生命体エナジー浄化の会ブログ

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丹生川上神社下社登拝 その2

《 丹生川上神社下社登拝 その2 》

岩尾神社―ダンノダイラ磐座―石舞台古墳丹生川上神社上社丹生川上神社下社―御厨子神社

 

ダンノダイラ磐座

 

 岩尾神社で、巨石群に触れて麓に戻ると、そのまま続いて、「ダンノダイラ」を目指しました。

 

「十二柱神社(じゅうにはしらじんじゃ)」です。

「岩尾神社」から下ってくると、その麓の集落にあります。

 

 

 

ここに「案内標識」があります。

それによると―――

「祭神 神代七代(かみよななよ)の神

     国常立神など 7柱

     地神五代の神

     天照大神など 5柱

十二柱神社は 「出雲ムラ」の村

大昔は、神殿がなく「ダンノダイラ」(三輪山の東方1700Mの嶺の集落地)を拝んだ云々」

このように書かれています。

 

参考までに―――十二柱の神々とは、

神代七代
・国常立神(くにとこたちのかみ)
・国狭槌神(くにのさづちのかみ)
・豊斟淳神(とよくもぬのかみ)
・泥土煮・沙土煮(うひじに・すひじに)の神
・大戸之道・大苫辺(おおとのじ・おおとまべ)の神
・伊邪諾・伊邪冊(いざなぎ・いざなみ)の神
・面足・惶根(おもたる・かしこね)の神

地神五代
天照大神
天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
・彦火日出見尊(ひこほほでみのみこと)
・彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)

 

十二柱神社の鳥居です。

「十二柱」ですから、十二の神々が祀られています。

 

この地には、相撲発祥(諸説あり)の地として知られています。

というのは、

出雲集落のこの地は、日本初の天覧相撲で勝利した 野見宿禰(のみのすくね)を祖とし、境内に五輪塔があります。

 

この地に、野見宿禰(のみのすくね)が住んでいたという伝承があり、昔は古代の「出雲集落のダンノダイラ」に村人が集まり、相撲を取ったと云われています。

 

また、第25代武烈天皇の「泊瀬列城宮跡」伝承地とされています。

 

大和の古道紀行として

野見宿禰(のみのすくね)信仰として、江戸時代は巡業で通る力士一行は、必ず野見宿禰(のみのすくね)の墓に参拝しました。

明治16年ころまでは、信仰のシンボル的存在として宿禰塚があったようです」

とあります。

 

これが「本殿」です。

 

ここは、創建年は不明ですが、大昔は神殿がなく古代の出雲集落にあった「ダンノダイラ」とよばれる磐座(いわくら)を祀っていた、とされています。

 

武烈天皇泊瀬列城宮伝承地」とあります。

 

武烈天皇は、仁徳天皇の皇統が絶えたことに関わるようで、仁徳天皇が聖帝で、武烈天皇は悪性非道な政治を行ったと日本書紀では強調しているようです。

 

日本書紀』における武烈天皇による悪虐非道の記述は、『古事記』には一切見られないといいます。

日本書紀と比較すると、古事記の記事は極めて簡潔なものになっているようです。

 

 

「泊瀬列城宮伝承地」とあります。

 

悪虐非道の名を遺した武烈天皇ですが、この地に「宮」があり住んでいたようです。

武烈天皇には「子」がなくて、応仁天皇の5世の孫を迎え入れたといいます。

 

 

「泊瀬列城宮」の跡地です。

 

日本書紀』による記述では―――

「長じて罪人を罰し、理非を判定する事をお好みになった。法令にお通じになり、日の暮れるまで政治をお執りになって、世に知られずにいる無実の罪は必ずお見抜きになり、それをおはらしになった。

訴訟の審理はまことに当を得ておられた。」

とある一方で、

「また、しきりに多くの悪行をなさって、一つも善業を行われなかった。さまざな酷刑をご覧にならないことはなく、国内の人民は、みな震え怖れていた。」

ともあります。

思うに―――

 

その当時の民は、武烈天皇を慕うこともなく、多くの方の「呪詛」を受けていたと思われます。

 

そのためなのか―――この地にはマイナス波動が、今でも蠢(うごめ)いています。

画像の後方の「地」には、人が踏み込むと身体が歪みます。

 

不思議なことに、後方にも集落の家屋がありますが、その住人は平常のままでいます。

それは、「十二柱神社」や、これから行くことになる「ダンノダイラ」、あるいは「岩尾神社」の影響が及んでいるのかもしれません。

 

 

「ダンノダイラ」への標識があります。

これより、古代の出雲ムラの集落があったとされる「ダンノダイラ」を目指します。

 

はじめは、緩やかな途を進みます。

 

まだ、この辺りはいいですが、徐々に傾斜がきつくなってきます。

 

かなり傾斜がきつくなり、息が上がってきます。

 

すると―――

ここに「古代の出雲ムラ」とあります。

 

「古代人が畏敬した御神域です。

神の奉斎地です」

このような標識があります。

 

すごい「高波動の地」です。

 

この「地」に長く留まりますと―――身体が溶け込んでいくような感覚に襲われます。

 

この地で、下から上空に向けて画像を撮りました。

高波動です。

 

さらに嶺を進みます。

 

すると―――

「磐座(いわくら)」の標識です。

 

「ダンノダイラ」の東端に、約20メートル立方の巨大な磐座が、下半身を埋もれて鎮坐している。

磐座から南へ30メートル谷越えに、三列の石組み跡がある(昔の拝伏場か)。

 

磐座から東方の峡谷下、約800メートルに乗田神社(ひきたじんじゃ)がある。

 

昔、出雲村の十二柱神社には 本殿がなく、この磐座さんを拝んでいた(地元伝説)」

とあります。

 

これが「磐座(いわくら)」です。

確かに・・・高波動です。

 

この下に住む住民(出雲村)が拝むだけのことはあります。

 

この「磐座(いわくら)」の中に、自分の身体を投入しますと―――

肉体よりも、「霊体」が浄化されます。

 

これからは、さらに一段と「靈主体従」(肉体よりも霊体が優位に働くこと)の世の中になると云われていますので、この「磐座(いわくら)」は多くの方の「霊体」を癒してくれるものと思われます。

 

この御神体の「磐座(いわくら)」は、誰もが踏む込むことを嫌います。

 

ようやく許可を頂いたので、その上に登りました。

すると―――

このように、亀裂が入っていました。

 

その最もパワーがあるエリアに、持参のブレスレットを置いて、「磐座(いわくら)」のパワーを吸引しました。

 

とくに幽体(コーザル体)を整えます。

 

その「磐座(いわくら)」の近くに、別の「磐座」があります。

これも、高波動です。

 

カネゴンが両手を当てて、磐座からパワーを吸引しました。

 

さらに―――

両手だけでなく、自分の額(ひたい)も当てて、全身に磐座のもつパワーを吸引します。

このとき、

「静脈血」の循環促進が見られました。

つまり、「血流」が促進されるような反応が認められます。

 

この磐座も、高いパワーがあります。

 

この磐座からも、持参のブレスレットに高波動を吸引しました。

 

天壇(てんだん)の跡

「ダンノダイラ」中央西寄りにある。

直径20メートルぐらいの土盛りが、5段の円球状になっており、最上段には多くの小石がある。

 

ここは日本式天壇(てんだん)の跡ではないか」

としています。

 

「天壇」とは、中国では天子が帝城の南郊で、冬至の日に、親しく天帝を奉祀した祭壇のことです。

 

つまり―――ここは、古代の祭壇跡だったようです。

 

ここが、天壇(てんだん)の跡です。

 

 

 

我々一行9人は、この「天壇(てんだん)の跡」に立ち、いにしえの古代人に思いを巡らせて、超絶の高波動の「地」に感謝の想いを捧げました。

 

そして―――

一人ずつ「天地結合の印」を結んで、大地(地球)と天(太陽)のエナジーを身体に入れて、体内で結合させます。

 

久々に参加したモリモリも「天地結合の印」を結び、高波動のエナジーを吸引しました。

 

こうして、「岩尾神社」「十二柱神社」「ダンノダイラ」と巡り、次の目的地である「石舞台古墳」を目指しました。

 

            つづく

 

           2024年2月13日記