーは感知しませんでした。

 

また、

それ以外に、多数の「摂社」「末社」があります。

 

多くの「末社」がありますが、これといって特筆すべきものはありません。

 

東照宮」です。

 

ここには―――

徳川家康の「東照大権現」様が反応します。

 

徳川家康とは、私の子供時代には「タヌキおやじ」の異名があり、今と違って日本人には人気がありませんでした。

 

それが山岡荘八の長編小説「徳川家康」によって、辛抱・忍耐の人として描かれてました。

 

その遺訓に―――

 

「人の一生は 重荷を負うて遠き道を行くがごとし」という有名なものがあります。

 

この遺訓は、さらに

 

「急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。

こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。


勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。」

最後には、 自分の行動について反省し、人の責任を攻めてはいけない。
足りないほうが、やり過ぎてしまっているよりは優れている―――という意味です。

 

現代の我々にも、自戒を促すことになる遺訓のように思います。

 

                        了

 

               2024年4月9日記