生命体エナジー浄化の会ブログ

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出羽三山を巡る旅 5

《 出羽三山を巡る旅 5 》

羽黒山―月山-湯殿山を巡る その5(大日坊)

 

 次に我々は「大日坊」を訪れました。

「大日坊」には、有名な「即身成仏」があるからです。

 

「大日坊」は山形県鶴岡市にあり、真言宗の寺院「龍水寺」です。

本尊は、「湯殿山大権現」です。

 

寺伝によると、807年に弘法大師空海が開山し、その弟子の渡海が開基と伝わります。

 

出羽三山神社では、蜂子皇子を開祖としていますが、大日方では空海を開祖としています。

 

羽黒山、月山が徳川家の庇護を求めて天海のいた「天台宗」に改宗していますが、湯殿山空海を開祖として、修験道系の真言宗を守っています。

 

当然、「湯殿山大権現」を本尊とする「大日坊」は、湯殿山系の寺院として今に至ります。

 

弘法大師空海は、この地の湯殿山を、高野山と対になる「聖地」として定められています。

 

ここは、古くから湯殿山派の寺として、出羽三山に対する山岳信仰修験道の寺院となっています。

 

大日坊・龍水寺の山門(仁王門)入り口です。

 

ここには

「八方七口(はっぽうななくち)の大網口(おおあみくち)」

とあります。

 

そこには―――

出羽三山周辺には 多くの登拝口が点在した。

大網口は、月山の西側(庄内側)の登拝口の1つ。

寺や賄い小屋が建ち、宿坊街が形成されて参拝者を迎えた」

とあります。

 



「即身佛木喰真如海上人」とあります。

ここに、「即身佛」が祀られているのです。

 

この山門(仁王門)の対側には、「龍水寺金剛院大日坊」の看板もあります。

また、

「御開帳空海秘仏」という幟もあります。

 

風神が山門にあります。

 

風神の手の指は4本で、東西南北を表しているといいます。

 

雷神も山門にあります。

風神・雷神の対が揃った山門は、日光の大猷院(輪王寺)にもありますが、あまり目にしないものです。

風神の手の指は3本で、「過去」「現在」「未来」を表しているといいます。

 

さらに―――

仁王門には、金剛力士像があります。

 

一切の装飾が剝げ落ちて居ましたが、波動が高いのです。

「生きている」反応を示しました。

 

奈良の東大寺の山門にある「金剛力士像」と似ていると思いました。

後日調べると、これは運慶の作でした。

 

鎌倉時代のものですが、道理で波動が高いわけです。納得しました。

 

ここの仁王門は、国内最古のものだそうです(弘安2年建立)。

 

運慶作の金剛力士

「生きています」

 

運慶は、仏師として初めて、「法印(ほういん)」の最高位に任ぜられました。

 

「草鞋(わらじ)」が掛かっています。

 

ここから月山、湯殿山などを目指して行った方々が、山岳信仰修験道の旅を終えたときに、ここに履いていた「草鞋(わらじ)」を記念として奉納していかれたのだと思います。

 

この先に大日坊・龍水寺があります。

昔は、この奥にあったのですが、地滑りがあり、この地に移ったと伝わります。

 

その途中に―――



小さな小川が流れているところがありました。

 

川のせせらぎの音が、なぜか心に響きました。

この水音に、私も心を奪われて、スマホの動画で「水音」を録音していました。

 

すると―――一人、幼児が悪ふざけをするかのように、大声を出して録音の邪魔をする輩(やから)がおりました。タッキーです。

 

これには、参りました。

「せめて10分間だけでも、我慢してくれ!」と皆で頼みましたが、どこ吹く風で平然とおしゃべりを続けていました。

 

大日坊・龍水寺です。

 

 

中は、高い波動に包まれています。

 

ここの空間は波動が高いので、一般の方々も自然と体軸が整ってます。

 

「大黒天」像があります。

 

「大黒天」は、「金運」をもたらしてくれる効験が高いですが、全国各地にある「大黒天」像は、参拝者の「霊的垢」がこびりついているものですが、この大黒天は高波動です。

 

「金運」を高めるには―――

「喉のチャクラ(第五チャクラ。甲状腺)」と繋げるといいようです。

 

「金運」はともかく、「運気」は高まるように思います。

 

春日局奉納御本尊の道中守り刀」とあります。

 

春日局とは、徳川3代将軍家光の乳母で、大奥で権勢を誇った人物で、時の老中なみならず、大名ですらひれ伏したといわれました。

 

次期将軍の跡目争いでは、徳川家康の居る駿府に出向いて、長男の家光を次期将軍にするように働きかけた―――といいます。

 

というのは、2代将軍の秀忠や、その正妻の「お江の方」が次男の竹千代を溺愛していたからです。

 

江(ごう)は、織田信長の妹、お市の方の三女で(姉が秀吉の妻となる淀君)、春日局との勢力争いが有名です。

 

将軍家光は、男色の傾向があり、女性に興味を示さず、跡取りを造れない可能性があったので、春日局は江戸市中から家光好みの女性を当てがって、子供(五代将軍綱吉など)をもうけたといわれています。

 

ついでながら、本ブログの「明智光秀は、死んでおらず、後に天海となって、江戸城の基礎を築いた」という説の中で、春日局が天海に会ったときに「お久しゅうございます・・・・」と言ったと伝わるのは、春日局の父は明智光秀重臣斎藤利三だったからです。

 

父の斎藤利三は、本能寺の変のあと、秀吉の命で殺害されますが、春日局は遠縁の公家に育てられたので、教養があったようです。

 

春日局」とは、朝廷から下賜されたものです。

 

さらについでながら、一介の乳母が大御所の駿府にいた家康にお目通りできたのは、彼女がかって家康の愛人の一人だったからという説があります。

 

これを検証しましたら―――その通りの反応が示されました。

歴史の背後には、様々な人間関係があるようで、興味が尽きません。

 

春日局の祈願文が奉納された状箱です。

 

春日局は、2代将軍秀忠の子、幼い竹千代の乳母となります。

次期将軍の権力争いに勝ち残るために、ここに祈願しています。

 

次期将軍の候補から外れていた竹千代を、次期将軍にするために、この地に来てまで、心物狂いの祈願をしたのです。

 

結果、竹千代は3代将軍家光となり、跡目争いに勝利して、お福は「春日局」となって、大奥の権力の座に座りました。

 

ここには、歴史的な遺物が多数残されています。

 

 



この掛け軸の波動は高いです。

 

詳しくは判りませんが、おそらく高名な方が描かれたのものではないかと思われます。

 

残念ながら・・・「生きている」というまでの反応はありません。

 





この掛け軸の波動は良好です。

詳しくは判りません。

 

しかし、これも残念ながら・・・「生きている」というまでの反応はありません。

 

参考までに―――次のものは、薬師寺国宝「吉祥天像」の掛け軸です。

これは・・・・「生きています」。

 

国宝「吉祥天像」は、奈良 薬師寺に遺されている光明皇后を写したといわれるものです。

布に描かれた独立画像としては日本最古の気品あふれた盛唐様式を伝える天平期の優品です。

奈良・天平時代(771年頃)作と伝わります。

 

飛鳥時代の「金銅仏如来」です。

波動は良好です。

 



左側の湯呑(黄金)は、「後醍醐天皇御愛品」とあります。

 

今では、色はくすんでいますが、800年前にセットしますと、高波動が浮き上がってきます。

 

ここにも3体の像があります。

3体とも良好な波動です。

 

ここ大日坊の波動が高いので、中にある仏像にも良好な波動が宿るようです。

 



「飯綱の権現」とあります。

これに目を惹かれました。

 



「仙人権現」

この波動は、特には高くありません。

 

これも・・・特に波動は高くありません。

 



三宝荒神」です。

「オン ケンバヤケンバヤ ソワカ」の御真言に反応します。

 

この像は、「生きています」。

 



普賢菩薩」です。

この波動は高いです。

 

しかし、「生きている」という反応はありません。

 

 

「胎内権現」です。

この像は、「右目」がありません。

 

湯殿山権現」にセットすると、強大な反応を示します。

なぜ「右目」がないのかは・・・・判りません。

 

判るのは、この像が「生きている」ことです。

 

文殊菩薩」です。

 

普賢菩薩と共に、釈迦如来の脇にいる菩薩で、「知恵」を司る神です。

そのためなのか、合格祈願の札が多く奉納されています。

 

この像は、参拝者の願いを込めた「霊的な垢」に包まれていますので、波動は高くないです。

 



大日如来」です。

 

寛永14年(1637年)、3代将軍家光が疱瘡(ほうそう)を患ったとき、旗本の久米助右衛門(後に湯殿山で修業をして法海行人となる)が、代参して大日坊で祈願しました。

 

家光の疱瘡は癒えて、3年後には無事に世継ぎ(4代将軍家綱)が生まれたので、そのお礼として金剛界大日如来が、将軍家光より奉納されました。

 

その後、春日局により本堂(大日堂)も再建されて、大日坊は徳川将軍家の全国7か所にある祈願寺の一つとなりました。

 

 

真ん中の像は、「大日如来」の印を結んでいるので、「大日如来」と思われます。

しかし、反応では・・・・「薬師如来」です。

 

薬師如来」であると―――その周囲の像は、「十二神将」となります。

どうやら・・・・これは、「薬師如来」となり、「十二神将」であり、

 

各神将が7千体の夜叉の眷属神がいますので、計8万4千の眷属神を従えて、人の煩悩の全てに対応していることになります。

 

大日坊には、まだまだ興味深い仏像がならんでいます。

 

             つづく

 

          2023年1月10日記