《 阿波の国から讃岐の国象頭山を巡る旅 7 》
灌頂ヶ滝―立岩神社―金毘羅宮―象頭山―弥谷寺―大麻神社―大水上神社-妙見宮―善通寺
弥谷寺(いやだにじ)―
真言宗善通寺派の寺院で、剣五山(けんごさん)千手院(せんじゅいん)と号します。
弥谷山の中腹にあり、その背後の岩盤には創建時に千手佛が納められた岩穴が残っています。
また、山全体が霊山であるとの信仰があり、日本三大霊場の一つに数えられたといわれています(他は「恐山」「臼杵麿崖仏」です)。
寺伝によれば、聖武天皇の勅願により行基が堂宇を建立し、光明皇后の菩提を弔うため、大方広仏華厳経(伝・光明皇后書写)を祀り、寺院を創建したとされています。
ここはお大師様空海との縁が深く、弘法大師空海は7 – 12歳の期間、当寺にある岩窟である獅子之岩屋で学問に励んだと云われています。
大同2年(807年)唐より帰国後の空海は、当地を再び訪問し獅子之岩屋にて護摩を修し、千座満願のとき蔵王権現のお告げにより、千手観音を安置し、唐から持ち帰った金銅四天王五鈷鈴と五柄の剣を納め、
山号を剣五山、仏の住む山である弥山から仏の谷という意味とされる弥谷に改めたと伝わっています。
「四国71番 弥谷寺 表参道巡拝路」とあります。
「天霧城跡(あまきりじょうあと)」
「天霧城は山の地形などを利用した天然の要害(砦)を造りだした山城です。
・・・中略・・・・香川県下だけでも四百箇所ちかくが確認されています。 以下略」
このように書かれています。
三体の石仏があります。
何も反応しません。
大木に、他に木が寄り添うように生えています。
決して「御神木」ではありませんが、少し珍しいので撮りました。
「昇運の石段」とあります。
また、「さぬき百景」とあります。
運気が高まるのか・・・・階段を昇ります。
「弥谷寺 表参道」とあります。
じょじょにお寺の雰囲気が高まってきます。
何なんでしょうか・・・・ここも何も反応しません。
この階段を昇ります。
昇り切りますと―――
「仁王門」が見えてきます。
左右の門には、阿吽の仁王像があり、結界門となっています。
この「仁王門」を通過することで、身体が浄化されます。
さらにゆるやかな斜面が続き、その先はまた階段が続きます。
これは「金剛拳菩薩」です。
「金剛拳菩薩」とは―――十六大菩薩の最後に位置するものです。
成就を司るもので、元禄時代(江戸時代)に建立されたものです。
約6Mもの高さがあります。
残念ながら「生きてはいません」。
これは「手水舎」です。
この階段を昇ります。
昇り切った参道の上に、ようやく弥谷寺の「大師堂」が見えてきます。
すれ違う人々を観察しますと、皆一様に体軸がとれています。
身体も浄化されています。
このことを確認すると、この「弥谷寺」の波動の高さが伺えます。
「大黒天」です。
「生きてはいません」が、波動は良好です。
ここが「大師堂」の入口です。
ここは高波動です。
この先に「奥の院」があるとの表示です。
ここの「奥の院」で、予想を超えた高波動領域に踏み込むことになりました。
この奥に「獅子の岩屋」と呼ばれている「洞」があり、ここが強烈な高波動を放っていました。
「洞地蔵尊(ほらじぞうそん)」
「昔から上におかげありといわれています」
ここに、
「座って岸壁の7メートル上を見上げてください」
とあります。
お判りでしょうか・・・・。
隙間から撮ったもので、解りにくいですが、左側の崖の上に小さな祠があり、
そこに「地蔵尊」が鎮座しています。
この小さな「地蔵尊」が高波動です。
「昔から上におかげありといわれています」という意味が分ります。
これは「独鈷(とっこ)」です。
よくお大師様空海が手にしているもので、宇宙と自分が一体化するときに用いるものです。
この「独鈷(とっこ)」を手にすることで、様々な奇蹟を起こしました。
大師様空海は、この「獅子の岩屋」の「明星之窓」といわれるところから入る光で、学問修行に励まれ、帰朝した後で、五鈷鈴(独鈷(とっこ)を納めたといいます。
大師像のほか父君・母君・摩崖仏などが刻まれ、五鈷鈴は国の重要文化財に指定されています。※画像2は獅子之岩屋
右側にある「持国天」です。
「生きています」
最初にこの像を目にした時に、ゾクっとした戦慄が走りました。
この「お大師様」の像と自分を一体化すると―――一瞬で、誰でも体軸が整います。
自分が「何か判らないけれど・・・不調だ!」と感じたときには、
この「お大師様」と一体化してみてください。
期待は裏切りません。
ここの「奥の院」にある像の配置図です。
この右側に「不動明王」(右)と「毘沙門天」(左)があります。
ともに「生きています」。
この「お大師様」の背後には、
判りづらいですが・・・・9体の「摩崖仏」が並んでいます。
そして、「お大師様」の左側には、「母君」「父君」の像もありました。
ここは「護摩の石壇で、
ここに開山の「行基」像があります。
ここから「獅子の岩屋」を拝顔します。
正面に「お大師様空海」像がありますので、
ここに座りますと、身体全体が高波動エナジーに包み込まれてきます。
これは左側の「増長天」像です。
「生きています」。
外に出ますと、「お大師様空海」像なのでしょうか。
凛として、ここに立たれています。
鐘楼があります。
ここに「釣鐘」が置かれています。
なぜなのか・・・・は、解りません。
「十王堂」とあります。
ここには、「閻魔大王」と「地蔵菩薩」など諸仏が祀られています。
それほどの波動は感知しないところです。
さらに階段を昇り、この上にある「本堂」を目指します。
途中にこのようなエリアがあります。
特に反応するものはないようです。
さらに壁に彫刻された階段を昇ります。
とくに、何も反応しません。
意識を変えて、あらためてこのエリアを見直しますと・・・・
波動が変わりました。
ここの両サイドには、数多くの石仏があります。
壁面に3体の像が彫られています。
これは、「弥陀三尊磨崖仏」といわれるもので、約12Mの岸壁に中心に阿弥陀如来(1M)、その両側に「観音菩薩」と「勢至菩薩」(共に0.9M)が刻印されています。
この中の右側の「像」(観音菩薩像)は、高波動です。
その3体の壁面の前にも、多くの「石塔」「石仏」があります。
さらに上を目指します。
ようやく―――
「本堂」に到着しました。
ここまで、570段の石段を昇ってきました。
ここが「本堂」です。
外からでは、それほどの反応はありませんが、意識をこの内部に向けますと、
かなりの高波動エナジーが感知されます。
扉が閉まっていますので、これ以上には踏み込めませんでした。
当初の本堂は、「獅子之岩屋」にあった「お大師様空海」の石像が、本尊としてここに納められていたといいます。
当時は、その本尊の両側に、「不動明王」と「毘沙門天」が脇仏としてあり、
ここの本堂は、その背後の岸壁に彫られていた仏像や五輪塔を拝んでいたようです。
その後、火災や落石で何度も再建されて、現在の本堂は 弘化5年(1848年)の建立で、「千手観音」を本尊として、両脇に「不動明王」と「毘沙門天」が配されています。
真ん中に見えているのが、「千手観音菩薩」です。
「生きています」。
その左側の格子に隠れていますが、「毘沙門天」です。
「五輪塔」です。
特に反応はないです。
「本堂」の背後の壁面に彫られているものです。
昔は、これらの壁面に彫られていた石像を拝んでいたようです。
ここの壁面の波動は高いです。
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「本堂」の正面からみた画像です。
この背後の壁面に彫られた「石像」を昔は拝んでいました。
高波動の壁面です。
この近くにも、やはり多くの石仏があります。
まだ高いところにあるのは、「鎮守堂」と思われます。
その中には―――
本尊として、「深沙大将」があります。
これは秘仏で、等身大の大将像は国内で唯一のものです。
確かに・・・・
こうして、夕暮れが迫った来ましたので、ホテルへと引き上げました。
つづく
2024年9月3日記