《 皆神山の伝説に迫る 》
「皆神山」という名称は、かなり以前に聞いたことがありました。
というのは、その昔、今から50年以上前に「松代群発地震」といわれるものがあって、7年間に渡って地震が発生していたのです。
その震源地が、すべて皆神山の直下であることが解りました。
なぜ「皆神山」なのか?
様々な憶測が飛び交いましたが、その地下には「巨大な水脈」があって、そのために地震が起きたのであるーーー科学的にはこのような指摘がされていました。
ただ、この説では 誰もが納得するものではありませんでした。
というのはーーーー
皆神山とは、古来から不思議の山と思われている様々な伝説が存在したからです。
そのような折、週刊誌「サンデー毎日」が特集を組んで、神秘の山である「皆神山」に切り込んだのです。昭和59年(1984年)のことです。
私も立ち読みをした記憶があります。
その当時は、スピリチュアル系を拒絶する傾向が強かった自分ですが、世間に知れ渡っている雑誌に特集されてことから、「ウソは書かないであろう」との思いはありました。
当時の私は、「霊的なもの」「神的なもの」を一切信じていないし、拒絶するものとしていたのです。
神仏を信じるのは、「年寄り」であり、現実を直視できないからだ・・・
自分のように若いものは、「神は、尊んでいても、決して頼るものではない。そのような輩は、洗脳されているのであって、年寄は洗脳されやすいのである・・・」
このように思い込んでいた当時の自分には、「サンデー毎日」という雑誌への掲載には、いささかショックでもありました。
皆神山山頂にある神社には、「神が祀られていて・・・」という文言ですら、即座に「ウソっぽい!」と、判断してしまう状態であったのです。
だが、書かれている内容には、ひじょうに興味を惹かれるものでありました。
今でこそ、「パワースポットを探索する会」を結成して、各地に赴いていますが、昔の自分にとって、スピリチュアル系に興味を抱かせる ひとつのきっかけであったことは確かです。
そして何よりも、大本教の出口王仁三郎が、この皆神山を「聖地」としていたという事実を知り、「いずれ行かねば・・・・」という思いがあったからです。
出口王仁三郎は、ご存知のように 我が国が生んだ偉大な霊能者です。
大本教には、軍人も多く参加していましたし、我が国に根付いていく宗教的な多くの礎となりました。
「成長の家」や「真光教」系など、現代に残る多くの宗教系が、大本教から派生したものです。
強大な宗教団体となっていましたが、マスコミ関係の会社も教団に取り込んで、戦争反対のキャンペーンを行ったことから、国家からの2度にわたる弾圧で、解体されました。
以前に本ブログで載せたことがありますが、「出雲大神宮」へのパワースポット紹介のときに、「大本教」に立ち寄ってことがありました。
本殿には、その空間に「丑寅の金神(うしとらのこんじん)」の反応があって、高い波動を維持していることが解り、解体させられて壊滅していたものと思っていましたので、少しホッとした記憶がありました。
さてーーー
「皆神山は、神の山」
と言っているのを知り、2019年3月に「パワースポット探索の会」のメンバーが、長野市に集合したのです。
大阪からイッチがすでに到着していて、トミーが高崎からクルマで来ていました。
もう一人、地元長野の橋爪氏が、クルマで待ち構えていました。
こうしてレンタカー1台の計3台のクルマに分乗して、長野市からほど近いエリアにある「皆神山」を目指しました。
なぜ、「皆神山」なのか?
日本史上最大の霊能者といえば、「空海」の名前が浮かびます。
では、近大においての最大の霊能者は・・・・というと、「出口王仁三郎」の名前があがります。
その彼が、「皆神山は神の山」と言っているのですから、「何かある!」と思わないわけにはいかないのです。
それに・・・「皆神山」には、昔から不思議な出来事は多発していたのです。
その前に、まず大本教について、本ブログの「パワースポットについて」の項から、もう一度引用しておきます。
大本教の開祖となった出口直(ナオ)が、突然神がかりして丑寅(艮)の金神が憑依して、「三千世界の立て替え、立て直し」が始まるとして、お筆先の予言が次々と的中することから、大本教は広まっていきました。
例えば―――明治25年には、「日清戦争、日露戦争が起きて日本が勝利し、さらに世界の大戦い(おおたたかい―第1次世界大戦)が始まる」ことを予言していました。
霊山高熊山に籠って霊感を得たという出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)を、ナオの娘婿として大本教に迎え入れたことを機に、大本教は発展したのです。
合気道開祖の植芝盛平など、そうそうたる人物が参画していました。
植芝盛平翁は、満州では出口王仁三郎のボディガードとなって、弾丸が飛来する直前に、「閃光が来る。これを除けた後に、弾丸が通りぬける・・・」と、神がかり的な発言をしています。
実際に、軍の三人の射撃手から、三方を挟まれて弾丸を打ち込まれます(事前に、死んでも如何なる意義も申し建てしません、との誓約書をしたためています)。
が、しかし・・・ものの見事に三人を素手で倒したのです。
合気道十段の塩田剛三氏は、自分の著書で「これを目撃していた」経緯を書いています。
漫画のような世界が実際にあったのです。
当然、真剣を振り下ろす相手の剣先を見切ってしまい、剣道の高段者ですら打ち負かしています。
植芝盛平翁が後年語るのは、神道の神髄のことで、凡人には理解不能なことだらけです。
なぜ、これほどの人物が、大本教に心酔していたのか?
出口王仁三郎は、卓越した霊能者であり、様々な予知や予言を的中させています。日本の軍人にも多くの信奉者がいました。
● 原敬首相が暗殺される2時間前に、「あ、原敬がやられた!」「東京駅で暴漢に襲われおった」
● 9月に起きた関東大震災を、その年の春に「今年の秋の初め、東京が危ない」
● 満州事変から太平洋戦争に突入することを予言していたのです。
王仁三郎は幾度も逮捕されましたが、大戦中の保釈直後に
● 「わしが出た今日から日本は負け始めじゃ」と述べていますが、その翌日に、米国がソロモン諸島に上陸して、反撃を開始したのです。
等々、枚挙にいとまがありません。
彼は、神界(5 次元以上の高次元)で起きたことが、3 次元の現在の世界に起きることを知っていました。
このまま神意に背き、西欧列強と覇権争いを続ける日本の危険性を察知すると、新聞社も傘下におさめて、軍部が大陸に進出して暴走し始めるのを、徹底的に叩き始めて、軍事拡大路線に警鐘を鳴らし続けていました。
「これ以上軍拡路線を歩むと、日本は滅びる」
との神意を得ていた王仁三郎は、結局、反戦運動を首謀した罪で投獄されました。
満州国が建国される背景には、旧財閥系の息のかかった軍人と、新興財閥系の息のかかった軍人との覇権争いが、その裏の歴史です。
これは、大本教の信者であった軍人グループが、覇権争いに敗れたということでもありました。
軍中枢部の背後には、巨利を貪ろうとする財閥が控えていました。
この財閥が、軍を背後で操っており、太平洋戦争にまで踏み込んでいってしまったのです。
神界(5次元以上)で起きることが、現世(3 次元)で起きるとする出口王仁三郎は、
● 大本は、世界の縮図であり、未来の出来事の縮図ともなる。
● 大本で起こることは、やがて日本で起こり(きっかりと6ヵ月後)、世界で起こる―――というのです。
そして―――
これは―――神界で起きる「立替え建て直し」を、現世において自らが背負っていたからだ、とされています。
彼の大著『霊界物語』(全81巻)は、スエデンボルグのように幽体離脱して、過去・現在・未来を自由に行き来したようで、神々の世界とその経綸を示しており、
● ヒトは、霊体が主で肉体が従である『霊主体従』や、
● 全ての宗教の元は「太古の日本」から派生しており、『万教同根』を説いています。
人類の歴史観や霊界―神界などの仕組みについては、現在の新興宗教の多くに、このことは取り入れられています。
それは―――何らかの形で大本教に関っていた人物(王仁三郎から神法を伝授された。)が、その後、独自の教団を開いたケースが多いからです。
生長の家の谷口雅春教祖、世界救世教の岡田茂吉教祖(ここから、真光教の各教団が生まれている)など、大本教に関わっていた人物が起こした教団です。
また
GLAの高橋信次氏やオウム真理教の麻原彰晃、あるいは幸福の科学の大川隆法氏なども、少なからず大本教の影響を受けている、と言われています。
ついでに言うと、
英文学者の浅野和三郎も王仁三郎から神法を伝授された一人ですが、彼は妻と共に日本に英国のスピリチュアルリズムを紹介しています。
その妻に可愛がられた佐藤永郎という人に師事した人物が、よく知られている江原啓之氏です。
さてーーー
大本教は、綾部の本部を含めて2回の弾圧を受けて解体した・・・・ということになります。
しかし、当時の政府から徹底的に破壊されたあと、戦後になって再び引き渡されています。
皆神山について、出口王仁三郎は、次のような歌碑を残しています。
「地質学上 世界の中心山脈の 十字形せる 珍の神山
天霊の 聖地に 些(さ)しも 違はざる 尊き神山 皆神の山 」
出口王仁三郎
このように、大霊能者の出口王仁三郎の影響があって、今回は「皆神山」を目指したのです。
そして、もう一つ、「皆神山」には、大きな出来事があったからなのです。
繰り返しとなりますが・・・・
それは、私が学生時代の事でした。
今から50年以上前の、1965年に『松代群発地震』が発生しました。
しかも、その群発地震の震源地は、すべて「皆神山の直下」で起こったのです。それも7年間にわたり継続しました。
72万回も、松代の地は揺れ続けていたことになります。
東京では感じませんでしたが、最初は何度も報道されていましたが、そのうち当然のようにマスコミも報道しなくなりました。
7年間も群発地震で揺れ続けていたので、住民の多くはノイローゼに陥ったといいます。
なぜ、皆神山が震源地なのか―――多くの仮説が出てきましたが、地下の水脈の影響だとか、様々な説がありましたが、決定的なものはなかったといいます。
科学的な調査によると―――
皆神山付近には、低重力域があって、地下には800M×1500Mの広さに、深さ200から400Mの楕円形の陥没構造となっていて、
地震は、地下水脈の岩盤の破壊が原因とされたようです。
その後、皆神山には週刊誌の記事が発端となって、様々な説が伝わってきたのです。
そこに皆神山の威容が見えてきました。
ウキペディアより「皆神山」
一説によると、この「皆神山」は、「世界最大、最古のピラミッド」であるというのです。
実際に、「皆神神社ピラミッド」の標識があり、そこから皆神山の斜面を登っていきました。
ここで、容量がオーバーしましたので、「つづき」ます。