≪ 先住民のシャーマンの画像を分析する 5 ≫
カナダ・ビクトリアから
見逃している高波動のものはないだろうか・・・・と 探してみました。
その視点は、自然の物質―――トーテムポールのような、「木製」で、いずれは大地に還るものです。
つまり、陶器やガラス製品ではなく ましてや金属製品ではないものを 再度チェックしてみました。
私は、人の健康に関わる療法とコンディショニングに関わっております。
常に 生命体エナジーの、正常な循環を促す方法を追及している者です。
この生命体エナジー循環を妨げる原因のひとつに、医療による問題と対峙することが、少なからず存在しています。
「クスリ」は その代表例です。
ほとんどのクスリには、副作用がついて回ります。
細菌などに対処できる 有効なクスリもありますが、ほとんどの「クスリ」は身体にとって、「ストレス物質」として反応してきます。
自然治癒力を低下させてしまうからです。
ある教授は
「現代西洋医学の医療技術は、自然に逆らうことである」
と、述べています。
まさにその通りかもしれません。
自然に逆らうことからは、決して人類にとって 良好な反応は得られないかもしれません。
最先端医学は 米国を中心に発達して、華々しい医療技術に発展しています。
寿命も延びましたし、人工臓器に取り換える医療も発展しています。
そのため―――死を逃れることは、飛躍的に発達したかもしれません。
だが、米国のある医学教授は
そして、10%が病気に効果がある
と述べています。
これが正しいとすると、驚くべき発言です。
病院の治療の 「80%が 効果がない」どころか、悪化させてしまうものまであるというのですから、「その90%は 病院での処方は効果がない」ということになります。
病院に通い続けている大半の方は、医師の処方によることよりも、自身の「自然治癒力」のおかげで 生き延びているのかもしれません。
医学が進歩したといわれていますが、それは―――
物理学・エレクトロニクスの応用によってもたらされた診断技術、外科手術の機械の発達によるものです。
医学の本質的な「生命観」「基礎医学的な理論」などは、いまだ十分なものとはいえないかもしれません。
自然の 人体のあるがままの能力を生かす方向には、ほとんど目を向けられていないのが、その実態かもしれません。
そのヒポクラティスは―――
自然治癒力を生かすことが、医師の任務であり、その使命である としていました。
ですが、彼の学説、医術は、中世ヨーロッパには伝わりませんでした。
中世ヨーロッパでは、医術を独占しようとするキリスト教会は、草根木皮で病気を治す民間医療の従事者(主として女性)を、「魔女」として 宗教裁判にかけたのです。
13世紀から500年の間に、九百万人の魔女とされた女性が、ローマ法王の指揮の下で焼き殺されました。
これは異常な数字です。
その後、都市環境の劣悪な中で、「ペスト」に対して 従来の医療体制では太刀打ちできず、無能さをさらけ出してしまいました。
すでに江戸の街では 下水道も完備していましたが―――それまでは、パリもロンドンの街も、生活汚水・糞尿で街中が汚れきっていました。
常に悪臭が漂っていた―――と、いわれています。
その後、医学は病原菌を見出して、これを撲滅できれば西洋医学の絶対的な勝利を得ることになる、としていましたが、
エイズなど 次々と新たな対策を必要とされてきて、米国でもわが日本でも、医療費は国家予算を脅かすほどの存在となっています。
多くの方が疑問を持ち始めています。
例えば―――出産
人間の女性には、自力で普通に出産する能力がない。
だから、医師が対処しなくてはならない―――とする、正常な自然出産を否定するのです。
自然は、「野蛮」「危険」「醜い」もので、放っておけば やがて「荒廃」し、いずれ死に至る。
だから、人間は自然に介入し、究極的には完全にコントロール下におかなくてはならない―――とするのです。
日本では 敗戦の時までは、産婆さんによって、自宅で出産するのがほとんどでした。
ところが米国の占領軍の命令で、出産は一種の病気なので、自宅での出産は野蛮人がすることで、病院出産こそが文明人の在り方である―――としたのです。
近代医学は自然な出産を憎悪します。
人間の女性には、自力で出産する能力がない―――としているのです。
だから 医師がこれを処理する必要がある、という科学的論理です。
自然な出産を認めずに、米国占領軍の命令に従って、今では日本人の出産は 病院出産に変わりました。
昔の女性は 畑仕事をしながら、あぜ道でも出産することがありましたが、今では臨月に入ると、安静にして 力仕事などはもっての他とされています。
このように 人体の持つ自然の治癒能力を、否定的に捉えています。
このような「自然」に対して克服しようとする現代文明では、人工の加工物が周囲には溢れかえっていますが、ファースト・ネーションの文化は、自然と調和しています。
ですから、「金属製品」や「ガラス製品」「陶器」などではない何か―――木製の自然の素材を生かしたものではないのか・・・。その中に高波動のものがあるのではないか・・・・。
この視点で、あらためて博物館での画像をチェックしてみました。
すると―――
ありました。
ファースト・ネーションが作成した「お面」です。
博物館に展示されていた「面」は、魔よけの効果があることが、示されています。
霊体(エネルギー体)の歪んでいる方に、この「面」をかぶせると、浄化されるのです。
この「面」の在る空間にいるだけで、良好な波動を受けることができます。
私は、このような「面」は 単なる儀式的な飾りに過ぎない―――と思っていました。だが、違うのです。
悪霊から身を守り、霊に取り憑かれても、浄化してくれる役割があることを 知りました。
「魔よけ」となるトーテムポールの中の空間で生活していれば、確かに軸が安定した生活が送れるかもしれないと、思われます。
さらに―――家屋の中に、悪霊から身を守る「面」を飾り付けておくだけで、良好な空間を創出することができるかもしれません。
完全に精霊の宿ったトーテムポールのようなものを、自分の敷地内に建てて生活するのであれば、外部から侵入する「魔」から守護することができそうですし、
このような空間にいれば、高齢化社会の中でも、常に元気で 爽快な人生を送れるかもしれません。
「お面」は、海外旅行でも 国内旅行でも、数多くのスーベニアショップがあって、山ほどみられます。
私も 何かいい波動のものはないかと、数多くのショップを観てきましたが、まず高波動の「面」に お目にかかることはありません。
海外のショップに売られている 現地人の工芸品などにも 高波動の「お面」に遭遇したことはありません。
また 海外の展示物でも、高波動のものには、ほとんど遭遇することはありません(時々高波動のモノがみられる程度です)。
そこで能面について 考察してみます。
能面は 諸外国で見られる「お面」とは、異質なもの―――となっています。
それは―――感情が抜かれている―――というものです。
喜怒哀楽の表情は、その「能面」の角度で、「悲しい」「嬉しい」「楽しい」「怒る」などを表現するもので、その「能面」そのものには、一切の感情を抜いているのです。
能面をかぶって下を向けば、「悲しい表情」を演出しますし、上を向けば「嬉しい表情」を示します。
これに対して、通常の伎楽面は、それぞれ感情的なものが表現されています。
東大寺の伎楽面(感情が表出されています)
能面が 果たして先住民の展示物のような「魔よけ」「浄霊効果」を示すものなのか―――という視点で、調べてみました。
ここで容量がオーバーしましたので、「つづき」ます。