《 三徳山から出雲大社を行く 5 》
まず、「稲佐の浜」に行きました。
ここは、「国譲り」などの神話の舞台ともなる地です。
神事を行う神聖な地として、また後世の残すべき美しい渚として、
平成8年に「海の日」を記念して、全国の渚の中から、「日本の渚・百選」に選ばれました。
離島ではないので、「島」と呼んでいいのだろうか?
だが、理由があります。
ここはかっては沖合にあったのですが、砂浜が広がって、昭和の終わり頃には陸続きとなったといいます。
ここはーーー神仏習合のときには、「弁財天」が祀られていて、その名残から「弁天島」と呼ばれていたようです。
明治になって、「豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)」が祀られています。
今では「弁財天」は反応しません。
「豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)」で反応します。
この「稲佐の浜」にある「弁天島」は、出雲大社の西方1キロに在ります。
この地に、旧暦10月10日の「神無月(かんなづき)」には、全国から神々が集まり、この「稲佐の浜」から上陸すると言い伝えられています。
だから、国中の神々がいなくなるので、「神無月(かみなしつき)」とも呼ばれます。
しかし、出雲の地には神々が集まるので、ここでは「神在月」と呼ばれています。
出雲大社では、旧暦10月17日まで神々の会議が行われるとして、10月18日には、各地に帰る神々を見送る「神等去出祭」が出雲大社拝殿で行われています。
ついでながらーーー出雲に出向かない「神」様もいます。
諏訪大社の祭る神である諏訪明神が、龍(ヘビ)の姿で出雲に行ったところ、
あまりにも巨大なので、驚いた神々が気遣って、「諏訪明神に限っては、わざわざ出雲に出向かなくともよい」とされて、諏訪大社は10月は「神在月」となっています。
出雲に行くのは大国主神系の国津神だけであるという説や、天照大神を始めとする天津神も出雲に行くという説もあります。
また、出雲に出向きはしますが、対馬の天照神社の天照大神は、「神無月に出雲に参集する諸神の最後に参上し、最初に退出する」と言う伝承もあります。
出雲に祭神(さいじん)が出向いてしまっていては、その地域を鎮護(ちんご)するものがいなくなるということから、「留守神」と呼ばれる留守番をする神も考え出されるようになりました。
一般に留守神は、「恵比寿神」となるようです。
あるいは、「荒神(こうじん)」の場合もあるようです。
近くで見る「弁天島」
ここに全国から八百万(やおよろず)の神々が集まって来る・・・と、云われています。
この神聖な浜の岩場で・・・
いつものように 皇子が「尻見せポーズ」を取りました。
これに刺激されて・・・・
ゾネスも 全日本レベルの意地からポーズをとりました。
さらに それに刺激されて、「じゃ、ボクも・・・」
ミッチーも参加して、「尻見せ」をしました。どうぞ見てやってください。
この後、少し移動して、「屏風岩」に向かいました。
「屏風岩」は、「国譲りの地」と云われています。
神話によるとーーー
高天原からの使者として派遣された武甕槌神(たけみかづちのかみ:建御雷命)は、この岩を背にして、砂に太刀を立てて、大国主大神と国譲りの話し合いをされたと伝えられています。
国譲りは、大国主神(おおくにぬしのかみ)が治めてきた豊葦原水穂国(とよあしはらむみずほのくに)が、天神である天照大御神の御子に譲られる経緯を語り伝えるものです。
大国主神(おおくにぬしのかみ)は、自分の二人の子供が承服するなら、国を譲ると応えました。
そのうち建御名方神は、力じまんの神でなかなか納得しませんでした。
そこで建御雷神と力競べをすることにしました。
ところがーーー建御名方神が、建御雷神の手をとると、氷のようになり、剣の刃のようになりました。 これはたまりません。
建御名方神は、父である大国主神の命に従うことを約束しました。
その後、建御名方神は信濃国に移り、信濃国の国造りをしました(諏訪大社に祀られる)。
このことを大国主神に告げると、大国主神は自分が隠れ住む宮殿を、天神の住む宮殿のように造ることを願い、そこに移り住むことにしました。
平安時代の書物には、大国主神が住む「出雲大社」は、(当時)日本一大きな建物と記されています。
こうして出雲の国は、天神の御子・瓊々杵命(ににぎのみこと)に譲られたということです。
ここに出雲系・スサノオ系と天照大神系は、闘うこともなく和したのです。
「国譲り」をした屏風岩です。
それほど大きくもありません。
民家の前にあって、波動は悪くありませんが、特別に高波動でもありません。
それよりも・・・・
「出雲大社」の近くにあるこの山が、とても気になりました。
高波動です。
出雲大社の背後の山は、八雲山などの「神体山」で禁足地です。
神職でも登ることが許されない聖域です。
このような高波動の山に、出雲大社は囲まれているーーーと、いわれています。
もし許されるのであれば・・・・いつか、その禁足地の「神体山」に登ってみたい・・・このような思いが交錯していました。
以前、本ブログで、京都にある「出雲大神宮」についての記事を書いています。
「出雲大神宮」はかなり高波動で、神社の奥の斜面は「禁足地」となっています。
また、その背後の山も高波動で、それがご神体である「神体山」であるように思えました。
ですから、「出雲大神宮」は本殿ではなくて、禁足地の背後の「神体山」を祀る「拝殿」なのかもしれません。
同じことが、この出雲大社にも云えるのかもしれません。
実際に、現地の「出雲大社」に行って、このことを確認しようと思いました。
つづく
2019年9月7日記