生命体エナジー浄化の会ブログ

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日本のパワースポット 19 熊山遺跡

≪ 日本のパワースポット19 熊山遺跡 ≫
 
 熊山に興味を持ったのは、八幡書店から入手した『出口王仁三郎聖師と熊山』という研修資料を 目にしてからです。
 
そこには、岡山県東部の熊山にある「戒壇」(熊山遺跡)は、神素戔嗚(かむすさのお)大神の御陵である―――と書かれたいたことに、端を発しています。
 
日本書紀』では、「すさのお」を、「素戔男尊」としていますが、この資料では「神素戔嗚」と表記しています。
 
古事記』では、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)、あるいは須佐乃袁尊となり、出雲国風土記』では神須佐能袁命(かむすさのおのみこと)、須佐能乎命などと表記するようです。
 
ここでは「スサノオ」を 資料に基づいて「神素戔嗚(かむすさのお)」として表記します。
 
 
現在まで、この熊山遺跡が何であるのかは、正確には解っていないようです。
ですが・・・・あの大本教出口王仁三郎が、
 
「あの石壇は、神素戔嗚大神様の御尊骸を納め奉った御陵」であることを、明らかにされたというのです。
 
出口王仁三郎とは、我が国の歴史に残る大霊能者です。
 
彼は―――
岡山県和気郡熊山の山頂にある戒壇は、神素戔嗚大神様の御陵(みささぎ)である。
古昔 出雲の国と称せられたる地点は、近江の琵琶湖以西の総称であって、素戔嗚大神様のうしはぎ給うた土地である。
 
湖(琵琶湖)以東は、天照大神様の御領分であった。
この故に、誓約はその中央にある眞名井、すなわち琵琶湖でおこなわれたのである。
 
出雲の国とは 「いづくもの国」の義にて、決して現今の島根県に限られたわけではないのである。
 
素戔嗚大神様は 八岐大蛇(八頭八尾:やまたの大蛇おろち)を御退治なされて後、櫛稲田姫(くしいなだひめあ)と壽賀の宮(すがのみや)に住まわれた。
 
尊百年の後 出雲の国のうち、最上清浄の地を選び、御尊骸を納め奉った これ備前國和気の熊山である。
 
大蛇(おろち)を斬られた十握(とつか)の剣も 同所に納まっているのである。
 
彼の『日本書紀』にある『素戔嗚尊の蛇を斬り給える剣は、今吉備の神部の許にあり、云々』とあるが、「熊山」のことである。
 
この戒壇と称する石壇は、考古学者も何とも鑑定がつかぬと云うているようであるが、そのはずである。」
 
―――このように述べていたようです。
 
私は、サムハラ神社を後にして、この熊山遺跡を目指しました。
 
山頂近くまで車で行けるようですが、通常のルートではなく、裏のルートでナビに従って登ったのですが、ひじょうに車幅が狭い道路で、対向車が来たら迂回できないほどでした。
 
地元ナンバーの 老人が運転する車とすれ違いましたが、簡単にはいかず、車を降りて、後方を確認してバックするありさまでした。
 
帰りは通常のルートで下りましたが、もし車で行かれる方は、この裏ルートは気を付けた方がよさそうです。車が多いと、にっちもさっちも 行かなくなる可能性があります。
 
駐車場付近の案内板
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熊山遺跡への道
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駐車場から およそ500Mほどで、熊山遺跡があります。
その手前に、いくつかの見どころが散在します。
 
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この神社は、何のパワーもありません。大昔にセットしても、高波動は浮き上がってきませんでした。
 
熊山神社への道
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熊山遺跡の近くに、「熊山神社」があります。
このエリアは なかなかの波動の高さが感知できます。

熊山神社
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鳥居から結界が張られていて、良好な波動が感知できます。
 
熊山神社
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境内は 漠然としていて、現在はそれほどの波動のレベルではありませんが、800年前にセットすると、高波動の空間が出現します。

熊山神社社殿
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この神社には「人の気配」がありません。
やはり800年前にセットすると、高い波動となって良好な空間が現れます。
 
現在は、まったく寂びていて、案内板もありませんので、観光客が 訪れようという気にもならないかもしれません。

牛の像
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木製の「牛」の像。この他にも「馬の像」もありました。

熊山戒壇
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いよいよお目当ての戒壇とご対面です。
 
が・・・・?!
期待していた高波動ではないのです・・・・。ここは、何の変哲もないエリアでした。
 
ここに来る前に訪れた「サムハラ神社」は、サムハラ大神と対座するには、そこの近くにある「名もなきお堂」のエナジーと同調する必要がありました。
 
もしかしたら・・・・熊山神社と同調する必要があるのか・・・・などと、思いを巡らせましたが・・・・何も反応もしませんでした。
 
しかし―――このことが、大きなる発見、驚くべき発見につながってくことになりました。
 
                     つづく
                      2016年4月28日記