≪ 日本のパワースポット19 熊山遺跡 ≫
現在まで、この熊山遺跡が何であるのかは、正確には解っていないようです。
「あの石壇は、神素戔嗚大神様の御尊骸を納め奉った御陵」であることを、明らかにされたというのです。
出口王仁三郎とは、我が国の歴史に残る大霊能者です。
彼は―――
古昔 出雲の国と称せられたる地点は、近江の琵琶湖以西の総称であって、素戔嗚大神様のうしはぎ給うた土地である。
湖(琵琶湖)以東は、天照大神様の御領分であった。
この故に、誓約はその中央にある眞名井、すなわち琵琶湖でおこなわれたのである。
出雲の国とは 「いづくもの国」の義にて、決して現今の島根県に限られたわけではないのである。
素戔嗚大神様は 八岐大蛇(八頭八尾:やまたの大蛇おろち)を御退治なされて後、櫛稲田姫(くしいなだひめあ)と壽賀の宮(すがのみや)に住まわれた。
尊百年の後 出雲の国のうち、最上清浄の地を選び、御尊骸を納め奉った これ備前國和気の熊山である。
大蛇(おろち)を斬られた十握(とつか)の剣も 同所に納まっているのである。
この戒壇と称する石壇は、考古学者も何とも鑑定がつかぬと云うているようであるが、そのはずである。」
―――このように述べていたようです。
私は、サムハラ神社を後にして、この熊山遺跡を目指しました。
山頂近くまで車で行けるようですが、通常のルートではなく、裏のルートでナビに従って登ったのですが、ひじょうに車幅が狭い道路で、対向車が来たら迂回できないほどでした。
地元ナンバーの 老人が運転する車とすれ違いましたが、簡単にはいかず、車を降りて、後方を確認してバックするありさまでした。
帰りは通常のルートで下りましたが、もし車で行かれる方は、この裏ルートは気を付けた方がよさそうです。車が多いと、にっちもさっちも 行かなくなる可能性があります。
駐車場付近の案内板
熊山遺跡への道
駐車場から およそ500Mほどで、熊山遺跡があります。
その手前に、いくつかの見どころが散在します。
この神社は、何のパワーもありません。大昔にセットしても、高波動は浮き上がってきませんでした。
熊山神社への道
熊山遺跡の近くに、「熊山神社」があります。
このエリアは なかなかの波動の高さが感知できます。
熊山神社
鳥居から結界が張られていて、良好な波動が感知できます。
熊山神社
境内は 漠然としていて、現在はそれほどの波動のレベルではありませんが、800年前にセットすると、高波動の空間が出現します。
熊山神社社殿
この神社には「人の気配」がありません。
やはり800年前にセットすると、高い波動となって良好な空間が現れます。
現在は、まったく寂びていて、案内板もありませんので、観光客が 訪れようという気にもならないかもしれません。
牛の像
木製の「牛」の像。この他にも「馬の像」もありました。
熊山戒壇
いよいよお目当ての戒壇とご対面です。
が・・・・?!
期待していた高波動ではないのです・・・・。ここは、何の変哲もないエリアでした。
ここに来る前に訪れた「サムハラ神社」は、サムハラ大神と対座するには、そこの近くにある「名もなきお堂」のエナジーと同調する必要がありました。
もしかしたら・・・・熊山神社と同調する必要があるのか・・・・などと、思いを巡らせましたが・・・・何も反応もしませんでした。
しかし―――このことが、大きなる発見、驚くべき発見につながってくことになりました。
つづく
2016年4月28日記