≪日本のパワースポット18 サムハラ神社 ≫
神社(サムハラじんじゃ)とは
倉敷市に恩師を訪ねた翌日、岡山でレンタカーを借りて、サムハラ神社を目指しました。 2015年の12月のことです。
ナビに住所をセットしましたが、住所が正確に判らずに、近くまで来て、電話で問い合わせました。
が・・・よく判らずに、山の麓の農家の主婦に「サムハラ神社を探しています」と訪ねると、「金毘羅様か?」と言われます。
金毘羅神社があるはずなので、それを目指して麓の駐車場に着きました。
なんとも言えない厳かな雰囲気のあるエリアでした。
ここに目指すサムハラ神社があると、チェックで確信しました。
サムハラ神社のある金毘羅神社入口。
サムハラ神社は、変換できない文字です。
いくらやっても この文字はパソコンでは、反応しませんので、以下「サムハラ」とします。
植芝盛平翁は、道歌として―――
「たたえても たたえ尽きせぬ さむはらの 合氣の道は 小戸の神技 」
と、残しています。
当然 その守護神は強烈で、自らの守護神を「天の村雲九鬼さむはら龍王」である、としていたといいます(村雲九鬼:この字を「さむはら」と読んでいます)。
この龍王は、龍の中でも「気性の荒い武神」であったといわれています。
銃で撃たれても、真剣で切り込まれても、たちまち相手を打ち倒したという稀代の名人の背後には、「サムハラ」の神が守護していたというのです。
サムハラ大神の霊徳を、世の人々に分かつため私財でサムハラ神社を建立します。
戦時中に兵士にお守りを贈る活動をしていましたが、戦後も小判の形のお守りを自費で作成し、無料で人々に配布して、多くの要人にも贈呈をしたといいます。
90歳までは自転車を乗り回すことも平易だったようで、97歳の時でも壮健であり、自らを青年と称したといいます。
「信仰は 万益有って一害なし」と常に提唱して、毎朝参拝を欠かしたことはなかったといいます。1967年(昭和42年)逝去。享年100。
とは―――不思議の文字で、身を守ると言われており、
多くの武人や軍人が、お守りとして携行したようです。
寅吉が仙骨の人の符字のようなものに見たが、「ジヤク、コウ、ジヤウ、カウ」というように聞いたが、よく知らないと言ったという。
寅吉については、仙人にさらわれた子供で、数々の事績を示したという者で、興味深いので、いずれ本ブログでも取りあげようと思っています。
江戸で この符字を帯びた人が落馬したが怪我が無かったので、「これを帯びることが流行した」といいます。
サムハラのお守りを持っていると、敵の弾丸が「当たらない」と言われており、大戦中でも多くの軍人が、このお守りを所持していたといいます。
この文字は「漢字」ではなく、「神字」です。
この文字を持っているだけでも、「お守り」となる霊力がありそうです。
「無病息災」を招くなどや「勝負運がアップする」など、「最強のお守り」といわれているのです。
印西東大寺など 各地の寺社の「お守りの呪文」に使用されているようです。
確かに・・・エナジー波動が高い文字です。
怪しげな「お守り」を所持するよりも、この文字を書き写して所持した方がいいかもしれません。
神社下の駐車場エリアにて
文字はよく読めませんが、「金毘羅神社」です。
階段
枯葉が積もる奥深さを感じる参道です。
山道の階段は 結構な長さがあります。
山道を上ると、そこに「金毘羅神社」があります。
さらにその上にまで登っていきますと・・・・お堂がありました。
お堂だけ波動が高い
このエリアは、この「名もなきお堂」だけが、高波動となっています。
金毘羅神社の上に位置するお堂
この「名もなきお堂」は、不思議な空間です。結界が張られているのです。
実は・・・・この空間がサムハラ神社奥の院と連動するのです(次回)。
サムハラ神社の鳥居
金毘羅神社のすぐ近くに、目指す「サムハラ神社」があります。
なんの変哲もないエリアです。
サムハラ神社「奥の宮」
この画像からでは、高波動は伝わってきません。
サムハラ神社
通常の状態
波動も特に高くないし、これといって感動はないエリアです。
まったく凡庸なエリアであり、「ここまで来たのに・・・・」と、いささいか残念な思いがよぎりました。
ですが―――ここには、驚くべき秘密があったのです。
つづく 2016年4月12日記