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写真分析から裏の歴史を考える 10 フルベッキ写真を分析する その8 竜馬暗殺とその背景 2

≪ 写真分析から裏の歴史を考える 10≫
フルベッキ写真を分析する  その8 
 
竜馬暗殺とその背景 2
 
長州五傑(ちょうしゅうごけつ)――長州ファイブは、江戸時代末期に 長州藩から清国経由でヨーロッパに派遣され、主にロンドン大学などに留学した井上聞多(馨)、遠藤勤助、山尾庸三、伊藤博文(俊輔)、野村弥吉(井上勝)の5名の長州藩士を指します。
 
英国留学中は、マセソン商会の創業者ジェームズ・マセソンの甥にあたるヒュー・マセソン(ジャーディン・マセソン商会・ロンドン社長)が世話役となったといいます。
 
この5名はロンドン大学において長州ファイブ (Choshu Five) として顕彰碑が建てられています。そのことから、現在は山口市に顕彰碑が建てられています。
 
その碑文では、井上馨は外交の、遠藤は造幣の、山尾は工学の、伊藤は内閣の、井上勝は鉄道の、それぞれ「父」とされているのです。
 
マセソンの上には、世界一の金融王ネイサン・ロスチャイルドの息子であるライオネル・ロスチャイルドがいました。
 
ライオネルやマセソンにかわいがってもらった5人の若者たちは日本に帰り、明治新政府ができた後、日本の最高指導者となります。

いわば、ロスチャイルド家当主の子分であった若者たちによって、明治の日本が作られていたことになります。
つまり―――
 
坂本竜馬を使って 敵対していた長州藩薩摩藩とを、武器を供与することで仲介し、その後の日本の発展に寄与するであろう若者たちを養成していたのです。
 
その日本の指導者の背後に 英国のロスチャイルドが控えるという構図になります。
 
フルベッキはまた、日本の将来の礎になるであろう人材を育てて、その背後に控えている米国のロックフェラー系のフリーメーソンに関わっていると思われています。
 
英国系と米国系の両国に関わるフリーメーソンの代理として、日本の維新改革は成し遂げられた と言っていいかもしれません。
 
初めに日本と貿易を始めたロスチャイルド家代理人(グラバー)は、鎖国政策の幕府の体制が古いため、なかなか効率よく取引ができませんでした。

そこで薩摩藩長州藩などの下級武士に資金と武器を提供し、クーデターを起こさせたのです。

自分たちが教育し、支援した若者たちが幕府を崩壊させて、国を刷新したのです。この彼らを通じて日本を支配し、有利な関係を結びます。

明治新政府はこのように創設されたのです。

彼らの駒として使われていた―――とも解釈できますが、サムライ魂が宿る日本人には、万民の代表として「日本国」を支える天皇一系による立場を強烈に支持する伝統と文化があります。
 
所詮英国(ロスチャイルド家)の後押しでできた傀儡政権ですから、その明治新政府に不満を持つ者も多く出てきます。

そこで、内戦が起きます。戊辰戦争です。

薩摩と長州を中心に作られた明治新政府を相手に、不満を持つ旧幕府軍が戦いました。
多くの悲劇を生んだ明治初期の内戦です。

戊辰戦争は、まず新政府軍 V.S 幕府軍の主導権争いの京都「鳥羽・伏見の戦い」に始まり、次は「東北戦争」、さらに北上して、旧幕府軍の最後の抵抗となる「箱館戦争」で幕を下ろしました。

当初、京都の戦いでは両軍の兵力は、新政府軍の約5000人に対し、 旧幕府軍15000人。旧幕府軍側が3倍ほど数で上回っていました。

しかし、朝廷が薩長軍を官軍と認定し、錦の御旗(みはた)の使用許可を与えると形勢が逆転します。
 
この錦の御旗は、下級公家であった岩倉具視が密造したものでしたが、朝廷の許可を得て戦地で掲げると、「天皇には逆らえない」と旧幕府軍の戦意は低下します。
 
サムライ魂が宿る日本人には、天皇一系による「日の本の国」という伝統と文化があります。
 
ロスチャイルド系でもロックフェラー系でもない、天皇家の元に 全ての藩は同調していったのです。
 
徳川慶喜が軍を捨てて 京都から江戸に逃走したことも重なり、新政府軍の圧勝に終わります。

これにより、地方の下級武士と下級公家によるクーデターは完遂したのです。
明治維新とは、地方の下級武士と下級公家によるクーデターだったのです。
 
その背後にロスチャイルドやロックフェラーが存在していたのです。
 
このクーデターを達成させるための重要な役割を、演じたのは「坂本竜馬」です。
 
今回のテーマは―――
 
坂本龍馬暗殺の指令を出したのは、誰か?』 
ということです。
 
いまだにこの謎は解明されておらず、多くの推論が繰り返し述べられています。
 
私は 画像を通して、坂本竜馬を暗殺した人物を探り出そうと思います。
画像から得られる死者からの回答には、基本的に「虚偽はない」という信念に基づいています。
 
私の思い込みでない限り、すでに亡くなっている人物からの反応は、真実に迫れるように思われるからです。
 
まずフルベッキ写真に映し込まれている坂本竜馬からは―――
 
この画像からは 「坂本竜馬本人である」との反応を示しています。
高杉晋作も 「本人である」と反応します。
 
イメージ 1 
フルベッキ写真 中央下が坂本竜馬 その上が 高杉晋作
 
竜馬は 高杉晋作から上海みやげとしてピストルもらっています。
この位置関係から 二人は仲が良かったと推定されています。
 
問い
「あなたは刺客に襲われて、京都の近江屋で 命を落としています。
その刺客に見覚えはありますか?」
 
竜馬
「見覚えはない!」
と応えています。
 
竜馬暗殺には様々な見解があって、相手が見知っている人物なので 気を許しているときに、切られてしまった――――というものです。
 
北辰一刀流の免許皆伝の持ち主であった竜馬が、敵にやすやすと切られるはずはない、という見解からです。
 
自分を守る銃を所持していたことからも、とっさのときに反撃できたはずだ、という見解も、「銃をとるスキはなかった」と応えています。
 
問い
「刺客は、誰かの使いの者だと名乗っていたのですか?」
 
竜馬
薩摩藩の西郷の使いの者だと名乗っていた」
と、応えています。
 
竜馬と共に暗殺された
中岡慎太郎も自分(竜馬)も、相手が刺客とは思っておらず、身構えていなかった・・・」
と、応えています。 
 
イメージ 2
そのとき―――
 
坂本竜馬は、西郷からの返事を「待っていた」と、応えています。
それ故
「西郷の使いの者だ、という刺客に 油断をしていた」というのです。
 
問い
西郷隆盛には、何を質していたのですか?」
 
竜馬
「もし・・・幕府(徳川家)が大政を奉還してしまったら・・・・それでも薩摩は軍事力で 徳川を倒すつもりなのか? ということに ついてである」
 
このように応えています。
 
つづく
                                 2014年11月4日記