《 三尸(さんし)を封じる その2 》
『宮地神仙道玄義』(清水宗徳著)によると―――
「庚申の夜」は、ただ眠らないというだけで、一夜が明けるまで過ごせばよいというものでは、もちろんありません。
「庚申の夜」に、胎内に巣食う「三尸(さんし)」を次々と除去して、排除する方法の元は、中国の道教にあります。
道教というと「老子」がすぐに思い浮かびますが、神仙道などの「仙道」も道教などに通じるものです。
判りやすく言うと、「仙人になる修行」の第一歩となるもので、この書物には「三尸(さんし)」の何たるかを、詳細に述べています。
ここに入る前に、もう少し判りやすい解説文がありますので、これを初めに紹介します。
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「庚申法」についてはまた、「日本呪術全書」(豊島泰国著)にも紹介されています。
それによると―――
庚申の日にあたる夜は、「徹夜して起きている慣習が、平安時代から行われていた」とあります。
その理由は、人間が生まれたときから、胎内には「三尸」という悪い虫がいて、身を離れず、その人間を四六時中監視し、庚申の日には当人が寝ている間に天に上り、天帝にその人の罪過を洗いざらい告げ口する、と信じられていたからです。
三尸の告げ口のせいで、人間の定命(じょうみょう)は縮められると考えられていました。
三尸(さんし)は、上尸(じょうし)、中尸(ちゅうし)、下尸(かし)に分類されます。
上尸(じょうし)は、人間の頭部に棲息していて、眼を暗くして、顔のシワを増やし、頭髪を白髪に変える―――と、いいます。
中尸(ちゅうし)は、腸内に棲み付き、大食痛飲させて、五臓を損ない、悪夢の原因ともなっている―――と、いいます。
下尸(かし)は、足に棲み付き、精力を減退させて、命を奪う―――と、いいます。
この三尸(さんし)の害を免れるには、庚申の夜に眠らずに起きていて、身を慎み、三尸(さんし)の名前などの呪文を唱えていると―――
病気に罹らず、長生して、災禍にも遭わず、幸福な人生を送ることができると云われています。
この書には、庚申の夜に唱える呪文が紹介されています。
それは―――
「彭侯子(ほうこうし)、彭常子(ほうじょうし)、命児子(めいこし)、悉入窈冥之中(しつにゅうようめいしちゅう)、去離我身(きょりがしん)」
これを繰り返し唱えると三尸(さんし)を駆除できるとされています。
また、『袋草子(ふくろぞうし)』には、
次の呪文を唱えると、眠っても大丈夫とされたものもあるようです。
その呪文とは―――
「しやむしは いねやさりねや わがとこを ねたれぞねぬぞ ねねどねたるぞ」
というものです。
註: この『袋草子(ふくろぞうし)』に紹介されている「眠っても大丈夫」な呪文は、少し怪しげです。この呪文を唱えて、三尸(さんし)を駆除できるとは思えません。
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では、『宮地神仙道玄義』(清水宗徳著)に戻ります。
この中で、「三尸(さんし)の正体」について触れています。
三尸は「魄霊(ぱくれい)」に属する霊物で、悪念妄念の幽鬼であるといいます。
『抱朴子』という仙道について詳細を書かれた文献にも、同じようなことが書かれています。
『抱朴子』では、老子など仙界にいた、いわゆる「仙人」などは、街中で人と共に暮らす仙道の人もいれば、深山幽谷の地で、一般人と触れ合うことなく暮らし、仙界に行きつくヒトなど、多くの「仙人」などについて述べられています。
孔子などの聖人は、なぜ寿命がつきて死んでしまい、あらゆる聖人の道を人々に教えたのに、
「道徳経」を著した老子などは、当初は世の中を治める側の仕事をしていながら、世捨て人になり、仙界に登仙したといわれるのか。
実際には、仙人などいないのではないのか、聖人と言われる人が多くの人と同じように死を迎えるのに、仙人が数百年も生き続けるのは信じられない。その違いは何か?―――と、問われて、
これについては―――
人には、その人に最もマッチした先天の「気」がある。
孔子などは、仙道の道、神仙界への道を進むのに適した「気」が備わっていなかった。
だから、あらゆるところで「事前に予知、予測」はできなかった。
人の死も予知できなかった事例は多くある。
仙道の道に進んだ仙人と言われて「登仙(天界に昇った)」とたされる仙人たちは、その大半を予知して、予測することができた。
彼らは、街中で生活しようが、山中で生活しようが、目的は数百、数千年の寿命を達成するための道を切り拓くことにあった。
そのために、五穀を断ち、金丹などを体内に入れて、数百年の寿命を得て、いつまでも老いることのない身体を保ち、日に数百里歩いても疲れを知らず、若々しい身体のままでいられたという。
この違いがある。
ただ、仙道の道を究めるには、適応する人はほとんどいない。ほんのわずかな人しか目的を達成することができないのである、といいます。
さて―――『宮地神仙道玄義』には、
「三尸(さんし)」は目に見えないが、いわゆる魂魄鬼神に属する幽冥に属するものであるから、霊魂が無形であるが、見える人には見える有形のものと同じように、三尸もまた無形ながら有形の霊物である、といいます。
この三尸の形状を述べたものがあって、それによると―――
「小児のごとく、あるいは馬の形状に似ている。そして、皆 鬢髪毛(びんはつもう)ありて、長さは3,4寸なり」とあります。
そして
「上尸(じょうし)は、彭琚(ほうきょ)と名付けられた青色で、人の頭中に棲んでいる。
これは、
泥丸(でいがん)を穿ち、眼を悪くして、口を臭くして、歯を落として(抜け落ちる)、その人に悪事をやらす」といいます。
「中尸(ちゅうし)は、彭〇(ほうしつ)名付けられた白色で、腹中に居して五臓六腑を悪くして、悪夢・恐怖・不安をあおる」
「下」尸(かし)は、彭〇(ほうけう)名付けられた赤色で、足に居して、悪感情を生み、好色に走らせて,精を奪い命を削る」
といいます。
このようなことであるから、身体の中に、このような邪悪な幽物を棲み付かせたままでいると、
自分の寿命を長く保ち、自身の目標を達成するための障害となりますので、できるだけ早く、この邪悪な幽物を身体に中から排斥したほうがよいことになります。
さらに―――『宮地神仙道玄義』には、もう少し踏み込んだ解説があります」。
庚申の日の夜に寝ることなく朝を迎えると、身体中にある三尸の中の「下尸」が、まず断裂します。
これはどういうことかと言うと、三尸は「全てが、庚申の日に幽冥界に行って、そのエナジーを吸引する」ことが必要なのです。
天帝(司令神)に報告するだけでなく、そこの異次元エナジーを吸引しなければならないのです。
それで―――
三尸は、その人が眠っている間に体内を抜け出して、天帝(司令神)にこの期間に起こした罪過を報告しますが、
最初の庚申の日に寝ないで過ごすと、三尸の内、まず「下尸(かし)」が絶滅します。
しかし、
「中尸(ちゅうし)」と「上尸(じょうし)」は、それだけではしぶとく生き残ってしまいますので、次の60日後の庚申の日に寝ないで過ごすことで、さすがの
「中尸(ちゅうし)」も参ってしまい、この2回目の庚申の日で「中尸(ちゅうし)」が絶滅します。
しかし、これでも「上尸(じょうし)」は、それだけではしぶとく生き残ってしまいますので、次の60日後の庚申の日に寝ないで過ごすことで、ここでようやく「上尸(じょうし)」が絶滅するのです。
しかしながら、
人の身体の周囲にも体内にも、悪念妄念などの邪悪な心が残っています。
そのマイナス想念によって、再び三尸は、徐々に復活してくると云われています。
もう少し詳しく言うと―――
三尸は、七魄(しちはく)の属鬼なので、七魄が存在する限り、魄気や食物中の地気によって、次々と化生してきます。
つまり、
通常の生活では、三尸の化生を完全に封じることは難しいようです。
仙道では、穀物を断ち、三尸の化生を断ちますが、私たちは穀物を断つことは、できません。
したがって、
これを常に続けていくことが肝要かもしれないのです。
だから―――
さらに、60日後、120日後、180日後とこれを続けることで、三尸を断ち切ることができる、とされています。
このことから、庚申の日に寝ないで過ごすことは、7回続けて行うことが望ましいとされています。
参考までに―――
2023年の今年は、12月28日が「庚申の日」です。
2024年の来年は、「庚申の日」はつぎのようになります。
2月26(月) 4月26日(金) 6月25日(火) 8月24日(土) 10月23日(水) 12月22日(日)
了
2023年11月28日記