《 出羽三山を巡る旅 2 》
さらに羽黒山の山頂で、探索を続けました。
「神輿舍」(しんこうしゃ)とあります。
詳しくは判りません。
ここに――末社がずらりと並んでいます。
出羽三山には、全部で101末社があって、ここには7つの末社があります。
我々は、この中で自分のエナジーに最も合ったものを選んで、入念にお参りしました。
「大雷神社」(おおいうかづちじんじゃ)です。
大雷神(おおいかづちのかみ)を祀ります。
「建角身神社」(たけつぬみじんじゃ)
建角身命(たけつねみのみこと)は、神武天皇を導いた八咫烏(やたがらす)のことで、旅の安全・健脚に関わることから「履物」が多数置かれています。
これは、五穀の神である「稲荷神社」です。
「大山祇神社」(おおやまつみ)です。
山の神、海の神、酒造の祖神です。
「白山神社」です。
菊理姫神(くくりひめのかみ)を祀ります。
五穀豊穣、牛馬安全、縁結びの神です。
思兼神社(おもいかねじんじゃ)です。
6柱の神を祀っています。
私は末社の中でも、この思兼神社(おもいかねじんじゃ)が最も反応しました。
その中でも知恵の神である「八意思兼神(やごころかねのかみ)」が反応しました。
「八坂神社」です。
須佐之男命(すさのおのみこと)を祀っています。
冥府の神です。
末社は、このように並んでいます。
ここの波動は、良好です。
末社の全景です。
こうして、我々は羽黒山山頂の本殿を後にして、クルマで羽黒山神社の参詣路の入口へと向かいました。
この入り口の鳥居の扁額には、「月山が中心にあり、左右に湯殿山、羽黒山」とあります。
ここは―――山岳信仰の一大パワースポットです。
ここから、山頂まで2446段の参道が続きます。
まず目に入ったのは―――
「随神門」です。
ここから「神域」になりますので、邪悪なものの侵入を防ぐために、御門から「結界」が張られています。
ここの案内板には
「明治時代までは 二王門(仁王門)と呼ばれ、二王(仁王)が祀られていた。
元禄時代に 家運繫栄、極楽往生を祈って寄進された」とあります。
また、
「門に祭られる随神は、門から侵入する災厄、疫病などを除く神で・・・」
とあります。
「天拝石」です。
「この奇石を通し 天を祭ったもので、その昔 修験者の行法を行った場所の石と思われる」
とあります。
この「天拝石」には、かなり高波動のエナジーが封印されていたと思います。
現在にセットすると、参拝者の「霊的な垢(あか)」が付着して、波動が落ちています。
しかし―――100年前にセットしますと、高波動に変化します。
さらに、200から400年前にセットしますと、波動が再び低下します。
さらに・・・500年から1000年以上前にセットしますと、劇的に波動が高まります。
大昔にはこの「天拝石」は、修験者たちが強い思いを込めて、この石に降臨していた神霊的なエナジーを祀っていたものと思われます。
そのような歴史の変化が、少しですが読み取れるような気がします。
隋神の櫛石窓神(くしいわまどのかみ)です。
弓を持って、御門を守護しています。
ここは、人の世界と神域との境であり、霊的な穢れのある人を寄せ付けず、この隋神門が「結界」となっています。
随神の豊石窓神(とよいわまどのかみ)です。
剣を持って、御門を守護しています。
隋神門に、「羽黒山の石段」と書かれています。
「一の坂から八幡神社までの、約1,2キロの石段(参拝路の石段は約2キロ)は、13年の歳月をかけて築いた。
その費用は、参詣者や信者の寄進と、山内で規則を破った者の罪の代償による」
とあります。
昔は、ここに立ち入る者が何らかの規則を破ると、厳しく罰金を取られて、石段の工事費用に当てられていたようです。
神域に立ち入って、罰金を取られる時代があったことに、少し驚かされました。
現在は、怒られることがあっても、金銭を支払ってその罪を償うことはまずありません。
つくづく、「いい時代になった・・・・」と思いました。
「羽黒山のスギ並木」とあります。
どこのパワースポットであっても、名の通った神社仏閣の周囲は、鬱蒼とした大木が生い茂っていて、波動が高いことを思わせます。
参道を歩きます。
末社が並ぶエリアがあります。
「磐裂神社」(いわさくじんじゃ)とあります。
神格は「剣の神・生命力の神」とあります。
そのため、神徳は「生命力向上」とあります。
このままでは、何も反応しませんが、9次元にセットすると、その神徳が浮き上がってきます。
「根裂神社」(ねさくじんじゃ)
この祠も、神格も神徳の前段の「磐裂神社」(いわさくじんじゃ)と同じです。
このままでは、何も反応しませんが、9次元にセットすると、その神徳が浮き上がってきます。
神格は、「木種の神・材木の祖神」です。
神徳は、「造船、豊魚、航海安全など」です。
まったく、何も反応しません。
「大年神社」(おおとしじんじゃ)
神格は、「農業神、穀物神」です。
神徳は、「五穀豊穣、産業隆昌など」です。
ここも、まったく何も反応しません。
「天神社」(てんじんじゃ)です。
祭神は、「少彦名神」(すくなひこなのかみ)です。
神格は、「穀物の神、医薬の神、温泉の神」です。
私は、医療(整体)に関わっているので、早くから「少彦名神」(すくなひこなのかみ)と同調していました。
そのために、神徳の一つである「病気平癒」に惹かれました。
この祠には―――
確かに、「少彦名神」(すくなひこなのかみ)のエナジーが反応します。
ここで、しっかりとお参りしました。
「豊玉姫神社」(とよたまひめじんじゃ)です。
祭神である「豊玉姫神」(とよたまひめのかみ)は、ここの祠に反応します。
神徳は、「海の神、水の神」です。
この「豊玉姫神」(とよたまひめのかみ)は、各地の「海」や「滝などの水に関わる神社」などに祀られています。
神橋を渡ると、画像の真ん中に「滝」が見えてきます。
波動がよさそうなので、我々はそこに向かい、歩く速度が自然と高まりました。
その前に―――
「下居社」(おりいしゃ)があります。
ここには、祭神として―――
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみにのみこと)、天照皇大神(あまてらすすめのおおかみ)など、7柱が祀られています。
ここは、さすがに高波動です。
日本を造った「国津神」(くにつかみ)が、一堂に会しているようです。
「注連掛け桜」(しめかけざくら)
ここの川で祓って禊(みそぎ)をするときに、この桜の木に注連(しめ)を掛けたことから、「注連掛け桜」(しめかけざくら)と言うようです。
橋として、この巨石を利用しています。
どうやって、ここに設置したのか・・・・興味が湧きました。
反応では、500年ほど前に設置したようです。
その後、数百年に渡り参拝者が川を渡る橋として、その用に供してきました。
その深奥には、「生きているエナジー」が反応します。
かつては神の宿る「磐座」(いわくら)であったのではないか、と想像しました。
この川で、信者たちは「禊(みそぎ)」をしたものと思われます。
昔は、「三山詣」をする人は、必ずこの「秡川」の清流に身を沈め、水垢離をとって「禊(みそぎ)」をしてから、登拝したといいます。
清流の波動は良好です。
川に中に、足だけでも付けてみたい衝動にかられます。
「岩戸分神社」(いわとわけじんじゃ)です。
祭神は、「天手力雄命」(あまのてぢからおのみこと)です。
初めて目にする「神」です。
神格は、「力の神・技芸の神」です。
神徳は、「御芸上達、スポーツ向上など」です。
不思議なのですが、慢性疲労などで、スポーツパフォーマンスが低下している選手を、この中に入れると、一瞬で「慢性疲労回復」などの効力が示されました。
一般人でも、疲労感がある高齢者などをこの中に入れると、一瞬で波動が変化して、身体が整いました。
これは有効に利用することができそうです。
このあと、いよいよ秡川に注ぐ「滝」に向かいます。
つづく
2022年12月20日記