《 丹生川上神社下社登拝 その5 》
岩尾神社―ダンノダイラ磐座―石舞台古墳―丹生川上神社上社―丹生川上神社下社―御厨子神社
丹生川上神社上社から、今回の大きな目的の一つである丹生川上神社下社の「登拝」のために、「下社」に来ました。
思えば―――吉野に来て、クルマで道を走っているときに、「丹生川上神社下社」の幟を目にして、波動が高そうだから行ってみよう―――となったことから、
我々はこの神社に惹きつけられてきました。
年に1回だけ、一般人でも階段の上にある本殿の参拝ができる6月上旬の予約をしていました。
まず、「下社」で白馬が出迎えてくれました。
私が、白馬の鼻を撫でています。
タッキーも白馬を撫でますが、何か「お前、食べ物があるだろう。それを寄こせ!」と言っているようです。
神馬ですが―――
社伝によると、かつて朝廷より、雨を祈るときには「黒馬」を、晴れを祈るときには「白馬」が奉納されたといいます。
室町時代には神馬献上祭は途絶えていましたが、近年水害が多いことから、復興を願い2012年(平成24年)に約600年ぶりに神馬献上祭が行われたということです。
この水神信仰が絵馬発症の起源として伝わっています。
これが―――京都の貴船神社へと受け継がれていったとされています。
この貴船神社では、靈紙に願い事を書いて、水につけて流します。
同じようなことが、ここ丹生川上神社下社にもあります。
これは、「人形祓(ひとがたはらい)の石」です。
ここに「人形祓(ひとがたはらい)」とあります。
和紙の人形(ひとがた)の左肩、右肩、左肩を順に撫でて、次に自分の気になる箇所と同じところを撫でます。
最後に人形(ひとがた)の真ん中に息を吹きかけて、自分の念を人形(ひとがた)注入します。
そして―――それを水が流れるこの岩に流すと、和紙は水に溶けていきます。
これで、身代わりになって悪い気から守ってくれる、といいます。
神職の方がいて、説明してくれました。
丹生川上神社下社の正面にある鳥居から、拝殿―階段―本殿と眺めます。
この階段の上にある「本殿」に、年1回だけ許されるお参りをするのです。
この「本殿」の波動の高さに惹きつけられて、我々は来ています。
拝殿から、75段の階段を昇り、本殿に行けるのは年に1回だけです。
いよいよ、午後の部が始まります。
神職の方が準備に入ります。
この若い神職の方は、初めてここ「丹生川上神社下社」に来た時に、親切・丁寧に教えてくれた方で、
2023年奈良県吉野にある「神仙洞」の御神水を探し求めていたときに(結局、地元の観光センターの人に尋ねても判りませんでした)、その「神仙洞」でお祓いの神事をしている人物が、この方でした。
「神仙洞」では、ここ「下社」がお祓いの神事を行っているようなのです。
いよいよ75段の階段を昇り、「本殿」のお参りが開始されます。
私は、先頭の位置におりましたが、ある思いがあって、先頭を譲りました。
どのような状態でお参りができるのかを、把握したかったのです。
つまり―――
シャッターチャンスがあるか否か、これを知りたかったのです。
このとき、下で一人一人が登拝するのを待っているときには、何とかチャッターは押せますが、本殿ではそれができないかもしれなかったからです。
そして―――
私が撮った唯一の画像です(関係者の皆様ごめんなさい)。
この本殿前の扉は開かれていますが、その中には踏み込むことはできません。
この扉の内部の空間は、ほぼ全ての「龍神系のエナジー」で満ちています。
青龍、赤龍、白龍、黒龍、黄龍、銀龍、金龍さらには「神龍」まで反応します。
さすがに「天龍」の反応はありませんが、この「天龍」はここに来る前に立ち寄っている丹生川上神社「上社」で同調させて頂いています。
我々は、「拝殿」で静かに一人一人が登拝するのを待っていました。
待っている間は、正座がきつくて、真ん中のミッチーやその横にいるゾネス、先頭の皇子なども耐え難くなっていましたが、左側のカネゴンは正座したまま順番を待っていました。
この若い神職の方が、「神仙洞」でお祓いを司っていた方です。
こうして―――目的であった「下社登拝」を終えて、まだ帰りの時間の余裕がありますので、次の目的地へと向かいました。
「みずし観音」とあります。
「御厨子神社」への途に進みます。
御厨子神社(みずしじんじゃ)とは、妙法寺の中にあり、右大臣吉備真備(きびのまきび)の発願で716年に端を発したものです。
参道を昇っていきます。
ここに鳥居があります。
これは、御厨子神社の「月輪石」(つきのわいし)」です。
真っ二つに割れた磐座です。
この石を、「生気」を授ける神・「石析神(いわさくのかみ)」として拝んでいます。
ここは、社務所と思われますが、今では使われていないように思われました。
これは、「拝殿」なのか。
案内文がなく、正確には判りませんが、「拝殿」のように思われます。
この神社の「御祭神」は、以下の3柱です。
根析神(ねさくのかみ):根を裂く威力のある神で、生気を授ける神
安産霊神(やすむすびのかみ):安産の神
この地は、清寧天皇「磐余甕栗宮」の跡です。
社名は、磐余池の尻辺に位置するので、古くから「水尻(みずしり)神社」といいました。
祭神は根析神(ねさくのかみ)、安産霊神(やすむすびのかみ)二柱でしたが、應仁(室町時代)より御厨子観音(御厨子山妙法寺)が移建され鎮守八幡宮が合祀されてから「御厨子神社」と改称されたといいます。
拝殿の後方に「本殿」があります。
この「狛犬」は生きています。
我々の動向をジーっと見守っていました。
こちらの「狛犬」は生きていません。
ただ、ここに鎮座しているだけです。
これが、3柱を祀る「本殿」です。
根析神(ねさくのかみ):根を裂く威力のある神で、生気を授ける神
この神を感知します。
この神が働きが、真っ二つに割れた磐座の「月輪石」(つきのわいし)」に影響しているのだと思われます。
そこで―――
一刀両断されたような「月輪石」(つきのわいし)」に再び向かいました。
「月輪石」(つきのわいし)」には、根析神(ねさくのかみ)の霊力が感知されます。
我々は、この岩の裂け目から吹きあがってくる霊力を、持参したブレスレットに吸引しました。
ここは、「妙法寺」の本堂のようです。
ひっそりとしていて、人の気配がありませんでした。
この中に「御厨子観音」が鎮座しているようなのですが、中には入れませんでした。
御厨子観音(みずしかんのん)は、奈良時代の賢人である吉備真備(きびのまきび)が遣唐使として派遣され、無事唐から帰国できたことを喜んで創建させたということです。
本尊は十一面観音菩薩です。
特に反応はありません。
「光明不動」とあります。
案内板には―――
「この階段を下って右に進むと自然石があります。
この自然石の中にお不動明王さまの姿が見えれば 眼病が治ると伝えれれています」
このようにあります。
これが自然石です。
残念ながら、我々には「お不動明王さまの姿」は見えませんでした。
最後に、全員でこの自然石を拝みました。
というのは―――
この自然石は、次元を変えると
お不動様が浮き上がってきたのです。
この画像は、高次元に転換しています。
「ノウマク・サンマンダバザラダン・カン」
の御真言に反応します。
さらに、心中で
「ノウマク・サンマンダバザラダン・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン」
の中咒を3回唱えると、さらに反応が強まります。
こうして・・・・今回の旅を終えました。
了
2024年3月5日記