生命体エナジー浄化の会ブログ

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東北恐山を巡る旅 その13

《 東北恐山を巡る旅 その13 》

大聖歓喜天を祀る神社―永福寺

 

 盛岡市の市内に戻ってきて、ここから「聖天」「大聖歓喜天」を祀る永福寺を目指しました。

 

大聖歓喜天」(聖天)を祀る寺院は、それほど多くはありません。

 

「聖天」は、とても「厳しい神」で、穢れを極端に嫌うことから、個人では勿論のこと、寺院でも祀るのが難しいとされているからです。

 

それが、「聖天」「大聖歓喜天」を祀るという永福寺がありましたので、最後の目的地とさせて頂きました。

 

特に私は「聖天」様が大好きなのです。

 

本ブログの「対馬のパワースポットを行く」(2018年5月8日)でも書きましたが、以下転載します―――

 

「聖天」は、ひじょうに穢れを嫌うことから、一般の寺院でも祭ることが敬遠されるほどで、「さわらぬ神にたたりなし」と言われるのは、「聖天」を指すと云われています。


聖天は、7代先までの栄華を、一代でもたらすほどの利益もさることながら、恐ろしい神として畏怖されてきました。

 

俗に聖天様は人を選ぶといわれ、非道な人間には縁を結ばないし、勤行を一生怠ってはいけないともいわています。

 

いい加減な供養をすると、かえって災いがあるとか、子孫七代の福をも吸い上げるなどの迷信があります。

 

老舗の主人が 何か怖いものは、と聞かれ、『一に聖天さん、二に税務署はんでんな』と答えたといいます。

 

聖天信仰は、三菱財閥を興した岩崎弥太郎や、紀伊国屋文左エ門などが有名です。

 

正しい行法の伝授を受けず、聖天供を行ったある大学教授が、不思議なやけどを負って死亡した等、最近でも恐ろしさを伝える話が残っているといいます。

 

聖天が午前中に参拝した人の願いを叶えるために、午前中に参拝した人々の所を廻っているため、午後に参拝すると寺院に聖天がいない、という言い伝えもあります。

 

そんな「聖天」なので、福岡での講習会の度に寄っていましたが、同調しても「直ぐに、抜ける」と思っていました。

 

が、ついには同調して、私の守護神のひとつとなっています。ありがたいことです。

 

転載ここまで―――

 

このような経緯があって、再び「聖天」「大聖歓喜天」を祀る永福寺を訪れました。

 

「宝珠盛岡山」永福寺とあります。

入口の左側に、「水掛不動尊」があります。

 

この「不動明王像」は、生きてはいませんが、波動は良好です。

これだけでも、この永福寺のレベルの高さが判断できます。

 

本尊は「十一面観音立像」で、その化身である「歓喜天尊像」です。

ここはまた、東北三十六不動尊霊場、第十九番札所で、本尊は「降魔不動尊」です。

 

 



「十和田山龍大権現」とあります。

 

これを見て、我々が行ってきた「十和田湖畔」の「青龍大権現」と関りがあることが判りました。

 

 

 

永福寺の入り口

 

この鳥居には、しっかりと「結界」が敷かれています。

「女人結界」です。

 

すべての女性は、この鳥居を潜ることで、身体が浄化されます。

 

永福寺の沿革」が表示されています。

 

ここには、

・元禄4年に、永福寺42世の住職と、南部藩の29代藩主との連歌により、森岡の地が「盛岡」と定められたとあります。

永福寺は、山号を「宝珠盛岡山」と号し、広大な寺領に「六堂伽藍」を有する真言宗の寺院です。

・末寺36か所を数え、その中に十和田湖の開祖を祀る処もあります。

このことが、十和田湖の「青龍大権現」を祀ることに、繋がりました。

 

・開基は坂上田村麻呂で、「十一面観音菩薩像」を祀られて建てられたとあります。(800年に建立)

永福寺の本尊は、最初は「十一面観音菩薩像」でしたが、南北朝時代に、後醍醐天皇南朝方の縁から、「十一面観音菩薩」の化身である「大聖歓喜尊天(聖天)」が勧請されて、現在に至っている。

 

このように書かれています。

 

ここには書かれていませんが、永福寺の広大な寺領は、明治初期の「神仏分離」「廃仏毀釈」によって、密教の「神」を本尊とするために、寺領の大半と伽藍の大半が召し上げられました。

 

現在の本堂(歓喜院)は、昔の東坊の場所に再建(1947年)されたものです。

寺領も伽藍も、その大半が失われています。

 

 

中に入ると、大木に注連縄が垂れ下がっていて、ここがまた「男人結界」となっていて、全ての男性がここを通過することで、身体が浄化されます。

 

この「盛岡市指定文化財」の説明文には―――

 

永福寺南部藩が三戸から盛岡に居城を移す際に、元和三年(1617年)に創建された、盛岡藩の筆頭寺院でした。

ここには、「聖天像」45体が伝承している」

 

ことが記されています。

 

 

 

中はひじょうに高い波動を感知します。

 

入り口に、「大聖歓喜尊天 東北霊場」とあります。

まさしく「霊場」の雰囲気が漂います。

 

扉が開いて、中に入ることができました。

我々は、失礼のないように、深々と一礼をして、中に入らせていただきました。

 

中には誰もいませんでしたが・・・・

凄い波動で、我々は圧倒されました。

 

正面の壇に据えられている全ての「像」が「生きています」。

 

神社のように、「鏡」が置かれています。

 

その奥の扉が閉められた中に、「聖天(大聖歓喜尊天)」像が鎮座しているものと思われます。

 

聖天真言である「オン キリク ギャク ウン ソワカ」に強烈に反応を示します。

 

 

こちらにある壇も、全ての波動が良好です。

 

ここにある全ての「像」は、「生きている」反応を示します。

 

多くの寺院・仏閣を観てきましたが、「生きている」反応を示すことは、それほど多くはありません。

 

これは、ピンボケのように見えますが、超高波動の「場」では、よくこのようなケースに遭遇します。

 

この空間は、高波動な神的エナジー体に満ちていますので、カメラを向けると、このような画像に映ることが多いのです。

 

天蓋(てんがい)です。

 

 

我々は、真摯な心の状態で、長い間 ここで感謝の意を捧げました。

 

高波動の中で身体全体が包まれますので、体内に溜まっていた「霊的な垢(あか)」も徐々に消えていきました。

 

 

龍神の絵がありました。

波動はそれほど高いものではありません。

 

暗くてよく判りませんが、通常の場合では、ここの「聖天像」の波動は感知できないかもしれません。

 

しかし、これを「聖天像」として認識した場合は、下記の画像になります。

一気に、画像の波動がアップします。

この画像は、体軸の崩れた方が、この中に踏み込みますと―――

さらに、体軸が歪みます。

 

「聖天」は、人の穢れを徹底的に嫌いますので、なかなか同調できる方は少ないと思われます。

 

自分の体調を整えて、この画像の中に踏み込みますと、同調できるかもしれません。

 



お大師様(空海)の像がありました。

真言密教の寺院ですので、やはり「お大師様」なのです。

 

我々は、深々と一礼をして、永福寺を後にしました。

こうして・・・・東北恐山を巡る旅を終えました。

 

振り返ると、今回のパワースポット巡りは、訪れた全てのエリアの波動が高く、大きな満足感をもって、東京へと帰りました。感謝感謝

 

            了

 

        2022年11月1日記