生命体エナジー浄化の会ブログ

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東北恐山を巡る旅 その1

《 東北恐山を巡る旅 その1 》

報恩寺

 

 旅の始まりは、盛岡からでした。

新幹線で「盛岡」に行き、ここでレンタカーに乗り込み、遠く「恐山」を目指す旅が始まりました。

 

2021年9月1日から2泊3日の旅です。

初日は、十和田湖にあるホテルに宿泊ですので、その途中でパワースポットの神社・仏閣を巡ります。

 

事前のチェックで、波動の高そうな、「行った方がよい!」と反応したエリアに絞って、パワースポットを巡ります。

まず目指したのが、盛岡市にある「報恩寺」です。

 

 

この寺は、1362年(貞治元年)に南部家の南部守行が陸奥国三戸郡に創建して、通山長徹が開山したと伝わります。

1601年(慶長6年)、南部家27代当主・南部利直が盛岡に移るときに、現在地に移されました。

ここが駐車場から入る入口です。

 

門をくぐると―――

「山門」があります。

 

ここの山号は「瑞鳩峰山」で、曹洞宗の「禅寺」です。

かなり立派な造りの「山門」です。

 

ここの桜上には、「白山権現(十一面観音菩薩)」を中心にして、秋葉三尺坊と倶利伽羅不動の二尊像が奉られています。

 

この装飾は、あまり目にしない「ガネーシャ」のような形状に見えます。

インドでは、現生利益をもたらす象の形のヒンズー教の神様です。

 

なぜ禅寺なのに、象の「ガネーシャ」なのか? 判りません。

一方こちらは、狛犬のような形状の装飾です。日本的なものです。

 

 

龍神」を形どった装飾がされています。

あまり目にすることのないものです。

 

ここは―――

仁王門です。

阿形の仁王像です。

 

この仁王像は、彗玉禅師が寄進したもので、竹内勝山作と伝わります。

この像は―――手の平を開き、力強くエナジーを放出するように見えます。

 

 

吽形の仁王像です。

 

こちらの仁王像は、拇指と人差し指を閉じた印を組んでいます。

邪気を吸いとってくれるかのように思います。

 

いずれにせよ、ここを通過することで、この「結界」により、全ての方が浄化されます。

かなり強い「結界」として、働いています。

この山門(仁王門)の柱の土台です。

 

境内を進みます。

 

石川啄木がまだ盛岡中学の学生だったころ、この北山一帯の風光をこよなく愛し、級友とよく散策したといわれます。

詩集「あこがれ」の中の「落瓦の賦」は、報恩寺を詠ったものといわれています。

 

 

この右側に―――

鐘楼があります。

この梵鐘は、昭和50年に鋳造されたもので、それ以前のものは、本堂内に陳列されています。

 

その境内を進むと、正面に「羅漢堂」があります。

ここが、今回我々が目指すエリアです。

 

ここからは入れません。

本堂に向かいます。

 

本堂の入り口で、拝観料(300円)を払い、中に入ります。

本尊は、「釈迦牟尼仏(釈迦如来)」です。

左右に、文殊菩薩普賢菩薩があります(画像では見られません)。

 

この本堂の波動は、それほどのレベルではないようです。

本堂の中を進みますと―――

 

「羅漢堂」の入り口があります。

 

その「羅漢堂」に入る前のエリアに、様々なものを陳列しています。

梵鐘です。

特に説明文はありませんが、これが元禄11年鋳造の古梵鐘です。

 

これは農民の像なのでしょうか。

この他にも巨大な像もあり、有名な方々(?)の作品が並んでいます。

 

羅漢堂の中に入ります。

羅漢堂本尊は、 「盧遮那仏(びしゃなぶつ)」です。

左右に善財童子と八歳竜女が祀られています。

 

「盧遮那仏」とは、華厳経の中心的な存在で、密教では「大日如来」と同一視されています。

この「盧遮那仏」は、弘法大師作と伝わります。

 

さらに―――

釈尊十大弟子象と十六羅漢像が並びます。

壮大な仏座です。

 

ここの盧遮那仏像」は生きています。

凄い波動がビシビシと感応してきます。

これが有名な「五百羅漢」です。

現在、499体が現存しています。

 

1731年(享保16年)、報恩寺第17世当主が、大願主として4年がかりで造立したものです。

 

木彫りの木像で、これだけの羅漢像が現存するのは珍しく、服装からは印度・西域・支那の僧の風貌・容姿が連想され、マルコ・ポーロフビライ・ハンの像といわれるようになった像もあります。

 

良好な波動で、堂内は包まれています。

ここに ただ居るだけで・・・・身体全身に良好な波動が染み渡ってきます。

 

このような羅漢像が、ズラリと並んでいます。

圧巻です。

 

羅漢像は、報恩寺第17世曇樹和尚が大願主として施入したもので、最初500像納められましたが、現在は499像が現存しています。

 

仏像は胎内の墨書銘によって、1731年(享保16年)から1734年(享保19年)の4年間に京都の大仏師法橋宗而重賢、駒野定英珍盈を主班とした、9人の仏師によってすべて京都で作成されたといいます。

羅漢像は、全て寄木造りです。

漆塗りの像です。

 

羅漢とは―――

アラハト(阿羅漢)の略称で、人の供養を受けるにふさわしい聖者という意味です。

 

五百羅漢の圧巻の堂内です。

 

 

「盧遮那仏(びしゃなぶつ)」は、華厳経の中心的な存在で、密教では「大日如来」と同一視されていますと書きました。

 

もう少し説明しますと―――

 

羅漢堂の内部は、「華厳殿」となっています。

釈尊(釈迦如来)の悟りの世界を書いたお経を「華厳経」といいます。

 

そこに描かれている大宇宙を華厳世界、または華厳法界といいます。

この華厳法界を象徴するものが「華厳殿」です。

 

中央の大仏は、釈迦の悟りの世界をあらわす仏像で、これを 「盧遮那仏(びしゃなぶつ)」といいます。

この名は、華厳の釈迦のことなのです。

 

この「華厳殿」に入り、一心に法を求めて精進すれば、いつしか「華厳法界」に入っている自分に気付くことができる、といわれています。

 

 

中央両側の立像は、釈尊十大弟子像です。

十大弟子のお名前は、智慧第一の舎利弗尊者。 神通第一の目犍連尊者。  頭陀行第一の大迦葉尊者。  天眼第一の阿那律尊者。  解空第一の須菩提尊者。  説法第一の富楼那尊者。 論議第一の迦旃延尊者。 持律第一の優波離尊者。 密行第一の羅喉羅尊者。 多聞第一の阿難陀尊者です。

 

 

前面左右に童子があります。

この童子は、華厳経の中に出てくる求道者「善財童子」です。

 

一方、この童子は、法華経の中に出てくる求道者「八才竜女」です。

 

 

仏前に、我々のブレスレットを置いて、ここの高波動エナジーの全てを吸引しました。

これは、毎回我々が行うことです。

 

十分な高波動エナジーを吸引したブレスレットを身につけていますと、他者からの生霊のような念は、受けづらくなります。

 

私は常にブレスレットをしていることはありませんが、パワースポットを巡るときに持参して、こうしてエナジーを吸引しています。

 

 

 

仏前に、一人一人が座り、神々の感謝の意を捧げました。

 

華厳殿は、そのまま華厳の行者の行場華厳窟であるといいます。

この羅漢堂は、御殿造りではなく、土蔵造りになっています。

 

ここに座り、拝んでいますと、ジワーっと高い波動に全身が包まれてきます。

 

一人一人が座り、感謝の意を捧げているときには、我々は後方で合掌して神々に祈りを捧げていました。

 

祠堂殿です。

 

中央の像は、高波動です。

「首座百拝」とあります。

 

檀家の位牌を祀るのでしょうか。

中心の像の波動は、良好です。

 

羅漢堂の背後に、座禅堂があります。

ここは曹洞宗の禅寺なのです。

 

この中心は「文殊菩薩」です。

高波動です。

 

座禅堂には、50人が座禅を組める禅床があるといいます。

 

岩手県出身で、神仙界と繋がるといわれた覚醒者:宮沢賢治は、盛岡農林学校時代に、ここ報恩寺で参禅していたと伝わります。

宮沢賢治は―――

 

高校時代に『漢和対照 妙法蓮華経』を読み、身体が震えるほどの感銘を受けたといいます。

盛岡農林学校(現在の岩手大学農学部)に首席で入学して、特待生として授業料を免除されています。

 

宮沢賢治が、ここ報恩寺で参禅していたということから、禅宗の教えや法華経が人生を変えるほどのインパクトがあったのかも・・・・と、思いを馳せます。

 

雨ニモマケズ 風ニモマケズ・・・」や「銀河鉄道の夜」など、覚醒者の作品を改めて見直そうかな・・・・と思いました。

 

               つづく

 

           2022年7月19日記