≪ 写真分析から裏の歴史を考える 8≫
フルベッキ写真を分析する その6
西郷隆盛について、もう少し分析します。
「南洲翁遺訓集」が庄内(現在、山形県鶴岡)から出版されたというのは―――
だが、西郷の慈愛を持った寛大な処置により事なきを得たのです。
それに感謝した藩主が家老を伴い七十数名が、政府の要職を去って鹿児島に引退していた、西郷を訪れて親しく教えを受けたのです。
この遺訓集は 41箇条からなりますが、西郷隆盛の「名言」として 今に残っています。
● 命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難をともにして国家の大業は成し得られぬなり。
この後には
「されども、かような人は 凡俗の目には見抜くことができない」と言われるので、
それでは孟子(古い中国の聖人)の書に 『人は天下の広々とした所におり、天下の正しい位置に立って、天下の正しい道を行うものである。
もし、志を得て用いられたら一般国民と共にその道を行い、もし志を得ないで用いられないときは、独りで道を行えばよい。
そういう人はどんな富や身分もこれをおかす事は出来ないし、貧しく卑しい事もこれによって心が挫ける事はない。また力をもって、これを屈服させようとしても決してそれは出来ない』 と言っているのは、今、仰せられたような人物の事ですかと尋ねたら、
いかにもそのとおりで、真に道を行う人でなければ、そのような精神は得難い事だと答えられた。
これは第30条の遺訓ですが、このような教えがつまっています。
解りやすい 一般的な「名言」を 以下に掲げておきます。
● 道は天地自然の未知なる故、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修する克己をもって終始せよ。己に勝つ極功は「意なし、必なし、固なし、我なし」と云えり。
● 人を相手にせず、天を相手にして、おのれを尽くして人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。
● 己を利するは私、民を利するは公、公なる者は栄えて、私なる者は亡ぶ。
● 人は、己に克つを以って成り、己を愛するを以って敗るる。
● 小人は、己を利することを欲し、 君子は、民を利することを欲する。
● 我が家の遺法、人知るや否や、 児孫のために美田を買はず。
● 幾度か辛酸を経て、志、初めて堅し。 丈夫は、玉砕に及んで、瓦全を愧じる。
● 天は人も我も同一に愛し給ふゆえ 我を愛する心をもって人を愛するなり
● 事大小となく、正道を踏み至誠を推し、一事の詐謀を用うべからず
● 過ちを改めるにあたっては、自分から誤ったとさえ思いついたら、それで良い。そのことをさっぱり思いすてて、すぐ一歩前進することだ。
● 功のあった人には禄を与えて、能力のある人には位を与えよ
● 人間がその知恵を働かせるということは、国家や社会のためである。
だがそこには人間としての「道」がなければならない。
だがそこには人間としての「道」がなければならない。
● 功立ち名顕るるにしたがい、いつしか自らを愛する心起こり、恐懼戒慎の意、緩み、驕矜の気、しばらく長じ、その成し得たる事業をたのみ、いやしくも我が事をし遂げんとまずき仕事に陥り、終に敗るるものにて、みな自ら招くなり。ゆえに己に勝ちて、見ず聞かざるところに戒慎するものなり。
● 事に当たり、思慮の乏しきを憂うることなかれ
● 正論では革命をおこせない。革命をおこすものは僻論(へきろん)である。
● 万民の上に位する者、己れを慎み、品行を正しくし、驕奢(きょうしゃ)を戒(いまし)め、節倹を勉め、職事に勤労して人民の標準となり、下民その勤労を気の毒に思ふ様ならでは、政令は行はれ難し。
●(税制は)上を損じて下を虐(しい)たげぬもの也。
● 租税を薄くして、民を裕(ゆたか)にするは、即ち国力を養成する也。
● 徳に勤むる者は、これを求めずして、財自(おのず)から生ず。
● 断じて行えば鬼神もこれを避ける。
西郷隆盛という人物は 日本の歴史に残る大人物です。
西郷の「フルベッキ写真の像」をとおして、その人物に今でも触れることができます。
フルベッキ写真の西郷隆盛
西郷の画像に、様々なことを尋ねてみました。
● フルベッキ写真には、横井小楠といわれる人物が映っています。
「横井小楠とは、直接面識があったのですか?」
⇒ (西郷の画像は)直接の面識はない、と答えています。
ということは、フルベッキ写真で「横井小楠」とされている人物は、本人ではないということになります。
⇒ (横井小楠は)ひじょうに有能な人物である。日本を改革していくのに、彼は絶対的に必要な存在であると思っていた。このように反応しています。
● 後に初代総理大臣にまで上り詰めた「伊藤博文」は、どのように思っていましたか?
⇒ ひじょうにマメに動く人物であると思っていた。ただ、自分の立身出世を常に念頭に置いて行動する人物で、「天を敬う」心がないと思っていた。
⇒ 新政府では 長州藩を主体にして 勢力拡大を図ろうとしていた。信頼に足る人物ではない と思っていた。
● 大久保利通については、どのように思っていましたか?
⇒ 有能な人物で、表の顔は信頼に足る人物であると思っていたが、裏の顔があって、その背後で暗躍する人物であると思っていた。
⇒ 権力の座に着いたら、人が変わってしまったと思っていた。
● 勝海舟については、どのように思っていましたか?
⇒ ひじょうに胆が据わった「胆力のある人物」と思っていた。幕府軍に彼がいなくては、日本は諸外国に蹂躙されていたかもしれないと思っていた。
● その弟子であった坂本竜馬については、どのように思っていましたか?
⇒ (暗殺によって)惜しい人物を失ってしまったと思っていた。
「竜馬暗殺については、その犯人を知っているのですか?」
⇒ 知らない。だが、見当はついている。
「それは 誰ですか?」
⇒ 大久保が背後に関わって、土佐藩の人物が関わっている、と思っている。
※坂本竜馬については、魅力的な人物なので、その真相に迫っていきたい と思っています。
● 高杉晋作については、どのように思っていましたか?
⇒ 天才的な軍略家であったと思っている。若くして亡くなってしまったが、惜しい人物であったと思っている。
高杉晋作について、少しふれておきます。
長州藩は「攘夷」を合言葉に、外国船を砲撃したことの報復として、
高杉はほぼ全ての提示条件を受け入れましたが、この「領土の租借」についてのみ頑として受け入れようとせず、結局は取り下げさせることに成功したのです。
これは上海に留学して、清国の見聞を経た高杉が、「領土の期限付租借」の意味するところ(植民地化)を深く見抜いていたからで、もしこの要求を受け入れていれば日本の歴史は大きく変わっていたであろう、と伊藤は自伝で記しています。
そうなれば、日本は大変な事態に陥っていたと思われます。