生命体エナジー浄化の会ブログ

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麻賀多神社 その2

《 麻賀多神社 その2 》

麻賀多神社その2

 

 麻賀多神社奥宮から、今回の旅の目的地である「麻賀多神社」に来ました。

ここは、私は一度訪れているところで、正直最初に来た時には、それほどの高波動は感知しなかった神社です。

 

本州の東日本の地には、「鹿島神宮」「香取神宮」があり、正式に「神宮」と名乗れる神社は、「伊勢神宮」とこの三社だけです。

 

歴史的にも、日本の守護する重要な役割のある神社が、なぜ東日本の地にある「鹿島神宮」「香取神宮」なのか―――ということですが、

 

ある歴学者は、東日本の「鹿島神宮」「香取神宮」の地は、「要石」が沈められていて、日本の国土を地震から守る役目があるとされています。

 

というのは―――古来の日本には、この地方には大和地方を凌ぐほどの文化の栄えた「地」であった―――という説を説く学者がいます。

 

その説を拝聴しますと、大きく納得できる学説で、大半の学者は「九州」「大和」が日本の繁栄を担った地であるとしていますが、

 

出土する「埴輪」などから、「鹿島神宮」「香取神宮」のあるエリアこそ、古代に日本の中心地であったという学説には、傾聴に値します。

 

その「鹿島神宮」「香取神宮」の二社は、オリオン座の中心にある三座の配置があり、古代の遺跡には、エジプトの大ピラミッドやメキシコのティオティワカンのピラミッドなど、オリオン座を反映した構造体が見られる特徴があります。

 

この「鹿島神宮」「香取神宮」の二社は、「息栖神社」を加えた三社がオリオン座を反映しているという説の他に、この「麻賀多神社」がオリオン座を反映しているという捉え方をする場合もあります。

 

その説に従えば、この「麻賀多神社」は、「鹿島神宮」「香取神宮」とセットとなる重要な位置を占めることになります。

 

伊勢神宮でいうと、「内宮」「外宮」と「伊雑宮」となり、「麻賀多神社」は「伊雑宮」の位置関係になります。

 

 

こちらの「麻賀多神社」が、我々の目的とする神社です。

良好な波動が伝わってきます。

 

 

神社の鳥居には、「菊の御紋」があります。

「菊の御紋」があるので、ここが尋常の神社ではないことが解ります。

 

階段の上に本殿があります。

高波動が伝わっています。

 

 

 

麻賀多神社由緒」です。

 

そこには―――

「その昔 日本武尊御東征の折 この地方の五穀の実りが悪いのを知り 里人を集め大木の虚に鏡を掛け その根元に七つの玉を埋めて伊勢神宮に祈願しましたところ その後は豊年が続きました 又三世紀の頃・・・・」

 

ここに、神々の由来も述べられています。

 

拝殿です。

波動は良好です。

 

この画像では分りにくいですが、この神社の屋根には、六芒星のような神社の「神紋」が飾られています。

 

この「神紋」は、麻の葉を象ったものです。

「麻」賀多神社というだけあって、「麻」に関わる「神紋」です。

 

「麻」は古来より、神事に使用されていて、「穢れを祓う」とされているものです。

そのために「魔よけ」にも用いられていたといいます。

 

日本では、「麻」の栽培は禁じられていますが、現在麻を原料とするクスリの効用が絶大で、将来は数千億円にも達するものになると見積もられているものがあります。

 

このクスリは日本では購入できませんが、古来から「麻」は日本では普通に栽培されていたようです。

 

ですから、「麻」の「神紋」を飾る神社には、何か高貴な感じを抱かざるを得ないのです。

 

 

 

扉は開いていませんので、隙間から撮りました。

 

ここに、「麻賀真(まがま)大神」のエナジーが感知されます。

これは、「伊勢神宮外宮の親神」にあたる神と云われています。

 

このエナジーを引き出しますと、身体にゾクゾクした感覚が伝わります。

 

小さな祠があります。

これは―――それほどの波動ではないです。

 

拝殿の後ろの位置に、麻賀多神社の「本殿」があります。

ここに「麻賀多大神」のエナジーが鎮座しているのが解ります。

 

麻賀多神社は、

「今から千七百年前に、印旛国造(いんばのくにのみやつこ)であった伊都許利命(いつこちのみこと)が、現在の地に麻賀多大神として崇め、以降近隣の麻賀多十八社の本宮として 地元の鎮守様として崇敬されている」

このように、公式サイトにあります。

 

この本殿は、江戸時代の寛永十三年(1673年)に建築されたといいます。

 

この二つの祠は、良好な波動です。

 

神社に特有の「鏡」がありますので、神道系のエナジー体と思われますが、その実態は良く判りません。

 

ここには、「御神木」があります。

樹齢1300年とも云われています。

 

「天然記念樹」とあります。

ぐるりと一周できるようになっています。

 

これは―――

太さ9M、高さ40Mの東日本最大の「御神木」です。

 

この「御神木」の中に、イメージで入り込んで一体化してみました。

するとーーー

 

もしかしたら、長寿遺伝子と呼ばれる「サーチュイン遺伝子」が、「オン」になるかもしれません。

通常の方は、この遺伝子は「オフ」のままで死んでいきます。

 

いよいよ今回の旅の目的地に来ました。

ここが、我々が目指していた場所です。

 

ここには―――

「天日津久神社(あめのひつくじんじゃ)」とあります。

 

岡本天明(後述)が、祈りを捧げていた「地」です。

 

これが「天日津久神社」です。

 

この小さな「祠」が、日本の行く末を担っているかもしれない神社です。

もの凄い高波動です。

 

我々は全員が、この前に立って合掌しただけで、身体を前後に揺さぶられました。

 

ここに持参したブレスレットを置いて、ここのエナジーを吸引しました。

もの凄い「高波動」が吸引されました。

 

この地で、我々は深く感謝の祈りを捧げました。

 

この地に導いてくれたことに「感謝」

日々生かしてくれいることに「感謝」

 

この背後の空間は、凄まじい霊気が漂っていました。

 

恐らく―――このことは、次元を変えないと感知できないと思われます。

ここでは、反応した「9次元」の空間にセットしておきます。

 

多くの方は、この空間に入っただけで、身体の体軸が整います。

超強烈な高波動空間になっています。

 

ここにも「祠」がありますが、「天日津久神社」を参拝した後なので、凡庸に感じます。

 

小さな頂に、「大権現社」があります。

やはり―――「天日津久神社」を参拝した後なので、凡庸に感じます。

 

我々は、近辺のエリアを散策しました。

 

以前に来た時には、ほぼ何も感じないままこの地を通り過ぎました。

 

しかし、今回は、必ず「何か反応する」という思いで来ましたので、次元の違いを感知しました。

 

ここの空間を9次元にセットすると、一瞬で高波動空間に変わりました。

 

高波動の次元にセットするだけで、このエリアは何か「守護神」が守っていることに気づかされました。

 

ここの空間は「聖域」です。

本来は、身を整えて、身体を清浄な状態にしてからではないと、立ち入るのさえ恐れ多いことになる「空間」であることに、気づかされました。

 

昔、出口王仁三郎に出会って大本教に入信した岡本天明という人物がいます。

 

岡本天明は、明治30年生まれの神道家、宗教家、画家でした。

幼少のころから、見えないものが見えたり(霊視能力)、聞こえないものが聞こえたり(霊聴能力)、霊感に優れた子供でした。

 

17歳で個展を開き、「天才少年画家現わる」と称賛されたことがありました。

その後、明治大学に進み、22歳の時に出口王仁三郎の「大本教」に参加します。

 

その後、紆余曲折があり、この「麻賀多神社」の末社である「天日津久神社」に参拝した直後、霊が降臨して、ここの社務所で『日月神示(ひつくしんじ)』(別名『ひふみ神示』)といわれる自動書記現象が発現します。

 

この自動書記で書かれた文体は、本人も全く読めず、これが以後17年間も続きました。

これは、「国常立大神(くにとこたちのおおかみ)」が降臨したと云われています。

 

その後、解読には多くの霊能者も加わり、天明亡き後も解読が進み、『日月神示(ひつくしんじ)』の読み方や解読には、8通りもあると云われています。

 

その解読のされた内容は、日本の行く末など、世界情勢から様々な観点から暗示していることが知られています。

 

日月神示(ひつくしんじ)』の解読には、その後は天明の妻・三典が後を担い、解読した内容を発表しています。

 

天明は生前に、妻の三典に、「私が死んだあとは、君が後を継いで解読してくれるだろう・・・・」と語っていたと伝わります。

 

いつ頃に日本に大きな衝撃や大災難が起こり、いずれ日本は大きな発展を遂げる・・・など、いくつもの「天から降ろされた啓示」を読み解くことで、日本の今後の行く末を暗示しています。

 

このような啓示が降ろされたといわれる「天日津久神社」を参拝して、その境内を散策することで、この「地」が日本の将来のカギを握る「地」かもしれない―――

 

このような思いを抱かせてくれました。

 

             了

 

          2023年8月15日記