《 群馬のパワースポットを行く その2 》
「一之宮貫前神社(いちのみやぬきさきじんじゃ)」「中之嶽神社」「迦葉山弥勒寺(かしょうざんみろくじ)」へ(その2)
「一之宮貫前神社(いちのみやぬきさきじんじゃ)」から、日本一の「大黒天像」のある「甲子(きのえね)大国神社」「中之嶽神社」
に来ています。
日本一の「大黒様」を見て、その先にある「御神体岩」の「前宮」である「甲子(きのえね)大国神社」に向かいました。
「甲子(きのえね)大国神社」です。
創建は819年で、「大国主命(おおくにのぬしのみこと)」様ほか、10柱の神々をお祀りしています。
この神社の波動は高いです。
「大国神社」と書かれています。
「甲子(きのえね)」とはありません。
残念ながら、「大国主命(おおくにのぬしのみこと)」様ほか、10柱の神々のエナジーは感知できませんでした。
社殿全体では、良好な波動なのですが、「神々のエナジー」としてチェックすると、反応がないのです。
「祥運の龍」を奉納しています。
奉納された「祥運の龍」は、見ることができませんでした。
この「甲子(きのえね)大国神社」は、「御神体岩」の拝殿として位置づけられるようです。
その「御神体」は、「轟岩」とされています。
その御神体の「前宮」が、「甲子(きのえね)大国神社」です。
「轟岩」の御神体を拝む「拝殿」が、「中之嶽神社」なのです。
この「中之嶽神社」は、「奥宮」となります。
この階段の登った上にあります。
いよいよ、その御神体である「轟岩」を目指して、この急峻な階段を昇ります。
「甲子(きのえね)大国神社」「中之嶽神社」の本殿である「轟岩」の御神体を目指して、急峻な階段を昇りました。
この入り口の鳥居には、「中之嶽神社」と「武尊大権現」と書かれています。
この階段は、かなりの急勾配です。
高齢者は、登り切るのは困難かもしれません。
「中之嶽神社」で、ここが「奥宮」となります。
これは、背後にある「御神体岩」である「轟岩」の拝殿です。
「中之嶽神社」は、創建819年ですので、およそ1400年の歴史があります。
大和時代には、社殿があったと伝わっています。
祭神は、「日本武尊(やまとたけるのみこと)」(倭建尊)の他、16柱が祀られています。
本来は、山の主である「波胡曽神(はこそかみ)」を祀っていましたが、「日本武尊(やまとたけるのみこと)」が関東巡幸の際に、妙義山に登嶽したと伝わることから、「日本武尊(やまとたけるのみこと)」を主祭神としたようです。
拝殿には、特に波動が高い反応はありません。
中は、このようになっています。
高波動のエナジー体は、感知できません。
これが「御神体」の「轟岩」です。
この「御神体」の「拝殿」として、「中之嶽神社」があるのです。
さすがに、「御神体」だけあって、かなりの高波動です。
しかし、この時には「神々」が降臨してなかったようで、波動は高いのですが、「生きている」反応は示しませんでした。
せっかくなので、「神々が降臨している状態」にセットしています。
すると―――
特に高い波動ではなかった「拝殿」も、高波動に包まれました。
「轟岩」に降臨されているときには、「中之嶽神社」拝殿には、5柱の高波動エナジー体が感知されます。
この画像は、高波動にセットした状態にしています。
この前に示した同じ画像ですが、波動のレベルが違います。
少しでも敏感な方なら、この波動の相違は感知できると思われます。
何やら、ミッチーが皆の前で「人生いかに生きるべきか」と訓示を垂れています。
右端のゾネスなどは、聴いていますが、左端のターキーは、例によってまったく聞いていませんでした。
この紙垂(しで)は、「結界」となっています。
紙垂(しで)の手前と、この先では、エナジーが変わります。
「さくらの里と石門のみち」
案内文には、
「岩壁のそそりたつ 妙義山を望みながら・・・石門、奇岩怪石を楽しみ 妙義神社に至る約10Kmの自然遊歩道です」
このように書かれています。
妙義神社を通過して、ここまでくる間にも、幾人ものハイカーを目にしていました。
いつか気候の良い時期に、遊歩道を歩くのもいいかもしれません。
案内板です。
「轟岩」や「見晴台」、「第四石門」などの方向が示されています。
この先に踏み込みますと、「次元」が変わります。
「何かある・・・」「何かある・・・」と思いながら、この先に踏み込みました。
つづく
2021年6月1日記