《 三尸(さんし)を封じる 》
昔から文献を読むと、折に触れて「三尸(さんし)」についての記述が目に留まっていました。
あるとき、それを元にして、一昼夜寝ないで過ごすことに挑戦しようとして、挑んだことがあります。
しかし―――
動機付けがイマイチ希薄で、夜中に「寝落ちして」見事に失敗しています。
そんなときに、『宮地神仙道玄義』という文献が、自宅の地下室の書棚にあるのを、ゾネスがみて
「これは、凄い!凄い!」
と感嘆していました。
著者は清水宗徳で、『異境備忘禄』を著した宮地水位の弟子で、明治から昭和にかけて生きていた方が書き上げた書物です。
出版社は、八幡書店という玄学などの文献を専門に取り扱う書店です。
神道や陰陽道など、過去の文献などを発行している書店のもので、定価は13000円なので、一般の方はまず手にすることはないようなものです。
私は、以前からこの八幡書店から多くの文献を購入しています。
宮地水位の「異境備忘録」も少し読み始めたままで、放置していて、その他多くの文献が途中で放置されてたままになっています。
この『宮地神仙道玄義』は、実際に購入すると、あまりにも字が細かく、文体も読みづらく、例のごとくに放置していました。
しかし、この『宮地神仙道玄義』を購入したゾネスが、「すごい本だ!」と言うので、また少し読み始めました。
その初めの方に「三尸(さんし)」についての記述があり、それをやろうと、再び思い立ちました。
このことを伝え聞いたカネゴンとオタケが、その文章のページをスマホでコピーしていきました(オタケはその書籍を購入しています)。
それまでの「三尸(さんし)」についての記述では、簡単な要点を示したものが多く、
「これは・・・本当だろうか?」
と、少し疑いの目で見たていましたが、この『宮地神仙道玄義』には、かなりその詳細が述べられていたのです。
字が細かく読みづらいですが、信憑性が高く、信じるに足る内容ですので、実践しようとなったのです。
そして―――
今年の8月30日に、私、ゾネス、カネゴン、オタケの4人が、まったく眠らずに夜明けを迎えました。
これによって、「三尸(さんし)のひとつ下尸(かし)」を死滅させました。
次の10月29日が第2回目の庚申日(こうしんび)で、無事に終えましたので、全員が「三尸(さんし)のひとつ中尸(ちゅうし)」までを身体から排斥しました。
あとは残りの「上尸(じょうし)」を消滅させると、一応の完結となります。
今年の12月28日が庚申日(こうしんび)」です。
庚申日(こうしんび)」とは、どういうものか―――
これについて、『宮地神仙道玄義』に従って、解説します。
まず、著者は宮地水位という神仙界に関わる人物の弟子です。
その師・宮地水位は、すでに10代のときに、神職の方々を集めて講演をしていたという人物です。
宮地水位が著した『異境備忘禄』では、生身のまま「神仙界」に入り込んだときの記録で、時が経つと記憶が薄れていくので「書き残したもの」と言っています。
この「神仙界」とは、人間が到達できる最高次元の「界」とされていて、数学者の岡潔(おかきよし)などは、ここの出自です。
この上には「神界」があり、この下のレベルには「天狗界」「山界(やまかい)」などがあります。
神仙界には、「雨にも負けず・・・」の宮沢賢治もそのレベルです。
私のブログ「大谷翔平を分析する」では、大谷翔平は「神仙界の出自であるから、並みの選手とはその背景がまるで違う」ことを書いています。
神仙界とは、判りやすく言うと「仙人」修行をして、人間が到達できる最高次元の世界を目指すもので、例えば道教の「老子」などが、神仙界に到達した人物です。
判りやすく言うと、宮地神仙道とは、「上古」の神仙の術を明かにして、民間の「憂い」を救うためのものということになろうかと思います。
そのような前提をご理解したうえで、「神仙守庚申法」の解説に入ります。
これを簡単に解説すると―――
誰にでも、「腹中に三尸(さんし)あり」とされています。
「三尸(さんし)」は「三魂(さんこん)」ともいわれます。
この「三魂(さんこん)」は「魂魄(こんぱく)」の部類ともいわれます。
これは―――悪念想念の鬼ともいうものです。
この腹の中に棲み着いている「三尸(さんし)」とは、人間にとっては大きな害を及ぼすものである、というのです。
「三尸(さんし)」には、「下尸(かし)」「中尸(ちゅうし)」「上尸(じょうし)」の「三尸(さんし)」がいます。
常に
「庚申の日」なると、「天に上りて、その人の罪過を天帝に告げる」といいます。
天帝とは、人の寿命を司る大司令、小司令の真神(司令神)のことで、その人の罪過によって、その人の寿命を奪うもので―――
その人の年数を奪い、月の数を奪い、日の数を奪うというのです。
天帝という人の寿命を司る大司令、小司令の「司令神」は、庚申の日に「三尸(さんし)」からの報告を受けて、その人の寿命を左右することになります。
つまり、
「三尸(さんし)」は、自分の棲んでいるその人物の罪過を天帝に告げるために、「庚申の夜」になると身体から抜け出すので―――
その日の夜は、夜が明けるまで
「眠らなければ―――斬死(ざんし)」します。
最初の「下尸(かし)」を、身体に戻さないために「庚申の夜」に眠らなければ、「下尸(かし)」は斬死(ざんし)」します。
さらに次の60日後の「庚申の夜」に眠らなければ、「中尸(ちゅうし)」は斬死(ざんし)」します。
さらに次の60日後の「庚申の夜」に眠らなければ、「上尸(じょうし)」は斬死(ざんし)」します。
では、なぜ?
「三尸(さんし)」は、自分の棲んでいるその人物の罪過を天帝である「司令神」に告げるのか?
それは、体内に巣くう「三尸(さんし)」は―――
自分が宿っている身体の持ち主の罪過を「天帝・司令神に告げることで、できるだけ早く壽命を縮めて欲しい」からなのです。
「三尸(さんし)」は、その宿った主人が早く死んで、自分が解放されたいと願っているからなのです。
このように「神仙守庚申法」というのは―――
悪念妄念の鬼たる「体中の三尸(さんし)」を消滅して、司令神に感通させないこと」を目的とするものです。
これによって、修行の根本的な障碍(しょうげ)となる悪念妄念の元凶を滅除することによって、ますます魂徳を伸張することができるようになり、神仙道への道を邁進することができるようになる、というのです。
つまり、
「仙道」を学び、成就するには、まず長く生きることが必要であるということなのです。
かの「老子」は、この庚申に心を用いて、「感応篇」を作ったと伝わっています。
だから―――「三尸(さんし)九蟲(きゅうちゅう)」を消滅させないことには、長生して修行に励むこともできない、というのです。
総ての罪過は、「悪念妄念」より発起するものであって、「罪過とは、悪念妄念のものである」と言いえるものです。
もし、人に「悪念妄念」がなければ、罪過を犯すこともなく、天帝である司令神によって寿命を削られることもないことになります。
しかしながら―――
人が生を受けた「地界」は、清陽の「天界」ではなく、清濁相混濁する世界です。
身体には父母の血気を受け、「三魂七魄(さんこんしちはく)を結んで組織された身体」ですから、混合された陰濁の気に、「悪念妄念」が生起するのは理の当然であります。
さらに言うと―――
五穀を食べて(神仙界では、五穀すら排除するようです)、魚介を食い、はなはだしきは鳥獣の「尸肉(しにく)」をすら貪食するのであるから、霊魂の宮たる「血気」が、これら「食気」が著しい影響を被るのは、自明の理である、といいます。
以前に本ブログで、「天狗界、仙界、真言密教界を考証する 2」のついて書いたときに、冬の寒さで「凍傷」ができて、血が出て大変だった時に、老師は―――
「来年からは、決して凍傷などには罹らぬ。今年は里で食った食物の血が体内に残っているので、こんなになるのじゃ!」
このように言ったといいます。
このことを思い出しました。
普段我々が食している米、小麦などの「五穀」すら、霊魂の宮たる「血気」に悪影響をもたらすとなると、一年中「そば粉」などを食さなければならないことになります。
これは、さすがに「無理だ“!」と思います。
しかし―――
父母の胞胎と五穀の精気に依存している限り、人の体中にある「三尸(さんし)九蟲(きゅうちゅう)」を消滅させないと、これらが大害をなすので、
こうした生活環境のなかにあって、「悪念妄念」が生起する悪条件を放任することは、玄学の道を志す士がとるべき態度ではない、というのです。
この「神仙守庚申法」とは、一見すると「荒唐無稽」とも見えますが、
実に「司令神の表に出てこない蜜策であって、秘かに漏れ拡がった漏洩(ろうえい)」です。
人間にとって、好悪所作の悪念妄念の鬼物を、「庚申の夜」をもって、幽中に召還して、その人の罪状を報告させるという霊的事実は、恐るべきものです。
「三尸(さんし)」の鬼物が、「庚申の夜」にその人が寝ている間に、その身体を出入りするという幽冥の消息を知り、その「庚申の夜」を守って、終始眠らなければ、
「三尸(さんし)」の鬼物は、ずたずたに分断して、死滅するということを見出した「神仙界」の先人たちに、感謝すべきと思われる、とあります。
では―――
ただ眠らないだけで、夜明けを待つというだけで、本当によいのであろうか?
神仙道では――――否!
と一刀両断にしています。
つづく
2023年11月21日記